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片翼の少女

ご覧いただきありがとうございます。

評価、ブックマークしていただきありがとうございます。


文章多めとなっております。

帝都の空は、今日も高かった。


宇宙軍が差し向けた車の窓から、マーリンは流れていく街並みを眺めていた。


車は帝都中央区を抜け、軍管区へ向かって滑るように進んでいる。

整えられた街路樹。磨かれた石畳。遠くに見える高層建築の影。

その向こうに、白く低い建物群が少しずつ近づいてきた。


帝国宇宙軍、地上訓練施設。


今日の目的地だった。


「お嬢様。お加減は」


隣に座るクリスチーナが、静かに声をかけた。


「平気よ」


マーリンは短く答えた。


声は、きちんと出た。

揺れてもいない。


それだけなら、きっと平気に見えるのだろう。

けれど、膝の上で重ねた指先には、少しだけ力が入っていた。


今日は、答えを求められる日ではなかった。


もう答えは出している。

その答えが、書面になり、予定になり、ここへ来る理由になっていた。


今後の協力体制についての説明。

届いた書面には、そう記されていた。


それだけなら、ただの説明のはずだった。

ただ、決まったことを確認するだけの時間。


けれどマーリンには、それが少し違うものに思えた。


あの日、自分は答えた。


帝国宇宙軍からの協力要請を受ける、と。

これは他でもない、自分の意志なのだと。


その言葉は、もうマーリンだけのものではなくなっていた。


ロイス家への正式通知。

施設への出頭。

案内役。

時間。

手続き。


自分の中にあったはずの決意は、いつの間にか美しく整えられた予定になっていた。


車が、訓練施設の正門をくぐる。


門の両側には、宇宙軍の紋章を掲げた警備兵が立っていた。

彼らは礼儀正しく敬礼し、マーリンたちを乗せた車両を通す。


施設内には、思っていたよりも人の気配があった。

そこにあるのは、静けさではなく、規律だった。


士官候補生らしき若者たちが書類を抱えて歩き、整備服の者たちが低い声で何かを話し合っている。

施設の奥からは、号令らしき声も聞こえた。


それでも、軍の施設であることに変わりはなかった。


通路はまっすぐで、案内は無駄がなく、向けられる視線は礼儀正しい。

誰もマーリンをじろじろと見たりはしない。


ただ、知っている。


ここにいる者たちは、彼女がなぜ来たのかを知っている。


「ロイス公爵令嬢。お待ちしておりました」


玄関ホールで出迎えた若い士官が、深く一礼した。


マーリンも静かに頷く。


「本日はよろしくお願いいたします」


言葉は自然に出た。

公爵令嬢として、そう言うべき場面だったからだ。


士官は案内を始める。

クリスチーナは、マーリンの半歩後ろを歩いた。


いつもの距離。

いつもの足音。


けれど、その沈黙の奥に、昨日までとは違う硬さがあった。


案内役の士官は、余計な説明をしなかった。

ただ決められた通路を進み、決められた角を曲がり、決められた扉の前へマーリンを導いていく。


その無駄のなさが、かえって落ち着かなかった。


何が待っているのかは、まだ聞かされていない。

書面には、今後の協力体制についての説明、とだけあった。


協力体制。


その言葉は、ひどく整っている。

けれど、その中に自分がどのように置かれるのか、マーリンにはまだ分からなかった。


案内された先は、会議室だった。

扉の向こうには、今後の説明を行うための場が用意されているという。


マーリンは扉の前で、一度だけ息を吸った。


ここから先は、もう試験ではない。

評価されるための場所ではなく、使われるための準備が始まる場所だ。


そう考えて、すぐに打ち消す。


違う。


自分で選んだことだ。

他でもない、自分の意志で。


マーリンは、静かに顔を上げた。


扉が開く。


その先で待っていたのは、濃紺の軍服を隙なく着こなしたドルニエ大佐だった。



会議室は、余計な装飾のない部屋だった。


長い机。整然と並べられた椅子。

窓は大きかったが、そこから見える景色さえ、どこか切り取られた資料のようだった。


「ロイス公爵令嬢。本日はご足労いただき、感謝いたします」


ドルニエが、深く礼をした。


「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます」


マーリンも礼を返す。


クリスチーナは、いつも通りマーリンの少し後ろに控えた。

ただ、視線だけは部屋の中を静かに見ている。


同席している士官は数名。

誰もが礼儀正しく、余計な口を挟まない。

それがかえって、この場がただの顔合わせではないことを示していた。


「早速ですが、今後の協力体制についてご説明いたします」


ドルニエがそう言うと、正面の壁に二つの機影を示す図が投影された。


「我が軍の人型空間戦闘機(人形)部隊は、原則として二機一組での運用を基本としています」


二機一組。


その言葉を、マーリンは胸の内でそっと繰り返した。


「単機での行動がまったく存在しないわけではありません。ですが、通常の戦闘行動においては、二機で互いの死角を補い、索敵、牽制、通信、退路確保を分担します」


ドルニエは淡々と説明を続ける。


「宇宙空間では、上下左右という感覚が極めて曖昧になります。機体の運動も、基本的には直線的です。急旋回や急制動は可能ですが、操縦者に大きな負荷がかかる」


投影図の中で、二つの機影がゆっくりと位置を変えた。


「一機が前に出れば、もう一機が後方と側面を押さえる。一機が敵を引きつければ、もう一機が退路を確保する。攻撃と支援、接近と離脱、判断と確認。その多くを、二機で分け合うことになります」


