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いつもと違う色

ご覧いただきありがとうございます。

身体が良くなった頃、少しずつ許可が戻ってきた。


まず、実技訓練。


ただし、最初は見学ではなく軽めの確認から。


セスナ教官は、私の動きを一つずつ見て、痛みを庇う癖が残っていないか確認した。


「プラット、無理に動くな」


「はい、セスナ教官」


「大丈夫は不要だ。痛むなら痛むと言え」


「はい。今は、痛みはありません」


そう答えると、セスナ教官は少しだけ頷いた。


大丈夫ではなく、痛みはありません。


言葉を変えるだけで、少し緊張する。


でも、前よりはできるようになった。


たぶん。


シュヴァルベ様との訓練も、短い時間から再開した。


走る距離は短く、姿勢維持も軽め。


糖分補給は、なぜかしっかりあった。


訓練量が半分でも、焼き菓子は半分にならなかった。


ありがたい。


とてもありがたい。


補給は大事。


私はその方針を全面的に支持したい。


ハネダ亭のバイトも、許可が下りた。


ただし、女将さんからは強い条件がついた。


「無理をしない」


「はい、女将さん」


「痛いなら言う」


「はい」


「顔が白い時は座る」


「はい」


「大丈夫って言ったら、うちは即休憩」


「はい」


条件が多い。


でも、全部私のための条件だった。


大将はまかないを増やそうとして、女将さんに止められていた。


止められても少し増えていた。


大将の少しは、少しではない。


でも、うまうまなので困る。


そうして、日常はゆっくり戻ってきた。


完全に前と同じではない。


一人で歩く時、廊下の角で少し身構える。


テニスボールに似た音を聞くと、肩が固まる。


ルイーゼ様とは挨拶だけになった。


遠くで視線を感じることはある。


でも、近づかれることはない。


セシリアさん、ミリア、トム、シュヴァルベ様は、私が一人になりすぎないように気を配ってくれる。


それはありがたい。


とてもありがたい。


けれど、一人でしなければならないこともある。


たとえば、買い物。


一人の時にしか買えないものがある。



王都の街には、前より少しだけ慣れた。


最初は人の多さだけで目が回りそうだった。


背の高い建物。


光る看板。


空中通路。


店先の香り。


人の声。


運搬車両の警告音。


全部が大きくて、速くて、私だけ取り残されているようだった。


でも、何度かハネダ亭へ行くうちに、少しだけ歩き方がわかってきた。


人の流れに逆らわない。


立ち止まる時は壁際へ寄る。


案内表示は一度で読もうとしない。


迷ったら、焦らずに戻る。


そして、おいしそうな匂いに釣られすぎない。


最後が難しい。


かなり難しい。


王都は罠が多い。


焼き菓子の香り、揚げ物の香り、甘い果物の香り。


特に、透明な冷却ケースに並んだアイスクリームは危険だった。


色がきれい。


白、薄桃色、黄色、薄緑。


上に小さな砂糖菓子が乗っているものまである。


あれは絶対うまうまの気配がする。


私は店の前で足が少し遅くなった。


少しだけ。


見ただけ。


買っていない。


えらい。


今は目的がある。


一人で来たのは、必要なものを買うためだ。


セシリアさんに教えてもらった、王都でも大きめの雑貨店。


生活用品から化粧品、文具、菓子、簡単な医療品まで置いているらしい。


学園からも行きやすく、学生もよく使う店だと聞いた。


ただし、今日は誰にも一緒に来てもらわなかった。


髪染めを買うからだ。


私の髪は、本当は白い。


プラット家の誰とも違う色。


母に言われて、ずっと茶色に染めてきた。


王都へ来る時も、学園へ入る時も、ずっと。


根元に白が出ていないか、毎朝確認する。


染め直す時期を逃さないようにする。


髪染めは、私にとってただのおしゃれ用品ではない。


隠すためのものだ。


家族と違う色を隠す。


自分の正体に近いものを隠す。


誰かに聞かれないようにする。


マーリンのことへ繋がらないようにする。


それは、誰にも言えない。


セシリアさんにも。


ミリアにも。


トムにも。


シュヴァルベ様にも。


言えない。


だから、一人で買う。


一人で選んで、一人で持ち帰る。


少し慣れた王都の道を、私はいつもよりしっかり歩いた。


大丈夫。


これは、いつもの大丈夫とは少し違う。


痛みを隠すための大丈夫ではない。


自分でできることを、ちゃんと自分でするための大丈夫。


そう思いたかった。


雑貨店は、大きかった。


入口の上には、明るい看板。


中へ入ると、棚がずらりと並んでいる。


床はぴかぴか。


照明も明るい。


商品札は見やすい。


そして、物が多い。


多すぎる。


日用品。


制服用の手入れ用品。


ハンカチ。


髪留め。


文具。


