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戻ってきましょう

ご覧いただきありがとうございます。

評価、ブックマークしていただきありがとうございます。


文章多めとなっております。

「それでは、本日の任務について説明します」


初めての実任務は、あまりにも静かに告げられた。


白い壁。長い机。正面の表示面。必要な椅子。

作戦説明室に余計なものは何もなく、そこにいる者の呼吸まで、少しだけ整えられてしまうような部屋だった。


隣にいるステラは、いつもより少しだけ背筋が伸びている。

身に着けた耐Gスーツの黒い生地が、細い肩の線をいつもより硬く見せていた。


緊張している。

それは見れば分かった。


マーリンは、正面を向いたまま、ほんの少しだけ息を吸った。


この少女を、連れていく。

その事実は、任務の内容を聞く前から、すでに胸の奥に置かれていた。


表示面に宙域図が映し出される。

正面に立った作戦士官が、淡々と口を開いた。


「本任務は、民間輸送船団の護衛任務です。船団本体には、すでに護衛艦隊が随伴しています」


その言葉に、少しだけ息がしやすくなる。

けれど、すぐに続く言葉が、その安堵を細く削った。


「リュールおよびシューティングスターには、護衛任務における外縁哨戒線の一部を担当していただきます」


船団の外側。

最初に何かを見つける場所。

何かが近づいてきた時、最初に向き合う場所。


「想定される脅威は小規模です。あくまで、二機一組での運用確認を兼ねた低強度任務となります」


その言葉が、ひどく整って聞こえた。


それは、戦闘が起こらないという意味ではない。

ただ、危険の程度に名前をつけているだけだ。


マーリンは、膝の上で指をそっと重ねた。


「敵性反応を確認した場合は、ただちに管制へ通報。原則として積極的な交戦は避け、護衛対象への接近阻止を優先してください」


少なくとも、作戦士官は二人をいきなり戦わせたいわけではないのだろう。


それでも。


接近阻止。

敵性反応。

交戦。


低強度任務の中には、そういう言葉が少しずつ混じっていく。


これは訓練ではない。

撃墜判定では済まない。

誰かが落ちれば、そこで終わる。


マーリンは、耐Gスーツの襟元がいつもより少し窮屈に感じるのを、意識しないようにした。


「ロイス公爵令嬢には、リュールで前方警戒を。イルクート候補生には、シューティングスターで後方支援位置の維持と周辺索敵を担当していただきます」


「はい」


ステラの返事は、思ったより落ち着いていた。


マーリンは横目でステラを見る。

ステラは前を向いている。空色の瞳は少し硬いが、逃げてはいない。


怖くないわけではないのだろう。

それでも、彼女はそこに座っている。


作戦士官が表示を切り替えた。

リュールとシューティングスターの簡略化された機影が、宙域図の外縁に並ぶ。


「交戦が発生した場合、単独での追撃は避けてください。二機一組での生還を最優先とします」


生還。


その言葉だけが、他のどの軍用語よりも重かった。


「質問はありますか」


ステラが少しだけ息を吸った。


手を上げる前に、彼女は一度だけ膝の上の指を握った。

それから、きちんと背筋を伸ばしたまま、控えめに手を上げる。


「イルクート候補生」


作戦士官が促した。


「はい」


ステラは手を下ろし、端末の宙域図へ視線を向けた。


「護衛対象への接近を阻止する場合、優先すべきは敵機の無力化でしょうか。それとも進路妨害でしょうか」


作戦士官は短く頷く。


「原則として進路妨害です。撃破は必須ではありません。ただし、敵機が攻撃態勢へ移行した場合、または接近阻止が困難な場合は、各機の判断で無力化を許可します」


「承知しました」


ステラは答える。

その横顔を見ながら、マーリンは思う。


ステラは、自分の役割を確認している。


敵を落とすためではなく。

後ろを固め、守るために。


それは、ステラが見つけた立ち位置だった。

そのことに少しだけ安堵して、同じ分だけ胸が重くなった。


守るために戦場へ出る。

その言葉がどれほど綺麗でも、戦場へ出ることに変わりはない。


「ロイス公爵令嬢」


作戦士官がマーリンへ視線を向ける。


「リュールの出力については、前回訓練よりさらに上限を抑えています。ただし、緊急時の解除権限は貴女にあります。使用判断は慎重に」


「分かりました」


マーリンは答えた。


声は落ち着いていた。

少なくとも、そう聞こえたはずだった。

けれど、胸の奥ではリュールの感覚がすでに起き上がりかけている。


それを、また自分は使うのだ。


「本任務は、帝国宇宙軍におけるリュールおよびシューティングスターの実戦運用確認も兼ねています」


実戦運用確認。


マーリンは、隣に座るステラをもう一度見る。

ステラは、まっすぐ前を向いていた。


その横顔は少し強張っている。

けれど、泣きそうな顔ではない。


