ほどける色
ご覧いただきありがとうございます。
実技訓練は、耐Gスーツを着る日だった。
訓練服ではない。
耐Gスーツ。
人形に乗るための、身体にぴったり沿う服。
負荷がかかった時、血流を支えてくれる大事な装備。
大事。
とても大事。
それはわかっている。
わかっているけれど、通気性はあまり良くない。
かなり蒸れる。
大事な装備と、快適な装備は、どうやら別のものらしい。
私は更衣室で耐Gスーツを着ながら、首元を少し引っ張った。
ぴったりしている。
逃げ場がない。
服にまで逃げ場を奪われるとは思わなかった。
「ローレ、首元変に引っ張らない」
隣でミリアが言った。
「苦しくて」
「苦しいのはわかるけど、そこ引っ張ると余計ずれるよ」
「耐Gスーツは厳しいですね」
「必要装備だからね」
ミリアは慣れた手つきで袖を整えている。
私はその動きを見ながら、自分の髪に触れないように気をつけた。
髪は、いつもよりしっかりまとめてある。
内側が見えないように。
根元が出ないように。
昨晩、王都で買った髪染めを使った。
いつもの髪染めではない。
元の染料を一度全部落としてから、新しい色を入れた。
鏡の前に、真っ白な髪の私が立っていた。
あの姿は、まだ目の奥に残っている。
茶色に戻した。
戻したはず。
でも、少し明るい。
ほんの少し、薄い。
乾いた時は大丈夫に見えた。
根元も、内側も、何度も確認した。
白は見えない。
見えない、はずだった。
でも、説明書には書いてあった。
最初の数回は、汗や水分による色落ちに注意してください。
汗。
水分。
耐Gスーツ。
実技訓練。
全部が、仲良く手を組んでこちらへ歩いてくる。
来なくていい。
「ローレさん」
声をかけられて振り向くと、セシリアさんが少し心配そうに見ていた。
「髪、いつもより明るく見えますね」
胸が跳ねた。
早い。
見つかるのが早い。
「そ、そうでしょうか」
「はい。でも、お似合いです」
「ありがとうございます、セシリアさん」
褒められた。
褒められているのに、心臓が大騒ぎしている。
悪いことをしているわけではない。
髪を染め直しただけだ。
少し色が変わっただけなら、問題ない。
問題は、その下だ。
白い髪。
「ローレ、染め直した?」
ミリアもこちらを見る。
「はい。少しだけ」
少しだけではない。
全部落として全部染めた。
でも、言葉としては少しだけで通したい。
「前より柔らかい茶色だね。こっちもいいじゃん」
「そ、そうですか」
「うん。なんか、ふわっとした感じ」
ふわっと。
髪色がふわっと。
悪くない言葉。
でも、私はふわっとどころではない。
心の中はどたばたしている。
「似合ってるよ」
ミリアが軽く笑う。
セシリアさんも頷いた。
「ええ。明るすぎず、優しい色です」
優しい色。
そう言われると、少しだけ嬉しい。
嬉しいのに、怖い。
私は髪の根元を触りそうになって、手を止めた。
触ると怪しい。
気にしているのがわかってしまう。
普通にする。
普通に。
普通は難しい。
更衣室の入口の方から、シュヴァルベ様の声がした。
「ローレさん、準備はできていますか」
「はい、シュヴァルベ様」
振り向いた瞬間、シュヴァルベ様の視線が私の髪に一度止まった気がした。
ほんの一瞬。
でも、止まった。
「髪を染め直したのですね」
「あ、はい。少しだけ」
「よく似合っています」
さらりと言われた。
さらり。
私は耐Gスーツの中で、顔だけ熱くなった。
「ありがとうございます」
シュヴァルベ様はそれ以上聞かなかった。
それがありがたい。
ありがたいのに、胸の奥は落ち着かない。
気づかれた。
色が違うことには気づかれた。
でも、白はまだ知られていない。
まだ、大丈夫。
私はそう思うことにした。
実技訓練は、軽めの機動確認だった。
トレパペに搭乗し、基礎姿勢制御、短距離加速、停止、バディ間の確認。
セスナ教官の指示はいつも通り短い。
「ユンカース、プラット。負荷は上げすぎるな」
『ユンカース、了解』
『プラット、了解です』
通信の中の自分の声は、少しだけ硬かった。
人形の球状コクピット。
全周囲モニター。
手にはめたインタフェース。
魔力の糸が、人形へ伸びていく感覚。
リンクは安定している。
赤い警告表示はない。