簡易端末ケース。


小さな飾り。


化粧品。


お菓子。


全部が、きちんと並んでいる。


きちんと並んでいるのに、私の目は忙しく動く。


見るだけでも楽しい。


買わなくても楽しい。


それは、少し不思議だった。


プラット家では、買い物は必要なものを最小限だけ買うことだった。


見て楽しむものではなかった。


欲しいと思う前に、必要かどうかを考える。


必要でなければ、見なかったことにする。


でも、王都の雑貨店では、見なかったことにするには商品が可愛すぎた。


小さな星形のキーホルダー。


透明な樹脂の中に、青い粒が浮いている。


振るときらきら動く。


少しだけ、宇宙みたいだった。


私は手に取って、棚に戻した。


見るだけ。


次に、文具の棚。


細いペン。


表紙に翼の模様が入ったノート。


ページの端が淡い色になっている。


可愛い。


すごく可愛い。


授業で使ったら、少し楽しくなりそう。


でも、まだ今のノートは使える。


買わない。


見るだけ。


化粧品の棚には、色とりどりの小瓶が並んでいた。


頬に使うもの。


唇に使うもの。


肌を整えるもの。


私は少しだけ眺めて、すぐ視線を逸らした。


似合うかどうか以前に、使い方がよくわからない。


あれは上級者向けだ。


私が使ったら、たぶん顔が「あわわ」になる。


いや、顔があわわとは何だろう。


でも、きっとそうなる。


お菓子の棚では、少し足が止まった。


小袋の焼き菓子。


飴。


砂糖菓子。


干し果物。


学園の休憩時間に食べられそうなものが並んでいる。


私はしばらく迷った。


買いすぎてはいけない。


でも、自分で稼いだお金もある。


女将さんにも、大将にも、少しは自分のために使いなと言われた。


少しなら。


私は小さな焼き菓子の袋を一つ手に取った。


それから、飴の小袋も一つ。


シュヴァルベ様との訓練後に出してもいいかもしれない。


いや、侯爵家の令嬢に雑貨店の飴を差し出すのはどうなのだろう。


でも、補給なら。


補給は身分を超える。


たぶん。


少しだけ楽しくなった。


買い物は、嫌いではない。


むしろ、好きかもしれない。


見るだけでも楽しい。


選ぶのは少し怖いけれど、楽しい。


こんなふうに思える自分が、少し不思議だった。



目的の棚は、奥の方にあった。


髪染め。


染髪用の小さな箱が、色ごとに並んでいる。


黒。


濃い茶。


明るい茶。


赤みのある茶。


金色系。


銀色を抑えるもの。


白髪を隠すもの。


色の名前だけでもたくさんある。


私はいつも使っているものを探した。


落ち着いた栗色。


発色が強すぎず、根元の白もきちんと隠れる。


肌色から浮きにくく、長持ちする。


プラット家で使っていたものと同じ系統を、王都に来てからも探して買っていた。


棚の中段。


いつもの場所。


そこに、なかった。


私は一度目を瞬いた。


見落としたのかもしれない。


雑貨店は広い。


棚も多い。


箱の配置も少し変わっているかもしれない。


もう一度、端から確認する。


濃い茶。


赤茶。


柔らかい茶。


明るい栗色。


違う。


いつもの落ち着いた栗色がない。


私は棚の前で固まった。


いや、在庫が少ないだけかもしれない。


奥にあるかもしれない。


棚の奥を少し覗く。


ない。


箱をずらしてみる。


ない。


別の棚かもしれない。


隣の列を見る。


ない。


心臓が少し早くなる。


大丈夫。


お店の人に聞けばいい。


聞くだけ。


それくらいできる。


私は近くにいた店員さんへ声をかけた。


「すみません」


「はい。お探しのものですか?」


明るい声。


私は箱の名前を伝えた。


「この髪染めの、落ち着いた栗色はありますか」


店員さんは端末で在庫を確認してくれた。


指先が素早く動く。


その少しの時間が、妙に長く感じた。


「申し訳ありません。そちらの色は現在在庫切れですね」


在庫切れ。


胸の奥が、すとんと落ちた。


「入荷の予定はありますか」


「取り寄せはできますが、少しお時間をいただきます」


少し。


その少しがどのくらいか、聞くのが怖い。


私の髪の根元は、もう少しで目立つ。


毎朝確認しているからわかる。


白い色は、茶色の中に少し出るだけでよく目立つ。


特に光の下では。


「急ぎで必要でしたら、近い色はこちらになります」


店員さんが、棚から別の箱を二つ取ってくれた。


一つは少し明るい茶色。


もう一つは、赤みが強い茶色。


「こちらは発色が少し明るめです。こちらは赤みが出ます。元の髪色によって仕上がりは変わりますが」


元の髪色。


私は反射で指先を髪に触れそうになって、止めた。


元の色は白です。


そう言えるはずがない。


「白っぽい髪にも、使えますか」


聞いてしまった。


