嘘で塗られた英雄譚
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(2026/03/06)
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にっこりと微笑むブライアンが放った言葉は、マーリンの胸の奥に封じ込めていた記憶へと、ためらいなく踏み込んできた。
「マーリン嬢。……君は、あの日、船に偶然積み込まれていた人形を駆って、賊と戦ったそうだね……」
「え……?」
胸の奥で、何かが鋭く跳ねた。
その言葉を聞いた瞬間、心臓を直接つかまれたような衝撃が、マーリンを貫く。
瞳が大きく見開かれ、ドレスの裾がぎこちなく揺れた。
ブライアンのステップについていけず、足がもつれる。
「おっと……」
しかしブライアンは、すかさず手を添え、自然な動きでマーリンを支えた。
「足元が乱れているよ? 大丈夫かい?」
優しく問いかけるその表情は確かに笑っていた。しかし、マーリンには笑っているようには見えなかった。
氷のような瞳が、まっすぐにマーリンを射抜いていた。
その視線に耐えきれず、マーリンはそっと目を逸らす。
「申し訳ありません。……足が……少し、気持ちの方に付いていけていなかったようです……。
会場の雰囲気に、当てられてしまったのかもしれません……」
言い訳を並べながらも、自分の声がかすかに震えていることを、マーリン自身がはっきりと自覚していた。
ブライアンは相槌も打たず、穏やかな口調のまま言葉を継ぐ。
「賊は、君が乗った人形と、人質として君自身を要求したそうだね」
音楽だけが流れる。
一歩。
半歩。
静かな回転。
二人の身体はその旋律に従うように、ゆるやかに回転する。
ブライアンの手がマーリンを導き、ステップが一つ、また一つと重ねられていく。
マーリンの呼吸が落ち着いたのを見届けると、ブライアンは次のステップに踏み込みながら、静かに言った。
「そして、人形に乗った君は見事だった。賊が運用していた人形部隊を、すべて打ち破った。正式な訓練を受けたことがないにもかかわらず、だ」
その穏やかな声音に賞賛の響きはなかった。あるのは、揺るがぬ確信と、冷たい響きだけだった。
マーリンは動揺を胸の奥へ押し込み、ゆっくりと顔を上げた。
そしてブライアンを見据えると、何事もなかったかのように微笑んだ。
「ふふ……おっしゃっている意味が、よく分かりません。 私が人形に乗った、ですか?」
小さく首を傾げる。
「私は人形使いではありませんし、そのような訓練を受けたこともありません。
それに……私たちが乗っていたのは民間の旅客船です。 そのようなものが積み込まれていたはずがありません」
マーリンの言葉は穏やかだった。
だがその笑みの奥では、言葉にできない疑念がつかえていた。
——なぜ、それを知っているのか。
それもそのはずだった。
マーリンが人形に乗ったという話は、あの場にいた者以外、誰も知るはずがない。
シャルンホルストに宇宙軍の人形が積まれていた、そんな事実は、公には一切明かされていないのだ。
民間船が軍の兵器を輸送していたなどと認めれば、軍も、評議会も無傷では済まない。
事件の直後、マーリンをはじめとした乗船者全員に、帝国最高評議会から厳重な緘口令が敷かれた。
そして、世間に伝えられたのは――まったく別の物語だった。
報道には、賊のものも含めて「人形」という言葉は一度も登場しない。
法に則り、乗船者の中で最高位であったマーリンが、乗員と生徒たちを鼓舞し、まさにフルール・デスポワールの名にふさわしい振る舞いで指揮を執った。
その結果、民間船は一切の被害を出すことなく宇宙海賊を撃退した――。
それが、帝国全土に広められた“真実”だった。
では、誰かが、漏らしたのか――。
マーリンはすぐにその考えを打ち消した。
ありえないからだ。
最高評議会の決定は絶対だ。どれほど高位の貴族であろうと、その決定に逆らえば即座に反逆罪となる。
マーリンは曲に乗って、滑らかにステップを踏む。
「ふふ……それに、賊を撃退できたのは、私一人の力では到底不可能でした。 優秀な旅客船のクルーと、皆のおかげです」
マーリンは、張りつけたような笑みで内心を隠し、言葉をはぐらかした。
ブライアンは、どこか楽しげに息をついた。
「そうか……。賊は五機の人形を保有していたそうだね。
君は、かつて人形使いだったクルーの一人からアドバイスを受けながら、人形を駆り賊を退けた。
君が駆ったその人形は、宇宙軍の試作機だったとも聞いている。
ろくな調整もされていない機体に乗り込んだ途端、君はそれを動かしたそうだが」
マーリンの言葉を受け取ることなく、ブライアンは静かに言葉を継いだ。
