測られるもの
ご覧いただきありがとうございます。
見慣れない天井だった。
白くて、染みがない。
ひびもない。
蜘蛛の巣もない。
朝の光が、きれいな窓から柔らかく入ってきていた。
私はしばらく、ぼんやりとそれを見ていた。
ああ、そうだ。
ここはプラットの屋敷ではない。
王立宇宙軍士官学校の第三女子寮。
昨日、私は王都に来た。
学園に来た。
壊れていない部屋で眠った。
ふかふかの寝台は、思っていた以上に強かった。
一度沈むと、なかなか人を返してくれない。
危ない寝台だ。
危うく、入学初日に遅刻するところだった。
私は慌てて起き上がり、端末を確認した。
目覚ましより少し早い。
よかった。
寝台は危険だけれど、まだ勝った。
今日は入学式典。
身体測定。
魔力検査。
適性検査。
その予定を思い出した瞬間、胸の奥がきゅっとなった。
特に、魔力検査。
私は自分の魔力量を知らない。
強いのか弱いのかも、よくわからない。
ただ、私の中には知らない記憶がある。
白い光。
指先から伸びる糸。
人形を操る感覚。
あれが本当に私のものではないのなら、検査には何も出ないはずだ。
普通の結果。
目立たない結果。
そうなってほしい。
私は寝台から下りて、鏡の前に座った。
最初に見るのは髪の根元。
茶色。
まだ大丈夫。
白は出ていない。
私は少しだけ息を吐いた。
制服に袖を通す。
濃紺の上衣。
銀の釦。
胸元の徽章。
鏡の中の私は、昨日より少しだけ別人みたいだった。
軍服に近い制服。
これを着るだけで、自分がどこかへ連れていかれる気がする。
私は襟元を整えた。
大丈夫。
目立たない。
普通にする。
普通の新入生になる。
そう決めて、部屋を出た。
朝食の食堂は、昨日の夜より少し緊張した空気だった。
みんな制服を着ている。
同じ濃紺。
同じ徽章。
でも、不思議と同じには見えなかった。
着慣れているような人。
少し誇らしげな人。
緊張している人。
もう誰かと仲良く話している人。
私は食堂の入口で少し迷ってから、セシリア様を見つけた。
「プラット様」
セシリア様が微笑んでくれた。
制服姿のセシリア様は、とてもよく似合っていた。
背筋が伸びていて、でも柔らかい。
濃紺の制服なのに、重く見えない。
私は自分の袖を少し見た。
袖はぴったり。
私のために作られた服。
それがまだ少し、落ち着かなかった。
「おはようございます、ヒースロー様」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「はい。寝台がふかふかで、少し驚きました」
言ってから、そんなことを言う新入生はあまりいないかもしれないと思った。
でもセシリア様は小さく笑った。
「私も少し驚きました。思っていたより快適でしたね」
「はい。危険なくらいでした」
「危険?」
「起きられなくなりそうで」
セシリア様は口元に手を当てた。
笑っている。
馬鹿にする笑いではなかったので、私は少し安心した。
二人で簡単に朝食を取った。
パン。
スープ。
卵。
果物。
朝から果物がある。
王都は油断ならない。
私は取りすぎないように注意しながら、りんごを一切れだけ取った。
とてもおいしかった。
うまうま、と言わなかった。
えらい。
「入学式、少し緊張しますね」
セシリア様が言った。
「はい」
「新入生代表の挨拶は、ユンカース侯爵家の方だそうです」
「ユンカース……」
名前だけは知っている。
王国の名門。
宇宙産業と人形で有名な家。
侯爵家。
私から見れば、とても高いところにいる人たち。
「シュヴァルベ=ユンカース様です」
セシリア様の声は、少しだけ敬意を含んでいた。
「同い年で、新入生代表……すごい方なのですね」
「ええ。貴族筆頭家の令嬢としても、人形使いの素質としても、とても有名な方です」
人形使い。
その言葉で、スープの温かさが少し遠くなった。
私は匙を置いた。
目立つ人。
期待される人。
正しく立つ人。
そういう人がいる。
それだけで、少し胸が重くなった。
辛くないのだろうか。