警告音もない。
身体の痛みも、もうない。
それは良いことだ。
とても良いこと。
ただ、耐Gスーツの中は暑い。
思ったより汗をかく。
髪の根元に汗がにじんでいる気がする。
気のせいであってほしい。
でも、たぶん気のせいではない。
『ローレさん、呼吸が浅くなっています』
シュヴァルベ様の声が通信に入る。
私ははっとした。
『すみません。機体状態は正常です』
『あなたの状態を聞いています』
『暑いです』
言ってから、しまったと思った。
でも、嘘ではない。
『耐Gスーツの仕様です』
『仕様は強いですね』
『仕様に勝とうとしないでください』
『はい、シュヴァルベ様』
少しだけ、いつものやり取りになった。
胸が軽くなる。
けれど、髪のことがまた浮かぶ。
汗。
水分。
色落ち。
私は機体を停止線に合わせながら、余計なことを考えないようにした。
人形操作に集中する。
魔力流量を一定に。
リンク深度を上げすぎない。
指先の糸を細く、強すぎず。
トレパペは素直に応えてくれた。
訓練機らしく、派手な癖はない。
こういう時、標準的な機体はありがたい。
急なことをしなければ、優しく動いてくれる。
「プラット」
セスナ教官の声が通信に入った。
『はい、セスナ教官』
「停止位置、許容範囲内。動きに痛みの庇いはない」
『はい』
「ただし、集中が散っている。何かあるなら申告しろ」
心臓が跳ねた。
髪の染料が落ちそうで集中できません。
言えるはずがない。
『少し暑さが気になります』
「耐Gスーツの仕様だ」
また仕様。
今日は仕様が強い。
『はい、セスナ教官』
「負荷を一段落とす。ユンカース、補助確認を続けろ」
『ユンカース、了解』
私は少しほっとした。
負荷が落ちる。
汗も少しは減るかもしれない。
でも、すでに汗はかいている。
訓練後はシャワーを浴びる。
浴びないわけにはいかない。
汗を残せば、それはそれで髪に悪そうだ。
でも、シャワーの湯気と水分で、染料が落ちるかもしれない。
どちらも危ない。
どうして髪染め一つで、ここまで戦術判断みたいになるのだろう。
私は人形を指定位置へ戻しながら、心の中で小さく嘆いた。
訓練は無事に終わった。
機体を降りる。
耐Gスーツの中は、やはり蒸れていた。
首元に汗が残っている。
髪の根元も少し湿っている。
私はすぐにタオルで押さえたかったけれど、押さえすぎると色がつくかもしれない。
つかなかったとしても、気にしすぎているのがばれる。
普通に。
普通に更衣室へ。
普通にシャワー。
普通に髪を洗う。
普通に。
普通って何だろう。
「ローレ、顔が真剣」
ミリアが隣を歩きながら言った。
「訓練後なので」
「終わったよ」
「終わりましたね」
「何その返事」
ミリアが少し笑う。
私は笑い返そうとした。
でも、笑顔が少し遅れた。
セシリアさんがそれを見ていた気がする。
「ローレさん、疲れましたか」
「少しだけです」
「無理はなさらないでくださいね」
「はい」
本当は疲れよりも、髪の方が心配だった。
でも、それは言えない。
シュヴァルベ様は少し離れたところで、セスナ教官と短く話している。
実技訓練の確認だろう。
こちらを見ていない。
よかった。
いや、よくない。
見ていないから安心するのは変だ。
でも、安心した。
更衣室で耐Gスーツを脱ぐ。
通気性のない服から出ると、空気がありがたい。
空気、偉い。
私は制服の前に、シャワーを浴びる準備をした。
シャワー室には、訓練後の生徒が何人かいた。
完全に一人ではない。
でも、人が多すぎるわけでもない。
待つか迷った。
誰もいなくなるまで待てば安全かもしれない。
でも、汗をかいたまま不自然に待つのも変だ。
それに、ミリアとセシリアさんがいる。
いきなり一人で離れたら、きっと心配される。
最近の私は、心配されることに関して信用がない。
自分で積み上げた信用のなさなので、文句は言えない。
私はシャワーの前に立った。
髪をほどく。
肩口までの茶色い髪が落ちる。
いつもより明るい。
濡れる前から、少し軽く見える。
「ローレの髪、やっぱり柔らかい色だね」
隣のミリアが言う。
「そ、そうですね」
「自分の髪でその返事?」
「まだ慣れなくて」
「染め直したばっかりだから?」
「はい」