「……分け合う」


マーリンは小さく呟いた。


ドルニエが、わずかに目を向ける。


「はい。戦場において、すべてを一人で担うことは危険です。たとえ優れた操縦者であっても、視界には限界があり、判断にも限界があります」


その言葉は、責めるものではなかった。

むしろ、気遣いに近かったのかもしれない。


けれどマーリンには、少し違う響き方をした。


一人ではない。


それは、普通なら心強い言葉なのだろう。

誰かが隣にいる。支えてくれる。背後を見てくれる。


けれど、それは同時に、誰かが自分の隣で同じ危険に立つということでもある。


自分が進めば、その人も進む。

自分が撃たれれば、その人も狙われる。

自分が戦場に出るなら、その人もまた戦場に出る。


マーリンは膝の上で指を重ねた。


「ロイス公爵令嬢」


ドルニエの声が、思考を静かに引き戻す。


「貴女が示された適性は、極めて高いものでした。その結果を、我々は正式な評価として扱う必要があります」


正式な評価。

その言葉が、マーリンの胸に静かに沈んだ。


評価は、もう紙の上だけにあるものではない。

それは訓練になり、編成になり、目の前の説明になっている。


「ですが、機体を動かせることと、戦場で生き残ることは別です」


ドルニエは、そこで一度だけ言葉を区切った。


「単機で戦えることと、単機で戦場を生き残れることも、また別です」


会議室は静かだった。

その静けさの中で、投影された二つの機影だけが淡く光っている。


リュール。


あの冷たい人形の感覚が、指先に戻りかける。

けれど、今はそこにもう一つの影が並んでいた。


まだ名前も知らない誰かの機影。


「そのため、今後の訓練は、二機一組での運用を前提として進めます」


「私に、相手(バディ)が用意されるということですか」


マーリンの声は静かだった。

自分でも、思ったより落ち着いていると思った。


ドルニエは頷く。


「はい。正式には仮編成となりますが、ロイス公爵令嬢には、当面の間、選定された()()()と共に訓練を受けていただきます」


候補生。


マーリンはその言葉に目を伏せた。


正規兵ではない。

候補生。


それは、まだ完成していない誰かということだ。

これから軍人になるために学んでいる誰か。


そんな人を、自分の隣に置く。


「本来であれば、経験ある正規の人形使いを充てるべきところです」


ドルニエは、マーリンの迷いを読んだように続けた。


「ですが、現在は戦時下です。自由に人員を動かせる状況ではありません。また、貴女が置かれている立場を考慮すると、年齢や訓練段階の近い者を配置する利点もあります」


それもまた、正しい言葉だった。


正しい言葉ばかりが並んでいく。

マーリンは、報告書を読んだ朝のことを思い出した。


丁寧で、正しくて、逃げ道の少ない言葉。


「もちろん、これは貴女を単独で戦場へ出さないための措置でもあります。貴女の安全を確保するためにも、必要な編成です」


その言葉に、クリスチーナの気配がわずかに動いた。


マーリンは返事をしなかった。


守る。


その言葉は、優しい。


けれど、誰かを自分の隣に置くことで自分を守るのなら。

その誰かは、誰が守るのだろう。


マーリンは、投影された二つの機影を見つめた。


二機一組。


ひとりでは戦えない仕組み。


それは心強い形であり、同時に、もうひとりを巻き込む形でもあった。



ドルニエは、投影されていた図を消した。


会議室の壁が、元の白さを取り戻す。

けれど、マーリンの目には、まだ二つの機影が薄く残っているように見えた。


一機は、リュール。


そしてもう一機は、まだ知らない誰か。


「では、ご紹介いたします」


ドルニエが扉の方へ視線を向ける。

同席していた士官の一人が、控えていた通信端末へ短く合図を送った。


ほどなくして、扉の向こうで小さな足音が止まる。


「入室を許可する」


ドルニエの声に応じて、扉が開いた。


「ステラ=イルクート一等士官候補生! 入ります!」


明るく、よく通る声だった。


