白い人形の初陣
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白い光の刃が、黒い宇宙を細く裂いていた。
リュールはすでに、シャルンホルストの前方へ出ている。
背後には、損傷した研究艦。
その中には、生徒たちと教師たちがいる。
クリスチーナがいる。
ミハイルがいる。
前方には、赤く表示された敵影。
宙賊機。
複数。
黒い点が、宇宙の暗さに紛れて散開していた。
マーリンの手には、光のソードの感覚があった。
正確には、リュールの手が握っている。
けれど、その柄の重さも、刃を保つために流れ続ける魔力も、マーリンの指先へ返ってくる。
物理ソードではない。
金属の刃ではない。
白く揺らめく光の刃。
綺麗だった。
綺麗なのに、優しくない。
刃が形を保つたび、マーリンの胸の奥から熱が吸い上げられていく。
「……重い」
思わず、そう漏れた。
刃そのものに重さはないはずだった。
それでも重い。
光を維持するために、魔力が流れ続けている。
リュールへ。
ソードへ。
自分の中身が、少しずつ白い光へ変えられていく。
全周囲モニターには、黒い宇宙が広がっていた。
広い。
広すぎる。
展望区画で見た宇宙は綺麗だった。
息を忘れるほど広くて、星の光は遠く、冷たく、それでも目を離せなかった。
今、目の前にある宇宙は違う。
冷たい。
暗い。
光が爆ぜるたびに、誰かの命が削れている場所だった。
『ロイス嬢、聞こえますか。敵機三機が艦前方へ接近しています。接近阻止を優先してください』
管制の声が届く。
マーリンは返事をしようとして、喉の奥にせり上がった吐き気を飲み込んだ。
先ほどの加速が、まだ身体の中に残っている。
胸が苦しい。
耐Gスーツが締めつけた場所が痛い。
指先はインターフェースの中で震えていた。
「……聞こえます」
声が小さい。
自分でもそう思う。
けれど、リュールは動く。
白い糸が、機体の腕へ、脚へ、背中へ通っている。
マーリンが少し前へ出ようと思うより早く、リュールのスラスターが白く瞬いた。
赤い点が動く。
まっすぐではない。
曲がり、散り、また寄る。
護衛機の薄くなった穴を狙い、シャルンホルストの損傷部へ近づいていく。
マーリンは奥歯を噛んだ。
どこへ行けば射線を塞げるのか。
どの敵影が囮で、どれが艦を狙っているのか。
護衛機が立て直すために必要な隙間が、白い線のように浮かんで見える。
怖い。
戦場が怖いのではない。
いや、戦場も怖い。
でも、それ以上に、自分の中にその答えがあることが怖かった。
マーリンは人形に乗ったことなどない。
訓練も受けていない。
戦いたいと思ったこともない。
それなのに、リュールは彼女の糸に応えている。
「撃たせません」
言った瞬間、リュールが前へ出た。
急加速。
身体が座席へ沈む。
胸の骨が内側へ押され、息が詰まる。
胃がひっくり返りそうになる。
白い糸が強く引き伸ばされ、指先の奥が熱く痛んだ。
それでも、マーリンはリュールを艦の前に滑り込ませる。
宙賊機の射線を、白い人形の影で塞ぐ。
ソードを振るう。
斬るためではない。
敵機の進路を外すために。
光の刃が、黒い機体の目前をかすめた。
宙賊機が慌てて回避する。
その動きで、護衛機への包囲が崩れた。
『護衛機、今です』
マーリンは叫んだ。
自分が指示していい立場ではない。
分かっている。
けれど、言わなければ間に合わない。
すぐに、男の声が返る。
『了解。白い機体、射線を空けろ』
マーリンはリュールを横へ流した。
急旋回。
世界が斜めに潰れる。
胸の奥がきしむ。
胃が持ち上がり、喉が熱くなる。
耐Gスーツがぎゅっと身体を締める。
白い糸がぶつりと切れそうになる。
切らない。
切れない。
リュールが退いた瞬間、護衛機の火線が通った。
宙賊機は直撃を避ける。
けれど進路を失い、大きく離脱した。
撃墜ではない。
艦からは引き離した。
マーリンは荒く息をする。
ひとつ。
ひとつだけ、守れた。
その思いが胸に落ちた途端、全身の力が少し抜けかける。
駄目。
まだ終わっていない。
赤い点は、まだモニターの中に残っている。
敵は二手に分かれた。
