迎えに行く
ご覧いただきありがとうございます。
一番機は、落ちていく八番機を追っていた。
青い魔力スラスターの光が、空に細く尾を引く。
眼下には王都が広がっている。
守られた街。
救われた街。
だが、シュヴァルベ=ユンカースの視界に、それはほとんど入っていなかった。
全周囲モニターの中央には、八番機の落下予測線が表示されている。
赤ではない。
黄色でもない。
黒に近い灰色。
機体反応が弱まり、管制側で確定できなくなりつつある時の表示だった。
不確定。
消失寸前。
その言葉が、彼女の胸を冷たく締めつける。
『一番機、降下角が深すぎます』
ミリアの声が入った。
いつもの明るさはなかった。
必死に通信を維持している声だった。
『ユンカース様、少しだけ角度を緩めてください。追いつく前に一番機が失速します』
「サーブさん、八番機の位置は」
『ヒースローさんから転送中です。けど、信号が弱いです』
セシリアの声が続く。
泣いたあとだと、すぐにわかる声。
それでも、彼女は全体監視を続けていた。
『八番機、落下予測線がずれています。機体が途中で大きく姿勢を崩した可能性があります。墜落予想地点を更新します』
「送ってください」
『はい、ユンカース様』
投影線が書き換わる。
当初の予想より、南東へずれていた。
地上近くで気流に流されたのか。
あるいは、壊れ残ったスラスターが、最後にわずかに噴いたのか。
シュヴァルベにはわからない。
ただ、ローレッタがそこにいる。
それだけは、わかる。
『ユンカース』
セスナ教官の声が入った。
『救難隊は発進した。地上軍も捜索に入る。お前は落下予測地点を確認後、上空待機だ』
「承知しました」
『上空待機だ。勝手に降りるな』
返答が、わずかに遅れた。
『ユンカース』
「……承知しました、セスナ教官」
言葉は従順だった。
だが、胸の奥は従っていなかった。
待てるはずがない。
もし、コクピットが潰れていたら。
もし、ハッチが開かなかったら。
もし、ローレッタの魔力反応が完全に消えたら。
待っている間に。
その先を考えそうになり、シュヴァルベは思考を切った。
考えるな。
今は、探す。
迎えに行く。
それだけでいい。
『ユンカース様』
別の声が入った。
トムだった。
『三番機、後方から追従しています』
シュヴァルベの眉がわずかに動いた。
「グラマンさん、あなたは待機命令を受けているはずです」
『受けました』
「なら、戻りなさい」
『戻れません』
即答だった。
いつもの軽さはない。
『ローレが落ちてるのに、戻れません』
さらに別の声。
『七番機も追従しています。通信支援を継続します』
「サーブさん」
『ユンカース様に怒られるのはあとで聞きます』
ミリアの声は震えていた。
それでも、折れていなかった。
『ローレを探す方が先です』
『六番機、後方より位置情報を転送します』
セシリアも続いた。
『私は全体監視を継続します。ローレさんの反応が少しでも戻れば、拾えます』
「ヒースローさんまで」
『命令違反です。承知しています』
セシリアは静かに言った。
『あとで処罰を受けます』
ダッソーの声も入る。
『二番機、残存隊の一部を統制しながら後方追従します。ユンカース様の直衛距離には入りません。ですが、救援空域の整理は必要です』
ピラタスとブレゲも応答した。
『四番機、予備推力で捜索範囲の外縁を確認します』
『五番機、中継支援に回ります。通信線を切らしません』
シュヴァルベは一瞬だけ、目を閉じた。
命令違反。
全員わかっている。
わかっていて、ついてきている。
ローレッタが落ちたから。
それだけで。
胸が痛む。
ローレッタは、自分を軽く扱う。
自分がいなくなっても、誰かを守れればいいと思いがちだ。
けれど、違う。
これだけの人間が、彼女を追っている。
彼女を失いたくないと思っている。
ローレッタは、それをもっと知るべきだった。
いいえ。
知る前に落ちてしまった。
だから、連れ戻さなければならない。
『地上軍フォッカー隊より、学園救援機へ』
地上回線が割り込んだ。
『こちらフォッカー。地上捜索に入る。北西丘陵地帯へ向けて装甲車両を展開中。ホーカーが副隊として南側を押さえる。ブリストルが熱源探索、ドルニエが救護準備だ』
シュヴァルベはすぐに返す。
『こちらユンカース。ご支援、感謝します』
『礼はあとだ、ユンカース様。プラットさんを見つける』