まだ会ってもいない人に、そんなことを思った。
入学式典の会場は、中央講堂だった。
高い天井。
広い空間。
正面には王国旗と学園旗。
壇上には学長、軍関係者、在校生代表らしき上級生たちが並んでいた。
新入生は案内された席に座る。
私はセシリア様と一緒に入ったけれど、席は途中で離れた。
爵位ごとに区画が分かれているらしい。
ヒースロー伯爵家のセシリア様は前の方へ。
プラット男爵家の私は、少し後ろの方へ。
それは当然のことだった。
だから寂しいと思うのは、少し違う。
少し違うけれど、隣にいた人がいなくなると、急に会場が広くなった気がした。
私は一人で席に座り、膝の上で手を揃えた。
周りには同じ男爵家や、下級貴族らしい新入生が座っている。
その中でも、みんな私よりずっと整って見えた。
制服の着こなしも、髪も、靴も。
私は靴先を見た。
ちゃんと磨いた。
大丈夫。
たぶん。
しばらくして式典が始まった。
学長の挨拶。
王国と学園の歴史。
宇宙軍の使命。
貴族と選抜生に求められる責務。
軍関係者の祝辞。
在校生代表の歓迎の言葉。
どれも立派だった。
立派すぎて、時々意味が私の頭の上を通り過ぎた。
責務。
誇り。
献身。
王国の盾。
未来の人形使い。
言葉は美しい。
でも、美しい言葉は少し怖い。
マーリンの記憶の中にも、美しい言葉はたくさんあった。
希望。
勝利。
使命。
犠牲。
それらは、どれも人を戦場へ連れていく言葉だった。
私は膝の上の手を少し握った。
そして、新入生代表の名前が呼ばれた。
「新入生代表、シュヴァルベ=ユンカース」
会場の空気が変わった。
大きな歓声ではない。
式典だから、みんな抑えている。
でも、息を呑む音や、小さな称賛の声が、波のように広がった。
私は顔を上げた。
壇上へ向かう少女がいた。
淡い金色の髪。
まっすぐに伸びた背筋。
落ち着いた歩き方。
穏やかな表情。
けれど、その奥に確かな自信がある。
自分がどこに立っているのかを知っている人の姿だった。
侯爵家令嬢。
貴族筆頭家の令嬢。
正しくあろうとしている人。
正しく立つことを、求められてきた人。
私はその姿を見た瞬間、胸の奥が小さく鳴った。
マーリン。
違う。
違うのに、重なった。
白い髪の公爵令嬢。
帝国の希望。
フルール・デスポワール。
希望の花。
マーリンは、そう呼ばれていた。
美しい呼び名。
でも、私の中の記憶は、その名を少し重いものとして覚えている。
希望と呼ばれるたびに、逃げ場がなくなる。
花と呼ばれるたびに、散ることまで期待される。
マーリンは、それを笑って受け取っていた。
でも本当は、少し重いと思っていた。
胸の奥の記憶が、そう言っていた。
壇上のシュヴァルベ様は、静かに一礼した。
声は澄んでいた。
「本日、王立宇宙軍士官学校の門をくぐることを許された一同を代表し、謹んでご挨拶申し上げます」
言葉は丁寧で、揺れない。
強すぎず、弱すぎない。
聞く人を自然に前へ向かせる声だった。
私はその声を聞きながら、少しだけ苦しくなった。
シュヴァルベ様は、どうなのだろう。
辛くないのだろうか。
正しく立つこと。
期待されること。
誰かの理想を背負うこと。
それを、重いと思ったりしないのだろうか。
それとも、あの人は本当に強くて、重ささえ正しく持てるのだろうか。
私にはわからない。
ただ、壇上の姿は眩しかった。
眩しくて、少し遠かった。
式典が終わる頃には、私の手のひらは少し汗ばんでいた。
式典の後、新入生は学園職員の誘導で測定棟へ向かった。
身体測定。
魔力測定。
適性検査。
順番に行われるらしい。
廊下を歩く間、あちこちで小さな会話が聞こえた。
「魔力量、去年より増えているといいな」
「適性検査は簡易型らしいわ」
「ユンカース様はどれほどの数値を出されるのかしら」
みんな、怖くないのだろうか。
私は怖い。
でも、怖い顔をしてはいけない。
目立つから。
身体測定は、すんなり終わった。
身長。
体重。
視力。
聴力。
骨格の確認。
既往歴の確認。