頑張ります、と言っていた少女。

大義名分なんてないと言いながら、それでも一生懸命、積み重ねてきた少女。


その少女が、今、自分の隣にいる。


「それでは、準備に移ってください」


椅子を引く音が、静かな部屋に重なる。


ステラが立ち上がる。

少しだけ動きが硬い。


マーリンも立ち上がった。


「マーリン様」


ステラが、小さく呼んだ。


名前で呼ばれることには、まだ少しだけ慣れない。

けれど、その響きは不思議と遠くなかった。


「何?」


「後ろは、私が見ます」


短い言葉だった。


いつもより明るさは抑えられている。

けれど、その分だけ、まっすぐだった。


マーリンは、静かに頷く。


「ええ」


そして、少しだけ息を吸った。


「お願いね、ステラ」


ステラの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。


「はい」


二人は作戦説明室を出る。


低強度任務。

外縁哨戒。

実戦運用確認。


どれほど言葉を整えても、向かう先は同じだった。


初めての実戦が、もう始まろうとしていた。



作戦説明室を出た後、マーリンとステラは連絡艇で護衛艦へ移った。

施設から任務宙域へ向かうまでの時間は、長くはなかった。


窓の外に見える星々は静かで、船体を伝う低い振動だけが、これがただの移動ではないことを思い出させる。


ステラは隣に座っていた。


いつもなら、何かを話そうとして少しそわそわしている。

けれど今は、膝の上で手を揃えたまま、じっと前を見ていた。


沈んでいるわけではない。

怖さを、きちんと抱えているのだ。


マーリンは、その横顔を見てから、視線を戻した。


やがて連絡艇が護衛艦へ接舷する。

案内役の士官に従い、二人は護衛艦の格納庫へ向かう。


艦内の空気は、施設とは違っていた。


天井は低く、通路は細い。

壁の中を走る機械音が近い。

足元の床も、どこか落ち着かない微振動を伝えてくる。


ここは、動く場所なのだ。

それだけで、胸の奥が少しずつ重くなっていく。


扉が開いた。


護衛艦の格納庫は、軌道上施設の格納庫よりずっと手狭だった。

その分、そこにいる整備兵たちの動きは速い。

端末を手にした技術士官が数値を読み上げ、整備兵が短く応じる。

通信系の接続確認。推進系の検査。武装固定具の解除準備。耐Gスーツの圧力調整と生命維持系の接続確認。


言葉は少ない。


けれど、そこにある沈黙は休息ではなかった。


出撃前の沈黙だった。


格納庫の奥に、二機が並んでいる。


リュール。

そして、シューティングスター。


先日見た時と同じように並んでいるはずなのに、今日はまるで別のもののように見えた。


整備を待つ機体ではない。

調整されるために置かれた機体でもない。


これから、宇宙(そら)へ出る機体だった。


リュールの白い装甲は、格納庫の照明を受けて冷たく光っている。

ただそこにあるだけで、マーリンの指先に魔力の糸の感覚を思い出させた。


あの人形は、応える。


怖いほど素直に。


マーリンが前へ出ようとすれば、前へ出る。

敵の間合いを裂こうとすれば、その通りに動く。


そして、落とせてしまう。

マーリンは、ほんの少しだけ喉を鳴らした。


隣で、ステラがシューティングスターを見上げている。

格納庫の照明を受け、淡い空色のラインが流れ星の尾のようにかすかに浮かび上がった。


ステラの機体。

ステラが後ろを固めるための場所。


「シューティングスター、最終確認完了。通信系、異常なし」


整備兵が報告する。


「推進系、誤差許容範囲内。ソード固定解除準備、完了」


その単語に、ステラの指先がわずかに動いた。

マーリンはそれに気づいたが、何も言わなかった。


戦場で使うものだ。

敵を止めるもの。

場合によっては、敵を落とすもの。


いくら撃破を目的にしないと言っても、戦場へ出る以上、その可能性からは逃げられない。


「ロイス公爵令嬢、リュール側も最終確認に入ります」


技術士官が言った。


「耐Gスーツの圧力調整を再確認します。前回訓練よりも出力制限をかけていますが、実戦時の急加速に備えてください」


「分かりました」


声は、また落ち着いていた。

少なくとも、そう聞こえたはずだった。


ステラがこちらを見る。


「マーリン様」


「何?」


ステラは一瞬だけ迷った。

それから、きちんと顔を上げる。


「後ろは、私が見ます」


作戦説明室でも聞いた言葉だった。


けれど、格納庫で聞くと少し違う。

目の前にはリュールがあり、シューティングスターがあり、整備兵たちが二機を送り出す準備をしている。


言葉が、現実の形を持っていた。


マーリンはステラを見た。

空色の瞳は硬い。

けれど、揺れてはいなかった。


「ええ」


マーリンは静かに頷く。


「お願いね、ステラ」


ステラは、ほんの少しだけ笑った。


「はい」


それはいつもの大きな返事ではなかった。

