三時間
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王立宇宙軍士官学校の一年生は、大会議室に集められた。
訓練棟の警報は、まだ鳴っていた。
長く、高く、冷たい音。
青い空に似合わない音。
それが壁を通って、床を通って、身体の中まで入ってくる。
大会議室には、すでに多くの生徒がいた。
一年C組だけではない。
他のクラスの生徒たちもいる。
耐Gスーツのままの者。
訓練服のままの者。
髪が乱れたままの者。
泣きそうな顔で端末を握っている者。
何が起きたのかわからず、ただ周りを見ている者。
会議室は騒然としていた。
声が重なる。
足音が重なる。
椅子を引く音が何度も鳴る。
でも、誰も本当の理由を知らない。
だから、騒がしさの真ん中に、妙な空白があった。
知らないものを怖がる時の空白。
私はシュヴァルベ様たちと一緒に席へ向かった。
シュヴァルベ様は先頭を歩いていた。
背筋はいつも通り伸びている。
でも、横顔は硬い。
ダッソーさん、トム、ピラタスさん、ブレゲさん、セシリアさん、ミリア、私。
第一小隊の八人がまとまって座る。
私はミリアの隣で、膝の上に手を置いた。
指先が少し冷たい。
「ローレ」
ミリアが小さく言った。
「息」
「あ」
私は息を吸った。
また止めていた。
最近、呼吸はよく逃げる。
ちゃんと飼っておかないといけない。
そういう軽いことを考えようとして、うまくいかなかった。
会議室の前方には、宇宙軍の上級将校が立っていた。
灰色の軍服。
胸に複数の徽章。
年齢はかなり上に見える。
その隣には、女性将校が一人。
さらに数名の宇宙軍関係者が並んでいた。
セスナ教官も壁際に立っている。
顔はいつもより険しい。
怖い。
でも、怒っている顔ではない。
何かを決めてしまった人の顔だった。
警報音が、急に止まった。
会議室のざわめきだけが残る。
上級将校が一歩前へ出た。
「静粛に」
大きな声ではなかった。
けれど、通った。
ざわめきが少しずつ落ちる。
完全には消えない。
それでも、全員の視線が前へ向いた。
「王立宇宙軍士官学校、一年生諸君」
上級将校は、淡々と言った。
「現在、王都北西の旧防衛線跡にある休眠中のミサイルサイロから、戦略級反応ミサイル二十機が発射された」
最初、意味がわからなかった。
聞こえた。
言葉は聞こえた。
でも、頭の中で形にならない。
戦略級反応ミサイル。
二十機。
発射。
王都へ。
「ミサイルは王都中枢圏へ向けて飛行中。到達予測は約三時間後」
会議室が凍った。
誰も息をしていないように感じた。
三時間。
三時間後。
その数字だけが、やけにはっきりしている。
「一発でも着弾すれば、王都は壊滅的な打撃を受ける」
淡々とした声だった。
感情がないわけではない。
でも、余計な震えがない。
だからこそ、言葉は冷たく真っ直ぐ刺さった。
壊滅的な打撃。
王都。
ここ。
学園。
ハネダ亭。
王都中継ステーション。
セシリアさんと初めて会った場所。
大将と女将さんの店。
食堂。
寮。
廊下。
全部。
「王都防空隊および軍管制系統は、DDS系統を介した大規模な侵入を受け、一部が復旧待機状態にある。通常出撃可能な部隊は、即応できない」
DDS。
その文字が胸の中で赤く光った。
「対空防衛網も完全な状態では使用できない。第一、第二防衛網は再起動中だが、迎撃は限定的となる」
会議室のどこかで、小さな悲鳴が上がった。
誰かが「そんな」と呟いた。
「王族、一部貴族、政府中枢については、宇宙への脱出が開始されている」
その言葉で、別のざわめきが起きた。
脱出。
宇宙へ。
王族。
一部貴族。
政府中枢。
私は思わずシュヴァルベ様を見た。
シュヴァルベ様は前を見ていた。
横顔は動かない。
けれど、指先がほんの少しだけ握られているように見えた。
「現在、王都周辺で即座に機動可能な人形隊は限られている」
上級将校は続ける。
「その中に、王立宇宙軍士官学校の模擬戦参加機が含まれる」
息が止まる。
嫌な予感が、形になっていく。
「諸君は学生である」
一度、言葉が切れた。
会議室は静かだった。
静かすぎて、遠くの警報の残響まで聞こえる気がする。
「だが、同時に宇宙軍の士官候補である」
上級将校の目が、生徒たちを見渡した。
「戦え」
誰かが椅子を倒した。
乾いた音が会議室に響く。
