人形たちの舞踏
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「これで完璧です!」
ヘアコームを握りしめたクリスチーナは、満足そうに頷いた。
侍女たちの柔らかな眼差しに包まれながら、マーリンは鏡の前へと進み出る。
「とっても素敵……」
鏡に映る自分の姿に思わず表情を和らげたマーリンは、慣れた足取りでくるりと半歩、ステップを踏む。
するとドレスの裾が、ふわりと花のように広がった。
今日のマーリンの装いは、シックなネイビーにさりげなくレースがあしらわれたシルクのドレス。
ハーフアップにまとめた純白の髪は、顔まわりをすっきりと整えつつ、毛先をしっかり巻いてドレッシーに仕上げている。
メイクはマーリンの素の美しさを生かすため、ほんのりと指す程度にとどめた。
ただ、ドレスの印象も相まって、このままでは少し大人びすぎる。
そこで、銀糸の織り込まれた白い大きめのリボンを髪に添え、その装いに可愛らしさをひとさじ加えた。
その姿は、まるで夜空に咲く一輪のラナンキュラスのように、可憐さと気品を静かに放っていた。
「……うん。決めたわ。……やっぱり、行くことにする。」
鏡越しに目を合わせたマーリンが静かにそう告げると、クリスチーナはわざとらしく目を見開き、芝居がかった声を上げた。
「まぁ! お嬢様、やっぱりなどと。 そのようなお心持ちでは、せっかくの機会を逃してしまいます!」
そして、すかさず背筋を伸ばし、ぴしりと指を立てると言葉を続けた。
「いいですか、お嬢様! こうした機会は、今や貴重なのです。
しかし! 考えようによっては、かえって好都合!
常日頃とは一味も二味も違うお姿をお見せする、絶好のチャンスなのです!」
背後の侍女たちも、うんうんと力強く頷いて後押しする。
「マーリン様、とってもお似合いです!」
「そのギャップ、たまりませんっ!」
「今日はしっかり、意中の方のハートを射止めてくださいね!」
わいわいと盛り上がる侍女たちを見守りながら、クリスチーナがふっと表情を和らげ、そっと言葉を添えた。
「今日くらい、……過ぎたことは忘れて。
ほんの少しでも、羽を伸ばしてきてください。ね?」
明るく優しい言葉に背中を押され、ここ数日すっかりふさぎ込んでいたマーリンの胸の内に、ふわりと温かなものが広がった。
マーリンは、それまで胸を覆っていた思いを、そっと胸の奥へとしまい込んだ。
あの日以来、マーリンは学園を休んでいた。
しかし、いつまでも休んでいるわけにはいかない。
そんな折、学園主催の夜会が開かれることになった。
気乗りはしなかったが、気分転換になるかもしれないとクリスチーナに勧められ、マーリンは重い腰をあげたのだった。
クリスチーナたちのほうに振り返ったマーリンは、にっこりと微笑んだ。
「うん……ありがとう、みんな。そうよね。せっかくの貴重な機会だもの。逃さないように、今日は気合を入れて――しっかり、ハートを射止めてくるわ」
久しぶりに浮かべたマーリンの笑顔に、侍女たちの顔も、ぱっと花が咲いたように明るくなった。
「行ってきます」
「「「「いってらっしゃいませ!」」」
その温かな眼差しに見送られながら、マーリンは、夜会が開かれる会場へと歩みを進めた。
◇
細い月が浮かぶ夜空の下、そこだけが、まるで別世界のように光り輝いていた。
窓という窓、開け放たれた両開きの扉からは、光の粒と音楽があふれ出し、 まるで宝石をちりばめたオルゴール箱のように、夜の闇を華々しく彩っている。
足を一歩踏み入れれば、そこには――
中央に広がるのは、磨き上げられた真っ白な大理石のダンスホール。
高い天井には、きらびやかなシャンデリアがまばゆく輝き、真紅の天幕が、ゆるやかに波打っている。
そして最奥の壁面には、学園旗と並んで、 金糸の刺繍が施された荘厳な帝国旗が、誇らしげに掲げられていた。
その光景にマーリンの心も自然と高鳴ってゆく。
賑やかな会場内には、すでに多くの生徒たちが集まり、いくつもの小さな輪ができていた。
あちこちで笑い声が弾む中、ふいに誰かの声が響く。
「フルール・デスポワールがお見えになったぞ!」
そのひと言に、視線が一斉に集まった。
すぐに上品な微笑みを浮かべたマーリンは、すっと膝を折って優雅に一礼する。
その所作に、場の空気が一瞬止まり、次の瞬間、感嘆のざわめきが静かに広がっていった。
熱を帯びた視線を浴びながら、マーリンがゆっくりと会場内を進むと、自然と人波が割れ、一筋の道が生まれる。