けれど今のステラには、その小さな返事の方が似合っていた。


「搭乗、開始してください」


リュールの足元へ、昇降リフトが降りてくる。

シューティングスターの前にも、同じようにリフトが用意された。


マーリンはリュールを見上げる。


冷たい白い人形。

けれど今日は、その隣にシューティングスターがいる。


一人ではない。

そう思うことは、心強いはずだった。

けれど同時に、背中に預けられたものの重さが、少しだけ増したようにも感じた。


ステラが、自分のリフトへ向かう前に振り返る。


「マーリン様」


「はい」


「戻ってきましょう」


それは、勝ちましょう、ではなかった。

落としましょう、でもない。

戻ってきましょう。


マーリンは、ほんの少しだけ目を伏せた。


「ええ」


そう答える声は、静かだった。



格納庫の床が下へ離れ、リュールの胸部に開いた搭乗口が近づいてくる。

マーリンは短く息を吸い、コクピットへ身を収めた。


肩、腰、脚部の順に固定がかかる。耐Gスーツの圧力が変わり、黒い生地が身体にぴたりと張りついた。


本物だ。


そう思った瞬間、指先が少しだけ冷える。


マーリンはインターフェースに指を通した。

魔力の糸が、リュールの奥へ細く伸びる。


自分の身体ではない。

けれど、自分の意思に応えてしまう身体。


『リュール、接続確認。魔力流入、安定』


管制の声が響く。


『ロイス公爵令嬢、応答を』


「リュール、応答します」


声は落ち着いていた。

少なくとも、通信の向こうにはそう聞こえたはずだった。


別回線が開く。


『シューティングスター、接続確認。通信良好です』


ステラの声だった。

いつもより少し硬い。けれど、震えてはいない。


『マーリン様、聞こえますか?』


「ええ。聞こえています」


『こちらも、問題ありません』


「分かったわ」


短いやり取りのあと、格納庫内の誘導灯が順に灯った。


リュールの足元で、射出機との接続が始まる。

脚部と腰部がカタパルトに固定され、発艦デッキへ向けてゆっくりと運ばれていく。


艦内の白い照明。

退避線の向こうへ下がる整備兵たち。

正面に開いた発艦口。


その向こうは黒い。


訓練空間の黒ではない。

作り物の星ではない。


本物の宇宙(そら)だった。


『リュール、発艦位置へ』

『カタパルト接続確認。進路クリア』


マーリンは、指先に流す魔力を静かに整えた。


『リュール、発艦を許可します』


一瞬だけ、胸が詰まる。

それでも、言葉は出た。


「マーリン=ロイス、リュール、発艦します」


次の瞬間、機体が押し出された。

背中が座席へ沈む。

耐Gスーツが一気に締まり、胸の奥の空気が押し潰される。


「……っ」


小さな声が、思わず漏れた。

視界の端が、ほんの一瞬だけ暗くなった。


ただの加速だ。

それだけのことなのに、奥歯を噛まなければ息が逃げそうだった。


黒い宇宙(そら)が、一気に広がる。


数拍遅れて、管制の声が戻ってきた。


『リュール、発艦正常。所定位置へ移動』


「了解」


マーリンは姿勢を整え、機体をゆっくりと航路へ乗せた。


すぐ後ろで、次の発艦シークエンスが始まる。


『シューティングスター、発艦位置へ』


マーリンは表示の端に、格納庫内のステラ機を映した。


白い機体。

淡い空色のライン。

小さく、けれどまっすぐな機影。


『シューティングスター、発艦を許可します』


一拍、間があった。

そして、ステラの声が届く。


『ステラ=イルクート、シューティングスター、発艦します』


硬い声だった。

けれど、逃げる声ではなかった。


シューティングスターが射出される。

白い機体が発艦口から飛び出し、護衛艦の影を抜けて黒い宇宙(そら)へ入った。


通信越しに、ステラが短く息を呑む音がした。


「ステラ」


マーリンは、思わず呼んだ。


『……大丈夫です』


少しだけ遅れて、返事が来る。


『シューティングスター、後方斜め下につきます』


声はまだ硬い。

けれど、ちゃんと戻ってきた。


マーリンは、表示上のシューティングスターの位置を確認する。


後方斜め下。

訓練で何度も確かめた位置。

マーリンが前へ出ても、戻る場所を残すための位置。


「確認したわ」


マーリンは答える。


シャルンホルスト。


その名が、胸の奥をかすめる。

けれど、マーリンは何も言わなかった。


今は、前を見る。

そして、後ろにいるステラを見失わない。


『両機、外縁哨戒線へ移動してください。速度は巡航基準値の六割から』


「了解」


『了解しました』


リュールが前へ出る。

シューティングスターが後方斜め下へつく。


近づきすぎず。

離れすぎず。


訓練で覚えた距離を、今は本物の宇宙(そら)で保っている。


『マーリン様』


「何?」


『後ろは、見ています』


短い言葉だった。

マーリンは、ほんの少しだけ目を伏せた。


「ええ」