入ってきたのは、マーリンより少し年下にも見える少女だった。


整った顔立ちに、大きな空色の瞳。

肩口で切りそろえられたプラチナブロンドは、室内の光を受けてやわらかく輝いている。


イルクート。


伯爵家の名だ。

少女の所作には、貴族令嬢らしい整えられた品と、軍人候補生としての硬さが同居していた。


制服はきちんと着られていた。襟も、袖も、靴先も乱れていない。

背筋は伸び、歩幅も揃っている。


軍学校でよく訓練された者の動きだった。

ただ、その表情だけは、軍人のそれになりきれていなかった。


少女は部屋へ入ると、まずドルニエへ敬礼した。

次に、マーリンの方へ視線を向ける。


その瞬間だった。


空色の瞳が、ぱっと輝いた。


「……わぁ」


ごく小さな声だった。

けれど、静かな会議室では十分すぎるほどよく聞こえた。


()()だぁ……」


時間が、ほんの少し止まった。


同席していた士官の一人が咳払いをしかけ、途中でやめる。

クリスチーナの視線が、静かにステラへ向いた。


マーリンは、何を言われたのか一瞬分からなかった。


本物。


そう呼ばれるようなものに、自分はいつなったのだろう。


ステラは、そこでようやく自分の口から何が出たのか理解したらしい。

頬が、見る間に赤くなった。


「も、申し訳ありません!」


勢いよく頭を下げる。

あまりに勢いがよすぎて、プラチナブロンドの髪がふわりと跳ねた。


「不適切な発言でした! ただ、その、ロイス公爵令嬢を実際に拝見するのは初めてでして、ええと、つまり、決して失礼な意味ではなく……!」


言い訳を重ねるほど、余計に慌てているのが分かる。


マーリンは、少しだけ目を瞬かせた。


つい数分前まで、部屋の中には正しい言葉しかなかった。


協力体制。

二機一組。

正式な評価。

安全を確保するための編成。


どれも間違っていない。

だからこそ、息苦しかった。


そこへ突然、まっすぐな失敗が転がり込んできた。

マーリンは小さく息を吐いた。


それは、笑いに近かったかもしれない。


「怒ってはいません」


そう言うと、ステラは恐る恐る顔を上げた。


「本当ですか?」


「ええ。ただ……本物、というのは少し困るわ」


「はっ!」


ステラはもう一度、姿勢を正した。


「申し訳ありません、ロイス公爵令嬢!」


真剣だった。

あまりに真剣すぎて、かえって少しだけ困る。

マーリンは、どう返せばよいのか分からなくなった。


ドルニエが、場を整えるように口を開く。


「ステラ=イルクート一等士官候補生です。今年度卒業見込みの候補生の中でも、特に優秀な成績を修めています」


ステラは再び敬礼した。


今度はきちんとしていた。

先ほどの慌てぶりが嘘のように、指先まで整っている。


「ステラ=イルクート一等士官候補生です。ロイス公爵令嬢にお目にかかれましたこと、光栄に存じます」


声はまだ少し硬い。

けれど、言葉遣いは正しく、姿勢にも乱れはない。


先ほどの一言さえなければ、優秀な士官候補生として完璧な第一印象だっただろう。


いや。


あの一言があったからこそ、マーリンには彼女が少しだけ人間らしく見えたのかもしれない。


ドルニエはステラを一瞥し、それからマーリンへ向き直った。


「彼女が、ロイス公爵令嬢の仮バディ候補となります」


仮バディ候補。


その言葉で、少しだけ和らぎかけた空気が、また形を取り戻す。


マーリンはステラを見る。


ステラはまっすぐに立っていた。

緊張している。憧れている。嬉しそうでもある。


そして、まだ戦場の匂いをまとっていない。


そう見えた。


けれど、彼女はここに呼ばれている。


マーリンの隣に立つために。


二機一組。


先ほど聞いた言葉が、静かに戻ってくる。


この少女が、もう一機。


まだ名前も知らなかった影に、顔と声が与えられた。


「イルクート候補生」


マーリンは、できるだけ穏やかに呼んだ。

ステラの肩がぴんと跳ねる。


「はい!」


「……そんなに緊張しなくても大丈夫です」


