残る者たち
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青く澄み渡った空に、白い筋が伸びていた。
一本ではない。
何本も。
細く、長く、宇宙へ向かって伸びていく。
シャトルの航跡だ。
王都星から離れるための白い線。
誰かを乗せて、空の上へ逃げていく線。
私はそれを、格納庫前のグラウンドから見上げていた。
空はきれいだった。
雲は少なく、光は明るい。
こんなにも晴れているのに、王都へ二十機の戦略級反応ミサイルが向かっている。
三時間後には届く。
一発でも着弾すれば、王都は壊滅的な打撃を受ける。
その説明を聞いたあとだと、空の青さが少し怖かった。
何も知らない顔をしている。
でも、本当は空は何も知らない。
怖いのは、そこを飛んでくるものだ。
「ローレ」
ミリアの声がした。
私は少し遅れて振り向いた。
「はい」
「また遠く見てた」
「白い筋が、たくさんあります」
「シャトルだね」
ミリアも空を見る。
いつもの明るさは、少し薄くなっていた。
それでも、完全には消えていない。
消さないようにしているのかもしれない。
「乗ってる人、怖いだろうね」
「はい」
「残る人も、怖いけど」
「はい」
それ以上は、続かなかった。
格納庫前のグラウンドには、残った生徒たちが集められていた。
人数は多くない。
大会議室にいた一年生の数を思い出すと、空いている場所が多すぎる。
逃げた人。
動けなくなった人。
シェルターへ向かった人。
家へ連絡しようとしている人。
教官に止められている人。
それぞれがそれぞれの恐怖の中にいた。
ここに残ったのは、選抜生が多かった。
家の迎えが来ない者。
シャトルの席がない者。
王都に家族や大切な人がいる者。
そして、逃げてもどうにもならないと、どこかでわかってしまった者。
貴族生も何人かいる。
顔は青い。
震えている。
それでも、ここにいる。
シュヴァルベ様も、その一人だった。
ユンカース家のシャトルに乗るよう告げられて、それを断った人。
その背中は、格納庫の前でまっすぐ立っている。
そのまっすぐさを見ると、胸が少し痛くなった。
美しい。
でも、痛い。
美しいものが痛いことを、私は学園に来てから何度も知った気がする。
グラウンドの端では、宇宙軍の将校たちと教官たちが短く話していた。
セスナ教官の姿もある。
表情は硬い。
けれど、迷っているようには見えない。
迷いを顔に出さないだけかもしれない。
大人は、こういう時も大人の顔をしなければならないのだろうか。
私はきっと無理だ。
怖い時は怖い顔になる。
今も、なっていると思う。
「どうせ、死ぬなら戦う」
近くで、誰かが言った。
声は低かった。
選抜生の男子だった。
名前は知っているけれど、あまり話したことはない。
手が震えている。
それでも、彼は笑おうとしていた。
笑えてはいなかった。
「地下に逃げたって、反応兵器じゃ無理なんだろ」
別の生徒が答える。
「防護シェルターは爆風や破片には耐えられても、戦略級の直撃には耐えられないって、軍史で習った」
「直撃じゃなくても、王都中枢が吹っ飛べば終わりだ」
「粒子が上がる。空が覆われる」
「地上は冷える」
「氷の星になるってやつか」
その言葉で、私は背筋が冷たくなった。
氷の星。
ただ爆発して終わりではない。
街が壊れるだけではない。
星そのものが変わる。
大気が汚れ、光が遮られ、地表が冷える。
人が住めなくなる。
王都の外へ逃げても、星が死んでいくなら、どこへ逃げればいいのだろう。
地下シェルター。
王都の外。
山間部。
遠い港。
そういう考えが、私の中にも浮かんでいた。
逃げられるなら。
隠れられるなら。
戦わずに済むなら。
でも、本当はわかっている。
もう、どうしようもない。
二十機すべてを止めなければ、王都は壊れる。
一発でも届けば、たくさんの人が死ぬ。
それは数字ではない。
王都中枢圏。
行政区。
学園。
下町。
市場。
ハネダ亭。
大将。
女将さん。
常連さん。