そして前を向く。


「お願いね、ステラ」


『はい』


ステラの返事は小さかった。

けれど、確かに届いた。


二機は護衛艦から離れていく。


遠くには、輸送船団の航路標識が淡く灯っていた。

さらにその周囲を、護衛艦隊の識別光がゆっくりと動いている。


リュールが前へ。

シューティングスターが後方斜め下へ。


黒い宇宙(そら)の中で、二つの機影が静かに外縁哨戒線へ向かった。



外縁哨戒線は、輸送船団から少し離れた宙域に設定されていた。


遠くに、船団の識別光が見える。

一定の間隔を保って進む民間輸送船。

その周囲を、護衛艦隊の光がゆっくりと移動している。


遠目には、静かな列だった。

けれど、マーリンにはそれがひどく脆いものに見えた。


あそこには人がいる。

誰かの生活へ続く航路がある。


それを守るための外側に、自分たちはいる。


『シューティングスター、後方斜め下。距離、維持しています』


ステラの声が通信に乗る。


少し硬さは残っている。

けれど、発艦直後よりも落ち着いていた。


「確認しています」


マーリンは、ステラの機影を何度も確認していた。

ただそれだけのことが、以前より少しだけ自然になっている気がした。


『外縁線、現時点で異常なし』


管制の声が届く。


『両機、そのまま巡航。索敵範囲を維持してください』


「了解」


その時だった。


『……待ってください』


ステラの声が、少しだけ変わった。

マーリンは指先に流す魔力を抑える。


「どうしたの?」


『外縁線左下、反応四。識別信号なし』


ステラの声は硬かった。

けれど、乱れてはいない。


『距離、まだあります。進路……船団本体への直進ではありません。護衛艦隊の外側を抜けようとしています』


管制がすぐに応じる。


『不明機四、確認。識別要求を送信』


数秒の沈黙。

その間にも、赤い光点が表示面に浮かび上がった。


マーリンの胸の奥が、静かに冷える。


『応答なし』


管制の声が、少し低くなる。


『不明機四、こちらガイア帝国宇宙軍護衛任務部隊。識別信号を送信し、ただちに進路を変更せよ』


四つの光点は、進路を変えない。


『再警告。不明機四、進路を変更せよ。応答なき接近は敵対行動と見なす』


それでも、赤い光は止まらなかった。

むしろ、少しずつ間隔を広げていく。


散開。

マーリンは、その形を見た瞬間、嫌な感じがした。


「ステラ」


『はい。見えています』


ステラの返事は早かった。


『進路、このままでは外縁哨戒線を抜けます。船団本体へ向かう前に、護衛艦隊の後方へ出る可能性があります』


『警告射撃を実施。両機は現在位置を維持』


管制の指示が入る。


遠く、護衛艦から光が走る。


細い曳光が、不明機の進路前方を横切る。

当てるための射撃ではない。


止まれ、という線だった。


一機が下へ沈む。

二機が左右へ開く。

残る一機は、速度を上げた。


『警告射撃、効果なし』


ステラの息を呑む音が、通信に小さく混じる。


『敵機、ソード展開。近接戦闘態勢です』


その言葉で、赤い光点がただの不明機ではなくなる。


マーリンは、指先に魔力を通し直した。

リュールが、わずかに応える。


『前方三機、左下から一機回り込みます!』


ステラの声が鋭くなった。


『前方三機は接近角を広げています。左下の一機は、こちらの後方を取りに来ています』


「分かったわ」


マーリンは答える。


前方三機。

左下から一機。


数だけなら、初めてではない。

そう思いかけて、マーリンはすぐに息を整えた。


今は、数を考える時ではない。


「ステラ、位置は」


『後方斜め下、維持しています』


「そのまま」


『はい』


マーリンは前を見る。


前方三機が、ソードを展開して接近してくる。

間合いを詰め、斬り込むための動きだった。


リュールなら、前へ出られる。


そう思った瞬間、指先が勝手に急ぎかける。

けれど、マーリンは一呼吸だけ待った。


赤い表示が、脳裏をよぎる。

あの時、自分は待たなかった。


だから今は、待つ。


『支援位置、入りました』


ステラの声。


『後ろ、空けています!』


その言葉を聞いてから、マーリンはリュールを前へ出した。


「接近阻止に入ります」


リュールが加速する。


敵三機の赤い光が、視界の中で大きくなる。

今度は、ひとりで前へ出ているのではない。


後ろには、ステラがいる。



三機の敵機が、扇状に広がった。


一機が正面。

二機が左右へわずかに開き、リュールの逃げ道を狭めるように角度を取っている。


薄く魔力を帯びた刃が、黒い宇宙(そら)の中で鈍く光った。


マーリンは、それを見た瞬間、指先に力が入りかけた。


前へ出ればいい。

その思考は、とても簡単に浮かぶ。


敵の間合いに入る前に、こちらが間合いを崩せる。

けれど、マーリンはほんの一瞬だけ待った。


『左側、少し開きます。右は詰めています』