階段から落ちた時の怪我について聞かれたので、正直に答えた。
肋骨。
右腕。
左足。
今は日常生活に問題ありません、と言うと、担当の人は端末に記録した。
「痛みは残っていますか?」
「雨の日に少しだけです」
「無理はしないように」
「はい」
無理はしない。
その言葉を聞くたびに、少し困る。
どこからが無理なのか、私にはよくわからないから。
魔力検査の部屋は、白くて静かだった。
中央に測定台があり、その上に透明な板が置かれている。
測定板。
そこに手を置いて、指示通りに魔力を流すらしい。
順番待ちの間、私は自分の手を見ていた。
普通の手。
少し小さくて、指が細い。
この指から、本当にあの白い糸が伸びていたのだろうか。
いや、伸びていたのはマーリンの記憶だ。
私ではない。
そう思いたい。
「次、ローレッタ=プラットさん」
「はい」
私は測定台の前に立った。
担当の測定員は、眼鏡をかけた中年の男性だった。
「測定板に右手を置いてください。力まず、少しずつ魔力を流します。最初は弱く。指示に合わせて徐々に強くしてください」
「はい」
私は右手を板に置いた。
冷たい。
「始めます。まず、弱く」
魔力を流す。
魔力を流すとは、どういうことだろう。
そう思った瞬間、指先の奥がかすかに温かくなった。
白い光の記憶が、薄く揺れる。
だめ。
強くしない。
弱く。
ほんの少し。
測定板に、小さな光が灯った。
測定員の目が端末へ向く。
「そのまま。少し強く」
少し。
私は呼吸を整えた。
強くしすぎないように。
そっと。
でも、緊張すると手元が揺れる。
水を細く注ごうとして、瓶の口が震えるみたいに。
光が一瞬、強くなった。
測定員の目元に皺が寄った。
私は心臓が跳ねた。
だめ。
今、変だった。
「もう少し強くできますか」
「あ、はい」
できるかどうかを考えるより先に、身体が答えてしまった。
指先の奥から、魔力が伸びる。
測定板の光が、一気に白く跳ねた。
端末が短い音を立てる。
測定員の手が止まった。
私は慌てて抑え込んだ。
閉じる。
止める。
出さない。
光が急に細くなる。
細くなりすぎて、今度は消えかけた。
「……もう一度、安定させてください」
測定員の声が少し硬い。
「す、すみません」
私は小さくなりながら、もう一度魔力を流した。
弱く。
少しだけ。
普通。
普通ってどれくらい。
わからない。
焦るほど、魔力は揺れた。
強くなったり、弱くなったり。
息を止めると細くなり、息を吸うと広がる。
私はだんだん、自分が測定板ではなく危ない鍋を持っている気分になった。
吹きこぼれないで。
お願いだから。
「終了です」
その声を聞いた瞬間、私はすぐ手を離した。
測定員は端末を見ていた。
眉間に、ほんの少し皺がある。
私はそれだけで胃が縮んだ。
怒られる。
目立った。
どうしよう。
「魔力を流した後、身体の違和感はありますか」
「い、いえ」
「魔力が大きく減った感覚は」
「ありません」
本当になかった。
疲れた感じもない。
ただ、緊張で肩が固い。
「めまい、吐き気、指先の痺れは」
「ありません」
「そうですか」
測定員は記録を確認し、少し考えるようにした。
「緊張による一時的な出力の跳ね上がりとして記録します。制御が不安定ですね。今後、訓練で確認することになるでしょう」
「はい……」
私は頭を下げた。
緊張。
一時的。
それなら、まだ大丈夫。
目立っていない。
たぶん。
いや、少し目立ったかもしれない。
でも、緊張なら仕方がない。
新入生だから。
私は自分にそう言い聞かせた。
部屋を出ると、待機していたセシリア様と目が合った。
セシリア様は少し驚いたような顔をしていた。
もしかして、外にも音が聞こえたのだろうか。
「プラット様、大丈夫ですか?」
「はい。緊張してしまって」
私は笑った。
ちゃんと笑えただろうか。
セシリア様は何か言いかけて、でも小さくうなずいた。
「そうですか」
深く聞かれなかった。
それがありがたかった。
適性検査の会場に入る時、説明を聞いて私は足を止めそうになった。
