心のよりどころ
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「次に、お嬢様に無礼を働いた男子生徒ですが…。」
うららかな休日の昼下がり。
屋敷のラウンジのソファに座るマーリンは、カップを片手にクリスチーナから報告を聞いていた。
その報告とは、入学式後の混乱に紛れてマーリンを連れ去ろうとした男子生徒の件である。
クリスチーナの声に耳を傾けながらも、マーリンの心はこの後のひとときを思い描き、待ちきれないほど弾んでいた。
「学園からの報告をもとに調べたところ、件の男子生徒は敵対派閥に属する下級貴族の令息でした。詳細は調査中ですが、本人の証言からは他にも数名の名前が挙がっています。」
高鳴る気持ちを押さえつけ、静かにカップをソーサに戻したマーリンは、落ち着いた声で問いかけた。
「…それで、彼らはこれからどうなるかしら?」
「未遂であったとはいえ、公爵家のご令嬢に無礼を働いたのです。厳しい裁きが下されるでしょう。」
「そう…。」
マーリンがひと言つぶやくと、クリスチーナは深々と頭を下げた。
「…私がもっと早く動けていれば、お嬢様がこのような思いをされることもありませんでした。本当に申し訳ございません。」
マーリンは柔らかな笑みを浮かべて優しく声をかけた。
「いいえ、悪いのは全部私。だから、そんなことしないで。…それから、学園に伝えて、ロイスは気にしていない、と。」
「かしこまりました。」
顔をあげたクリスチーナに、マーリンは明るい声で言った。
「それにしても、危ういところだったわね。ブライアン様が居なければ、どうなっていたことか。」
「はい、思うにカーチスライト様は、すでにその裏を見通しておられたようです。」
「ふふっ、今度、改めてお礼をしなくちゃね。」
「それがよろしいかと思います。」
マーリンは気分を切り替えるようにソファーから立ち上がる。
「—さて、つまらない話は、もうやめにしましょう。」
そして、今まで抑えていた胸の高揚を解き放つように満面の笑みをクリスチーナに向けた。
「クリス!車を出してちょうだい!校外活動の準備よ!買い出しに出かけるわ!」
マーリンは、目前に迫ったクラスメイトとの校外活動に胸を弾ませながら、クリスを連れて買い出しへ向かった。
校外活動。それは、ただの学園行事――特別なことなど起こるはずもない一日になるはずだった。
だが、それが後に彼女の人生を決定的に変える出来事へとつながるとは、この時のマーリンは夢にも思っていなかった。
◇
その日、マーリンと同じクラスの生徒達は、校外活動のために用意されたクルーズ宇宙船で、別の星系へと向かっていた。
彼、彼女らを乗せた船は無限に広がる漆黒の宇宙を静かに進む。その進路の先で、流れ星のような光が一筋、闇を裂くように走った。
「今、外で光が流れたわ。何かしら?」
外を見ていたマーリンの言葉に、展望ラウンジで一緒にお茶を楽しんでいたクラスメイトが反応した。
「え!?流れ星ですか?」
「宇宙空間で星が流れるわけがないでしょ?マーリン様、近くを航行している船では無いのですか?」
危機感のないクラスメイトの言葉に、マーリンは静かに首を振る。
「いいえ、とても速かったわ。船ではないと思う。…気になるわね。」
微かな胸騒ぎを覚えたマーリンは、少し離れた場所に控えていたクリスチーナを呼んだ。
意見を求められたクリスチーナは、すぐに答えた。
「状況ははっきりしませんが、少し前から船は停止しているようですし、給仕の動きも僅かに慌ただしくなっているように感じます。…ご心配でしたら、ただちに確認してまいりましょうか。」
マーリンは一瞬思案の表情を見せると、膝の上のナプキンを軽やかに取り払った。
「クリス。ブリッジに行きましょう。ついて来て。」
「…そうおっしゃるだろうと思っていました。」