ステラの声が届く。


『マーリン様、正面の一機を引きつけてください。右は私が見ます』


「分かったわ」


返事をした時には、もうリュールは前へ出ていた。


「……くっ」


耐Gスーツが締まり、身体が奥へ押し込まれる。

胃のあたりが重く沈む。


それでも、リュールは滑るように進んだ。


一機目がソードを振り上げる。

正面からの踏み込み。

教本通りなら、そこで間合いを外してから反撃するのだろう。


けれどマーリンは、外す前に入った。


敵の刃が振り下ろされるより早く、リュールはわずかに機体を沈める。

ソードの切っ先が、装甲の上をかすめる。


触れない。


そのまま、リュールのソードが敵機の腕部を打った。

マーリンは、リュールのソードに魔力を流していなかった。


魔力を通せば、斬れる。

だから、今は流さない。


斬るのではなく、弾く。

敵を落とすためではなく、止めるために。


敵の腕部が潰れ、姿勢が崩れる。


『敵一機、武装保持不能!』


管制の声が入る。

マーリンは、それを最後まで聞いていなかった。


二機目が左から踏み込む。


『左、来ます!』


「見えてる」


マーリンは短く答えた。

リュールが回る。


「……ぐっ」


急旋回。

視界の端がわずかに暗くなる。

胃の奥がせり上がり、喉のあたりで止まった。


それでも、指先は止まらなかった。


二機目のソードが伸びる。

リュールはその内側へ入る。近すぎる距離。相手の刃が十分に振れない間合い。


敵機の肩を蹴るように押し、姿勢を崩す。

そのまま、推進部側へ浅く斬り込んだ。


致命部ではない。

けれど、機動力は奪える。


敵機の光点が、黄色へ変わった。


『敵二機目、推進部損傷。戦闘継続困難』


通信が告げる。

その瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。


戦闘継続困難。


それは、まだ撃墜ではない。

落としてはいない。

そう思おうとした。


けれど、今の一撃がもし少し深ければ。

もし当たり所が違えば。


その先を考えかけて、マーリンは奥歯を噛む。


『マーリン様、右側が詰めます!』


ステラの声が、思考を切った。


三機目が右から踏み込んでくる。

前の二機を囮にした動きだった。


『後ろ、空けています!』


その言葉を聞いた瞬間、マーリンは戻る場所を見つけた。


以前なら、そのまま前へ抜けたかもしれない。

リュールの出力なら、三機目のさらに外へ出られる。


けれど今は、後ろがある。


シューティングスターが、斜め下で位置を保っていた。

リュールが戻るための空間を、ちゃんと残している。


マーリンは、そこへ機体を引いた。


敵の踏み込みが、わずかに空振る。

リュールの側面を狙ったはずの刃が、黒い宇宙(そら)を切った。


「ありがとう」


『はい!』


ステラの返事は、緊張の中でも少しだけ明るかった。


マーリンは息を吸う。

短く。

浅く。


戻れた。


その事実に、ほんの少しだけ安堵する。

けれど、すぐに前を見る。


三機目は体勢を立て直し、再びソードを構えた。

さすがに、ただの宙賊ではない。

訓練を受けている動きだ。


『敵三機、再接近。左下の一機も回り込み継続中』


ステラが告げる。


「左下は?」


『まだ距離があります。私が見ています』


「お願い」


『はい』


リュールが再び前へ出る。


シャルンホルストでは、もっと多い敵を相手にした。

あの時も怖かった。

けれど、あの怖さは、自分が落ちるかもしれない怖さだった。


今は違う。

後ろに、ステラがいる。


自分が前へ出れば、あの子も動く。

自分が戻る場所を間違えれば、あの子の位置も崩れる。


一人で戦うことより、誰かと戦うことの方が怖いなんて。

マーリンは、そんなことを今さら知った。


『マーリン様、損傷した二機、まだ動きます!』


「分かってる」


敵二機が、左右から同時に踏み込む。


交差軌道。

どちらかを避ければ、もう片方の間合いに入る。


マーリンは、ほんの一瞬だけ、ステラの光点を見る。


後ろにいる。

だから、戻れる。


リュールは前へ沈んだ。


避けるのではなく、二機の交差点よりさらに内側へ入る。

敵のソードが届く前。

刃が最も力を持つ距離より、半歩近い場所。


一機の腕を弾き、もう一機の脚部を浅く斬る。

敵二機の軌道が崩れる。


『敵一機、姿勢制御不能! もう一機、下肢駆動部損傷!』


管制の声が一拍遅れる。


『……速い』


誰かが、そう呟いた。


通信に混じった小さな声だった。

すぐに消えた。


マーリンは聞こえなかったふりをした。


敵機の反応が一つ、戦闘不能表示へ変わる。


それだけの表示だった。

けれど、マーリンの喉の奥に、冷たい吐き気が込み上げた。


「んく......」


マーリンはそれを押し殺す。


今は止まれない。


『マーリン様、左下の一機が速度を上げました! 背後へ回ります!』