「賊が使用していた人形はいずれもかなりの旧式。 君が駆った試作機とは、比較にならない性能差だ。
君が勝てたのは、単に人形の性能が勝っていたからだけだろうか。——それとも」
その瞬間。
ブライアンは、次のステップへと半拍早く踏み出した。
音楽よりも、ほんのわずかに先へ。
だがマーリンが遅れることはない。まるで最初からその動きを知っていたかのように、自然に足を運び、流れるようにその動きに重なった。
二人の靴音が、磨き上げられた床の上で静かに交差する。互いの位置も、重心も、呼吸もすべてが正確に伝わっていた。
そして、逃げ場のない円舞の中心で、ブライアンの声だけが静かに落ちた。
「……過去は、もう十分だ。 問題は――これからの君だよ。」
音楽は変わらず優雅に流れている。
「君には軍から協力要請が出されているはずだ。」
ブライアンは、軽く体を回しながらマーリンを導いた。
「ロイスの屋敷には、連日のように宇宙軍の調査官が訪れているはずだよ」
その事実は――外の誰も知らない。
ロイス邸に宇宙軍が出入りしているという噂は、これまで一度も耳にしたことはなかった。
マーリンの足元が、わずかに揺らぐ。
ブライアンはその瞬間を逃さなかった。
無駄のない動きでマーリンの腰を支え、ステップを崩さぬまま滑らかに体勢を戻した。
傍から見れば、それはただ優雅なリードにしか見えない。
マーリンの心の奥で、何かが軋む音がした。添えられた手が、マーリンの胸の奥にある扉を強く叩く。
ギシリ。ギシリ。
そのたびに、封じていた記憶の蝶番が、軋みをあげる。
「僕が言いたいこと……分かるだろう? マーリン嬢。」
それは、決して触れられたくなかった記憶の扉だった。
「なぜ……それを?」
マーリンの口から、思わず言葉がこぼれ落ちた。
「フフフ……」
ブライアンの表情は、先ほどまでと何一つ変わらない。 それなのにマーリンの背筋を、冷たいものが一気に駆け抜けた。
「爵位を持つとね、いろいろと噂が耳に入ってくるものなんだ。 いいことも、悪いことも、ね」
「ッ……」
マーリンの顔から、取り繕っていた余裕がすっと消え、表情がわずかにこわばる。
「笑顔だよ、マーリン嬢」
ブライアンは、穏やかな声で続けた。
「……心配しなくていい。もちろん、他言するつもりはない。僕が誰かにしゃべれば――君たちは、反逆罪になってしまう」
音楽は、まだ流れている。 けれど、マーリンには、もう何も聞こえなかった。
マーリンは黙ったまま、ただ教えられた通りに足を運ばせる。 身体だけが、音楽に合わせて動いていた。
「続けよう……」
ブライアンの声が、静かに降りかかる。
「君は、軍からの協力要請を、体調不良を理由に断っている。 訪れた調査官は、いつも門前払い。会うことすら、できない」
その口調は、もはや問いではない。
「なぜだろう?」
ゆるやかなステップのまま、ブライアンは言葉を続ける。
「マーリン嬢。今日、君はこうしてこの場に姿を現した。 ならば……ノブレス・オブリージュ。特にロイス家は筆頭家だ。
その家の令嬢である君が、国の協力要請に耳を傾けないというのは――どうかと思う」
ブライアンはマーリンを引く手に力を込めた。
「言われなくても分かるだろう? フルール・デスポワールと呼ばれている君が、いま何をしなければならないのか」
音楽は、優雅に流れ続けている。
「今後は、正しい振る舞いをしてくれるね?」
ブライアンの声は穏やかだった。 だがその言葉は、マーリンの心を鋭利な刃のようにえぐった。
マーリンの身体は、半ば勝手に動いていた。染みついたステップは、考えるよりも先に、自然と足を運ばせた。
「あ……その、私は……」
「マーリン嬢。笑って。顔がこわばっている。ダンスは、明るい表情で踊るものだ」
穏やかな声にマーリンははっとして、ぎこちない笑みを浮かべた。
「……考えておきます。
申し訳ありません。……今は、それ以上申し上げることができません」
胸が、ぎゅうっと締めつけられる。
それが、マーリンにできる精一杯の返答だった。
「酷い笑顔だよ。せっかくのおめかしが台無しだ」
ブライアンは滑らかなステップのまま、マーリンの手を引き寄せた。
「——ッ」
マーリンの身体は逆らうこともできず、背後からすっぽりと抱え込まれる形になる。
「今はそれで納得することにしよう。……これ以上続ければ、さすがに周囲に気づかれる。
……それに、そろそろフィニッシュだ」
曲は、最後へ向かって高鳴っていく。
マーリンの足は、染みついているはずのステップすら、もう再現できなくなっていた。
ブライアンに操られるように、マーリンがフィニッシュを決めた瞬間、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