これは本当。
私はシャワーを出した。
湯が肩に落ちる。
汗が流れていく。
髪に水が触れる。
その瞬間、体の中が少し固まった。
大丈夫。
強くこすらなければいい。
優しく洗う。
染めたばかりの髪は丁寧に扱う。
説明書にもそう書いてあった。
たぶん。
私は髪に指を通した。
茶色い水が、少しだけ流れた。
少し。
ほんの少し。
でも、見えた。
見えてしまった。
心臓が冷える。
「え」
自分で小さく声が出た。
「ローレ?」
ミリアがこちらを見る。
「いえ、何でも」
「何でもって顔じゃないよ」
私は髪を急いでまとめようとした。
濡れているので、うまくまとまらない。
指の間で髪がほどける。
水分を含んだ髪の内側が、少しずつ開く。
白いものが、見えた。
一瞬。
でも、確かに。
「ローレ」
ミリアの声が変わった。
軽い調子ではなくなった。
「なんか、髪明るくなってない?」
「染め直したので」
「いや、そうじゃなくて。内側」
私は髪を押さえた。
遅い。
ミリアの視線はもう見ている。
濡れた髪の内側。
茶色が薄く流れたところ。
根元。
そこに、白が出ていた。
「それに、白?」
えっ。
頭の中が真っ白になった。
髪だけではなく、頭まで。
「違います」
何が違うのか、自分でもわからない。
「これは、その、光の加減で」
シャワー室で光の加減。
湯気もある。
ないことはない。
でも、苦しい。
「いや、白いよ」
ミリアはまっすぐ言った。
「白っぽい。内側」
「えっと、染料が、その、少し落ちただけで、白ではなく、いえ白なのですが、でも白髪ではなく、老化とかそういうことではなくて」
「ローレ、落ち着いて」
「落ち着いています」
「落ち着いてない」
「落ち着いていません」
認めるのが早かった。
セシリアさんが隣から静かに近づいてくる。
「ローレさん、まず深呼吸しましょう」
「はい、セシリアさん」
吸う。
湯気。
吐く。
吸う。
湯気。
少しむせそうになる。
シャワー室の深呼吸は難易度が高い。
でも、少しだけ落ち着いた。
セシリアさんはタオルを手に取り、私の肩にそっとかけてくれた。
隠すためではなく、冷えないように。
その動きが優しくて、余計に胸が痛い。
ミリアは私の髪をじっと見ていた。
好奇心だけではない。
驚きと、心配。
それから、少し怒り。
たぶん、私に向けたものではない。
「ローレ、髪、本当は白いの?」
逃げられない。
濡れた髪の内側には、白が見えている。
染料は少し流れている。
私が何を言っても、もう見えてしまっている。
私はタオルの端を握った。
「……はい」
声が小さく落ちた。
「本当は、白いです」
言った。
言ってしまった。
胸の中で、何かがほどけた。
ほどけてしまった。
「ずっと染めてたの?」
ミリアが聞く。
「はい」
「いつから?」
「家にいた頃からです」
「なんで?」
その質問は、まっすぐだった。
まっすぐすぎて、少し怖い。
でも、責める声ではなかった。
私は濡れた髪を見ないように、足元の水の流れを見た。
薄い茶色が排水口へ流れていく。
「家族と違う色だからです」
声に出すと、その理由は少し幼く聞こえた。
でも、私にとってはずっと大きかった。
「母に、染めるように言われていました。目立つから。余計なことを聞かれるから。家の者と違う色は、おかしいから」
おかしい。
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が冷たくなる。
ミリアの表情が変わった。
セシリアさんも、少しだけ眉を寄せた。
「おかしくないよ」
ミリアがすぐ言った。
早かった。
とても早かった。
「白い髪だからって、おかしくない」
「でも、家では」
「家でそう言われたんだとしても、ローレがおかしいわけじゃない」
その声は少し強かった。
シャワー室の湯気の中で、ミリアの目がまっすぐこちらを見ている。
私は何も言えなかった。
セシリアさんがそっと続ける。
「ローレさん」
「はい」
「家のことは、簡単には言えないものだと思います。だから、今まで話せなかったことを責めるつもりはありません」
その言い方が、セシリアさんらしかった。
急に踏み込まない。
でも、離れすぎない。