その道を辿っていくと、会場の一番奥には、ブロンドの髪を整え、正装をきっちりと着こなした美しい青年が、着飾った数人の女子生徒たちに囲まれながら静かに立っていた。
女子生徒たちが軽く会釈をして脇へと控えると、青年の視線がマーリンへと向けられた。
「……んく……」
マーリンは、静かに息を呑んだ。
気取られないように表情を保ったまま、ゆっくりとした足取りで青年の前へ進み出ると、そっとドレスの裾をつまみ、静かに膝を折って一礼した。
「ブライアン様。マーリン=ロイス、ただいま参上いたしました」
穏やかに微笑んだブライアンは、優しくマーリンを迎え入れた。
「マーリン嬢、よく来てくれたね。待っていたよ。
気分の方はもう大丈夫かな? このところすぐれないと聞いていたから、心配していたのだが」
「はい、おかげさまで。ご心配をおかけしました。……それと……生徒会のお仕事も、お役に立てず……申し訳ありませんでした」
マーリンの瞳が、ほんの一瞬、後ろめたさに揺れた。
ブライアンは、穏やかな目でマーリンを見つめながら、静かに首を横に振った。
「そのことなら、気にする必要はないよ。気分がすぐれなかったのだから。
無理をして、もし何かあっては困るからね」
「……お心遣い、ありがとうございます」
視線を上げたマーリンに、ブライアンはやわらかな口調のまま言葉を継いだ。
「それに、君の分についてはアンネリーゼ嬢が立派に務めてくれてね。
今はファーストカップルの準備をしているだろうから、折を見て一言、声をかけておくといい」
マーリンは、上げたばかりのまぶたを再び伏せ、短く答えた。
「……はい……、かしこまりました」
すっかり黙り込んでしまったマーリンから視線を外し、ブライアンはちらりと時計に目をやると、
周囲に向かって、よく通る声で言った。
「さて、我々の花も到着した。そろそろ開会の時間だ。
もう少し話していたいが、そうもいかなくてね。申し訳ないが、僕は席を外さなければならない。……でも、その前に」
そう言って、ブライアンは胸元に手を当て、マーリンにそっと手を差し出した。
「マーリン嬢。最初のダンスは、必ず僕と。挨拶を済ませたら、迎えに行きます」
差し出された手に、マーリンは一瞬だけ視線を落とし、やがて静かに応じた。
「はい、ブライアン様。お待ちしております」
重ねた指先の微かな震えに気づかれぬよう、マーリンがそっと力を込めた――その時。
「ならば、それまで――病み上がりのお姫様は、俺が面倒を見ておこう」
二人の間に割って入るように、凛とした声が響いた。
ブライアンとマーリンの視線が、同時にその声の主へと向けられる。
「ミーシャ!」
二人のもとへ足早に歩み寄ったミハイルは、ちらりとふたりの手元に視線を落とした。
マーリンの手をそっと放したブライアンは、どこか煽るような笑みを浮かべ、ミハイルを見やった。
「はははっ、遅かったな、ミハイル。
いいだろう。病み上がりの姫は君に任せる。僕が戻るまで、しっかりエスコートしてくれ。
それじゃ……頼んだよ」
そう言い残すと、ブライアンは控えていた女生徒たちを引き連れ、足早に舞台袖へと消えていった。
ブライアンの背中が舞台袖に消えるのを見届けた瞬間、マーリンは小さく息を吐き、そっとミハイルの方へ向き直った。
「マーリン。……元気そうで、よかった。
君が学園を休んでいると聞いて、屋敷に様子を見に行こうかとも思ったんだが、なかなか……そうもいかなくて。」
言葉を重ねるごとに、ミハイルの頬がほんのりと赤く染まり、視線がこころなしか泳いでいく。
「それで、今日の君は……その……まるで……花のように綺麗、だな」
その様子に、マーリンは表情を綻ばせた。緊張がほどけた頬に、ようやく柔らかな色が戻っていた。
「ふふふっ。この通り、元気になったわ。心配してくれて、ありがとう」
そう言って、にっこりと可愛らしく微笑み、言葉を継いだ。
「……ミーシャも、とても素敵よ」
その言葉に、ミハイルは思わず目を逸らした。見る間に、耳がさらに赤く染まっていく。
ミハイルの反応に、マーリンの頬にも、ほんのりと紅が差した。
◇
挨拶を終えたブライアンが会釈をすると、拍手と喝采が巻き起こった。
壇上のブライアンはダンスホールに視線を向け、声高らかに宣言する。
「さて、それでは――今宵のファーストダンスは、アンネリーゼ=フェアチャイルド公爵令嬢に飾っていただこう」
その声とともに、会場の照明がふっと落とされた。
白いダンスホールが、闇の中にぽっかりと浮かび上がる。