ブライアンは、まっすぐ前を見据えたまま、穏やかに声をかける。
「マーリン。……表情」
「ぅく……ごめんなさい……」
肩を震わせたマーリンは、気持ちを奮い立たせ、張りつけたような笑みを無理やり浮かべた。
鳴りやまぬ拍手は、祝福の音ではなく、今のマーリンにとっては、ただの不協和音でしかなかった。
曲に助けられるようにして、マーリンはブライアンに手を引かれ、ダンスホールの脇へと下がった。
しかし、それで終わったわけではない。
そこには、口々に二人を称える、何も知らない生徒たちが待ち構えていた。
「ブライアン様! マーリン様! とても素晴らしいダンスでした!」
「ブライアン様とマーリン様ですもの。お二人の息が合うのは、当然と言えば当然ですわ!」
次々とかけられる賞賛の声に、マーリンは笑顔で応じる。
「ありがとう……ありがとう……」
笑顔の奥で、マーリンはただ、嵐が過ぎ去るのを待っていた。
その様子を、ブライアンは静かな視線で見つめていた。
しかし、誰もが二人に称賛を送るその輪を、割るようにして、一人の令嬢が声を上げた。
「あらあら。それは、どうかしら?」
柔らかく、よく通る声音だった。
その一言だけで、ざわめきが潮の引くように静まり、人々の視線が、ゆっくりと声の主へと集まっていく。
「アンネリーゼ様……」
誰かが小さくその名をつぶやいた。
笑顔を保ったまま、マーリンは胸の奥で、そっと息をのんだ。
——打ちつける嵐は、より一層激しさを増す。
取り巻きの令嬢たちがさっと道を開け、その中央を堂々とした足取りで、アンネリーゼが悠然と歩み出てきた。その所作はあまりにも自然で、誰一人として進路を遮ろうとはしない。
気がつけば、視線はすべてアンネリーゼへと集まっていた。
マーリンの前で立ち止まったアンネリーゼは、ゆっくりと首をかしげる。
「今のがとても素晴らしいですって?」
アンネリーゼが小さく息をつき、肩をすくめる。
「一体、どこに目がついているのかしら。 とんでもないわ……ダメダメね。」
アンネリーゼはマーリンを見据えてから、勝ち誇ったような微笑みを浮かべた。
「マーリン様。先ほどのダンス、拝見させていただきましたわ。」
声音はあくまで丁寧だったが、そこに含まれる響きは、氷のように冷たい。
「率直に申し上げますけれど……今日はもう、お帰りになったほうがよろしいのではなくて? お顔の色も優れませんし……それに……」
アンネリーゼはわずかに唇を歪めた。
「あれではまるで――」
その言葉には、欠片ほどの配慮も含まれていなかった。この場の主導権は自分にあるのだと宣言する、傲然とした響きだけがあった。
アンネリーゼが続けようとした、その言葉をマーリンが静かに遮った。
「いえ……大丈夫です」
その一言は、決して大きな声ではなかったが、不思議なほどはっきりと、その場に届いた。
マーリンは小さく息を吐き、胸の奥に溜まっていた動揺を押し込めると、ゆっくりと呼吸を整えた。
「アンネリーゼ様。ご心配、ありがとうございます。
ですが……少し疲れはありますけれど、立っていられないほどではありません。もうしばらく、ここにおります」
その声は穏やかだったが、自ら退路を断つ強さがあった。
一瞬の沈黙のあと、アンネリーゼは小さく息をついた。
「本当にそうでしょうか? しばらく学園をお休みされていた……病み上がり、なのでしょう?」
くすりと笑い、首を傾げる。
広間にいる誰もが聞こえるような大きさで放たれた言葉に、近くにいた数人の貴族令嬢が、わずかに視線を交わす。
「無理をなさらなくてもよろしいのですよ?ちゃんと理解しておりますわ。しかし……」
アンネリーゼは、柔らかな微笑みを浮かべると続けた。
「体調が優れないのに舞踏会に出席なさるのは……少し、はしたないと受け取られてしまうかもしれませんものね。
それならなおさらですわ、これ以上この場に居座るべきではありませんわね
今は皆が楽しむ時間ですもの。そのようなお姿を皆に晒すのは――いささか、みっともないですわ」
これは忠告ではない。 いわば、退場命令だった。
アンネリーゼは、マーリンではなく周囲の生徒たちへと視線を巡らせる。
「皆さまも、そう思われませんこと?」
柔らかな声音のその問いには否定を許さない響きを帯びていた。
数人の令嬢が、わずかに顔を見合わせる。誰も何も言えない。その沈黙こそが、答えだった。
マーリンは、胸の奥がゆっくりと冷えていくのを感じた。 胸が、きゅっと締め付けられる。
言葉が、喉に引っかかった。 頭の中ではいくつもの言葉が浮かび、すぐに消えていく。
その沈黙をゆっくりと見つめていたアンネリーゼは、ほんのわずかに顎を上げ口を開いた。
「皆さまも、素晴らしかった、などと忖度はせず、はっきりと言って差し上げればよいのです。言わずともお分かりでしょう?