フォッカーの声は短かった。
地上軍。
宇宙軍から見下されることも多い者たち。
だが、今、誰より早く地上から動いている。
空と陸。
両方から、ローレッタを探している。
それを思うと、シュヴァルベの胸に小さな熱が灯った。
ローレッタは、ひとりではない。
墜落予想地点は、王都外縁の丘陵地帯だった。
草地と岩場が続く、軍演習区域の外れ。
古い補給道路が一本だけ通っている。
人家は少ない。
そこへ、八番機は落ちた。
落ちたはずだった。
だが、予想地点の上空に到達しても、機体はすぐには見つからなかった。
『熱源、複数あります。ミサイル残骸と迎撃弾破片が混在。八番機の魔力反応は微弱です』
セシリアの声が入る。
『墜落予想地点から少し離れています。南東、二千ほど』
「二千」
シュヴァルベは機体を傾ける。
『一番機、降下しすぎです』
ミリアがすぐに警告する。
『地形が荒れています。低空は危険です』
「確認します」
『ユンカース様』
ミリアの声が強くなる。
『ローレが嫌がります』
その一言で、シュヴァルベの指が止まった。
ローレッタが嫌がる。
自分を助けるために、誰かが落ちることを。
誰かが傷つくことを。
あの少女なら、きっとそうだ。
シュヴァルベは奥歯を噛みしめ、降下角をわずかに緩めた。
「……低空維持。無理な接近はしません」
『はい』
ミリアの返事に、わずかな安堵が混じる。
セシリアが続けた。
『南東の浅い谷地形に、機体残骸らしき反応。大きな金属片が散乱しています』
『地上より確認』
ブリストルの声が入った。
『こちらブリストル。谷の縁に煙を確認。機体部材と思われる破片が複数。王国訓練機の外装色と一致』
シュヴァルベの胸が鳴った。
見つかった。
同時に、怖かった。
見つかったものが、まだ機体であってほしい。
ローレッタを守る形を残していてほしい。
一番機が谷の上へ出る。
全周囲モニターに、地上の映像が拡大された。
そこには、削れた地面があった。
草地は抉られ、黒い土がむき出しになっている。
長い衝突痕。
途中で跳ね、横転し、さらに滑った跡。
機体の残骸が広い範囲に散らばっていた。
腕部らしきもの。
砕けた脚部装甲。
燃え尽きたスラスター。
歪んだフレーム。
ソードの破片。
どれも、元の形を失っている。
少し離れた場所に、胴体部があった。
コクピットブロックを収めた中心部。
そこだけが、かろうじて塊として残っていた。
だが、人形と呼ぶにはあまりにも崩れていた。
『あれが……人形?』
誰かが呟いた。
誰の声か、シュヴァルベにはわからなかった。
たぶん、生徒の誰かだ。
無理もない。
それはもう、人形には見えなかった。
ローレッタの八番機。
つい少し前まで、白い軌跡を引いて空を飛んでいた機体。
王都を救った機体。
それが、地面に潰れていた。
シュヴァルベの指が震えた。
だが、機体操作は止めない。
止めれば、間に合わない。
『八番機胴体部を確認。魔力反応、極微弱』
セシリアの声が細くなる。
『ローレさんの生体反応……弱いですが、あります』
あります。
その言葉に、シュヴァルベは初めて息を吸えた。
まだある。
まだ、いる。
「救助班へ座標を」
『転送済みです』
ミリアが答える。
『地上軍ドルニエ隊、救護班が接近中。ただ、谷地形で車両進入に時間がかかります』
時間。
また、時間だ。
今度も足りない。
『三番機、降ります!』
トムの声。
「グラマンさん、待ちなさい」
『待てません!』
三番機が低空へ降りる。
損耗した機体で、乱暴ではないが、かなり無理な降下だった。
ミリアが叫ぶ。
『トム、降り方! 脚部やられる!』
『わかってる!』
『わかってない!』
それでも、三番機は谷底近くへ降りた。
機体が地面に膝をつく。
トムはすぐにコクピットから降りた。
人形のハッチが開き、小さな人影が飛び出す。
地上用の救助装備も持たず、耐Gスーツのまま、彼は八番機の残骸へ走った。
「グラマンさん、危険です。戻りなさい」
シュヴァルベの声は、もう命令の形をしていなかった。
祈りに近かった。
『すぐ見ます!』
トムは胴体部に取りつき、歪んだコクピットハッチへ近づいた。
焼けた装甲から、まだ薄く煙が上がっている。
彼は手袋越しに外装へ触れ、すぐに手を引いた。
熱いのだ。
それでも、また近づく。
「ローレ!」
トムの声が外部マイクに乗った。