「ですが、白い髪は、ローレさんの一部です。隠しても、隠さなくても、ローレさんがローレさんであることは変わりません」
ローレさんがローレさん。
その言葉が、胸にゆっくり入る。
すぐには信じられない。
でも、入ってきた。
「学園にいる間は、染めなくてもいいんじゃない?」
ミリアが言った。
「え」
私は顔を上げた。
ミリアは腕を組みそうになって、シャワー室なのでやめた。
「いや、ローレが嫌なら無理にとは言わないけど。家で言われてただけなら、ここでは染めなくてもいいんじゃないかなって」
「でも、目立ちます」
「まあ、目立つね」
そこは否定してくれない。
「目立ちますよね」
「目立つ。でも、今ももう目立ってるよ。王都記念杯優勝者だし」
「それは、できれば忘れていただきたいです」
「無理」
無理だった。
ミリアは少しだけ笑い、それから真面目な顔に戻った。
「目立つのが怖いのはわかる。でも、髪を染め続ける理由が、誰かにおかしいって言われたからだけなら、ローレがずっと苦しいのは違うと思う」
私は答えられなかった。
染める理由。
家族と違うから。
母に言われたから。
余計なことを聞かれないため。
それから。
マーリンに近づかないため。
白い髪を見て、誰かが何かに気づかないため。
でも、最後の理由は言えない。
言えるはずがない。
「サーブさんの言うこともわかります」
セシリアさんが穏やかに言った。
「ただ、髪色はローレさんの家のことにも関わります。急いで決めなくてもよいと思います」
「セシリアさん」
「染め続けるか、やめるか。それは、ローレさんが決めることです」
私が決めること。
その言葉は、意外なくらい重かった。
今まで、決めたことがなかった。
染めるものだった。
隠すものだった。
白い髪は出してはいけないものだった。
それ以外を、考えたこともなかった。
私が決める。
できるのだろうか。
そんなこと。
「今は、まず髪を乾かしましょう」
セシリアさんがタオルを差し出した。
「身体を冷やしてしまいます」
「はい」
私は頷いた。
ミリアも少し笑う。
「とりあえず、染料が落ちてるなら、タオル気をつけよ。色つくかも」
「あわわ、そうでした」
現実的な問題が来た。
白い髪がどうとか、家のことがどうとか、その前にタオルに色がつく問題。
学園の備品を汚したらどうしよう。
「大丈夫。濃い色の予備あるから」
ミリアが手早く動いてくれる。
ありがたい。
とてもありがたい。
私はタオルで髪を押さえた。
こすらない。
押さえる。
優しく。
染料が少しついた。
やっぱり落ちている。
胸がまた冷える。
でも、ミリアは「やっぱ落ちてるね」と言っただけだった。
責めない。
騒がない。
その普通さに、少し救われた。
その時、入口の方に人の気配がした。
私は反射で髪を隠そうとした。
遅かった。
シュヴァルベ様が、そこに立っていた。
耐Gスーツから着替えた後なのだろう。
髪はまだ少し湿っている。
白に近い淡い金色の髪が、湯気の中で柔らかく光って見えた。
シュヴァルベ様の視線が、私の髪に止まった。
濡れて、茶色が薄く流れた髪。
内側に見える白。
根元の白。
私は息を止めた。
「シュヴァルベ様」
声がかすれた。
シュヴァルベ様は返事をしなかった。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
でも、その一瞬が長かった。
何か思いつめたような顔だった。
驚きだけではない。
心配だけでもない。
もっと遠いものを見ているような目。
私の向こう側に、別の影を見ているような。
胸の奥で、嫌な音がした。
マーリン。
その名前が、頭の奥で小さく鳴る。
シュヴァルベ様の憧れの人。
白い髪。
守るために戦った人。
強くて、危うい人。
撃墜女王。
怪物。
私は、違う。
違うと言いたい。
でも、何を言えばいいのかわからない。
「これは、その」
言葉が出る。
崩れる。
「染料が落ちただけで、でも、元は白で、白なのは本当ですが、別に、その、何か意味があるわけではなくて」
意味はある。
私にはある。
でも、言えない意味だ。
「ローレさん」
シュヴァルベ様の声が、ようやく届いた。
いつもの呼び方。
ローレさん。
それを聞いて、少しだけ息が戻る。
「無理に説明しなくて構いません」
