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私の戦い

ご覧いただきありがとうございます。

四つの赤い点が、最終防衛ラインを越えた。


モニターの表示は冷静だった。


赤点十七。


赤点十八。


赤点十九。


赤点二十。


王都中枢圏へ向けて飛行中。


迎撃困難域へ移行。


到達予測が、数字として減っていく。


それだけだった。


画面は叫ばない。


泣かない。


怖がらない。


でも、その数字の先には王都がある。


ハネダ亭がある。


大将と女将さんがいる。


市場がある。


学園がある。


寮がある。


セシリアさんがいる。


ミリアがいる。


トムがいる。


シュヴァルベ様がいる。


名前を知らないたくさんの人がいる。


私は、その全部が赤い点の先に押し込められているように見えた。


押し込められて、潰されそうになっているように見えた。


「いや」


声が漏れた。


小さな声だった。


通信に乗ったかどうかもわからない。


でも、自分の耳には聞こえた。


いやだ。


誰にも死んでほしくない。


その言葉は、もうきれいな願いではなかった。


胸の奥を爪で引っかくような、みっともないくらい必死な願いだった。


『第一小隊、これ以上の追撃は危険です』


セシリアさんの声が通信に入る。


『各機、魔力残量低下。ライフル使用機は冷却中。中衛支援機も余力が少ないです』


『管制、こちらユンカース。第一小隊は現状、追加狙撃困難。正規部隊の再接触状況を』


シュヴァルベ様の声は、静かだった。


でも、その奥に焦りがある。


私にはわかった。


『管制……ザ……正規迎撃部隊、再接触まで時間……第二防衛網……照準遅延……』


ノイズが走る。


言葉が途切れる。


『最終迎撃……困難……繰り返す、最終迎撃困難』


困難。


それは、できないと言っているのに近かった。


『ユンカース様』


トムの声が割り込む。


『俺、まだソードなら行けます』


『却下します』


シュヴァルベ様の返答は速かった。


『三番機はライフル二発使用済み、魔力消費大。接近戦に入れば戻れません』


『でも!』


『却下です、グラマンさん』


ミリアの声が強く入る。


『トム、戻るって言ったでしょ』


『……っ』


トムが黙る。


ピラタスさんの声も聞こえた。


『四番機、まだ一部推力に余裕があります。私が』


『ピラタスさんも却下します。追撃補助で魔力消費が大きい。今から単機接近しても、回避運動に追随できません』


シュヴァルベ様は一つずつ止める。


隊長として。


全員を戻すために。


その判断は正しい。


正しいと、わかる。


でも、赤い点は進んでいる。


正しい判断をしている間にも、王都へ近づいている。


なら、どうする。


誰が行く。


誰が、死に近づく。


私の視線が、武装表示へ落ちた。


八番機。


ソード。


魔力ライフルなし。


観測機能強化。


魔力残量、まだある。


観測負荷で減っているけれど、ライフルは撃っていない。


機体損傷なし。


推進器、正常。


ソード使用可能。


私の手が、インタフェースの中で震えた。


ソード。


近接。


直接攻撃。


推進部。


誘導部。


姿勢制御部。


将校の説明が頭の中で繰り返される。


最終手段。


生還率は低い。


訓練機で、戦略級反応ミサイルへ近づく。


普通なら、ありえない。


普通なら、やってはいけない。


でも、普通のままでは届かない。


魔力の糸の先が、空の奥へ伸びる。


赤点十七。


一番近い。


速度は速い。


回避運動は不規則。


でも、右下方への逃げ癖がある。


誘導部を守るために、姿勢制御部を一瞬だけ晒す。


推進炎の外側に、ほんの細い死角がある。


そこに入れば。


機体を斜めに沈めて、弧を描くように上昇し、ソードを入れれば。


切れる。


たぶん。


いや、知っている。


私ではない誰かが、知っている。


黒い宇宙。


赤い警告。


白い機体。


迫る弾体。


ソードの角度。


推進炎の熱。


腕部への負荷。


コクピットにかかるG。


マーリンの記憶が、静かに答えを出す。


できる。


できてしまう。


「だめ」


私は自分に言った。


だめ。


それはマーリンの動きだ。


私はローレッタだ。


戦いたくない。


死にたくない。


誰かの英雄になんてなりたくない。


でも。


マーリンは、戦いたかったのだろうか。


あの人は、本当に怪物だったのだろうか。


記憶の奥にあるマーリンは、笑っていなかった。


戦場で笑っていなかった。


怖がっていた。


疲れていた。


嫌がっていた。


それでも、ソードを握っていた。


落とすためではない。


戻すために。


守るために。


一人でも多く、死なせないために。


だから戦っていた。


嫌いな戦いの中へ、自分から入っていた。


それが、私の胸に落ちた。


マーリンの記憶は、私を飲み込むためにあるのではない。


私が使うことも、できるのかもしれない。


ローレッタとして。


私の願いのために。


誰にも死んでほしくない。


それは、マーリンの残響だけではない。


私の中から出ている。


私の声だ。