半ばあきらめ顔のクリスチーナは色鮮やかなシルクのリボンをさっと取り出し、マーリンの白く艶やかな髪をすっと結い上げた。
◇
クリスチーナを伴いブリッジへ向かって歩いていたマーリンが、旅客用区画から乗員用区画へ移った途端、身体がふわりと宙に浮いた。
「え?…ちょっと、ドレスのスカートが!」
マーリンは勝手に舞い上がろうとするスカートを慌てて押さえつけた。
四苦八苦するマーリンに対して、クリスチーナはそれまでと変わらぬ落ち着いた表情で手を差し出す。
「お嬢様、どうぞ、お手を。おそらく、エネルギーの節約のためでしょう。この先は私が先に参ります。」
「えぇ、ありがとう。」
マーリンがクリスチーナの手をしっかりと握ると、クリスチーナは手すりに指先を添え、壁面のステップを軽やかに蹴った。マーリンはその勢いに導かれ、滑るように通路の奥へ進んだ。
何度か角を曲がり、ようやくブリッジの入り口にたどり着いたマーリンとクリスチーナに、入り口を守るように立っていたクルーが声をかけた。
「恐れ入りますが、こちらへのご入室はご遠慮いただいております。」
「クリス。」
後ろにいたマーリンに呼ばれた、クリスチーナは床をそっと蹴って身を引き、静かにその背後へ控えた。進み出たマーリンはクルーに向かって微笑みながら言った。
「お勤めご苦労様、私はマーリン=ロイスと申します。少しだけキャプテンと話がしたいわ。取り次いでもらえないかしら?」
「…!!」
上品に微笑むマーリンの姿を見た途端、クルーはさっと顔色を変え、一礼してから慌ただしくブリッジへ駆け込んだ。
「キャ、キャプテン!フルール・デスポワールがお越しになりました!」
「フルール・デスポワール?…公爵家か…、お通ししたまえ。」
「はっ!…どうぞ、お入りください!」
「ふふふっ、ありがとう。」
マーリンがブリッジに足を踏み入れた瞬間、中央の椅子に座っていた老齢の男性が静かに立ち上がった。
その動きに呼応するように、コンソールに向かっていたクルーたちも次々と立ち上がり、張り詰めた表情でマーリンたちを迎え入れた。
老齢の男性は船長帽をそっと脱ぐと、マーリンに向けて深々と頭を下げた。
「私はこの船、シャルンホルストのキャプテン、ムバラク=セバスキーと申します。部下が大変失礼いたしました。どうぞこちらへ。」
ムバラクは、ブリッジの中央に据えられたハンドレールへ静かに手先を向けた。
「ありがとう、キャプテン。…突然の訪問、申し訳ありません。みなさん、手を止めさせてごめんなさい。どうか席に座って続けてください。」
にこやかに微笑みながら進み出るマーリンに、ムバラクは落ち着いた口調で問いかけた。
「それで、フルール・デスポワールがこのような場所に何用でしょうか?」
マーリンはハンドレールに手を添え、身体を安定させながらムバラクに問いかけた。
「ムバラクキャプテン。単刀直入に伺います。急に船内があわただしくなったようだけれど、何かあったのかしら?」
質問に質問で返されたムバラクは、わずかに息を吐き、視線を落とした。
「…失礼いたしました。クルーには、乗客に余計な気を遣わせぬよう申し伝えていたのですが……どうやら、お気に障ってしまったようです。」
船長帽を被り直し、その影に目元を隠したムバラクに、クリスチーナが口を開いた。
「ご心配なく、キャプテン。ほかの生徒には気づかれておりません。我が主が少々過敏すぎるだけです。」
「…そうですか…ん?」
視線を上げたムバラクは、スカートの裾を気にするマーリンの仕草に気づき、わずかに慌てた様子で頭を下げた。
「…これは、気づかずとはいえ、度重なる無礼お許しください。…チーフ、この区画の重力を入れたまえ。」
ムバラクが指示すると、ふわりと揺れていたスカートが静かに床へ落ち着いた。ほっと息をついたマーリンは、改めてムバラクへまっすぐ視線を向ける。