優しい声だった。
でも、視線はまだ私の髪の根元に残っていた。
「まず、身体を冷やさないようにしてください」
「はい」
私は頷いた。
それしかできなかった。
シュヴァルベ様は近づきすぎなかった。
距離を保ったまま、セシリアさんとミリアを見る。
「ヒースローさん、サーブさん。タオルは足りていますか」
「はい、ユンカース様」
セシリアさんが答える。
「大丈夫です、ユンカース様。染料が落ちてるみたいなので、濃い色の予備を使っています」
「わかりました」
シュヴァルベ様はそれ以上、髪のことを聞かなかった。
それがありがたい。
ありがたいのに、怖い。
聞かれない方が怖いこともある。
何を考えているのかわからないから。
私はタオルで髪の水気を取りながら、シュヴァルベ様の横顔を見た。
整った横顔。
落ち着いた表情。
でも、目の奥に何かが沈んでいる。
その何かが、私にはわからない。
わからないから、怖い。
「ローレ」
ミリアが小さく言う。
「今は乾かす。考えるのは後」
「はい」
「返事だけはいい」
「よく言われます」
「だろうね」
ミリアが少し笑う。
その軽さに助けられる。
セシリアさんは私の髪の白い部分を無理に見ないようにしてくれていた。
でも、見えている。
みんなに見えている。
隠していたものが、もう隠れていない。
白い髪。
私の本当の髪。
私はタオルの中に髪を収める。
でも、完全には隠せない。
濡れた髪の内側に、白がちらりと見える。
それが自分の一部だと知っているのに、誰かの前に出ていることが怖かった。
髪を乾かし終える頃には、茶色は少し戻ったように見えた。
でも、内側はやっぱり薄い。
白が完全には隠れていない。
セシリアさんは「無理に触らない方がよいかもしれません」と言い、ミリアは「染め直すなら、ちゃんと合うやつ探した方がいいよ」と言った。
私は頷いた。
頷くことしかできない。
シュヴァルベ様は、最後まで静かだった。
時々、私の髪を見る。
そのたび、胸が締めつけられる。
怒っているわけではない。
嫌がっているわけでもない。
でも、何かを考えている。
とても深く。
私はそれが怖かった。
更衣室を出る時、シュヴァルベ様が隣に来た。
「ローレさん」
「はい、シュヴァルベ様」
「無理に染め直す必要はありません。ですが、染め直したいなら、ヒースローさんやサーブさんに相談してください。一人で焦って行うと、肌や髪を傷めます」
「はい」
優しい。
ちゃんと私を心配している言葉だ。
それなのに、私は聞きたかった。
白い髪を見て、何を思いましたか。
私を見ていますか。
それとも、別の誰かを見ていますか。
でも、聞けるはずがなかった。
「ご心配をおかけして、すみません」
また謝った。
シュヴァルベ様の眉が少しだけ下がる。
「謝ることではありません」
「はい」
謝ることではない。
何度も言われている。
でも、すぐに口から出てしまう。
シュヴァルベ様は少しだけ手を伸ばしかけて、止めた。
髪に触れようとしたのかもしれない。
それとも、肩に触れようとしたのかもしれない。
わからない。
結局、その手は下ろされた。
「冷えないように、早く戻りましょう」
「はい」
私は歩き出した。
セシリアさんとミリアが隣にいる。
少し離れてシュヴァルベ様がいる。
誰も責めない。
誰も笑わない。
誰も、おかしいと言わない。
それなのに、胸の中は落ち着かなかった。
知られた。
白い髪を。
セシリアさんに。
ミリアに。
そして、シュヴァルベ様に。
特に、シュヴァルベ様に。
廊下の灯りの下で、私は髪の内側をそっと押さえた。
茶色はほどけていた。
白は、もう完全には隠れていない。
でも、それよりも怖いのは、シュヴァルベ様の目だった。
あの一瞬。
白い髪の根元を見つめた、思いつめたような目。
私はローレッタだ。
マーリンではない。
そう言いたかった。
でも、言えば言うほど、何かが崩れそうで。
私は唇を結んだ。
胸の奥で、ほどけた色がまだ静かに流れていた。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
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