その音を合図にしたみたいに、沈黙が壊れた。
「私たちは一年生だ! 撃ち落とせるわけがない!」
前の方の貴族生が叫んだ。
顔が真っ赤になっている。
怒っているのか、怖いのか、わからない。
たぶん両方だ。
「私の人形は動かないわ!」
別の生徒が泣きそうな声を上げる。
「軍の復旧を待とう!」
「三時間あるんだろう!」
「早く地下シェルターに避難よ!」
「シャトル打ち上げ場の確保はできたか?!」
「すぐに家に連絡しないと!」
「いや! 死にたくない! お父様! お母様! 助けて!」
「もう、おわりだ……」
声が重なる。
机を叩く音。
椅子が鳴る音。
端末を開く音。
泣く声。
怒鳴る声。
誰かが立ち上がり、会議室の扉へ向かう。
別の誰かはその場に座り込んだ。
動けなくなる者もいた。
床を見たまま、何も言わない者もいる。
それを責めることなんてできなかった。
私も怖い。
三時間後に王都が壊れるかもしれない。
ミサイル二十機。
戦略級反応兵器。
一発でも着弾すれば壊滅的。
それを、学生が。
一年生が。
私たちが。
人形で迎撃する。
そんなこと、できるはずがない。
できるはずがないのに。
胸の奥で、別の記憶が目を覚ましかける。
黒い宇宙。
赤い警告。
軌道計算。
迎撃角。
推進炎。
接近する弾体。
落とす順番。
だめ。
今は違う。
私はマーリンではない。
私はローレッタ。
戦いたくない。
人を殺したくない。
でも。
ミサイルは人ではない。
それでも、壊せなければ人が死ぬ。
たくさん。
ハネダ亭。
大将。
女将さん。
王都の市場。
寮。
セシリアさん。
ミリア。
トム。
シュヴァルベ様。
胸が痛くなる。
怖い。
逃げたい。
でも、逃げた先に王都がないなら、どこへ逃げればいいのだろう。
ミリアの手が、私の袖を軽く掴んだ。
「ローレ」
声が小さい。
でも、震えている。
ミリアも怖いのだ。
当たり前だ。
「……怖いです」
私は言った。
「うん」
ミリアが答える。
「私も」
トムは黙っていた。
いつもの軽口はない。
セシリアさんは両手を膝の上で重ね、白くなるほど握っている。
それでも、姿勢は崩していなかった。
ダッソーさんは唇を引き結び、ピラタスさんは顔を青くし、ブレゲさんは目を伏せている。
第一小隊の誰も、平気ではない。
平気な人なんて、きっといない。
それでも、シュヴァルベ様だけは立っていた。
座っていたはずなのに、いつの間にか立っていた。
背筋を伸ばして。
前を見て。
まるで、騒然とした会議室の中で、一本だけ折れない線みたいに。
会議は、説明の途中で半分壊れていた。
上級将校は、騒ぎを完全には止めなかった。
止めようとしても、止まらなかったのかもしれない。
将校たちは必要な情報だけを告げた。
到達予測。
迎撃可能範囲。
模擬戦用人形の武装制限解除。
安全装置の段階解除。
ただし、学生機であり、性能は限定されること。
作戦参加は隊単位。
単独行動は禁止。
命令系統は軍管区と学園指揮所。
そんな言葉が、会議室の騒ぎの中に淡々と置かれていく。
私は全部を覚えられなかった。
覚えなければならないのに。
頭の中で、三時間という数字が何度も鳴っている。
三時間。
三時間後に、王都へ。
王都。
壊滅。
誰かがまた泣き出した。
誰かが端末で家に繋ごうとしている。
通信制限がかかっているのか、何度も接続失敗の音が鳴る。
その音が、余計に会議室を追い詰める。
「落ち着け!」
別の教官が叫んだ。
「着席しろ!」
でも、生徒たちは落ち着けなかった。
私も落ち着けなかった。
ただ、動けなかっただけだ。
足が椅子に貼りついたみたいになっている。
会議が終わったのか、終わっていないのかもわからないうちに、上級将校たちは一度前方から離れた。
セスナ教官がこちらへ来る。
「第一小隊、待機」
短い。
でも、いつもの声だった。
「勝手に動くな。端末へ不要な通信を入れるな。指示を待て」
「はい、セスナ教官」
返事はばらばらだった。
セスナ教官は私を一瞬見た。
「プラット」
「はい、セスナ教官」
「呼吸しろ」
「はい」
私は息を吸った。
今度は少し深く吸えた。
セスナ教官はそれだけ確認すると、別の生徒の方へ向かった。
会議室の後方では、外へ出ていく生徒が何人かいた。
教官が止めている。
泣き崩れた生徒を補助員が支える。
怒鳴っていた貴族生が、今度は端末を握って震えている。