「ありがとう、キャプテン、お気遣いに感謝するわ。それで、話の続き、聞かせてもらえるかしら。」
ムバラクは小さく頷き、静かに口を開いた。
「…お察しの通り。 少々、厄介な問題が起きております。 率直に申し上げると――宙賊です。」
「…宙賊…ですって…。」
マーリンの表情から、さきほどまでの笑顔がすっと消え、ハンドレールに添えていた手がぎゅっと握られた。
「賊は亜空間航行から通常航行に移ったとたんに接触を図ってきました。本船が通ってきた航路は一般では使われていない貴族専用航路です。待ち伏せか、あるいは…つけられていたと見るのが自然でしょう。」
「つまり…最初からこの船を狙っていたということですか。賊について、何か見当はついているのですか。」
クリスチーナの問いに、ムバラクは顎に手を当てて考える素振りを見せたが、すぐに首を横に振った。
「…いいえ。分かっているのは、艦種照合の結果から、最近この宙域を荒らしている連中、ということだけ…。」
「それで……彼らの、要求は…?」
重苦しい表情のムバラクに、マーリンが静かに問いかけた――その時だった。
『ピッ、ピッ、ピ――』
鋭い電子音が空気を裂くように鳴り響き、全員の視線が一斉に一点へと向けられた。
通信担当のクルーが声をあげる。
「キャプテン、通信要求です!」
ムバラクは一呼吸おいてからマーリンをちらりと見た後、短く答えた。
「…応答したまえ…。ただし、こちらの映像は切っておけ。」
クルーが無言でうなずき、コンソールに手を伸ばす。
すると、メインスクリーンにノイズまじりの映像が浮かび上がり、徐々に乱れが消えると、額に傷を刻んだ長髪の男が現れた。男の声がブリッジに響き渡る。
「こちらは、輸送艦レッドコメット。私は艦長のヴュルガーだ。まずは、貴船の停船要求受け入れに感謝する。」
「レッドコメット。私は、ガイア帝国、クルーズ宇宙船シャルンホルスト、キャプテン。ムバラク=セバスキーだ。」
スクリーンの向こうで、ヴュルガーの目元に皺が寄る。
「ムバラクキャプテン。映像越しとはいえ、こちらはこうして顔を晒し、礼儀を弁えているつもりだ。対してそちらは音声のみ。…誠意を見せてはもらえないのかな?」
「レッドコメット、礼儀を欠いていることは重々承知している。申し訳ないがこちらにはこちらの事情があるのだ。ご理解願いたい。」
「それでは、話にならないな。ムバラクキャプテン、我々は………。」
(どうしよう。何とかしなきゃ…。正しいことをしなきゃ…。だって、私は…—。)
ムバラクとヴュルガーのやり取りを茫然と見つめながら、マーリンの意識は必死に『心のよりどころ』を探していた。今、自分が進むべき道を示してくれる何かを求めていた。
そして、周囲の音は、ヴェールの向こうへ吸い込まれるように遠ざかってゆく。
幼いころのマーリンの傍には、いつもミハイルがいた。
ミハイルがそばにいてくれたからこそ、マーリンは自分のしたいこと、正しいと思ったことを素直に口にすることができた。
しかし、ある日、突然、ミハイルは屋敷を去ることになった。
マーリンは反発したが、どうすることもできず、心には、埋めようのない大きな穴がぽっかりと空いた。
心に開いた穴を抱えたまま、マーリンは自分を肯定し、導いてくれる存在――ミハイルの代わりになる何かを追い求めた。
もともと優秀だったマーリンは、嫌々ながらも与えられた役割を完璧にこなした。
大人たちはそのたびに彼女をほめたたえた。
その言葉は、マーリンにとって救いのように響いた。自分は必要とされている、正しいのだと信じられた。
たとえ、それが本当の自分の望みとは無縁であっても。
最初は反発していたはずなのに、心の穴はあまりにも深く、マーリンは次第に彼らの言葉を自然に受け入れるようになっていった。