「は、はい。努力いたします!」


努力するものなのかしら。

そんな言葉が浮かんで、マーリンはほんの少しだけ困った。


その様子を、クリスチーナは黙って見ていた。


ドルニエが、手元の資料を閉じる。


「詳しい選定理由と機体については、この後ご説明します」


マーリンは頷いた。

ステラもまた、真剣な顔で前を向く。


彼女の空色の瞳には、まだ隠しきれない輝きが残っていた。

その明るさは、場違いなくらいまっすぐだった。


だからこそ、マーリンは少し怖かった。

この輝きが、自分の隣に置かれようとしている。


それが、心強いことなのか。

それとも、取り返しのつかないことの始まりなのか。


まだ、分からなかった。


◆ セクション4


「イルクート候補生を選定した理由について、ご説明いたします」


ドルニエがそう言うと、新しい資料が映し出された。


ステラは背筋を伸ばしたまま、真正面を見ている。

先ほどまでの慌てぶりは、もう影もない。


その切り替えの早さに、マーリンは少しだけ目を留めた。


「本来であれば、ロイス公爵令嬢のバディには、経験ある正規の人形使いを充てるべきところです」


ドルニエの声は淡々としていた。


「しかし、現在は戦時下です。前線では経験者の()()も続いており、自由に人員を動かせる状況ではありません」


その言葉が、ひどく乾いて聞こえた。


人が減っている。

怪我をしている。

死んでいる。


きっと、そういう意味だ。

けれど、軍の言葉になると、それは一言に収まってしまう。


マーリンは、膝の上で指先を重ねた。


「そこで、今年度卒業見込みの士官候補生の中から、特に成績優秀な者を選定しました」


投影資料に、ステラの成績項目が並ぶ。


空間把握能力。

索敵判断。

通信処理。

支援行動。

魔力制御。

機体制御。


どの項目にも、高い評価が記されていた。


「イルクート候補生は、座学、実技ともに優秀な成績を修めています。特に空間把握と支援判断においては、同年度の候補生の中でも突出しています」


ステラの横顔は、真剣だった。


褒められているのに、浮かれた様子はない。

自分の評価が読み上げられることに慣れているのかもしれない。

あるいは、ここで崩れてはいけないと分かっているのかもしれない。


「二機一組での運用において重要なのは、単純な操縦技術だけではありません。相手の動きを読み、必要な位置を取り、必要な時に退路を開く判断が求められます」


ドルニエは投影資料を切り替えた。

今度は機体の簡略図が映る。


リュールではない。


輪郭は少し似ている。

けれど、線の印象が違う。リュールよりもわずかに細く、肩まわりや脚部の形状も整えられているように見えた。


「イルクート候補生には、専用に調整された機体を用意しております」


「専用……」


マーリンは思わず呟いた。


ステラが、ほんの少しだけこちらを見る。

その瞳には、隠しきれない誇らしさがあった。


ドルニエは続ける。


「スターファルコン系列の一機です」


「スターファルコン」


その名を、マーリンは繰り返した。


「リュールの試験データを基に開発された、次期量産型人型空間戦闘機です。現段階では完全な量産体制には至っておりませんが、運用試験を兼ねて一部機体の調整が進められています」


リュールのデータ。


その言葉に、マーリンの胸の奥がわずかに冷えた。


自分が動かしてしまった機体。

あの時の記録。

魔力の流れ。制御の癖。機体の応答。


それらが、もう次の機体に使われている。


自分の知らないところで。


「イルクート候補生の機体には、シューティングスターの個体名が与えられています」


「シューティングスター……」


ステラが、小さくその名を口にした。


声には、ほんの少しだけ熱があった。


「はい」


ドルニエが頷く。


「彼女の魔力特性と操縦癖に合わせ、反応速度と追従性能を中心に調整が行われています。ロイス公爵令嬢のリュールと連携することを想定し、支援位置の維持、索敵補助、通信連携に重点を置いた機体です」


