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二人一組

ご覧いただきありがとうございます。

評価、ブックマークしていただきありがとうございます。

二人一組。


そう聞いた時、マーリンは少しだけ不思議な気持ちになった。


一つの操縦席に、二人で乗るわけではない。


リュールにはマーリンが乗る。


ステラには、ステラの機体がある。


それでも軍は、これを二人一組と呼ぶ。


二機で一つの戦術単位。


前衛と補助役。


白いリュールと、黄色い魔力スラスターを引く随伴機。


マーリンが前を見る。


ステラが横と後ろを見る。


言葉にすると簡単だった。


けれど、それは命を預けるという意味でもあった。


軍の管理施設にある作戦会議室は、いつもどおり白かった。


椅子も、卓も、壁も、照明も、きれいに整いすぎている。


その整い方が、少し冷たい。


茶会の部屋なら、少しくらい余白がある。


花の位置が違うとか、ティーカップの模様が季節に合っているとか、菓子の甘さに誰かが小さく笑うとか。


そういう無駄が、人の居場所を作る。


ここには、それがない。


ここにあるのは、資料と戦術図と、決定事項だけだった。


メッサーシュミットが資料を閉じる。


「イルクート一等候補生を、リュール随伴機の正式バディとして登録します」


ステラの背筋が伸びた。


「はい!」


声が大きい。


正式な場であることを思い出したのか、ステラはすぐに少しだけ耳を赤くする。


マーリンはその様子を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。


ステラらしい。


まだ出会って長くはないのに、そう思ってしまう。


明るくて、まっすぐで、少し忙しい。


けれど訓練に入ると、きちんと横と後ろを見る。


その切り替わりが、マーリンには不思議だった。


眩しくて、少し頼もしい。


そして、少し怖い。


頼もしいと思うほど、失いたくないものになる。


失いたくないものが増えるほど、戦場は重くなる。


ブライアンは静かに二人を見る。


「ロイス嬢、イルクート候補生は索敵、死角管理、戦術補助に優れています。君の前衛機動を抑えるのではなく、支える役になる」


抑えるのではなく。


その言葉に、マーリンは少しだけ息を止める。


リュールは速い。


マーリンの魔力は、リュールを深く動かしてしまう。


前へ出れば出るほど、身体は削れる。


ステラは、その前進を止めるためではなく、戻る場所を作るために置かれる。


そう言われている気がした。


戻る場所。


その言葉は、まだ痛い。


けれど、少しだけ欲しかった。


「承知いたしました」


マーリンは頷く。


「イルクート候補生、よろしくお願いいたします」


ステラがこちらを見る。


大きな空色の瞳。


最初の頃ほど、ただ眩しそうなだけではない。


憧れはまだある。


けれど、その奥に少し別の色が混じっている。


心配。


緊張。


それから、決意。


「はい。ロイス様」


ステラは言い、少しだけ迷った。


「その、ロイス様」


「何かしら」


「提案がございます」


提案。


ステラの顔は真剣だった。


けれど、その真剣さの端が少し震えている。


マーリンは待つ。


「通信中、ロイス様、とお呼びするのは、少し遠い気がします」


遠い。


その言葉が、思ったより深く胸に入る。


「遠い?」


「はい。もちろん、礼を欠くつもりはありません。ですが、バディとして前衛と補助役を務めるなら、もう少し近い呼び方の方が、反応が早くなると思います」


ステラは早口になりかけて、慌てて息を整える。


「それに……私は、ロイス様を英雄としてだけ見ないと決めました。ですから」


そこで少しだけ目を伏せる。


「マーリン様、とお呼びしてもよろしいでしょうか」


マーリンは黙る。


マーリン様。


ミハイルの「マーリン」とは違う。


クリスチーナの「お嬢様」とも違う。


それでも、ロイス様よりは少し近い。


少しだけ、人の形をしている。


遠くの花ではなく、同じ場所に立つ誰かとして呼ばれている気がした。


「イルクート候補生」


マーリンが呼ぶと、ステラは少しだけ肩を揺らした。


「はい」


「では、私もあなたをイルクート候補生と呼ぶのは、少し遠いわね」


ステラが目を上げる。


「え」


「ステラ、と呼んでも?」


ステラの顔が、ぱっと明るくなる。


訓練室の照明より分かりやすい。


とても分かりやすい。


「はい! ぜひ!」


「声が大きいわ、ステラ」


「あっ、はい。申し訳ありません、マーリン様」


