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旧防衛線跡

ご覧いただきありがとうございます。

王都の北西には、もう使われていない防衛線がある。


そう、記録には書かれている。


旧防衛線跡。


戦後に封鎖された軍事施設群。


反応炉は停止され、管制塔は閉鎖され、地下格納庫は埋め戻された。


地図の上では、そこは灰色の空白だった。


演習区域からも外れ、民間航路からも遠い。


近くに町はない。


残っているのは、風化した監視塔と、割れた滑走路と、草に覆われた装甲扉だけ。


誰も近づかない。


近づく理由もない。


忘れられた場所。


そう呼ぶには、少し大きすぎる墓場だった。


その地下深くで、赤い灯が点いた。


最初は、小さな一点だった。


管制室の隅。


埃をかぶった補助端末。


ひびの入った表示板。


そこに、赤い文字が浮かぶ。


【休眠解除】


音はなかった。


少なくとも、人の耳に届く音は。


けれど、施設の中で何かが動き始めた。


細い配線に電流が走る。


非常用蓄電池が低く唸る。


長く眠っていた補助電源が、不規則な振動を返す。


滑らかな起動ではない。


一度止まり、また動く。


途中で引っかかり、また進む。


まるで、死んだ身体を無理やり立たせているようだった。


管制卓の表示がひとつずつ明滅する。


【内部電源確認】


【冷却系統 不安定】


【発射管 一番から二十番 応答】


【認証系統 破損】


【外部管制 応答なし】


赤い文字が積み上がっていく。


人はいない。


誰も命令していない。


それなのに、古い施設は命令を受けたように動き続ける。


壁の奥で、錆びついたロックが外れた。


ひとつ。


ふたつ。


みっつ。


地下通路の奥へ、低い金属音が連なっていく。


発射管区画。


そこには、二十の巨大な円筒が並んでいた。


戦略級反応ミサイル。


白い外殻は長い年月で汚れ、識別番号もところどころ剥がれている。


固定架には錆が浮き、点検灯の多くは消えたままだった。


けれど、弾頭部だけは奇妙に綺麗だった。


そこだけ、時間が止まっていたように。


管制室の中央表示に、古い紋章が一瞬浮かんだ。


王国軍のものではない。


帝国式の識別記号。


すでに滅びたはずの時代の印。


それはすぐにノイズに飲まれ、別の文字列に塗り替えられた。


【目標座標入力】


座標が走る。


王都中枢圏。


王都防衛管制網。


行政塔。


王立宇宙軍士官学園。


主要反応炉群。


軌道シャトル中枢駅。


いくつもの候補が並ぶ。


数秒の空白。


それから、表示はひとつに収束した。


【目標 王都中枢圏】


地下の空気が、重く震えた。


【発射準備開始】


一番発射管の固定架が外れる。


次に二番。


三番。


四番。


重い音が、暗い地下に響く。


眠っていた二十の兵器が、順番に目を覚ましていく。


推進器の予熱が始まった。


発射管の底で、赤い光が灯る。


冷却装置が悲鳴に似た音を立てる。


排熱路の隔壁が開き、地下にこもっていた古い空気が押し出される。


正常ではない。


本来なら、管制官が何重にも確認する。


認証鍵が通り、指揮系統が承認し、発射命令が読み上げられる。


そこには、人の手順がある。


人の責任がある。


止めるための段階がある。


だが、ここには誰もいない。


命令を出す者もいない。


命令を止める者もいない。


【認証確認】


表示が一度止まった。


古い認証鍵。


破損した指揮権限。


失われた発射許可。


本来なら、そこで止まるはずだった。


止まらなければならなかった。


だが、別の信号が割り込んだ。


王都防衛網の残留信号に似ていた。


DDSの診断波形にも似ていた。


古い帝国軍の管制信号にも似ていた。


どれでもあって、どれでもない。


混ざりものの命令。


それが、壊れた認証をすり抜ける。


【認証承認】


赤い灯が強くなる。


【第一群 発射準備完了】


地上では、草に覆われた装甲扉が震え始めた。