「ローレ! 聞こえるか! 俺だ、トムだ!」
反応はない。
「返事しろ! 頼むから!」
返事はない。
トムは外部ポートを探した。
ハッチ横。
非常開放用の魔力供給ポート。
訓練機なら、そこへ魔力を流せば内部ロックを解除できる。
だが。
『ポートが潰れてる』
トムの声が震えた。
『フレームが歪んで、差し込めない。ハッチも噛んでる』
彼はもう一度試した。
手袋型の補助端子を当て、魔力を流す。
だが、反応はなかった。
外部ポートは死んでいた。
『だめだ。開かない』
ミリアが短く息を吸う。
『救助班到着まで』
『間に合わない』
セシリアが言った。
その声は、泣いていた。
でも、計算は冷静だった。
『ローレさんの反応が低下しています。魔力反応もさらに弱くなっています。救助班を待つ余裕は……ありません』
シュヴァルベは、モニターの残骸を見た。
コクピットブロック。
その中に、ローレッタがいる。
ぐったりとして、動かないまま。
ハッチが開かない。
外部ポートは使えない。
救助班はまだ来ない。
なら、どうする。
答えは一つだった。
「グラマンさん、下がりなさい」
『ユンカース様?』
「一番機で開けます」
『でも、機体でやったら、コクピットごと潰すかもしれません!』
「だから下がりなさい」
シュヴァルベは機体を低空へ降ろした。
『ユンカース様、危険です』
セシリアの声。
『一番機の魔力残量も危険域に近いです。精密作業には』
「承知しています」
『ユンカース様』
「それでも、私がやります」
言葉に迷いはなかった。
迷っている時間はない。
一番機が谷へ降りる。
青い機体が、砕けた八番機の前に膝をついた。
シュヴァルベは両手のインタフェースに指を深く入れた。
魔力の糸を、機体の腕へ通す。
力任せではだめだ。
コクピットブロックを潰してはならない。
だが、遅ければローレッタが消える。
慎重に。
早く。
矛盾した命令を、両手に課す。
一番機の右手が、八番機の歪んだハッチの縁を掴んだ。
左手が、胴体フレームを支える。
外装は焼け、割れ、歪んでいる。
少し力を入れただけで、別の箇所が歪む。
シュヴァルベの喉が乾いた。
「ローレさん」
聞こえるはずもない。
それでも、言った。
「潰しません。必ず開けます」
指先が震える。
焦りが、操作を乱す。
一番機の右手がわずかに滑り、金属が嫌な音を立てた。
『ユンカース様、右手の力が強いです!』
セシリアの声。
『ハッチ下部が内側へ入っています!』
シュヴァルベの呼吸が止まる。
「修正します」
声は出た。
でも、胸の中は荒れていた。
ローレッタを助けたい。
すぐ開けたい。
今すぐ引き剥がしたい。
その焦りが、指先に出る。
だめだ。
これでは潰す。
彼女は目を閉じた。
ほんの一瞬だけ。
呼吸を。
自分が、ローレッタに何度も言った言葉。
今は自分に向ける。
呼吸を。
状態を聞く。
ローレッタなら、きっとこう言う。
大丈夫ではありません。
でも、やります。
シュヴァルベは目を開けた。
「サーブさん、ヒースローさん。ハッチ変形を逐次報告してください」
『はい、ユンカース様』
『はい』
「グラマンさん、危険範囲外で待機。手を出さないでください」
『……はい、ユンカース様』
「ダッソーさん、上空監視を」
『承知しました』
指示を出す。
隊長として。
そうしなければ、心が崩れる。
一番機の指が、今度はハッチの外縁だけを捉えた。
力を分散させる。
引くのではなく、歪みを戻す。
潰れたフレームをわずかに起こし、ロック部に隙間を作る。
金属が軋む。
ぎぎ、と嫌な音が谷に響く。
『上部フレーム、少し浮きました』
セシリアが報告する。
『下部、まだ噛んでいます。右側を少し外へ』
「了解」
一番機の左手が支えを変える。
右手でハッチを外へ引き、左手で胴体を押さえる。
力を入れる。
少しだけ。
足りない。
もう少し。
『ユンカース様、そこです!』
ミリアの声。
『そのまま、ゆっくり!』
シュヴァルベの額に汗がにじむ。
耐Gスーツの中ではなく、コクピットの静かな空気の中で。
指先が痛い。
魔力が減っていく。
だが、ハッチが動いた。
わずかに。
そこから、内部の暗闇が見えた。
「開いて」
シュヴァルベは呟いた。
「お願い」
一番機が、最後に力を込める。
金属の悲鳴。
ロック部が砕ける音。
ハッチが外側へ歪みながら、開いた。