ステラの声が鋭くなる。


「見えてる」


本当はまだ見えていない。


でも、ステラが先に見ている。

ステラが、後ろを見ている。


だから、マーリンは前の敵を最後まで見ていられる。


残る前方の敵機が、捨て身のように踏み込んでくる。

ソードを両手で構え、真正面からリュールを止めようとしている。


マーリンは一拍待った。


敵が踏み込む。

間合いが詰まる。


その瞬間、リュールが横へずれる。

わずかに。

本当にわずかに。


敵の刃が正面を抜ける。


マーリンはその腕を取り、機体ごと回すように軌道を変えた。

敵機は自分の勢いで回転し、制御を失う。


リュールのソードが、相手の武装基部を切り落とした。


『敵三機目、武装喪失』


管制の声。

マーリンは、呼吸を忘れていたことに気づく。


「は……くっ」


息を吸おうとした瞬間、胃の奥が揺れた。


急旋回の負荷。

そして、消えていった光点。

全部が一緒になって、胸の奥を重くする。


『マーリン様』


ステラの声が届く。


『戻ってください。後ろ、空けています』


戻る。

その言葉が、ひどくありがたかった。


マーリンはリュールを引いた。

シューティングスターが残した空間へ。


そこには、まだ(ルート)があった。

自分が帰ってこられる場所があった。


「戻るわ」


『はい』


ステラの返事が、短く届いた。

リュールは後退し、シューティングスターの支援位置へ戻る。


前方三機は崩れた。


だが、戦闘はまだ終わっていない。


左下から回り込んだ最後の一機が、リュールの背後へ入ろうとしていた。



最後の一機は、左下から回り込んでいた。


リュールが前方三機を崩す間に、ゆっくりと、けれど確実に背後へ入ろうとしている。

ソードを構えた敵機の機影が、表示面の端で赤く瞬いた。


『マーリン様、後ろ!』


ステラの声が鋭く響いた。

マーリンは反射的に振り返ろうとする。


けれど、リュールはすぐには向きを変えられなかった。

前方三機を処理するために、すでに何度も急旋回している。

ここでさらに強引に回せば、機体は応えるだろう。


たぶん、応えてしまう。

けれど、()()がもたない。


一瞬。


本当に、一瞬だけ、動きが遅れた。

その間に、敵機が踏み込む。


ソードの刃が、リュールの背面へ向かって伸びた。


『進路、塞ぎます!』


シューティングスターが動いた。


リュールの後方斜め下からすっと浮き上がる。

敵機とリュールの間へ、割り込むように入った。


撃つためではない。

斬るためでもない。


ただ、踏み込ませないために。


敵機のソードが、シューティングスターの肩先をかすめた。


『っ……!』


ステラの短い声が通信に漏れる。


「ステラ!」


『大丈夫です! 装甲表面、接触だけです!』


声は少し震えていた。

けれど、崩れてはいなかった。


シューティングスターは敵機の進路を塞ぎながら、わずかに機体を傾ける。

正面から受け止めるのではなく、敵の踏み込みを横へ逃がす動きだった。


敵機の斬り込み角度がずれる。


リュールの背中へ向かっていた刃が、黒い宇宙(そら)を斜めに切った。


ほんのわずかなずれ。

けれど、それで十分だった。


マーリンは、残された空間へリュールを戻す。


ステラが作った場所。

シューティングスターが守った退路。


そこへ、リュールが滑り込む。


「……ありがとう」


言葉は、考えるより先に出た。


『後ろは、見ていますから』


ステラが答える。


息は少し荒い。

けれど、その声には確かな力があった。


マーリンは前を見る。


敵機は体勢を立て直そうとしていた。

シューティングスターをかわし、もう一度リュールへ向き直ろうとしている。


だが、もう遅い。

リュールは戻った。


戻る場所があった。

そこからなら、見える。


敵機の右腕。

ソードの握り。

踏み込み直す前の、ほんの小さな硬直。


マーリンは、指先に魔力を通す。


リュールが応える。

敵の間合いへ踏み込む。

今度は、前へ突き抜けるためではない。


止めるために。


リュールのソードが、敵機の武装基部を正確に叩いた。


刃が弾ける。

敵機のソードが根元から折れ、回転しながら宙へ流れた。


敵機はなおも退こうとする。


マーリンは追う。

追えてしまう。


そのことに、一瞬だけ胸が冷えた。


『マーリン様、そこまでで十分です!』


ステラの声が飛ぶ。


「……」


マーリンは、息を止めた。


リュールのソードは、敵機の胴部へ届く距離にある。

あと少し踏み込めば、完全に沈黙させられる。


けれど、それは必要なのか。


任務は接近阻止。

撃破ではない。


ステラが、後ろを見ている。

進みすぎる前に、声をかけてくれている。


マーリンは指先の力を抜いた。


「分かったわ」


リュールは踏み込まなかった。


代わりに、敵機の脚部へ浅く一撃を入れる。