店員さんは特に不思議そうにはしなかった。


「白髪隠しも兼ねるなら、こちらの方が入りやすいと思います。ただ、いつもの色より少し明るく見えるかもしれません」


少し明るく。


それくらいなら。


たぶん、大丈夫。


私は箱を見比べた。


いつもの色ではない。


でも、似ている。


全く違うわけではない。


学園の照明で、どのくらい違って見えるだろう。


セシリアさんは気づくかもしれない。


ミリアも気づくかもしれない。


トムは、髪色が少し変わったな、くらい言いそうだ。


シュヴァルベ様は。


考えた瞬間、胸が少し冷える。


シュヴァルベ様には、気づかれる気がした。


細かい変化を見逃さない人だ。


私が少し身体を庇っただけで気づいた。


笑うまでに間があることも、歩き方が違うことも見ていた。


髪色が変われば、きっと気づく。


でも、染めないわけにはいかない。


白い根元を見られる方が、ずっと危ない。


私は明るめの茶色の箱を手に取った。


「こちらにします」


「ありがとうございます」


店員さんが笑顔で頷く。


私も笑った。


たぶん、少し固い笑顔だった。


大丈夫。


これは、いつもの大丈夫とは違う。


在庫がなかっただけ。


似た色を買うだけ。


少し明るくなるだけ。


誰かに聞かれたら、品切れだったと言えばいい。


それは本当だ。


嘘ではない。


髪色を隠す理由は言わないけれど。


買い物かごには、髪染めの箱と、焼き菓子と、飴の小袋が入っていた。


見た目だけなら、普通の買い物だ。


普通の学生が、雑貨店で必要なものと少しのお菓子を買っているだけ。


そう見える。


そう見えてほしい。


私は会計へ向かった。


支払いの時、髪染めの箱が店員さんの手元を通る。


それだけで、少し緊張した。


誰も気にしていない。


店員さんも普通に袋へ入れる。


髪染めを買う人なんて、きっとたくさんいる。


珍しくない。


なのに、私にはその箱だけが妙に大きく見えた。


袋を受け取る。


「ありがとうございました」


「ありがとうございます」


私は礼をして店を出た。


外へ出ると、王都の光が少しまぶしかった。


雑貨店の袋を抱える。


中には髪染め。


いつものではない髪染め。


焼き菓子。


飴。


小さな買い物。


でも、袋は少し重く感じた。


アイスクリームショップの前を通る。


さっきよりも冷たい甘い匂いが強い。


私は足を止めそうになって、止めなかった。


今食べたら、気持ちは少し軽くなるかもしれない。


でも、今はまっすぐ帰った方がいい。


髪染めを部屋に置いて、根元を確認して、染める時間を考えなければならない。


一人でやる。


いつも通りに。


ただし、いつもと違う色で。


それだけ。


それだけなのに、胸が落ち着かない。


大丈夫。


私は歩きながら、もう一度思った。


これは、痛みを隠す大丈夫ではない。


誰かに心配をかけないための大丈夫でもない。


ただ、少し違う製品を使うだけ。


きっと大丈夫。


でも、その大丈夫の下で、白い髪の記憶が静かに揺れていた。


母の声。


染めなさい。


家族と違う色は目立つ。


人に余計なことを聞かれる。


茶色にしておきなさい。


白い髪。


マーリンの記憶。


私の本当の髪。


誰にも知られたくないもの。


知られたら、何が変わるのだろう。


セシリアさんは、きっと心配する。


ミリアは、理由を聞こうとして、でも私の顔を見て止まるかもしれない。


トムは、変な空気を軽くしようとしてくれるかもしれない。


シュヴァルベ様は。


わからない。


わからないから、怖い。


シュヴァルベ様の憧れの人は、マーリンだ。


そのことを知ってから、胸の奥に小さな棘がある。


もし、私の白い髪を見たら。


もし、マーリンに繋がる何かを感じたら。


シュヴァルベ様は、私をローレさんとして見るだろうか。


それとも、別の誰かを重ねるだろうか。


考えてはいけない。


まだ起きていないことだ。


私は袋を抱え直した。


焼き菓子がかさりと音を立てる。


その音で少しだけ現実に戻る。


買い物は楽しかった。


可愛い小物も見た。


焼き菓子も買った。


飴も買った。


いつもの髪染めはなかったけれど、似たものは買えた。


だから、大丈夫。


私は歩いた。


王都の人の流れに乗って、学園へ戻る道を進む。


足取りは、少しだけ早かった。


早く部屋に戻りたい。


袋を隠したい。


箱を開けて、色を確かめたい。


そして、根元の白を早く見えなくしたい。


まだ誰にも知られていない。


まだ、隠せる。


いつもとは違う色の箱が、袋の中で静かに揺れた。


その小さな違いが、後で何を連れてくるのか。


この時の私は、まだ知らなかった。

ここまでお読みいただき有り難うございました。


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