『ローレさん』


シュヴァルベ様の声が入った。


『状態を報告してください』


私は返事をしなかった。


返事をしたら、止められる。


でも、黙るなと言われた。


怖くても、沈黙しないでください。


シュヴァルベ様の声を思い出す。


私は唇を噛みそうになって、やめた。


痛みで誤魔化さない。


逃げない。


『ローレさん』


今度は少し強い声。


『返事を』


「シュヴァルベ様」


やっと声が出た。


『はい』


「私、行きます」


通信が一瞬、冷たくなった気がした。


『何を言っているのですか』


シュヴァルベ様の声は低かった。


「ソードで、止めます」


『許可できません』


即答だった。


『八番機は退路管理です。単機で前へ出ることは許可できません。戻りなさい』


戻りなさい。


その声に、胸が痛くなる。


いつもなら、その声で戻れた。


王都記念杯でも、模擬戦でも、シュヴァルベ様の声は私を戻してくれた。


でも、今戻ったら。


赤い点は止まらない。


「戻るために、行きます」


『ローレさん』


「このままでは、戻る場所がなくなります」


声が震える。


でも、言えた。


『管制、八番機の行動を制止してください』


シュヴァルベ様がすぐに管制へ呼びかける。


『管制……ザ……DDS障害により遠隔制御不能。強制停止不可』


ノイズ混じりの声が返る。


『八番機、作戦指揮に従え。単機行動は禁止だ』


作戦指揮。


命令。


禁止。


全部、正しい。


でも、機体は止まらない。


止めるのは私だけ。


「ごめんなさい」


『謝罪は不要です。戻りなさい』


シュヴァルベ様の声が、少し震えた。


怒っている。


怖がっている。


たぶん、両方。


『ローレさん、これは命令です。八番機、現在位置を維持』


命令。


隊長の命令。


従わなければならない。


でも。


「従えません」


言った瞬間、自分でも驚いた。


私が、シュヴァルベ様に逆らった。


胸が痛い。


でも、言葉は戻せない。


『ローレさん!』


ミリアの声が入る。


『だめ、ローレ! 戻って!』


「ミリア」


『単機でミサイルに突っ込むなんて、そんなのだめ!』


「はい」


『はいじゃない!』


ミリアの声が泣きそうになっている。


トムも叫ぶ。


『ローレ、やめろ! 俺が行く!』


『グラマンさん、動かないで!』


セシリアさんの声が重なる。


『トム、動かない!』


ミリアが止める。


通信が混ざる。


『ローレさん、八番機の魔力流量が上がっています。止めてください。リンク深度が危険域へ近づいています』


セシリアさんの声は、必死に落ち着いていた。


『お願いです。止めてください』


お願い。


その言葉は、命令より痛い。


私は手を握った。


「セシリアさん」


『はい』


「見ていてください」


『ローレさん』


「私が戻る道を、見失わないように」


セシリアさんの息を飲む音が、通信に乗った気がした。


『……はい』


小さな声。


『見ます。ローレさんの戻る道を、見ます』


胸が苦しくなる。


ミリアが泣きそうな声で言う。


『ローレ、やだよ』


「私も嫌です」


『じゃあやめて』


「でも、もっと嫌なことがあります」


王都が壊れること。


みんなが死ぬこと。


戻る場所がなくなること。


「だから、行きます」


シュヴァルベ様の声が、低く入った。


『ローレさん。あなたは、自分を犠牲にしようとしています』


「はい」


『はいではありません』


「でも、違います」


私はモニターの赤い点を見た。


「死ぬために行くのではありません」


『なら、何のためですか』


「戻るためです」


自分で言って、少しだけわかった。


私は死にたいわけではない。


犠牲になりたいわけでもない。


誰かのために消えたいわけでもない。


私は戻りたい。


ハネダ亭へ。


学園へ。


ミリアとトムの軽口へ。


セシリアさんの静かな声へ。


シュヴァルベ様の隣へ。


戻るために、行く。


王都がなくなれば、戻れない。


だから。


「私、戻りたいです。シュヴァルベ様のところへ。みんなのところへ。ハネダ亭へ。だから、死に近づきます」


『それは矛盾しています』


「はい」


私は少し笑った。


涙が出そうだった。


「私、矛盾ばかりです」


戦いたくないのに、守りたい。


死にたくないのに、死に近づく。


マーリンではないのに、マーリンの記憶を使う。


弱いのに、行こうとしている。


「でも、これが私です」


言葉にした瞬間、胸の奥が少し熱くなった。


「マーリンじゃありません」


通信の向こうが静かになる。


私は続けた。


「私は、ローレッタです。ローレッタ=プラットです」


ずっと言いたかったこと。


白い髪を見た時にも。


シュヴァルベ様の視線が怖かった時にも。


DDSが分類不能と示した時にも。


私はローレッタだと、言いたかった。


「でも、私の中にはマーリンの記憶があります。怖くて、嫌で、ずっと隠していました。飲まれたくなかったから」


赤点十七が、さらに近づく。


到達予測が減る。


「でも、その記憶が守るために使えるなら、使います。私が選んで、使います」


『ローレさん』