支援。

補助。

連携。


どれも、ステラを守るための言葉ではなかった。

マーリンを支えるための言葉だった。


「イルクート候補生」


ドルニエが呼ぶ。


「はい」


ステラは一歩前へ出た。


「貴官は、ロイス公爵令嬢の仮バディとして、リュールとの連携訓練に参加する。任務内容は、適応確認、支援行動、通信連携、ならびに基礎戦術の確認だ」


「はい!」


ステラの返事は明るかった。

迷いがないように聞こえた。


その迷いのなさが、マーリンには少し眩しかった。


「光栄です」


ステラは、まっすぐに言った。


「私の機体に、そんな名前までいただけるなんて……名前負けしないように、頑張ります」


その言葉に、同席していた士官の一人が少しだけ表情を緩めた。


マーリンも、ほんのわずかに口元を動かしかける。

けれど、すぐに胸の奥が重くなった。


シューティングスター。


流れ星。


マーリンは、その響きを胸の内でそっと繰り返した。


夜空を走る、細い光。

願いを託されるもの。


けれど、それ以上は考えなかった。


目の前の少女は、こんなにもまっすぐ立っている。

その明るさに、まだ名前のない影を重ねるべきではなかった。


「ロイス公爵令嬢」


ドルニエの声で、マーリンは顔を上げた。


「イルクート候補生は、貴女の補佐役ではありません。二機一組の()()です」


片翼。


その言葉は、美しい。

けれど、美しい言葉ほど、時々とても重い。


「互いに支え、互いに補い、互いに生還率を高めるための編成です」


マーリンは、ステラを見た。


ステラは、まだ少し頬を紅潮させている。

けれどその姿勢は崩れない。


明るくて、まっすぐで、優秀で。

そして、軍に選ばれた少女。


マーリンはそこで、ようやくはっきりと理解した。

この子は、ただ傍にいるだけではない。

自分の隣で、シューティングスターに乗るのだ。


自分がリュールに乗るなら。

この子もまた、同じ宇宙(そら)へ出る。


それは心強いことのはずだった。

けれど胸の奥には、別の重さが残った。


自分が選んだ道に、もう一人分の未来が重ねられていく。


その事実に気づいた瞬間、マーリンはステラの明るい瞳を、少しだけ見ていられなくなった。



説明がひと区切りつくと、会議室の空気がほんの少しだけ緩んだ。


光が落とされ、壁はまた白いだけの壁に戻る。

机の上には資料が整えられたまま並んでいたが、そこに書かれた数値や項目は、いったん閉じられた。


ドルニエが、マーリンとステラを見比べる。


「この後の詳細な訓練日程については、別途書面で確認していただきます。まずは、お二人で言葉を交わしておくとよいでしょう」


そう言って、ドルニエは一歩引いた。


同席していた士官たちも、必要以上にこちらを見ない。

けれど、完全に視線が外れたわけでもない。


正式な場の中に、ほんの少しだけ作られた余白。

マーリンは、目の前の少女へ視線を向けた。


ステラは相変わらず背筋を伸ばしていた。

けれど、肩に入った力は隠しきれていない。空色の瞳はまっすぐマーリンを見て、そしてすぐに少しだけ泳いだ。


「ロ、ロイス公爵令嬢」


声が少し上ずっていた。


ステラは自分でもそれに気づいたのか、一度小さく息を吸い直す。


「このたびは、仮バディとして選定いただき、大変光栄に存じます」


言葉遣いは正しい。

姿勢も崩れていない。


けれど、頬はまだほんのり赤いままだった。


「私などでお役に立てるか分かりませんが、全力で務めます」


「私など、ではないと思います」


マーリンは静かに答えた。


ステラがぱっと顔を上げる。


「ドルニエ大佐のお話を聞く限り、イルクート候補生はとても優秀な方なのでしょう?」


「い、いえ、その、まだ候補生ですので!」


「でも、選ばれたのでしょう」


マーリンの声は責めるものではなかった。

けれど、言葉にした瞬間、自分の胸の奥にも小さく刺さった。


選ばれた。


それはステラだけのことではない。


マーリンもまた、選ばれたのだ。

望んだわけではなくても。

自分の意志だと言い聞かせていても。


ステラは少しだけ口を結んだあと、真面目な顔で頷いた。


「はい。選んでいただいた以上、必ずお役に立ちたいと思っています」


その真っ直ぐさが、まぶしかった。


マーリンは困ったように目を伏せる。


「……私は、あなたが思っているような人間ではありません」


「え?」