誰も、きれいではなかった。
恐怖は、人をきれいにはしてくれない。
それは悪いことではないと思う。
怖い時に、怖い顔になるのは当たり前だ。
死にたくないと叫ぶのも当たり前だ。
私だって叫びたい。
死にたくない。
戦いたくない。
怖い。
誰か助けて。
でも、声が出ない。
出たら、全部崩れそうだった。
その時、女性将校がシュヴァルベ様へ近づいた。
先ほど上級将校の隣にいた人だ。
年齢は若くない。
けれど、動きが鋭い。
軍服の線も乱れていない。
周囲の騒ぎの中で、その人だけが静かに歩いてきた。
「ユンカース令嬢」
呼び方は丁寧だった。
でも、軍人の声だった。
シュヴァルベ様が向き直る。
「はい」
「ユンカース家専用のシャトルが宇宙港で待機しています」
その言葉で、近くにいた何人かがこちらを見た。
私も見上げた。
専用シャトル。
宇宙港。
脱出。
「あなたには、宇宙へ上がるシャトルに搭乗するよう伝達を受けています」
女性将校は淡々と言った。
「ユンカース侯爵家からの要請です。王都脱出の枠は確保されています。すぐに移動を」
会議室の騒ぎが、少し遠くなった気がした。
シュヴァルベ様が逃げる。
そうなっても、おかしくない。
ユンカース侯爵家の令嬢。
王国の大貴族。
守られるべき人。
脱出する資格のある人。
むしろ、周囲はそれを当然とするのかもしれない。
私はシュヴァルベ様を見上げた。
胸の奥が変なふうに痛む。
逃げてほしくない。
でも、逃げてほしい。
死んでほしくない。
でも、置いていかれたら。
そんなことを考える自分が嫌だった。
シュヴァルベ様は、女性将校を真っ直ぐ見た。
そして、静かに答えた。
「お断りいたします」
声は大きくなかった。
けれど、会議室の一角が静かになった。
女性将校の表情は変わらない。
「命令ではありません。しかし、侯爵家からの強い要請です」
「承知しています」
「王都上空は、今後戦闘空域となる可能性があります。学生機が出る事態になれば、生還は保証できません」
「承知しています」
「あなたはユンカース家の」
「父にお伝えください」
シュヴァルベ様が、言葉を遮った。
遮ったのに、失礼には聞こえなかった。
ただ、強かった。
「シャトルには乗りません」
私は息を忘れた。
シュヴァルベ様の横顔は、美しかった。
信念に満ちていた。
怖くないわけではないはずだ。
でも、逃げないと決めた顔だった。
「私は絶対に逃げません。シュヴァルベ=ユンカースは、隊長として、いいえ、テルース王国の貴族として、最後まで戦います」
会議室の騒ぎの中で、その言葉だけが真っ直ぐ立った。
テルース王国の貴族として。
最後まで戦う。
私はその顔から目を離せなかった。
胸の奥で、何かが強く揺れる。
眩しい。
とても眩しい。
シュヴァルベ様は、私が持っていないものを持っている。
逃げない強さ。
自分の立場を背負う覚悟。
誰かに命じられたからではなく、自分で選ぶ力。
それは美しかった。
でも、同時に怖かった。
そんなに真っ直ぐ立つ人は、折れる時に大きな音がしそうで。
「承りました」
女性将校は軽く敬礼した。
「伝達いたします」
シュヴァルベ様も静かに礼を返す。
女性将校はそれ以上言わず、部屋を出ていった。
シュヴァルベ様は立ったまま、その姿を見送った。
私は座ったまま、何も言えなかった。
隣でミリアが小さく息を飲む。
トムが拳を握る。
セシリアさんは、目を伏せてから、ゆっくり顔を上げた。
「ユンカース様」
セシリアさんが言った。
「私も、残ります」
声は静かだった。
でも、震えていなかった。
シュヴァルベ様が振り返る。
「ヒースローさん」
「怖くないわけではありません。ですが、王都には、逃げられない人が大勢います」
セシリアさんの言葉に、胸が痛くなる。
逃げられない人。
大将。
女将さん。
ハネダ亭の常連さん。
市場の人たち。
シャトルに乗れない人たち。
逃げる枠を持たない人たち。
「私も残る」
ミリアが言った。
声は少し震えていた。
でも、ちゃんと前を見ていた。
「ユンカース様。私、怖いです。でも、逃げて後でトムに文句言う相手がいなくなるのは嫌なので」
「そこ俺なのか」
トムが小さく言う。
声は無理に軽かった。
でも、顔は真剣だった。
「俺も残ります、ユンカース様」
「グラマンさん」
「怖いです。でも、前に出る癖があるなら、こういう時に使わないと、ミリアに一生怒られそうなので」