推進部を傷つけ、姿勢制御を奪う。


敵機の反応が黄色へ変わった。


『敵機、機動不能。戦闘継続困難』


管制の声が入る。


『敵四機、全機戦闘不能。外縁哨戒線への侵入を阻止』


終わった。


そう言われても、マーリンはすぐには息を吐けなかった。


表示面の中で、敵機の光点が一つ、また一つと沈黙していく。

消えたものもある。

黄色く変わったまま漂うものもある。


完全に落としたのか。

脱出できたのか。

救助されるのか。


今は、分からない。

ただ、さっきまでこちらへ向かっていた機影は、もう動いていない。


『マーリン様』


ステラの声が、少しだけ柔らかくなる。


『……戻れましたね』


マーリンは、その言葉でようやくシューティングスターの位置を確認した。


後方斜め下。

そこにいる。


少し肩部装甲に接触痕がある。

けれど、大きな損傷はない。


ステラはいる。

落ちていない。


それを確認した瞬間、マーリンの胸の奥から、細く息が抜けた。


「ええ」


声は少し掠れていた。


「戻れたわ」


自分だけではない。

ステラも。


その事実だけが、今はただ、救いのように思えた。



『リュール、シューティングスター、帰投してください』


管制の声が、淡々と告げた。

淡々としているからこそ、その言葉が少し遠く聞こえた。


「……了解」


マーリンは答えた。


声が少し遅れたことに、自分でも気づいた。


『シューティングスター、帰投します』


ステラの声が続く。


いつもより硬い。

けれど、ちゃんと聞こえる。


「ステラ」


『はい』


「損傷は?」


『肩部装甲に接触痕があります。ですが、機体制御、推進、通信、すべて問題ありません』


ステラは、確認した項目をひとつずつ丁寧に告げる。

声はまだ少し上ずっていたが、内容は落ち着いていた。


『私も、大丈夫です』


最後にそう付け加えた。


マーリンは、言葉を返すまでに少しだけ間が空いた。


「……よかった」


それだけしか言えなかった。

本当に、それだけでよかった。


シューティングスターが、後方斜め下へ戻ってくる。

訓練の時と同じ位置。

さっきまでと同じ位置。


けれど、そこにいる意味はもう違っていた。


ステラは、実戦でそこにいた。

本当に敵の踏み込みを止めた。

本当にマーリンの後ろを固めた。


そして、帰ってきた。


二機は護衛艦へ向けて進路を取る。


リュールが前。

シューティングスターが少し後ろ。


帰り道なのに、マーリンの身体はまだ緊張したままだった。


耐Gスーツの締めつけは少し緩んでいる。

それでも、胃の奥には重いものが残っていた。

急旋回の負荷か、敵機の反応が消えた瞬間の記憶か、自分でも分からなかった。


ただ、喉の奥が少し気持ち悪い。


魔力切れではない。

リュールはまだ動く。

指先にも、接続は残っている。


それなのに、身体の奥だけが遅れて震えていた。


護衛艦の識別灯が近づいてくる。


『リュール、着艦進路へ。シューティングスター、続いてください』


「了解」


『了解しました』


管制の指示に従い、二機は順に着艦態勢へ入った。


発艦時ほどの衝撃はない。

それでも、機体が減速し、艦の誘導装置に捕まる瞬間、マーリンの身体はまた少し座席へ沈んだ。


「……っ」


小さな声が漏れる。

誰にも聞こえなかったはずだ。


リュールが格納庫へ収まる。


固定具が機体を支え、接続が順に解除されていく。

表示面に流れていた黒い宇宙(そら)が、白い格納庫の映像へ変わった。


戦場が閉じる。

その瞬間、マーリンはようやく、自分がずっと息を詰めていたことに気づいた。


『リュール、着艦完了』


続いて、隣の発艦口からシューティングスターが戻ってくる。


白い装甲。

淡い空色のライン。

肩部に残った、浅い接触痕。


それでも、シューティングスターは自分の足で格納庫へ戻ってきた。


『シューティングスター、着艦完了』


通信が切れる前に、ステラの声が入った。


『戻りました、マーリン様』


「ええ」


声が少しだけ震えた。


「おかえりなさい、ステラ」


返事の向こうで、ステラが小さく息を呑んだ気配がした。

それから、少しだけ照れたような声が返ってくる。


『はい。ただいま戻りました』


マーリンは、目を閉じた。

短い時間だった。

けれど、ひどく長かった。


ハッチが開く。


外の空気が入ってくる。

格納庫の匂い。金属と機械油と、人の気配。


マーリンは固定具を外し、ゆっくりと身体を起こした。

その瞬間、膝に力が入りにくいことに気づく。


整備兵がすぐに手を差し出した。


「ロイス公爵令嬢、失礼いたします」


「ありがとう」


マーリンはその手を借りて、リフトへ足を移した。


降りる動作は、きちんとしていたと思う。

少なくとも、公爵令嬢として見苦しくはなかったはずだ。


けれど、手すりに添えた指が、わずかに震えている。