「これより、人形操縦に関する基礎適性を測定します」
人形。
その言葉だけで、胸が冷えた。
適性。
人形。
私にあってはいけないもの。
少なくとも、高くあってはいけないもの。
私は戦わない。
人形には乗らない。
そう決めた。
でも検査は、私の決意なんて知らない。
淡々と順番を待たせて、淡々と測る。
最初の検査は、目標追従だった。
椅子に座り、正面の画面を見る。
画面上に、赤、黄色、白、青の点が次々に表示される。
そのうち、赤い点だけを追い、指定された入力を行う。
説明を聞いた時は難しそうだった。
でも始まってみると、簡単だった。
簡単すぎた。
赤い点だけが、勝手に浮き上がって見える。
他の色の動きも見えている。
黄色が右へ逃げる。
白が遅れて消える。
青が囮みたいに揺れる。
でも赤はそこ。
次は左下。
その次は中央上。
指が勝手に動く。
迷わない。
入力音が規則正しく鳴る。
検査員の顔が、途中で少し変わった。
私はその顔を見て、血の気が引いた。
だめ。
早すぎる。
私は次の赤点で、わざと少し遅らせた。
その次は、ほんの少しだけ外した。
でも外し方も難しい。
わざと間違えるというのは、普通に正解するより難しい。
失敗にも自然な失敗というものがあるらしい。
私は、変なところで緊張した。
次は反応速度。
光った方向に合わせて入力する。
これも、見えてしまう。
光る前に、なんとなくわかる。
いや、見えているわけではない。
でも、次に来る場所が気配でわかる。
マーリンの記憶なのか。
私の感覚なのか。
わからない。
わからないけれど、指は動く。
また検査員の表情が変わる。
私は慌てて一拍遅らせた。
遅らせすぎて、今度は不自然になった気がした。
もう嫌だ。
普通って難しい。
次は戦術判断だった。
簡易的な盤面が表示される。
味方機。
敵機。
障害物。
推定航路。
限られた情報から、最適な移動先を選ぶ。
私は画面を見た瞬間、答えが浮かんだ。
正面は罠。
右の敵は囮。
左下、表示されていない死角にもう一機いる。
そこから挟まれる。
だから後退ではなく、斜め上へ抜ける。
味方を一機見捨てる形になるけれど、そうしなければ全滅する。
嫌だ。
そんな判断、したくない。
でも、わかってしまう。
表示されていない伏兵まで、いると感じる。
実際に入力すると、画面上に隠れていた敵影が表示された。
正解。
嫌な正解だった。
検査員がこちらを見た。
私は心臓が跳ねた。
「今の伏兵を、どう判断しましたか」
「え……」
どう判断。
どうと言われても。
そこにいる気がしたから。
でも、そんな答えは変だ。
「航路が……少し、不自然だったので」
私は慌てて言った。
嘘ではない。
たぶん。
「なるほど。続けてください」
次の問題。
次もわかる。
その次も。
敵の動き。
味方の穴。
逃げ道。
斬り込む位置。
全部、勝手に頭へ入ってくる。
私は途中から、わざと考えるふりをした。
少し遅らせる。
迷ったように見せる。
一つ、二つ、無難な選択をする。
最善ではなく、次善。
次善でも高得点になりそうで怖い。
私は低くなりすぎず、高くなりすぎない場所を探した。
戦術判断なのに、私は検査員の表情を読む訓練をしている気分だった。
最後は、リンク特性。
簡易インタフェースを装着する。
手にはめるタイプだった。
指先と手の甲を包むような装置。
人形の操縦インタフェースを簡略化したものだと説明された。
私はそれを見た瞬間、息が浅くなった。
知っている。
知らないのに、知っている。
指を入れる角度。
力を抜く場所。
魔力を流す感覚。
全部、記憶の中にある。
「力まず、少量の魔力を流してください。装置との親和性を確認します」
「はい」
私は手を装置に入れた。
冷たい。
けれど、指先だけが熱くなる。
少量。
少量だけ。
そう思った。
でも、これはごまかしようがなかった。
魔力を流した瞬間、指先から糸が伸びた。
見えないはずの糸。
白い光の感覚。
それが勝手に、装置の奥へ滑り込んでいく。
細く、速く、迷わず。