軽快な調べが流れ出し、いくつものスポットライトが焚かれる。
光の筋が交差し、ホール中央の一点を鮮やかに照らし出した。
そして――
情熱的な赤いドレスを纏ったアンネリーゼが、三年生の男子令息とともに、颯爽と姿を現した。
その華やかな登場に、会場の空気が一瞬にして湧きあがる。
ミハイルは、マーリンにしか聞こえない声で問いかけた。
「最初は、君に打診があったんだろう?」
「……さぁ? どうだったかしら」
マーリンはそう言って、ほんの一瞬だけ視線を伏せ、すぐに何事もなかったかのようにダンスホールへ目を戻した。
アンネリーゼの軽快なステップに合わせて、ドレスの裾が揺れるたび、会場のあちこちから感嘆の声が上がった。
「……あの女のことだ。おおかた、いつものように無理を言って、ねじ込んだんだろう。
自分のダンスのミスを、平気で相手のせいにしてしまうような女だよ。きっと」
「ふふっ。ミハイルは、アンネリーゼ様と踊ったことがあるの?」
楽しそうに笑ったマーリンは、ダンスホールから目を離さぬまま、そっと続けた。
「仮に私に声がかかっていたとしても、こんなふうに皆を沸かせることなんて、できなかったと思うわ」
いつしか、会場には声援だけでなく、音楽に合わせた手拍子が加わっていた。
「だって、見て、ミーシャ。アンネリーゼ様、とっても綺麗……」
ダンスホールを見つめながら、マーリンも手拍子に加わる。
その横顔に、ミハイルはぽつりとつぶやいた。
「そうだろうか……俺は……」
それきりミハイルは黙り込み、曲が終わるまで、ただマーリンの横顔を見つめていた。
◇
「――!!」
降り注ぐ眩い光と、割れんばかりの拍手喝采。
ファーストダンスを踊り終えたアンネリーゼは、それを全身に浴びながら、満面の笑みで声援に手を振って応えた。
その姿は、今宵の主役が誰であるかを、誰の目にもはっきりと示していた。
アンネリーゼのダンスが終わると、曲は穏やかな調べへと変わり、ペアを組んだ令息令嬢たちが次々にダンスホールへと進み出る。
「それじゃ、行こうか。マーリン嬢」
「はい、ブライアン様」
ブライアンの手を取ったマーリンは、さりげなくミハイルに視線を送った。
ミハイルがわずかに頷いたのを確認すると、マーリンはブライアンに手を引かれ、ゆっくりと、優雅にダンスホールへと歩み出した。
向かい合ったふたりは、そっと手を重ねる。
重ねた手の先で視線が交わり、周囲の喧騒が、ふと遠のいたように感じられた。
そして、マーリンとブライアンのダンスが始まった。
流れるのは、帝国で最もオーソドックスとされる一曲。
ファーストダンスのような華やかさはないが、その分、静かな気品があった。
マーリンにとって、このステップは令嬢教育で徹底的に叩き込まれたもの。
目を瞑っていても、自然に身体が動く。
「おぉ……!」
穏やかな曲に合わせて、ふたりがステップを踏むと、周囲からどよめきが上がった。
マーリンは旋律に身を委ね、美しく軽やかにステップを踏む。
それに合わせて、ドレスが花のようにふわりと広がり、シャンデリアの光を受けて、宝石のようにきらめいた。
オーケストラが奏でる優雅な旋律に乗せて、ブライアンは時折、アドリブを織り交ぜる。
だが、マーリンは慌てることなく、即座にその動きに応じてステップを返した。
きらびやかな光に包まれたふたりの姿は、まるでおとぎ話の中の主人公のようだった。
「さすがマーリン嬢。運びに一切の無駄がない。完璧だ」
「ありがとうございます。ブライアン様こそ」
ふたりが自然とホールの中央へと躍り出ると、人の輪がすっと開き、曲が中盤に差しかかる頃には、ダンスホールはふたりだけのものになっていた。
マーリンは穏やかな表情のまま、そっと問いかける。
「私たちの独壇場ですね」
「そうだね。ちょうどいい。――マーリン嬢、踊りながら聞いてほしい」
ブライアンの柔らかな表情に、マーリンは楽しげに聞き返した。
「ふふふっ。なんでしょうか?」
滑らかにステップを踏みながら笑みを浮かべるマーリンの瞳を、ブライアンはそっと覗き込み、にっこりと微笑んで問いかけた。
「……君は、あの日――」
(え……?)
その言葉を聞いた瞬間、笑顔に満ちたダンスホールの只中で、マーリンの表情は凍りついた。
しまい込んだはずの思いが、無理やり引きずり出される。
止まることなく流れ続ける優雅な旋律とは裏腹に、マーリンの胸の奥では、まったく別の音が鳴り始めていた。
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