シュヴァルベ様の声が、今度はとても静かだった。


「シュヴァルベ様」


『行かせられません』


「はい」


『私は、あなたを守ると決めています』


「知っています」


だからこそ、胸が痛い。


「でも、守られているだけでは、届きません」


『それでも』


「私も、守りたいんです」


通信の向こうで、シュヴァルベ様が息を止めた気がした。


「シュヴァルベ様を。ミリアを。トムを。セシリアさんを。大将を、女将さんを。王都にいる人たちを。知らない人たちも」


声が震える。


でも、止めない。


「誰にも死んでほしくないんです」


それは、マーリンの言葉ではない。


私の言葉だ。


「だから、行きます」


沈黙。


短いのか長いのか、わからない沈黙。


その間にも、赤い点は進む。


警告表示が出る。


魔力流量上昇。


リンク深度上昇。


機体負荷増加。


八番機が、私の中の白い魔力に反応している。


トレパペ。


標準的な訓練機。


特別ではない機体。


これから、無理をさせる。


壊してしまうかもしれない。


私は機体の内側に、そっと糸を広げた。


「ごめんね」


機体に向けて、つぶやく。


「無理をさせます」


トレパペは返事をしない。


当たり前だ。


でも、魔力の糸の先で、機体が小さく震えた気がした。


怖がっているのは私だ。


機体ではない。


それでも、私は続ける。


「一緒に、戻ろうね」


スラスターへ魔力を流す。


いつもの量ではない。


制限された範囲を越えて、細く、深く、白い魔力を通す。


警告音が鳴る。


赤い表示が増える。


オーバーロード注意。


魔力変換炉負荷上昇。


スラスター出力上昇。


耐G制御限界接近。


『ローレさん、出力が上がっています!』


セシリアさんの声。


『八番機、停止してください!』


管制の声。


『ローレ!』


ミリア。


『ローレ、やめろ!』


トム。


『プラット!』


セスナ教官の声まで入った。


『勝手な単機行動は許可していない! 戻れ!』


「セスナ教官」


『戻れ、プラット!』


「すみません」


また謝ってしまった。


でも、これは謝る。


「行きます」


『プラット!』


シュヴァルベ様の声が最後に入る。


『ローレさん、お願いです』


お願い。


その言葉に、指が一瞬止まりかけた。


命令なら破れた。


叱責なら耐えられた。


でも、お願いはずるい。


とてもずるい。


胸が痛くて、息が詰まる。


「シュヴァルベ様」


『はい』


「約束してください」


『何を』


「必ず戻ります」


『なら、戻りなさい。今、戻れば』


「違います」


私は首を振る。


誰にも見えない。


「行って、戻ります」


シュヴァルベ様の声が途切れた。


私は続けた。


「もし、戻れなかった、その時は」


言いたくない。


でも、言う。


怖いからこそ、言う。


「迎えに来てください」


『ローレさん』


「私、待ってますから」


涙が、一粒だけ頬を伝った。


コクピットの中で、すぐに冷たくなる。


「約束です」


通信の向こうで、シュヴァルベ様が何か言おうとした。


でも、言葉にならなかった。


私は、笑った。


うまく笑えたかはわからない。


たぶん、泣き笑いだった。


でも、声だけはできるだけ軽くした。


「ごめんなさい。……行きます」


通信回線を切った。


完全遮断ではない。


隊内通信の受信は残す。


でも、私からの会話は切った。


これ以上聞いたら、止まってしまう。


止まったら、もう行けない。


モニターの中で、赤点十七が近づく。


赤点十八、十九、二十も続く。


私は八番機の姿勢を前へ倒した。


魔力の糸をスラスターへ送る。


白い光が、機体後方で膨らむ。


一瞬、時間が伸びた。


黒い宇宙の記憶が重なる。


でも、ここは青い空だ。


王都の空。


私が守りたい空。


「さあ」


私は息を吸った。


耐Gスーツが全身を締め付ける準備をする。


身体が先に怖がっている。


心臓が速い。


指先が震える。


でも、目は赤い点を見ている。


「始めよう」


スラスターに魔力を叩き込んだ。


八番機が、鋭く急加速する。


耐Gスーツが全身を締め付けた。


胸が潰れる。


息が詰まる。


骨が軋む。


視界の端が暗くなる。


警告音が鳴り続ける。


赤い表示が流れる。


魔力の糸が、機体の隅々へ走る。


痛い。


苦しい。


怖い。


でも、動く。


マーリンの記憶が、進む道を示す。


私はそれを、飲み込まれずに掴む。


マーリンの記憶。


戦場の知識。


死に近づくための技術。


それを、私の願いのために使う。


誰にも死んでほしくない。


大切な人たちに戻ってほしい。


私も、戻りたい。


八番機は白い軌跡を引いて、赤い点へ向かっていく。


通信の向こうで、誰かが私の名前を呼んでいた。


聞こえる。


でも、今は振り返らない。


私はローレッタ。


マーリンではない。


マーリンの記憶を持った、ローレッタ=プラット。


私の戦いが、始まった。

ここまでお読みいただき有り難うございました。


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