マーリンは、その震えを見つめた。


理由はいくつもある。


どれも正しい気がした。

どれも、足りない気もした。


隣のリフトから、ステラが降りてくる。


少しふらついたが、自分で立った。

そしてマーリンを見つけると、すぐに姿勢を正す。


「マーリン様」


「ステラ」


二人は少しだけ見つめ合った。


ステラの顔は青ざめていた。

それでも、目は明るかった。


無事だった。

本当に。


その事実を確認して、マーリンはようやく小さく息を吐いた。


勝ったことより。

敵を退けたことより。


ステラが目の前に立っていることの方が、ずっと大きかった。


「お疲れさま」


マーリンが言うと、ステラは一瞬だけ目を丸くした。

それから、少しだけ笑う。


「はい。マーリン様も」


その笑顔は、疲れていた。

けれど、ちゃんと生きている人のものだった。


マーリンは、震える指先をそっと握った。

誰にも見えないように。

まだ、立っていられる。


そう自分に言い聞かせながら。



初期評価は、格納庫の一角で行われた。


正式な報告ではない。

任務直後の確認と、暫定的な戦果整理。


それでも、そこに並ぶ言葉はすでに整っていた。


「敵性機四、全機戦闘不能。輸送船団への接近阻止を確認」


管制士官が端末を読み上げる。


「リュール、機体損傷なし。シューティングスター、肩部装甲に軽微な接触痕。戦闘継続に支障なし」


ステラが、少しだけ肩を引いた。


接触痕。


その言葉で、先ほどの敵機のソードがシューティングスターの肩先をかすめた瞬間が、マーリンの脳裏に戻る。


ステラは無事だった。

機体も、軽微な損傷で済んだ。


そう分かっているのに、胸の奥がまた少し冷えた。


「初実戦としては、十分以上の成果です」


別の士官が言った。


「リュールの戦闘能力は想定を上回っています。シューティングスターの支援位置維持も有効でした。二機一組での継続運用に問題はないと判断します」


継続運用。


その言葉を聞いたステラの表情が、ほんの少しだけ明るくなった。


自分が役に立てた。

きっと、そう思ったのだろう。

マーリンにも、それは分かった。


ステラは敵を落としていない。

けれど、後ろを守った。

リュールが戻る場所を残した。

その働きが評価された。


それは、嬉しいことのはずだった。


「イルクート候補生」


士官がステラへ視線を向ける。


「回り込み機への進路妨害は適切でした。よくリュールの退路を残しましたね」


「ありがとうございます」


ステラは背筋を伸ばし、きちんと答えた。


声は少し疲れていた。

けれど、その奥に小さな喜びがある。


マーリンは、その横顔を見て、ほんの少しだけ安心した。

その安心は、本物だった。


けれど、すぐ隣に別のものが残っている。


「ロイス公爵令嬢」


今度は、マーリンへ視線が向けられた。


「前方三機への対応は迅速でした。敵機の間合いを崩す判断、武装基部および推進部への限定的な攻撃。初任務としては、極めて高い成果です」


称賛。


そう受け取るべき言葉だった。

マーリンは静かに頷く。


「ありがとうございます」


声は、きちんと出た。

公爵令嬢として、そう返すべき場面だったから。


「詳細は後ほど正式報告にまとめます。本任務は成功。リュールおよびシューティングスターの二機運用は、継続評価対象とします」


成功。

その一語が、格納庫の白い照明の下に置かれた。


誰かが小さく息を吐く。

整備兵の一人が、ほっとしたように肩の力を抜いた。

ステラも、ほんの少しだけ表情を緩めた。


勝ったのだ。


輸送船団は無事。

護衛対象への接近は阻止した。

ステラは帰ってきた。


それだけは、よかった。

本当に。


けれど、マーリンの胸は少しも軽くならなかった。


表示面から消えた赤い光点。

戦闘不能という言葉。

自分のソードが敵機の腕を弾き、推進部を裂いた感触。


どれも、まだ指先に残っている。


完全に落としたのか。

相手は生きているのか。

救助されるのか。


分からない。

分からないまま、成功という言葉だけが先に置かれていく。


「マーリン様」


ステラが小さく呼んだ。


「大丈夫ですか?」


その問いに、マーリンはすぐ答えようとした。


平気よ。


そう言えばいい。

いつものように。


けれど、言葉は少しだけ遅れた。


「……ええ」


マーリンは、ようやく頷く。


「大丈夫よ」


ステラは心配そうに見ていたが、それ以上は聞かなかった。

聞かないでいてくれたのかもしれない。


マーリンは、そっと手を握る。

まだ、指先は震えていた。


ステラは帰ってきた。

それだけは、よかった。


けれどそのために、自分が何をしたのかを、マーリンはまだ見ないふりができなかった。

ここまでお読みいただき有り難うございました。


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