一方は護衛機へ。
もう一方はシャルンホルストの損傷部へ。
損傷部。
外部装甲の第七区画。
格納区画で放送が告げていた場所だ。
そこへもう一度撃ち込まれれば、隔壁がもたないかもしれない。
マーリンには、それが見えた。
赤い表示より早く。
管制の声より早く。
敵が動ききる前に、そこへ行くと読めた。
「右下……いいえ、艦尾側」
『何ですか』
「艦尾側へ回り込みます。そちらが本命です」
『ロイス嬢、単独判断は――』
言葉の続きを聞いている余裕はなかった。
自信などない。
けれど、糸がそちらへ引かれる。
マーリンはリュールを動かした。
大きく回り込むのでは遅い。
機体をひねり、最短で射線へ割り込む。
急旋回と急加速が重なった。
身体が悲鳴を上げる。
呼吸が浅くなる。
指先が震える。
白い糸が何本にも分かれ、リュールの関節を支える。
気持ち悪い。
苦しい。
怖い。
それでも、敵影が艦尾へ向けて武装を構えた瞬間、リュールは間に入っていた。
光のソードで砲口を払う。
当てた感触はない。
けれど、刃が敵機の武装に触れた瞬間、魔力がさらに削られた。
熱が抜ける。
腕の奥が冷たくなる。
「っ、重い……!」
刃そのものに質量はないはずなのに、腕が沈む。
リュールの腕ではない。
マーリンの腕が。
魔力を流し続けることが、こんなにも重い。
火線がそれた。
シャルンホルストの外装をかすめ、宇宙の奥へ消える。
直後、護衛機が横から入り、宙賊機を押し返した。
『助かった。白い機体、無茶な入り方をするな』
叱られた。
マーリンは、少しだけ笑いそうになる。
こんな時に叱られるのは変だ。
けれど、生きている声だった。
「すみません」
返事をした瞬間、視界の端が白くちらついた。
魔力が削れている。
糸を伸ばしすぎている。
リュールは動く。
動きすぎるほど動く。
けれど、マーリンの身体はそれについていけない。
手が震える。
喉が熱い。
胃の奥が苦い。
息をするたび、胸の中で何かが細く擦れる。
それでも敵は待ってくれない。
宙賊機が、リュールを警戒し始める。
白い人形を落とそうとするのではなく、艦から引き離そうと動く。
一機が大きく離れる。
もう一機が近づく。
さらに奥で、別の赤い点が迂回する。
誘っている。
追えば、シャルンホルストが空く。
斬り込めば、誰かを殺すかもしれない。
追わない。
離れない。
守る。
マーリンは、リュールを艦の盾にした。
護衛機の死角へ白い機体を置く。
敵の逃げ道を塞ぎすぎず、攻め道だけを潰す。
宙賊機を撃ち落とすのではなく、近づけない。
防ぐ。
ずらす。
邪魔をする。
戦いというより、ひどく大きな社交場の席次みたいだと、場違いなことを思った。
近づけてはいけない相手を離す。
ぶつかりそうな線をずらす。
全体が崩れない場所を探す。
おかしい。
本当に、おかしい。
宇宙で、白い人形に乗って、宙賊と向き合っているのに。
マーリンは少しだけ笑いそうになって、すぐに吐き気で顔を歪めた。
笑う余裕などなかった。
光のソードが震える。
白い刃が黒い宇宙に線を引くたび、魔力が抜けていく。
吸われる。
削られる。
自分の中の熱が、武器の形に変えられていく。
「このままじゃ……」
言葉が途中で切れた。
息が続かない。
リュールの性能は高い。
反応は速い。
スラスターは鋭く、関節は軽い。
マーリンの意識に、機体はよく従う。
従いすぎる。
少し動けと思えば、飛ぶ。
少し避けろと思えば、急旋回する。
そのたびに、身体へ負荷が返ってくる。
リュールは壊れない。
マーリンの方が先に壊れそうだった。
『ロイス嬢、機体反応が乱れています。呼吸を整えてください』
「整えたい、です」
思わず答えた。
通信の向こうが一瞬黙る。
こんな時に、何を言っているのだろう。
マーリン自身もそう思った。
けれど、少しだけ息がしやすくなった。
ほんの少しだけ。
『護衛機、再編完了まで二十秒』
二十秒。
短い。
普段なら、髪飾りの位置を直すだけで過ぎる時間。
けれど戦場の二十秒は、長かった。
赤い点が三つ、同時に動く。
一機は正面。
一機は下方。
一機は斜め上から艦の損傷部を狙っている。
全部は止められない。