マーリンは「正しい」と教えられるままに動く、人形のような存在へと徐々に変わっていた。
そして月日が流れ、自分の心の声を押し殺すことに慣れ、周囲の期待に従うだけの操り人形として生きるようになっていた。
そして、今、この場にミハイルはいない。
今、マーリンの頭を占めているのは、ちっぽけな自尊心を満たしてくれる――それが何であってもいい、向かうべき方向を示してくれる何かを、必死に求める思いだけだった。
マーリンの頭の中に声がこだまする。
『帝国貴族に生まれたからには、常に国を第一に考え、尽くさねばならない。』
『##を信じて。そうすればきっとうまくいく。そうだろう?』
(—そうよ。)
マーリンの心に一筋の光が差した。
(私は、##を信じて、正しいことをすればいいのよ。)
帝国貴族の令嬢として、ロイス公爵家の人間として、正しいことをすればいいのだ。
人々の希望の花として、正しいことをすればいい。
(そうすれば、満たされるのだから。)
マーリンはハンドレールを握る手に力を込めた。手のひらに爪が食い込み鈍い痛みが走る。
その痛みとともに、すとんと目の前を覆っていたヴェールが落ちた。音が戻り、空気の重さが肌にまとわりつく。
――覚悟を決めた。
顔を上げたマーリンはブリッジの床を力強く踏みしめ、澄んだ声でムバラクに告げた。
「キャプテン、私の事ならば気にしないで。クリスもいいわね。」
「私は、お嬢様の決定に従います。」
しっかりと頷き返したマーリンは、続く言葉を放った。
「キャプテン。レッドコメットに映像を送りなさい。」
マーリンの口調に少し驚いた表情を見せたムバラクは、わずかな沈黙ののち、静かに指示を出した。
「…レッドコメットに映像を送れ。」
数秒の静寂のあと、スクリーンに映るヴュルガーの目元がわずかに開かれる。
「ほぉ…驚いたな。ムバラクキャプテン、随分と麗しいクルーをお持ちのようだ。…いや、違うな。その制服は、なるほど。お貴族様か…。」
「キャプテン、いいかしら?」
マーリンが一歩踏み出すと、ムバラクは道を譲るように後ろへ退いた。前へ進み出たマーリンは、スクリーンに柔らかく、それでいて揺るぎない視線を向けた。
「はじめまして。レッドコメット艦長、ヴュルガー殿。私は、マーリン=ロイスと申します。おっしゃる通り、帝立学園の生徒です。」
ヴュルガーの目がすーっ細められる。
「…ロイス、だと?」
そして、その目はすぐに見開かれた。
「生徒とは、言ってくれる。帝国にその顔を知らぬものはいない。なるほど、頑なに映像を送りたくないという理由も頷ける。学園生が多く乗船していることは知っていたが、まさか、我々の希望が乗船されているとは。」
「ご理解いただいて感謝します。本船はヘルリッヒ学園のチャーター船です。もし、あなた方が私の願いを聞いていただけるのであれば、このまま私達の航海を快適なままで終わらせてはもらえないかしら?」
ヴュルガーは人差し指を立てると、ゆっくりと振った。
「フルール・デスポワールの頼みと言えど、それは、できない相談だ。こちらにも生活があるのでね。それに、貴女は置かれている状況を理解しておられないようだ。我々は人形部隊を有している。貴船は交渉できる立場ではない。交渉は一切、受け付けない。」
マーリンはヴュルガーの言葉の真偽を確かめるため、ムバラクに視線を送った。
ムバラクが静かに頷くのを見て、マーリンは胸元に手を当てて深呼吸し、スクリーンの向こうのヴュルガーへと向き直った。
「分かりました…。それでは、あなた方の要求を聞きましょう。」
ヴュルガーにまっすぐに向けられるその瞳には、決して屈することのない揺るぎない決意が、静かに、しかし鮮烈に宿っていた――。
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