「光栄だと言われるようなことは、何もしていないわ」


言ってから、少しだけ後悔した。


初対面の相手に言うには、重すぎる言葉だったかもしれない。

けれど、口にしてしまったものは戻せない。


ステラは黙ってマーリンを見ていた。


その視線に、値踏みの冷たさはない。

困惑はある。驚きもある。けれど、失望はなかった。


マーリンは続ける。


「リュールを動かした時も、怖くなかったわけではないの」


会議室の空気が、少しだけ静まった気がした。


ドルニエたちは口を挟まない。

クリスチーナも何も言わない。


「うまくできたのではなくて……ただ、動いてしまっただけ」


そう言うと、指先にあの冷たい感覚が戻りかけた。


自分ではない身体。

それなのに、自分の意思で動く機体。

その恐ろしさ。


「だから、あなたが思うほど、私は立派な人間ではありません」


ステラはしばらく黙っていた。


それから、少しだけ眉を寄せた。

困ったようにではなく、一生懸命考えている顔だった。


「それでも」


小さな声だった。

けれど、言葉ははっきりしていた。


「それでも、動けたことはすごいことだと思います」


マーリンは目を上げる。


ステラはまっすぐに立っていた。

先ほどまでの浮き立つような憧れとは違う、真面目な光が瞳に宿っている。


「怖かったのなら、なおさらです」


「なおさら?」


「はい」


ステラは頷いた。


「怖くない人が動くのは、たぶん、すごいことです。でも、怖いのに動けた人は……私は、もっとすごいと思います」


その言葉は、軍の評価とは違っていた。


報告書に書かれていた魔力出力でもない。

同調率でも、親和性でも、運用可能性でもない。


ステラは、マーリンを数値として見ていない。


戦力として値踏みしているわけでもない。


ただ、怖かったのに動いた人として見ている。


それが、少しだけ困った。


そして、少しだけ楽だった。


「……イルクート候補生は、優しいのね」


マーリンが言うと、ステラは目を丸くした。


「えっ」


「違ったかしら」


「い、いえ! その、優しいと言っていただけるのは嬉しいのですが、私はまだ、その、優しさだけではきっと務まらないと思っています」


ステラは少し慌てながらも、最後の方はきちんと言い切った。


「ロイス公爵令嬢の隣に立つ以上、ちゃんと役に立てるようになりたいです」


「……隣」


マーリンはその言葉を繰り返した。


ステラははっとして、背筋をさらに伸ばす。


「もちろん、まだ仮バディですので、勝手にそのようなことを言うのは早いかもしれませんが!」


「いいえ」


マーリンは首を横に振った。


「そういう意味ではないの。ただ、少し……不思議に思っただけ」


「不思議、ですか?」


「ええ」


誰かが自分の隣に立つ。

そのことを、まだうまく想像できなかった。


守られることにも、支えられることにも慣れていない。

まして、その相手が同じ危険に向かうとなれば、なおさらだった。


ステラは、何かを察したのか、それ以上踏み込まなかった。

代わりに、きちんと姿勢を正す。


「改めまして」


その声には、先ほどよりも落ち着きがあった。


「ステラ=イルクート一等士官候補生です」


彼女は、深く頭を下げた。


「精一杯務めます。よろしくお願いいたします、ロイス公爵令嬢!」


明るく、まっすぐな声だった。


マーリンはその姿を見つめた。


最初の印象より、ずっと危うい。

けれど、同じくらい強い。


この少女は、ただ憧れているだけではない。

自分の役割を果たそうとしている。


それが分かったから、マーリンも姿勢を正した。


「こちらこそ、よろしくお願いします。イルクート候補生」


そう答えると、ステラの顔がぱっと明るくなった。


「はい!」


返事は、少し大きかった。


同席していた士官の一人が、また小さく咳払いをする。

今度は、注意というより、笑いを隠すためのものに近かった。


ステラはすぐに口を押さえ、また赤くなる。


「申し訳ありません……」


「いいえ」


マーリンは、小さく首を振った。


胸の奥の重さが消えたわけではない。

怖さも、不安も、そこにある。


けれど、ほんの少しだけ。

本当に少しだけ。


この少女となら、呼吸の仕方くらいは忘れずにいられるかもしれない。


そんなことを、マーリンは思ってしまった。



クリスチーナは、二人のやり取りを少し後ろから見ていた。


いつもの位置だった。