初めての呼び方。


少し照れくさい。


けれど、不思議と悪くなかった。


マーリンは小さく頷く。


「よろしくお願いします、ステラ」


「はい。よろしくお願いいたします、マーリン様」


二人一組。


その言葉が、少しだけ形を持った。



初任務は、その確認を待ってくれなかった。


境界宙域に近い小規模補給線。


帝国の救難艇と護衛機が、王国側の人形部隊に接近されている。


正面からの大規模戦闘ではない。


けれど、放置すれば救難艇が落ちる。


救難艇。


その言葉に、マーリンはすぐ顔を上げた。


救うための船。


誰かを拾うための船。


そこへ敵機が近づいている。


「リュールとシューティングスターを出します」


メッサーシュミットの判断は早かった。


ステラの機体、FaP-08F シューティングスター。


リュールのデータを基に調整された、ステラ専用の随伴機。


正式配備前の調整機であり、支援と索敵に特化した黄色い魔力スラスターを持つ機体だった。


マーリンは格納区画で、その機体を見る。


白いリュールの隣に立つと、少し小さく見えた。


けれど線がきれいだった。


速さだけを競う形ではない。


追いつくため。


支えるため。


見落とさないため。


そういう印象がある。


ステラは耐Gスーツ姿で、機体の前に立っていた。


普段より表情が硬い。


怖いのだろう。


マーリンにはそれが分かった。


それでもステラは逃げない。


「マーリン様」


「何かしら、ステラ」


「後ろは見ます」


短い言葉だった。


けれど、その短さが頼もしかった。


マーリンは頷く。


「前は、私が見ます」


ステラの目が少しだけ揺れる。


それから、しっかり頷いた。


「はい」


クリスチーナがマーリンの留め具を整える。


耐Gスーツの胸元。


肩。


腕。


いつもより指先が丁寧だった。


丁寧すぎて、少し遅い。


止めたいのだ。


それが分かる。


でも、クリスチーナは止めない。


止められない。


「お嬢様」


「ええ」


「お戻りくださいませ」


その言葉に、胸の奥が少し痛む。


戻る。


言えなくなった言葉。


けれど、言わないままではクリスチーナを置いていくことになる。


マーリンは、ほんの少し考えた。


「戻るつもりで行くわ」


それが、今言えるぎりぎりだった。


必ず戻るとは言えない。


戻ると約束するには、戦場はあまりにも冷たい。


でも、戻るつもりではいる。


その気持ちだけは、嘘ではなかった。


クリスチーナは頭を下げる。


「はい」


ステラがそれを見ている。


何も言わない。


ただ、少しだけ口元を引き結んだ。


マーリンはリュールを見上げる。


白い装甲。


胸部ハッチ。


眠っているようで、待っているような人形。


「行きましょう」


「はい、マーリン様」


ステラの声が、格納区画の白い空気に小さく響いた。



リュールのコクピットは、相変わらず近かった。


球状の空間。


全周囲モニター。


手にはめるインターフェース。


マーリンが指を開くと、白い糸が伸びる。


リュールは待っていたように応えた。


《機体識別:Nep-001Pt Lueur》


《操縦者リンク確認》


《同期率上昇中》


深い。


また少し、深い。


胸の奥から背骨まで、白い糸が通っていくような感覚。


怖い。


リュールは応える。


応えすぎる。


マーリンの呼吸の底へ触れてくるように、機体の感覚が戻ってくる。


腕部装甲の重み。


脚部関節の抵抗。


スラスターの熱。


ソードの柄の位置。


どれも、知っている。


知りたくないほど、近い。


でも、もう一機いる。


モニターの端に、黄色い魔力スラスターの機影が映る。


ステラのシューティングスター。


『マーリン様、聞こえますか』


通信の声。


今までの「ロイス様」ではない。


少し近い。


少しだけ、呼吸がしやすい。


『聞こえています、ステラ』


『はい。こちらも良好です』


ステラの声は少し硬い。


でも、震えてはいない。


管制から発進許可が下りる。


『リュール、シューティングスター、発進許可。救難艇の退避完了まで敵機を接近させるな』


『承知しました』


『承知しました!』


ステラの返事がまた少し大きい。


マーリンは小さく笑いそうになる。


戦場へ向かう前なのに。


それでも、その声があるだけで、黒い宇宙が少しだけ遠くなる。


『リュール、出ます』


『シューティングスター、続きます』


白と黄色の光が、射出口から宇宙へ伸びた。


黒い宇宙が開く。


星の光は細い。