名前も知らない人たち。
朝にパンを買う人。
鍋を火にかける人。
子どもの手を引く人。
帰り道を急ぐ人。
私が知らないだけで、そこには生活がある。
それを、私は想像してしまった。
想像しなければ、少し楽だったかもしれない。
でも、もう無理だった。
ハネダ亭の匂いを知っている。
女将さんの手の温かさを知っている。
大将の「ローレちゃん」を知っている。
知ってしまった。
だから、知らないふりはできない。
「俺、妹がいるんだ」
別の選抜生が言った。
「まだ小さい。地上の避難場所にいるって連絡があった。迎えに行けない」
誰も何も言わなかった。
言えることがなかった。
「だから、行く。どうせ怖いなら、何もしないで待つよりましだ」
「俺も」
「私も」
声がぽつぽつと続く。
強い声ばかりではない。
泣きそうな声もある。
震えている声もある。
怒っている声もある。
諦めに近い声もある。
でも、そこに残る理由はあった。
どうせ死ぬなら戦う。
大切な人を守りたい。
逃げても助からないなら、せめて空へ上がる。
それは勇敢なのだろうか。
それとも、追い詰められただけなのだろうか。
私にはわからない。
でも、きれいな決意だけではないことはわかった。
怖いから戦う人もいる。
逃げ場がないから戦う人もいる。
失いたくないから戦う人もいる。
私は、戦いたくない。
今も。
その気持ちは消えていない。
むしろ、前よりはっきりしている。
トーナメントの時とは違う。
王都記念杯は怖かった。
注目されるのも、マーリンの記憶に飲まれるのも怖かった。
でも、あれは競技だった。
負けても、人は死なない。
機体が壊れても、止められる。
シュヴァルベ様が戻してくれた。
怖い中にも、線が引かれていた。
これは違う。
線がない。
一歩間違えれば死ぬ。
私たちも。
王都の人たちも。
敵は学生ではない。
相手は二十機の戦略級反応ミサイル。
近づいてくる死そのもの。
それを止めに行く。
訓練機で。
一年生で。
私は指先を見る。
まだ少し震えている。
この指で、人形を動かす。
魔力の糸を伸ばす。
あの白い記憶に触れるかもしれない。
マーリンの動きが必要になるかもしれない。
それが怖い。
死ぬのも怖い。
戻れないのも怖い。
でも、それよりもっと怖いことがある。
何もしないまま、守りたいものが消えること。
「ローレさん」
シュヴァルベ様の声がした。
私は顔を上げた。
シュヴァルベ様が、すぐ近くに立っていた。
「はい、シュヴァルベ様」
「顔色がよくありません」
「そうだと思います」
思ったより素直に言えた。
シュヴァルベ様の目が少し柔らかくなる。
「呼吸は」
「時々、逃げます」
「捕まえてください」
「はい」
少し変なやり取りになった。
こんな時なのに。
いや、こんな時だからかもしれない。
私は息を吸って、吐いた。
「怖いです」
「はい」
「逃げたいです」
「はい」
「でも、逃げても助からないことも、わかっています」
シュヴァルベ様は黙って聞いてくれた。
私は空を見上げた。
白い筋がまた一つ増えていた。
「地下シェルターに入れば、少しは安全かもしれないと思いました。王都の外へ逃げれば、何とかなるかもしれないとも思いました」
言葉にすると、それはとても小さな希望だった。
小さくて、薄くて、指で触れたら破れそうな希望。
「でも、反応兵器が王都に落ちたら、シェルターでは足りません。王都の外へ出ても、星が冷えたら、地上では生きられません」
「はい」
「本当は、もうわかっています」
声が震えた。
「止めるしか、ないんですね」
シュヴァルベ様は、少しだけ目を伏せた。
「そうです」
短い答え。
それが一番残酷だった。
他に道がない。
そう言われるより、ずっと。
「ローレさん」
「はい」
「あなたが怖いと言うことは、弱さではありません」
「はい」
「戦いたくないと思うことも、間違いではありません」
胸が揺れた。
戦いたくない。
その言葉を否定されないだけで、少し息ができる。
「ですが、守りたいと願うなら、その願いのために動く時があります」