マーリンの半歩後ろ。近すぎず、遠すぎず、必要があればすぐに手を伸ばせる距離。


けれど今、その距離は少しだけ足りないようにも思えた。


「こちらこそ、よろしくお願いします。イルクート候補生」


マーリンがそう言った時、その声は静かだった。


いつもの公爵令嬢としての声。

礼儀正しく、穏やかで、整っている。


それでも、クリスチーナには分かった。


ほんの少しだけ、力が抜けている。


ステラ=イルクート。


明るく、まっすぐで、よく訓練されている。

まだ候補生でありながら、姿勢にも返答にも芯があった。


そして何より、マーリンを見る目に悪意がない。


憧れ。

尊敬。

緊張。

少しの浮つき。


そういうものが、あの空色の瞳には分かりやすいほど浮かんでいる。

だからこそ、クリスチーナは何も言えなかった。


もし彼女が、マーリンを利用しようと近づいてきたのなら。

もし彼女が、フルール・デスポワールという名だけを見て、浅い称賛を向けているだけなら。


その時は、いくらでも遮ることができた。

主を守るためなら、侍女として踏み越えてはならない線など、もうとっくに越える覚悟がある。


けれど、ステラにはそれがない。


あの少女は本気で、マーリンの隣に立つことを光栄だと思っている。

本気で、役に立ちたいと思っている。

本気で、怖くても動けたマーリンをすごいと思っている。


それが、かえって難しかった。


善意は、刃よりも止めにくい。


ステラが大きな返事をして、すぐに慌てて口を押さえる。

それを見たマーリンが、小さく首を振った。


笑った、というほどではない。

けれど、ほんの少しだけ表情がやわらいだ。


クリスチーナは、その変化を見逃さなかった。


胸の奥に、安堵が落ちる。


最近のマーリンは、笑う形を忘れかけていた。

笑っても、それは公爵令嬢として必要な微笑みだった。

誰かを安心させるためのもの。場を乱さないためのもの。


けれど今の表情は、少し違った。


ほんの一瞬だけ、年相応の少女の顔に近かった。


そのことが、うれしかった。


うれしかったのに。


同じくらい、怖かった。


ステラがマーリンを笑わせた。

それは救いのように見える。


だが、その少女は戦場の外から来たわけではない。

軍の手で選ばれ、軍の施設で紹介され、マーリンの隣に置かれた存在だった。


マーリンを戦場へ向かわせる仕組みの中から、マーリンを笑わせる相手が現れた。


それを、どう受け止めればいいのか。


クリスチーナには、まだ分からない。


ドルニエが資料を整える音がした。

会議は、すぐに次の段階へ進むのだろう。


訓練日程。

機体調整。

通信連携。

仮バディ。


どれも必要なこととして説明される。

どれも正しい手順として処理される。


その中で、ステラはまっすぐに前を向いている。

マーリンは、その横顔を見ている。


二人はまだ、互いのことをほとんど知らない。


けれど、もう並べられようとしていた。


二機一組。

片翼。

生還率を高めるための編成。


きれいな言葉だった。


それでもクリスチーナには、そこに別の意味が見える。


どちらか一方だけを守ることは、きっとできない。


マーリンを守るなら、ステラも守らなければならない。

ステラが傷つけば、マーリンもきっと傷つく。

そしてマーリンが傷つけば、この少女もまた、その隣で何かを失う。


守るべきものが、増えた。


そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ重くなる。


けれどクリスチーナは、その重さから目を逸らさなかった。


マーリンを守る。


そのために必要なら、この新しい少女も守る。


たとえそれが、軍の都合で置かれた相手だとしても。

たとえその明るさが、これから向かう暗い場所を少しだけ照らしてしまうものだとしても。


クリスチーナは静かに息を吸った。


誰にも気づかれないほど小さく。


そして、いつものように背筋を伸ばした。


侍女として。

護衛として。

マーリンの半歩後ろに立つ者として。


その場所だけは、誰にも譲らない。



「では、改めて今後の編成について確認いたします」


ドルニエの声で、会議室の空気がもう一度整えられた。


ステラはすぐに姿勢を正す。

マーリンも、膝の上で重ねていた指をそっと緩めた。


「ロイス公爵令嬢とイルクート候補生には、当面、仮バディとして訓練に参加していただきます」