綺麗なのに、冷たい。


その中で、救難艇の識別表示が小さく点滅していた。


味方護衛機が一機、斜め後方にずれている。


位置が悪い。


救難艇の退避線を守りきれていない。


王国側の人形は二機。


動きは速い。


片方が大きく前へ出る。


もう片方が低く回り込む。


救難艇はまだ退避中。


護衛機は立て直しに数秒かかる。


数秒。


戦場では、それだけで何かが落ちる。


マーリンには、嫌な感じがあった。


前にいる敵機は見せ札。


本命は下。


そう思うより先に、ステラの声が来る。


『マーリン様、前は囮です。本命、下方二十度。救難艇へ抜けます』


『見えています』


言いながら、マーリンはリュールを下へ落とす。


急加速。


胸が圧迫される。


胃が揺れる。


視界の端が白くなる。


それでも、以前より少しだけ踏みとどまりやすい。


『出力を上げすぎないでください。角度はこちらで作ります』


ステラの声。


マーリンは指先の糸を少し緩める。


リュールがほんのわずかに速度を落とす。


その一瞬で、ステラが横へ入る。


黄色いスラスター光が弧を描く。


シューティングスターが敵機の視界へ入り、ほんの少しだけ進路を縛った。


敵機が反応する。


救難艇へ抜ける線が細くなる。


『今』


『はい、今です』


二人の声が重なる。


マーリンはソードを抜く。


白いリュールの指が柄を握る。


物理ソードの刃が、格納時の固定を外れて伸びる。


敵機のコクピットは狙わない。


魔力変換炉にも触れない。


ステラが開いた線の中で、マーリンは敵機の武装腕だけを見る。


『右腕部、武装接続部。そこなら止められます』


『合わせます』


リュールが踏み込む。


宇宙で踏み込むというのも変な話だ。


でも、マーリンにはそう感じる。


白い刃が走る。


敵機の右腕が切り離される。


火花。


姿勢制御の乱れ。


敵機が回転し、戦線から外れる。


まだ落ちていない。


止めただけ。


そう思った瞬間、もう一機が上から来る。


囮だった敵機が、今度は本命になる。


『マーリン様、上!』


ステラの声が鋭くなる。


マーリンは反射でリュールを上げようとする。


急旋回になる。


身体が嫌な音を立てる前に、ステラが叫ぶ。


『回らないでください! 直線で下がって、私が目を切ります!』


命令に近い声だった。


マーリンは一瞬、驚く。


けれど、従った。


リュールを回さない。


後ろへ直線で引く。


シューティングスターが黄色い光で横へ抜け、敵機の視線を奪う。


ステラが囮になる。


『ステラ!』


『大丈夫です、見ています!』


大丈夫。


その言葉に、胸が跳ねる。


でも、ステラの声は確かだった。


怖いのに、見ている声。


マーリンは歯を食いしばる。


『進路を』


『敵機、私を追います。マーリン様、左下から入れます』


『コクピットは』


『避けられます。推進器と左脚部。そこなら落とせます』


落とせます。


その言葉は重い。


でも、ステラは続ける。


『救難艇へ向かわせないためです』


守るため。


その言葉は言われなかった。


けれど、聞こえた気がした。


マーリンは白い糸を引く。


リュールが左下へ直線で走る。


胸が苦しい。


息が切れる。


指先が冷える。


でも、ステラが作った隙間は綺麗だった。


敵機の背後。


推進器。


左脚部。


コクピットから遠い場所。


「止まって」


誰に向けた言葉か分からなかった。


敵機へか。


リュールへか。


自分へか。


白いソードが、敵機の推進器を裂いた。


敵機の光が乱れる。


姿勢を失い、戦線から落ちる。


救難艇への進路が消える。


管制の声が飛ぶ。


『敵一機、撃墜判定』


撃墜。


マーリンの喉が詰まる。


『救難艇、退避完了』


その声が続いた。


その方が大事だ。


そう思いたい。


救えた。


救難艇は逃げた。


誰かは帰れる。


それでも、撃墜という言葉は消えない。


『マーリン様』


ステラの声が入る。


先ほどより少し低い。


『敵機、救難信号を出しています。機体は行動不能。コクピット反応、残っています』


マーリンは息を吐く。


救難信号。


生きている。


その情報だけで、指先が少しだけ戻る。


『ありがとう、ステラ』


『はい』


短い返事。


けれど、そこに温度があった。


マーリンはリュールを救難艇側へ向け直す。


『任務を続行します』


『後ろは見ます』


『お願い』


『はい、マーリン様』


その呼び方が、黒い宇宙の中で小さく灯る。