まるで帰る場所を知っているみたいに。
「……っ」
私は慌てて止めようとした。
でも止まらない。
糸は装置の中で枝分かれし、細い回路をなぞり、奥の奥まで入り込む。
簡易インタフェースが、小さく音を立てた。
測定画面に、いくつもの線が走る。
検査員の顔が、今度こそはっきり変わった。
「そのまま。急に切らないでください」
「は、はい」
切らないで。
でも伸ばしすぎてもだめ。
私は必死に糸を細くした。
細く。
弱く。
目立たないように。
それでも、装置は勝手に応えてくる。
指を少し動かすだけで、画面上の簡易モデルが滑らかに反応した。
右腕。
左腕。
重心。
姿勢制御。
私は動かすつもりなんてなかった。
でも動く。
動かせてしまう。
怖い。
これは私ではない。
マーリンの記憶だ。
そう思いたいのに、指先の感覚はあまりにも自然だった。
「終了です」
言われた瞬間、私はゆっくり魔力を抜いた。
急に切らない。
そう言われたから、慎重に。
糸をほどく。
引き戻す。
指先が少し冷たくなった。
装置を外すと、手が汗で湿っていた。
「……ありがとうございました」
私は小さく頭を下げた。
検査員は記録を見ていた。
何か言われるかと思った。
でもその場では、詳しい結果は告げられなかった。
「総合結果は後日、端末に通知されます。次の方」
それだけだった。
私は会場の外へ出た。
足元が少しふわふわする。
魔力は減っていない。
身体も疲れていない。
なのに、心だけが疲れていた。
廊下の壁際で、セシリア様が待っていた。
私を見ると、少し驚いたように目を開いた。
「プラット様……?」
「はい」
「検査、長かったですね」
「少し、手間取ってしまって」
私は笑った。
笑ったつもりだった。
たぶん、うまくなかった。
セシリア様は何かを聞きたそうにして、でもやはり飲み込んだ。
「お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
お疲れさま。
そう言われて、急に泣きそうになった。
疲れた。
本当に疲れた。
でも泣くほどではない。
泣いたら目立つ。
私はまばたきをして、涙を引っ込めた。
検査会場の中では、まだ新入生たちが順番を待っている。
誰かが笑っている。
誰かが自信ありげに話している。
私はその声を遠くに聞きながら、自分の手を見た。
普通の手。
でも、さっきまで糸が伸びていた。
人形へつながるための糸。
マーリンの記憶が、静かに胸の奥で揺れている。
目立ってしまった。
たぶん。
少なくとも、普通ではなかった。
父の言葉が頭に響く。
目立つな。
身の程を弁えろ。
余計な力を見せるな。
私は、ちゃんと抑えようとした。
間違えようとした。
遅らせようとした。
それでも、隠しきれなかった。
明日からは通常授業が始まる。
座学。
基礎訓練。
魔力制御。
人形関連の講義も、きっとある。
私は目立たず卒業するつもりだった。
戦わないつもりだった。
平凡に生きるつもりだった。
でも、検査というものは、こちらのつもりを測ってはくれない。
測られるのは、持っているものだけ。
欲しくなかったものまで、数字にされる。
私は手を握った。
指先がまだ、見えない糸の感触を覚えている。
その時、ふと背中がざわりとした。
誰かに見られている。
そう感じた。
私は思わず顔を上げて、廊下の向こうを見た。
新入生たちが行き交っている。
職員が記録端末を片手に歩いている。
少し離れた場所では、上級生らしい人たちが何かを話していた。
けれど、誰がこちらを見ていたのかはわからなかった。
気のせいかもしれない。
緊張しすぎて、そう感じただけかもしれない。
私はそう思うことにして、もう一度、自分の手を見た。
でも、背中に残ったその視線の感触だけは、なかなか消えてくれなかった。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
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