せっかくの場ですのに、具合の悪い方に気を遣い続けるなど、興が削がれるだけだと。そのほうが、この方のためですわ。」
アンネリーゼは見下ろすようにマーリンを見る。
「まぁ、そんなこと言われずとも筆頭公爵家のご令嬢ともあろうお方が、その程度の分別もお持ちでないとは……本当に残念ですこと」
胸が、さらに締め付けられる。 マーリンは唇をきゅっとかんだ。
その一瞬の反応を、アンネリーゼは見逃さなかった。口元を歪ませ追い打ちをかけるように続けた。
「このような方が、お相手とは……とんだ迷惑ですわね。今夜のダンスのパートナー......ブライアン様もさぞお困りになったに違いありませんわ」
アンネリーゼは胸に手を当て、心底残念であるかのような仕草でブライアンに視線を送る。
その仕草はあまりにも芝居がかっていて、それでいて誰もそれを咎めようとはしない。
「栄えあるファーストダンスを他人に譲った挙句。まともに、ステップも踏めない、病み上がりのパートナーのお守りをしなければならないのですから。
ご自分の体調も管理できない方が、いつまでも称賛を浴び続ける――そのような方がブライアン様の傍に立ち続ける資格はありません。」
その言葉が広がるたび、周囲の空気が、じわじわとマーリンを追い詰めていく。
自ら断ったマーリンに逃げ場はない。 後悔だけが、静かに増えていく。
反論のすらないマーリンに冷ややかな視線を送ったアンネリーゼは、手に持った扇子をマーリンに突き付けた。
「そんな方が、乗員を指揮し、賊を撃退した――、……本当に、そうなのかしら? また、お得意のでっち上げではないのかしら」
その言葉が放たれた瞬間、ざわめきが、ぴたりと止まった。 誰もが息を殺し声を上げない。
「……ぅく……」
マーリンの喉が、かすかに鳴った。かすかな音はそれすらも大きく感じられた。
ドクン――、ドクン――。
逃げ場はない。何か言わなくてはならない。 焦燥感に急かされたマーリンは絞り出すように――。
「……ご心配には及びません」
同じ答えを繰り返した。
「少し疲れてはいますが、私は――」
「はぁ、もう十分ですわ」
マーリンの必死の反撃をアンネリーゼは、ため息とともに切り捨てた。
「もう一度、申し上げます。ご無理をなさる必要はありません。早く、お帰りになってくださいまし、そのほうが皆様のためですわ」
微笑みながら。まるで、主役が脇役を舞台袖へ追いやるように。この場の空気が、すでに決まってしまったかのようだった。
胸の奥がきしむ。張り付けたマーリンの笑顔が、ほんのわずかに揺らいだ。
(逃げ出したい。)
胸の奥で、弱い声が何度も繰り返す。
まとわりつく視線が、重い。
会場にいる全員の目が、自分に向けられている気がした。
息が、苦しい――。
すべてを認めてしまえば、楽になれるのだろうか。 本当は、この場にふさわしい人間ではないのだと。
そう言ってしまえば。
けれど――それは、決して許されない。
マーリンはロイス公爵家の令嬢だ。
たとえ、誰かに作られた称号だとしても、それを投げだすことは許されない。
反論すべき言葉なら、いくらでもあったはずだった。だが、そのどれもが、この場では口にできない。
言葉になろうとした瞬間、すべて喉の奥で消えていく。
なぜなら、――希望は、常に咲いていなくてはならないのだから。
ただ、そんなマーリンの心底には。
(逃げ出したい)
その思いと。
(おねがい、助けて)
それだけだった。
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