そう思った瞬間、白い糸が細く震えた。
全部を止めなくていい。
必要な線だけをずらす。
マーリンはリュールの機体を沈める。
下方の敵へ向け、ソードを振るう。
斬らない。
光の刃を見せるだけ。
敵が避ける。
その避けた先へ、護衛機の射線が入る。
『もらった』
火線が走る。
宙賊機が大きく姿勢を崩した。
爆ぜない。
落ちない。
けれど、艦へ向かう力は失われる。
マーリンはすぐに正面へ戻ろうとした。
だが、戻りが遅い。
魔力が足りない。
白い糸が重い。
「リュール……!」
名前を呼んだ。
呼んでから、胸の奥が震えた。
自分でつけた名。
自分だけが、まだそう呼んでいる名。
白い人形のスラスターが強く光った。
リュールが前へ出る。
急加速。
限界を一段越えた。
身体が座席に沈む。
胸が潰れ、視界が暗くなる。
一瞬、音が遠のいた。
赤い警告が滲む。
吐き気が限界まで上がり、マーリンは歯を食いしばる。
戻ってきた視界の先で、正面の宙賊機が艦へ向けて射撃姿勢を取っていた。
間に合う。
間に合わせる。
マーリンはソードを横に振った。
光の刃が、敵機の射線を裂く。
砲口が外れる。
火線はリュールの肩をかすめ、白い装甲の端で火花を散らした。
衝撃。
小さいはずなのに、肩を殴られたような感覚が返ってきた。
「痛っ……」
リュールの肩だ。
マーリンの肩ではない。
それなのに痛い。
繋がっている。
繋がりすぎている。
『被弾軽微。ロイス嬢、距離を取ってください』
「取れません」
取れば、後ろが空く。
シャルンホルストがある。
ミハイルがいる。
クリスチーナがいる。
生徒たちがいる。
マーリンはリュールを踏みとどまらせた。
宇宙に足場などない。
それでも、踏みとどまると思えば、リュールはそこに止まった。
白い光の刃を前に出す。
黒い影が、近づくのをためらう。
その一瞬でよかった。
『護衛機、再編完了。白い機体、下がれ』
護衛機の火線が左右から通る。
マーリンはリュールを斜め下へ流した。
今度は遅れないように。
けれど、身体が遅れた。
急旋回に耐えきれず、頭の奥が白く弾ける。
喉の奥から、苦いものが上がった。
吐きそうになる。
飲み込む。
涙が滲む。
それでもモニターから目を離さない。
護衛機の火線が宙賊機を追い払う。
一機が離脱。
もう一機も距離を取る。
残った赤い点が迷う。
そこへ、遠方から新しい青い光が現れた。
救援信号。
帝国軍の増援。
宙賊機の動きが変わる。
深追いをやめる動きだった。
『敵機、後退しています』
管制の声が入る。
護衛機が陣形を立て直し、シャルンホルストの防空圏が戻り始めていた。
宙賊機は白い人形を避けるように距離を取る。
護衛機の火線とリュールの防空支援で、接近する旨味が消えたのだ。
黒い影が一つ、また一つと離れていく。
撃ち落としたわけではない。
勝った、と胸を張れるほどのものでもない。
ただ、退けた。
シャルンホルストはまだそこにある。
護衛機も、生き残っている。
格納区画にいる生徒たちも、きっと。
マーリンは息を吐いた。
その瞬間、白い糸が大きく緩んだ。
駄目。
そう思うより早く、リュールの姿勢が崩れかける。
『ロイス嬢、姿勢制御!』
マーリンは慌てて糸を握り直す。
指先が痛い。
頭の奥が熱い。
胃の奥がひっくり返る。
それでもリュールは、かろうじて姿勢を立て直した。
『帰投してください。白い機体、帰投を』
帰る。
その言葉に、初めて膝から力が抜けそうになる。
けれど、リュールに膝はあるが、マーリンの膝は座席に固定されている。
変な安心。
変な話だった。
マーリンはシャルンホルストへ向かう。
宇宙はまだ黒い。
敵影は遠ざかっている。
警告音は少しずつ減っていく。
それでも、手の震えは止まらなかった。
光のソードは、まだ白く揺れている。
その刃を維持するだけで、魔力が流れていく。
「もう、いいわ」
マーリンが呟くと、リュールの手が柄を下げた。
光の刃が消える。
その瞬間、身体の内側に空洞ができたような感覚が残った。
使った分は、戻ってこない。
そんな当たり前のことを、身体で知る。
リュールは強かった。
けれど、マーリンは強くなかった。