完全ではない。
だが、人が入れるだけの隙間ができた。
『開いた!』
トムが叫ぶ。
『ユンカース様、開きました!』
シュヴァルベはすぐにインタフェースを抜いた。
固定具を緩める。
コクピットハッチを開ける。
『ユンカース様、一番機から降りるのは危険です!』
ミリアの声が飛ぶ。
『周辺に高熱破片が』
「ローレさんのところへ行きます」
それ以上は言わなかった。
シュヴァルベは一番機から飛び出した。
昇降装置を待つ時間すら惜しかった。
半ば滑るように降り、地面へ着地する。
足に痛みが走る。
構わず走った。
焦げた草。
抉れた土。
砕けた装甲片。
まだ熱を持つ破片。
それらの間を抜け、八番機の胴体部へ向かう。
トムがハッチの横で待っていた。
顔が青い。
「ユンカース様」
「下がってください」
シュヴァルベは隙間へ身体を滑り込ませた。
内部は暗かった。
焼けた金属の匂い。
冷却液の匂い。
血の匂い。
奥に、球状コクピットの残骸があった。
耐Gスーツに固定された小さな身体。
ローレッタ。
彼女は、ぐったりとして動かなかった。
茶色い髪は乱れ、内側の白がはっきり見えている。
顔は血の気がなく、唇の端に赤い跡がある。
手はインタフェースの中で力を失い、指先はだらりと下がっていた。
「ローレさん」
シュヴァルベの声が、かすれた。
返事はない。
近づく。
固定具を緩める。
壊れたインタフェースを取り払う。
右手の装置が歪んでおり、指を傷つけないように慎重に外す。
慎重に。
早く。
また同じ矛盾。
「ローレさん、聞こえますか」
返事はない。
胸が上下しているか、一瞬わからなかった。
シュヴァルベは息を止め、ローレッタの口元に手を近づけた。
わずかに、息がある。
とても弱い。
けれど、ある。
「……生きています」
外へ向けて言った。
声が震えた。
通信ではなく、ただ外にいるトムへ。
トムが息を吐く音がした。
『生体反応、微弱ですが確認!』
ミリアが通信へ叫ぶ。
『救護班、急いで!』
シュヴァルベはローレッタの頬に触れた。
冷たい。
魔力切れに近い。
いや、ほとんど底をついている。
このままでは危ない。
触れた指先に、ほんのわずかな魔力の残滓があった。
白く、細く、今にも切れそうな糸。
シュヴァルベはその糸に、自分の魔力を慎重に添えた。
強く流してはいけない。
壊れた器に水を注げば、割れる。
ほんの少し。
体温を分けるように。
「ローレさん」
呼ぶ。
「迎えに来ました」
ローレッタは動かない。
「約束ですから」
シュヴァルベの声が震える。
それでも、続ける。
「待っていると言ったでしょう」
ローレッタのまつ毛は動かない。
頬に触れた指先の下で、命があまりにも弱い。
失うかもしれない。
その恐怖が、また胸を突き刺す。
だが、今は泣けない。
泣いている時間はない。
「ローレさん」
シュヴァルベは、ローレッタの身体を支えた。
軽い。
あまりにも軽い。
人形を壊し、王都を救い、四つの死へ向かった少女は、こんなにも軽かった。
「大丈夫とは、言わせません」
いつかの返答のように、彼女は言った。
「今は、私が言います」
外から、救護班の足音が近づいてくる。
ドルニエの声が聞こえた。
「救護班、到着!」
トムが場所を空ける。
ミリアの通信が泣きそうに乱れている。
セシリアは位置情報と生体反応を送り続けている。
シュヴァルベは、ローレッタの手を離さなかった。
その指は冷たく、力がない。
それでも、確かにそこにあった。
ローレッタ=プラットは、ここにいる。
マーリンではない。
記憶の影でもない。
王都を救って、壊れた機体の中で待っていた少女。
シュヴァルベはその手を両手で包み、救護班が乗り込んでくるまで、ただ握り続けた。
失わせない。
今度こそ。
その思いが庇護なのか、執着なのか、前世から続く何かなのか、彼女にはまだわからない。
わからなくてよかった。
今、必要なのは名前ではない。
この手を離さないことだった。
「ローレさん」
シュヴァルベはもう一度呼ぶ。
「戻りましょう」
答えはなかった。
けれど、かすかな息が、彼女の指先に触れた。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
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