マーリン様。


ロイス様でも、リュールの操縦者でも、帝国の希望でもなく。


少しだけ近い名前。


白いリュールの後ろで、黄色い光が揺れる。


その光は、敵を焼くためのものではなかった。


マーリンの戻る線を示すために、そこにあるように見えた。



任務は成功した。


救難艇は退避完了。


護衛機の損傷は軽微。


王国側人形一機撃墜判定、一機戦闘不能。


軍の言葉は整っている。


整いすぎている。


格納区画へ戻ると、整備員たちが一斉に動いた。


リュールの白い装甲。


シューティングスターの黄色い残光。


二機が隣り合って固定される。


二人一組。


帰ってきた二機を見上げて、マーリンはようやくその言葉の重さを知る。


ハッチが開く。


外の空気が入る。


マーリンは立ち上がろうとして、膝が抜けた。


身体が遅れて任務を思い出したように重くなる。


吐き気。


指先の痺れ。


胸の奥に残る急加速の圧。


クリスチーナが駆け寄る。


「お嬢様」


「少し、足に力が入らないだけよ」


言ってから、マーリンは眉を寄せる。


少しだけ。


また使った。


でも、大丈夫とは言わなかった。


そこだけは、まだ守れている。


クリスチーナは何も言わず、マーリンを支える。


その手が少しだけ強い。


怒っているのではない。


泣きそうなのだ。


ステラも機体から降りてくる。


彼女も顔色が悪い。


けれど、マーリンを見るなり駆け寄ろうとして、軍の手順を思い出したように足を止めた。


「マーリン様」


その声は、訓練の時より近い。


マーリンは顔を上げる。


「ステラ」


ステラの表情が一瞬、ほどける。


それだけで、呼び方を変えた意味が少し分かった気がした。


「お怪我は」


「ないわ。あなたは?」


「私もありません。少し、目が回っています」


「それは大変ね」


「はい。ですが、甘いものがあれば回復します」


この状況でそれを言う。


マーリンは、ほんの少し笑ってしまう。


戦場帰りの格納区画で。


吐き気をこらえながら。


敵機を落とした直後に。


笑ってしまった。


それが少し怖い。


でも、救いでもあった。


ステラはマーリンを見て、ほっとしたように笑う。


「笑われました」


「確認しないでください」


「はい」


いつものやり取り。


それが、戦場から戻ってきた体に少しだけ人間の温度を戻した。



報告室では、任務結果が淡々と並べられた。


リュールとシューティングスターの連携は有効。


ステラの索敵と進路補正により、リュールの過剰機動を抑制。


マーリンの前衛機動により、救難艇への敵接近を阻止。


敵機一機撃墜、一機戦闘不能。


撃墜。


また、その言葉。


マーリンは椅子に座り、手袋の指先を握る。


メッサーシュミットは言う。


「二機一組での初任務としては、極めて良好です」


ブライアンも頷く。


「ロイス嬢、イルクート候補生。君たちの連携は、今後のリュール運用の基礎になります」


基礎。


今後。


次がある言葉ばかりだった。


マーリンは目を伏せる。


「救難艇は」


「無事に退避しました」


メッサーシュミットが答える。


「敵機の操縦者は」


一瞬、空気が止まる。


ブライアンが静かに視線を上げる。


メッサーシュミットは表情を変えずに答えた。


「一機は救難信号あり。回収については戦域状況次第です」


戦域状況次第。


つまり、助かるかは分からない。


マーリンは口を閉じる。


ステラが隣で少しだけ手を動かした。


机の下で、彼女の指も震えている。


怖かったのだろう。


マーリンだけではない。


ステラも怖かった。


それでも、二人で戻った。


「マーリン様は」


ステラが口を開く。


部屋の視線がステラへ向く。


「救難艇を守りました」


少し硬い声だった。


けれど、はっきりしていた。


「撃墜は、結果です。目的は、救難艇の退避でした」


ブライアンは静かにステラを見る。


怒りはしない。


むしろ、興味深そうに。


「イルクート候補生の言う通りです」


彼は穏やかに言う。


「ただ、戦場では結果もまた意味を持ちます」


正しい。


いつも正しい。


マーリンはその正しさが少し苦手だった。


ステラは黙る。


けれど、言った。


それだけで十分だった。


撃墜ではなく、守った。


その言葉を、誰かが部屋の中に置いてくれた。


マーリンは小さく息を吐く。


「ありがとう、ステラ」


公の場だった。


けれど、呼んだ。


ステラは一瞬、目を丸くする。


それから、まっすぐ頷く。


「はい、マーリン様」