シュヴァルベ様の声は静かだった。
「私は貴族として戦います。隊長として指揮を執ります。けれど、あなたにはあなたの理由があるはずです」
私の理由。
誰かに命じられたからではない理由。
マーリンの記憶ではない理由。
ローレッタの理由。
私は少し考えた。
大将。
女将さん。
ハネダ亭。
ミリア。
トム。
セシリアさん。
シュヴァルベ様。
それから、名前を知らないたくさんの人。
「私は」
喉が詰まる。
「私は、誰かが死ぬのが嫌です」
とても単純な言葉になった。
でも、それしかなかった。
「知らない人でも、嫌です。知っている人なら、もっと嫌です。大切な人なら、どうしていいかわからないくらい嫌です」
涙が少し出そうになった。
「戦いたくないです。でも、死なせたくないです」
シュヴァルベ様は頷いた。
「それで十分です」
十分。
こんなにぐちゃぐちゃなのに。
「十分、でしょうか」
「はい。十分です」
シュヴァルベ様の声は、迷わなかった。
私は胸の奥で、何かが小さく立つのを感じた。
強い決意ではない。
揺れている。
震えている。
でも、倒れきってはいない。
「戻ってきたいです」
「戻ります」
「全員で」
「はい。全員で」
その言葉を信じたいと思った。
信じきれなくても、持っていたいと思った。
軍の将校が、グラウンド中央へ進み出た。
大会議室で説明した上級将校とは別の人だった。
年齢は中年くらい。
宇宙軍の作戦徽章をつけている。
隣には女性将校と、数名の補佐官。
セスナ教官と数人の教官も並んだ。
残った生徒たちが、自然とそちらへ視線を向ける。
ざわめきはまだある。
でも、大会議室ほどではない。
恐怖が消えたわけではない。
ただ、逃げるか残るかの第一波が過ぎて、ここにいる者たちは次の言葉を待っていた。
将校は、生徒たちを見渡した。
「残った者に説明する」
声は淡々としていた。
「時間がない。慰める余裕も、長い訓示をする余裕もない」
本当に淡々としていた。
でも、その方がよかった。
今、長く励まされたら、たぶん耐えられない。
「現在、戦略級反応ミサイル二十機が王都中枢圏へ向けて飛行中。防衛網は復旧途上。軍正規部隊は出撃準備中だが、全弾迎撃には間に合わない可能性が高い」
誰も声を上げなかった。
もう、騒ぐ力も少し減っていた。
「君たちには、迎撃補助任務を行ってもらう」
迎撃補助。
任務。
模擬戦ではない。
訓練でもない。
「主迎撃は王都防衛網と軍正規部隊が行う。君たちは、そこから漏れた弾体の進路妨害、誘導攪乱、最終迎撃の補助を担当する」
進路妨害。
誘導攪乱。
最終迎撃。
言葉が、次々に重くなる。
「訓練機の武装は限定的だ。戦略級反応ミサイルの弾頭そのものを近接で斬ることは推奨しない。推進部、誘導部、姿勢制御部を狙う。可能であれば軌道を逸らし、防衛網の射線へ誘導する」
ソードで弾頭を斬らない。
それは当然だ。
近接武器主体の人形で、戦略級反応ミサイルへ接近する。
考えただけで、喉が乾く。
推進部。
誘導部。
姿勢制御部。
そこを狙う。
落とすのではなく、逸らす。
防衛網へ送る。
そう聞くと、ほんの少しだけ役割が形になる。
でも、怖いものは怖い。
将校はシュヴァルベ様の方を見た。
「ユンカース」
「はい」
シュヴァルベ様が一歩前へ出る。
「君に現場指揮を命じる」
空気が動いた。
やっぱり。
そう思った。
でも、実際に命じられると胸が締めつけられる。
「残存学生機を君の指揮下に置く。第一小隊を基幹とし、残った生徒を編入。即席だが、部隊として再編成する」
即席の部隊。
学生の部隊。
それでも、命令は降りる。
「指揮可能か」
将校が問う。
シュヴァルベ様は、まっすぐ答えた。
「可能です」
一瞬の迷いもなかった。
「ただし、各機の練度差が大きく、訓練機の状態も一定ではありません。単独撃破を前提とする運用は避けるべきです」
将校の目が少し変わる。
「続けろ」
「小隊単位ではなく、機能別に分けます。前衛迎撃補助、中衛誘導支援、後衛通信救援、退路管理。戦闘能力の高い機体を前へ出し、未熟な機体は誘導と通信に回すべきです」