「一生怒るよ」
ミリアが言う。
少しだけ、空気が緩んだ。
本当に少しだけ。
ダッソーさんが背筋を伸ばした。
「ユンカース様。二番機として、直衛の任を果たします」
ピラタスさんも頷く。
「私も行きます、ユンカース様。追撃役が逃げたら、格好がつきません」
ブレゲさんは少し青い顔のまま、しかし静かに言った。
「中衛支援として残ります。できることをします」
第一小隊の視線が、最後に私へ向いた。
心臓が止まりそうになった。
いや、止まったら困る。
今止まるのは非常に困る。
でも、胸が苦しい。
私は怖い。
本当に怖い。
戦いたくない。
死にたくない。
人形に乗りたくない。
戦略級反応ミサイルなんて、近づきたくもない。
逃げたい。
どこか遠くへ。
でも、逃げる場所がない。
王都がなくなったら。
ハネダ亭がなくなったら。
大将と女将さんがいなくなったら。
セシリアさんも、ミリアも、トムも、シュヴァルベ様も。
それは嫌だ。
嫌だ。
戦いたくないのに、守りたい。
この矛盾が、胸の真ん中を引き裂く。
私は手を握った。
震えている。
隠せていない。
それでも、言わなければならない。
「私も、行きます」
声は小さかった。
会議室の騒ぎに消えそうなくらい。
でも、シュヴァルベ様には届いた。
「ローレさん」
「怖いです」
言った。
「逃げたいです。できれば、ずっとどこかに隠れていたいです」
涙が出そうになる。
でも、まだ落ちない。
「でも、王都には大将と女将さんがいます。ハネダ亭があります。逃げられない人がいます。私は、戦いたくないです。でも、何もしないで全部なくなるのは、もっと嫌です」
言い終えた瞬間、足元が少しふらついた気がした。
座っているのに。
ミリアがそっと袖を掴んでくれた。
シュヴァルベ様は、静かに頷いた。
「ありがとうございます、ローレさん」
ありがとうございます。
戦いに行くと言ったのに。
そんな言葉が返ってくる。
胸が少し痛かった。
会議室を出る頃、外の空には白い筋が伸び始めていた。
訓練棟の外廊下から見上げると、王都星を離れるシャトルの軌跡が何本も空に描かれている。
細い白い線。
一本。
また一本。
宇宙へ向かって伸びていく。
誰かが逃げている。
守られるべき人たちが。
守るべきものを持っている人たちが。
それを責めることはできない。
逃げられるなら、逃げた方がいい。
命は大事だ。
それは本当だ。
でも、空に伸びる白い筋を見ていると、胸の奥が冷たくなった。
残される人たちは。
シャトルに乗れない人たちは。
地上で空を見上げる人たちは。
誰が守るのだろう。
「ローレ」
ミリアが隣に立つ。
「大丈夫じゃないよね」
「はい」
私は空を見上げたまま答えた。
「大丈夫ではありません」
「私も」
トムが少し離れた場所で、空を見上げている。
セシリアさんは両手を胸の前で重ねていた。
ダッソーさん、ピラタスさん、ブレゲさんも言葉少なに立っている。
シュヴァルベ様は、私たちの少し前に立っていた。
その背中は、まっすぐだった。
けれど、今はそのまっすぐさが少しだけ痛い。
背負いすぎているように見える。
私はシュヴァルベ様の隣へ一歩近づいた。
「シュヴァルベ様」
「はい、ローレさん」
いつもの声。
それだけで、少しだけ息ができる。
「怖いです」
「はい」
「でも、戻ってきたいです」
シュヴァルベ様がこちらを見る。
「戻りましょう」
短い言葉だった。
でも、命令ではなかった。
約束に近かった。
「全員で」
私は頷いた。
頷きながら、胸の奥に黒い不安が広がっていくのを感じていた。
三時間後。
二十機の戦略級反応ミサイル。
王都壊滅。
その言葉は、もう消えない。
空は晴れている。
シャトルの白い筋は、まだ何本も伸びている。
その下で、私たちは訓練機に乗ろうとしている。
学生のまま。
一年生のまま。
怖いまま。
それでも、行かなければならない。
私は白い髪の内側に触れそうになって、手を止めた。
隠している場合ではない。
逃げている場合でもない。
でも、怖くないふりだけはしたくなかった。
怖い。
死にたくない。
戦いたくない。
それでも、守りたい。
その矛盾を抱えたまま、私はシュヴァルベ様の隣で、王都の空を見上げていた。
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