長い年月、土と蔦に隠れていた円形の発射口。


その継ぎ目から、白い蒸気が噴き出す。


近くの枯れ木が揺れた。


割れた監視塔の窓から、硝子片が落ちる。


巣を作っていた鳥たちが、一斉に飛び立った。


誰も見ていない。


誰も止めない。


偽装装甲扉が開く。


ひとつ。


ふたつ。


みっつ。


やがて二十の発射口が、晴れた空へ向けて口を開いた。


【発射】


最初のサイロが吠えた。


地面が割れたような轟音。


白い炎が、発射管の底から噴き上がる。


一番機が空へ押し出された。


重く、遅く。


だが、次の瞬間には加速する。


巨大な弾体が発射口を抜け、青い空へ突き上がった。


一拍遅れて、二番機。


三番機。


四番機。


次々と、戦略級反応ミサイルが空へ上がる。


二十の白い炎が、旧防衛線跡を照らした。


廃墟になった監視塔が揺れる。


地下通路の天井から砂が落ちる。


使われなくなった滑走路に、亀裂が走る。


それでも、発射は止まらない。


サイロは、自分が壊れかけていることなど気にしない。


命令を果たすためだけに動いている。


二十機目が空へ飛び出した時、地下管制室の天井から火花が散った。


端末の一つが沈黙する。


冷却系統の警告が赤く染まる。


補助電源が大きく揺らぎ、表示が一瞬暗くなる。


それでも、中央表示だけは消えなかった。


【発射完了】


【全弾 自律誘導へ移行】


空へ上がった二十のミサイルは、高度を取ると同時に姿勢を変えた。


王都へ。


その方向へ、機首が揃う。


白い外殻に、淡い機械光が走る。


自律誘導が起動した。


周囲の通信を拾い、防衛網の波形を読む。


迎撃軌道を予測し、回避機動の候補を並べる。


二十の弾体が、それぞれ別の経路を選びながら、最終的には同じ場所を目指す。


王都中枢圏。


その計算の中に、奇妙なノイズが混じっていた。


古い戦場の記録。


未整理の反応波形。


誰かの戦闘記憶のような、歪んだ残響。


ミサイルは、それを意味として理解しない。


ただ、利用できる情報として処理する。


防衛網を避けるために。


迎撃をかわすために。


王都へ届くために。


二十の赤い軌道表示が、空の中で細く伸びていく。



王都防衛管制が異常を検知したのは、その直後だった。


王都防衛管制室は、常に低い緊張の中にあった。


防衛管制というものは、何も起きていない時ほど忙しい。


空域監視。


軌道交通。


シャトル発着。


軍用回線。


演習区域。


気象情報。


通信帯域。


すべてが正常であることを確認し続ける。


正常とは、止まっていることではない。


動き続けているものが、決められた範囲から外れないことだ。


その範囲から、赤い点が外れた。


「北西高高度宙域に熱源反応」


管制官の声が走る。


「数は?」


「複数。照合中」


「旧防衛線跡からの発射反応です」


「旧防衛線? あそこは閉鎖済みだろう」


「熱源上昇中。速度、戦略兵装級」


管制官の手が止まった。


ほんの一瞬。


だが、防衛管制ではその一瞬が長すぎる。


「冗談を言うな」


「照合完了」


表示板に、二十の赤い点が並ぶ。


誰もすぐには言葉を出せなかった。


「戦略級反応ミサイルです」


沈黙。


次の瞬間、王都防衛管制に警報が鳴り響いた。


赤い表示が壁一面に広がる。


【王都防衛警報】


【戦略級反応兵装接近】


【発射数 二十】


【第一防衛網 迎撃準備】


管制官たちの声が重なる。


迎撃軌道。


防衛網再起動。


市街警報。


軍管区への通達。


軌道シャトル避難計画。


王宮区への報告。


学園演習宙域への通信。


その中で、ひとつの表示が不規則に揺れた。


王立宇宙軍士官学園、演習宙域。


そこでは、学内模擬戦が行われていた。


ユンカース隊。


教導班。


DDS連動模擬戦。


管制官の一人が、表示を見て顔をこわばらせた。


「学園のDDS回線に、異常履歴があります」


「今それどころじゃない」


「違います。発射前に、旧防衛線跡の管制信号と類似した参照波形が記録されています」