仮。


その言葉は、逃げ道のようにも聞こえる。

けれどマーリンには、むしろ反対に思えた。


仮であっても、編成は編成だ。

一度形になったものは、書類に残り、予定に組み込まれ、次の手順へ進んでいく。


「目的は、リュールおよびシューティングスターの連携確認。加えて、二機一組での基礎運用、通信連携、索敵分担、離脱判断の習熟です」


ドルニエは手元の資料へ視線を落とす。


「ロイス公爵令嬢には、まずリュールとの再接続と基礎機動の確認を行っていただきます。イルクート候補生は、シューティングスターによる追従および支援位置の維持を担当します」


「はい!」


ステラの返事は、やはり明るかった。


少し大きすぎる返事に、本人も気づいたらしい。

ステラはすぐに唇を結び、頬を赤くした。


その様子に、マーリンは小さく目を伏せる。


笑ってはいけないと思った。

けれど、少しだけ息がやわらいだ。


「なお、実戦投入の可否については、訓練結果と機体適応状況を確認した上で、改めて判断されます」


実戦投入。


その言葉だけが、部屋の温度を少し下げた気がした。


ステラの表情も、一瞬だけ引き締まる。

明るさの奥に、候補生としての理解が見えた。


彼女は知らないわけではない。

自分が何のためにここへ呼ばれたのか。

シューティングスターが何のために調整されているのか。


分かっていて、それでも前を向いている。


「二機一組は、互いの命を預け合う編成です」


ドルニエは言った。


「単なる同行ではありません。片方の判断が、もう片方の生死を左右することもあります。したがって、技術だけでなく、互いの呼吸を知ることが重要となります」


呼吸。


マーリンは、ステラを見た。


ステラもまた、こちらを見ていた。

空色の瞳が、まっすぐにマーリンを映している。


そこに不安がないわけではないのだろう。

けれど、不安より先に、役に立ちたいという気持ちが見える。


「イルクート候補生」


ドルニエが呼ぶ。


「はい」


「改めて、ロイス公爵令嬢へ」


「はい!」


ステラは一歩前に出た。


そして、マーリンへ向き直る。


初めて入室した時より、少し落ち着いていた。

それでも、頬にはまだ薄く赤みが残っている。


「ステラ=イルクート一等士官候補生です」


彼女は、深く頭を下げた。


「精一杯務めます。よろしくお願いいたします、ロイス公爵令嬢!」


まっすぐな声だった。


明るくて、少し硬くて、けれど嘘がない。


マーリンは、その声を受け止める。


ロイス公爵令嬢。


その呼び方には、まだ距離がある。

当然だ。今日、初めて会ったばかりなのだから。


それでいい。


今はまだ、その距離が必要だった。


マーリンも、静かに姿勢を正した。


「こちらこそ、よろしくお願いします。イルクート候補生」


ステラが顔を上げる。


その表情が、ぱっと明るくなった。


「はい!」


また少しだけ声が大きい。


けれど、今度は誰も咳払いをしなかった。


ドルニエは小さく頷き、資料を閉じる。


「本日の説明は以上です。以後の詳細は、担当士官より追って連絡いたします」


会議が終わる。


そう思った瞬間、マーリンの中で、何かが静かに形を持った。


リュール。


シューティングスター。


二機一組。


仮バディ。


どれも、少し前までは自分の外にあった言葉だった。

けれど今は違う。


それらは予定となり、訓練となり、ステラという少女の顔を持って、マーリンの隣に並んでいる。


自分が選んだ道。


その言葉を、マーリンは心の中で繰り返す。


他でもない、自分の意志。


そう言い聞かせた道は、いつの間にか一人で歩く道ではなくなっていた。


ステラはまだ、嬉しそうに背筋を伸ばしている。

緊張して、張り切って、少し危なっかしいくらいまっすぐに。


マーリンは、その横顔を見つめた。


心強いはずだった。


誰かが隣にいてくれる。

背後を見てくれる。

同じ宇宙(そら)を飛んでくれる。


それは、きっと心強いことのはずだった。


けれど胸の奥には、小さな怖さが残っている。


自分が進めば、この少女も進む。

自分が戦場へ出るなら、この少女もシューティングスターに乗る。


ひとりで進むつもりだった道の隣に、もう一機分の影が落ちていた。

ここまでお読みいただき有り難うございました。


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