シュヴァルベ様の声は落ち着いていた。
怖いはずなのに。
でも、その怖さを使って、判断に変えているように見えた。
「グラマンさん、ピラタスさんを前衛迎撃補助の軸に。ダッソーさんは私の直衛兼、前衛抑制。ブレゲさんは中衛支援。ヒースローさんは観測管理。サーブさんは通信救援。プラットさんは退路管理と異常察知を担当」
私の名前が出て、心臓が跳ねた。
プラットさん。
退路管理。
異常察知。
やっぱり、そこだ。
怖い。
でも、わかる。
私が前へ出て斬るより、その方がたぶん役に立てる。
勘。
たまたま当たるもの。
それで、戻る線を探す。
「他の生徒については、適性と機体状態を確認し、各機能へ編入します」
将校は短く頷いた。
「採用する」
即答だった。
「現場指揮はユンカース。教官は補佐へ回る。軍管区との通信は作戦管制が引き受ける」
セスナ教官がシュヴァルベ様を見た。
「ユンカース。生徒を無駄にするな」
「はい、セスナ教官」
「プラット」
急に呼ばれて、私は背筋を伸ばした。
「はい、セスナ教官」
「お前は見えたものを飲み込むな。根拠が薄くても申告しろ」
「はい」
「大丈夫も不要だ」
「はい、セスナ教官」
短いやり取り。
でも、胸に残る。
セスナ教官は、私に戦えと言った。
同時に、隠すなとも言った。
怖さも、違和感も、勘も。
飲み込むな。
それは少し、私には難しい。
でも、やらなければならない。
シュヴァルベ様が残った生徒たちの前へ出た。
空の白い筋が、その背後に伸びている。
シャトルの軌跡。
逃げる人たちの線。
それとは逆に、私たちは空へ上がる。
ミサイルへ向かって。
シュヴァルベ様が口を開いた。
「これより、残存学生機を再編成します」
声が、グラウンドに通った。
「私が指揮を執ります」
誰も騒がなかった。
風が少し吹き、私の髪の内側を揺らした。
白い部分が見えたかもしれない。
でも、もう手で押さえなかった。
「怖くない者はいないはずです。私も怖くないわけではありません」
シュヴァルベ様はそう言った。
その言葉に、生徒たちが少しだけ顔を上げる。
怖いと言った。
シュヴァルベ様が。
そのことが、私には少し意外で、少し救いだった。
「ですが、私たちはここに残りました。逃げられない人々を守るために。王都を守るために。自分が大切にしているものを、失わないために」
静かな声。
けれど、強い。
「英雄になる必要はありません。無理に死ぬ必要もありません。命令を聞き、役割を守り、戻ってください」
戻ってください。
その言葉で、胸が熱くなる。
戦えではなく。
死ねではなく。
戻って。
「私たちは、全員で王都を守り、全員で戻ります」
誰かが息を吸った。
誰かが泣きそうな声で「はい」と言った。
それが広がる。
「はい」
「はい」
「はい」
私も言った。
「はい」
声は小さかった。
でも、出た。
シュヴァルベ様は私たちを見渡し、最後に将校へ向き直った。
「作戦内容の伝達をお願いします」
将校が一歩前へ出る。
「時間がない。この場で作戦を伝える」
グラウンドの空気が、また締まった。
補佐官が投影盤を展開する。
空中に、王都周辺空域の立体図が浮かび上がる。
北西から伸びる赤い軌道。
二十。
王都へ向かう線。
迎撃網の予定射線。
軍正規部隊の出撃予測。
そして、学園から伸びる細い青い線。
私たちの進路。
それを見た瞬間、恐怖がまた胸を掴んだ。
本当に行くのだ。
模擬戦ではない。
訓練ではない。
現実の空へ。
現実の死へ。
それでも、私は目を逸らさなかった。
逸らしたかった。
でも、逸らさなかった。
戦いたくない。
怖い。
逃げたい。
それでも、守りたい。
その全部を抱えたまま、私は投影盤の赤い軌道を見つめていた。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
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