管制長が振り返った。


「学園経由か」


「断定できません。ただ、DDS診断系に空白ログがあります。旧軍施設側の起動信号と時刻が近い」


管制室の空気が、さらに冷えた。


「DDSを切り離せ。軍事系統から完全に遮断しろ」


「すでに遮断処理中です。しかし、防衛網の一部が応答遅延」


「第一防衛網は」


「起動します。ですが、二十機すべての捕捉は困難」


「第二防衛網」


「再起動中。照準同期に遅延」


「艦隊は」


「通常動力系は生きています。ただし、管制同期が乱れています。発進まで時間がかかります」


時間。


それが、いちばん足りないものだった。


到達予測が表示される。


三時間十二分。


三時間十一分。


三時間十分。


数字は減っていく。


管制長は、しばらく赤い軌道表示を見つめていた。


王都へ向かう二十の点。


その先には、地図ではなく街がある。


王宮区。


行政区。


学園。


下町。


市場。


食堂。


家。


まだ空を見上げていない人々。


何も知らずに、夕方の支度をしている人々。


「第一防衛網を撃て」


管制長が言った。


「第二防衛網を叩き起こせ。軍管区に、有人迎撃可能機をすべて出せと伝えろ」


「はい」


「それから」


管制長は一瞬だけ言葉を切った。


「学園演習宙域へ、緊急通知」


若い管制官が顔を上げた。


「学生機に、ですか」


答えはすぐには返らなかった。


使うべきではない。


使わせてはならない。


学生は兵士ではない。


模擬戦用の隊は、実戦部隊ではない。


だが、表示は無情だった。


現在、リンクダウンを起こしていない人形部隊。


演習宙域で、隊として機動可能な機体群。


王立宇宙軍士官学園。


「命令ではない」


管制長は低く言った。


「まずは状況通知だ。上級将校を学園へ送る。判断は軍管区で行う」


誰も安心しなかった。


判断は軍管区で行う。


それは、誰かが学生に戦えと言うかもしれない、という意味だった。


管制室の赤い光が、彼らの顔を照らしている。


王都の空は、まだ青い。


街の人々は、まだ何も知らない。


ハネダ亭では、鍋が火にかけられていた。


大将は湯気の向こうで、味を見て少しだけ眉を寄せる。


塩が少ない。


女将さんはそれに気づき、黙って調味料の小瓶を渡した。


それだけで会話が済む。


店の外では、通りを行く人々がいつも通りの足取りで歩いている。


夕食時には少し早い。


仕込みには少し遅い。


そんな時間だった。


市場では、店じまいの準備が始まっていた。


軌道シャトル中枢駅では、次の便を待つ乗客が表示板を見上げていた。


学生寮では、洗濯物を取り込む生徒がいた。


王宮区では、会議資料を抱えた官吏が廊下を急いでいた。


誰も知らない。


空の向こうから、二十の赤い点が近づいていることを。


王都防衛管制室の警報が、まだ市街全域には降りていないことを。


防衛網が、遅れながら起き上がろうとしていることを。


そして、学園では。


模擬戦が止まり、待機指示が出されていた。


訓練機の周囲には整備員が走り、教官たちが短く指示を飛ばしている。


青い空の下で鳴り始めた警報音は、まだ意味を持たない不安として生徒たちの上に落ちていた。


それが何を告げているのか、誰も正確には知らなかった。


知らないまま、全員が空を見上げる。


晴れている。


不自然なくらいに。


旧防衛線跡の地下では、管制室の端末が最後に一度だけ赤く瞬いた。


【任務継続】


そして、沈黙した。


誰もいないサイロに、熱と煙だけが残る。


地上では、飛び立った鳥たちが遠くへ逃げていく。


その下で、忘れられたはずの兵器は、王都へ向けてすべてを撃ち尽くしていた。


二十機の戦略級反応ミサイルが、白い尾を引いて飛んでいる。


その先にあるのは、帝国ではない。


戦場でもない。


人々が暮らす、テルース王国の王都だった。


ここまでお読みいただき有り難うございました。


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