メッサーシュミットは何も言わなかった。


ブライアンも、指摘しなかった。


呼び方は、その場で静かに通った。


二人一組。


それは、戦術上の単位である前に。


この重い言葉を、少しだけ分け合う関係なのかもしれなかった。



休憩室に戻ると、クリスチーナが茶を用意してくれた。


マーリンは椅子に座る。


身体が重い。


指先も冷たい。


喉の奥に、まだ宇宙の黒さが残っている。


ステラは向かいに座り、持ち込んでいた小さな菓子包みを取り出した。


「任務後ですので」


「甘いもの?」


「はい。必要です」


本当に真剣だった。


マーリンは困る。


困って、少し笑う。


「では、必要なら」


ステラの顔が明るくなる。


「はい」


二人で焼き菓子を食べる。


甘い。


戦場のあとでも、甘いものは甘い。


それが少し不思議だった。


マーリンは菓子を見つめる。


「ステラ」


「はい」


「怖かった?」


ステラはすぐには答えなかった。


それから、小さく頷く。


「怖かったです」


その正直さに、マーリンは少し安心する。


「私も怖かったわ」


「はい」


「でも、あなたが後ろを見てくれた」


「はい」


「だから、私は前を見られた」


ステラの目が揺れる。


「マーリン様」


「ありがとう」


短い言葉だった。


けれど、それ以上に言うと崩れそうだった。


ステラは焼き菓子を両手で持ち、少しだけ顔を伏せる。


「こちらこそ」


声が小さい。


「私は、マーリン様の後ろを見る役でよかったです」


マーリンは、胸の奥が少し温かくなるのを感じる。


その温かさは怖い。


また守りたいものが増える。


また失いたくないものが増える。


けれど、もう遅い。


ステラの黄色い光は、黒い宇宙の中で確かにマーリンの隣にあった。


その事実を、なかったことにはできなかった。


クリスチーナが新しい茶を注ぐ。


湯気が小さく揺れる。


ステラは焼き菓子の欠片を見て、少しだけ眉を寄せた。


「次は、もう少し割れにくいものを用意します」


「そこを反省するの?」


「はい。任務後の甘いものは、形も大切です」


「そうなの」


「たぶん」


マーリンはまた少し笑う。


その笑いは、戦場から戻った直後の自分には似合わない気がした。


けれど、似合わなくてもいいのかもしれない。


笑ったからといって、落とした敵機が消えるわけではない。


救難艇を守った事実が消えるわけでもない。


どちらも残る。


怖さも、温かさも。


撃墜という言葉も、守ったという言葉も。


その二つを、今はステラが少しだけ一緒に持ってくれている。


マーリンはティーカップを両手で包む。


指先の冷たさが、少しだけ溶けた。


リュールとシューティングスターの初任務成功は、軍内で静かに広がる。


白いリュール。


黄色い随伴機。


二機一組の防衛戦術。


救難艇を守り、敵機を落とした若い二人。


帝国側では、連携の有効性が語られる。


リュールの過剰機動を抑えた支援機。


救難艇の退避線を守った前衛機。


新たな戦術単位。


良好な初任務。


書類の上では、すべてが整っていく。


王国側では、別の言葉が生まれ始める。


白い機体に近づくな。


あれは速い。


後ろに黄色い目がいる。


逃げ道を塞がれる。


そして、撃墜数が一つ増えるたびに、マーリンの名前は少しずつ戦場の言葉へ変わっていく。


マーリンはまだ知らない。


守るために振るった白いソードが、遠い敵陣で別の名を呼び寄せていることを。


撃墜女王。


その呼び名が、まだ小さな影として戦場の端に立ち始めていた。



その頃、休憩室では、ステラが最後の焼き菓子を半分に割っていた。


「マーリン様、半分ずつにしませんか」


「それは、あなたの分では?」


「二人一組ですので」


使い方が違う。


そう言おうとして、マーリンはやめた。


ステラの差し出した半分を受け取る。


小さな焼き菓子。


戦術にも、報告書にも、撃墜数にもならないもの。


けれど、その半分は確かに温かかった。


「ありがとう、ステラ」


「はい、マーリン様」


二人一組。


その言葉は、まだ怖い。


けれど、戦場から戻ったあとに甘いものを分けることも、そこに含めてもいいのかもしれない。


マーリンはそう思いながら、半分の焼き菓子を口に運んだ。


甘かった。


黒い宇宙のあとでも。


撃墜という言葉のあとでも。


それは、ちゃんと甘かった。

ここまでお読みいただき有り難うございました。


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