少なくとも、まだ。
帰投誘導の光が、格納区画へ続く進路を示す。
マーリンはそれに従って、リュールを艦へ戻した。
最後の減速で、また胃が揺れる。
胸が苦しい。
視界の端が白い。
それでも、赤い非常灯の格納区画が見えた時、マーリンはほんの少しだけ息を吐いた。
リュールが格納区画へ戻ると、固定具が機体を受け止めた。
重い音。
白い機体が整備架台へ固定される。
ハッチが開く。
外の空気が入り込んだ。
赤い非常灯。
整備士たちの声。
生徒たちのざわめき。
マーリンは立ち上がろうとして、失敗した。
足に力が入らない。
指先が震える。
喉の奥に吐き気が残っている。
白い糸を引き戻したはずなのに、まだ身体の中に絡まっている気がした。
「お嬢様」
クリスチーナが駆け寄ってくる。
その声を聞いた瞬間、マーリンは笑おうとした。
いつものように。
心配させないように。
綺麗に。
「大丈夫……」
言いかけて、止める。
大丈夫ではなかった。
胸が苦しい。
手が震える。
立てない。
吐きそう。
怖かった。
今も怖い。
だから代わりに、マーリンは震える指を握りしめた。
「……少し、気持ち悪いわ」
ひどく小さな声だった。
けれど、嘘ではなかった。
クリスチーナの顔が歪む。
「お嬢様」
「ごめんなさい。立てないかもしれない」
「謝らないでくださいませ」
クリスチーナが支える。
ミハイルも来る。
彼の顔は怒っていて、安堵していて、少し青い。
「マーリン嬢」
「ミハイル様」
「無茶をした」
「……叱られると思いました」
「叱る」
即答だった。
マーリンは少し笑った。
笑いはすぐ、吐き気に押されて消えた。
ミハイルの手が、彼女の背を支える。
乱暴ではない。
けれど、逃がさない支え方だった。
「戻ったわ」
マーリンは言う。
約束ではなかった言葉を、少しだけ約束に近づけたくて。
ミハイルは短く息を吐いた。
「遅い」
「そこまで、遅くは」
「遅い」
それ以上、言い返す力はなかった。
マーリンは目を閉じかける。
その向こうで、整備士たちが起動記録を見て騒いでいた。
「初回搭乗で接続率がここまで」
「光学ソード展開時の魔力出力、記録を取れ」
「機体反応、異常に滑らかです」
「ロイス嬢の波形を保存しろ。すぐに」
メッサーシュミットの視線も、ブライアンの視線も、白い人形へ向いていた。
いや。
白い人形と、その記録へ。
リュールが動いたという事実へ。
マーリンの震えではなく。
喉に残る吐き気でもなく。
今にも崩れそうな足でもなく。
ただ、リュールを動かせたという事実へ。
マーリンは薄く目を開ける。
赤い非常灯の下で、リュールは静かに立っていた。
白い装甲には、肩をかすめた小さな傷がある。
それだけだった。
あれだけの加速も。
急旋回も。
魔力の消耗も。
吐き気も。
恐怖も。
機体には、ほとんど残っていない。
残っているのは、マーリンの身体の方だった。
指先の震え。
喉の熱。
胸の奥の空洞。
それらは記録には映らない。
たぶん、誰もそこを見ない。
クリスチーナだけが、マーリンの手を包んでいた。
ミハイルだけが、顔色を見ていた。
その二つだけが、赤い非常灯の中で妙にはっきりしていた。
マーリンはもう一度、リュールを見た。
名前をつけた白い人形。
自分の糸に応えた機体。
人を救った機体。
そして、自分の中の何かを確かに持っていった機体。
黒い宇宙から戻ってきたはずなのに、胸の奥にはまだ冷たい広さが残っている。
初陣は終わった。
けれど終わった気がしなかった。
格納区画のざわめきの中で、マーリンは静かに息をする。
大丈夫とは言わない。
言えない。
ただ、震える手をクリスチーナに預け、ミハイルの支えに少しだけ身を任せた。
そのすぐ向こうで、白い人形の起動記録が、次々と保存されていく。
帝国は、見つけたのだ。
マーリンの恐怖ではなく。
マーリンの痛みでもなく。
リュールを動かせる、彼女の白い糸を。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
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