隠した痣
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寮の自室は、静かだった。
静かすぎるくらいだった。
扉を閉めて、鍵をかける。
それだけで、肩から少しだけ力が抜けた。
人の目がない。
声もない。
笑い声もない。
テニスボールが床を弾む音もない。
私は制服の上着を脱ごうとして、腕を上げたところで止まった。
痛い。
二の腕が、少し動かしただけでじんとした。
息を吸うと、脇腹も痛む。
背中は、布が触れるだけで嫌な熱を持っている。
太ももにも重い痛みがあった。
前は赤くなっただけだった。
触れば痛いけれど、隠せるくらい。
歩ける。
働ける。
笑える。
そう思える程度だった。
でも、今回は違った。
ボールは強かった。
前よりも速く、重く、正確だった。
四方から来るボールを打ち返すように言われた。
訓練。
体力強化。
王都記念杯優勝者なら、それくらいできるでしょう。
そう言われた。
私は断れなかった。
ハネダ亭のバイトがあると言った。
けれど、調整なさい、と返された。
そう言われると、それ以上言えなかった。
テニスコートは、同じ場所だった。
学園の運動区画の端。
人気のないコート。
低い壁と植え込み。
見えにくい場所。
前と同じように、ルイーゼ様と取り巻きの令嬢たちが私を囲んだ。
でも、ボールは前と同じではなかった。
速い。
重い。
当たるたびに、体の中で音が響く気がした。
二の腕。
太もも。
背中。
脇腹。
服で隠れる場所。
顔は狙われない。
手首も避けられる。
見えるところには、当てない。
それがわかることが、怖かった。
偶然ではない。
加減している。
でも、優しさではない。
見えないようにするための加減。
言い訳できるようにするための加減。
それがわかっているのに、私は止められなかった。
動けなくなって、コートに膝をついても、ボールは飛んできた。
「立ちなさい」
「訓練ですわ」
「避けるだけでは意味がありませんわよ」
取り巻きの令嬢たちは笑っていた。
大きな笑いではない。
口元に手を当てた、小さな笑い。
その笑いが、ボールよりも長く残った。
何度も声が出た。
我慢しようとしたのに、出た。
短い声。
情けない声。
痛いと言えない代わりに漏れる声。
それでも、終わった時、私は頭を下げた。
「ありがとうございました」
言った。
言ってしまった。
あれは訓練だと。
何か聞かれたら、慣れないテニスで転んだと言うように。
特に、シュヴァルベ様には心配をかけないように。
そう言われた。
私は頷いた。
言えない。
言ってはいけない。
そう思った。
制服を脱ぐのに、いつもより時間がかかった。
袖が二の腕に触れるだけで、痛みが走る。
シャツを脱ぐ時、脇腹が引きつって、息が止まりそうになった。
鏡は見ないようにした。
でも、見えてしまった。
腕に、丸い痣がある。
太ももにも。
背中は見えにくいけれど、肩越しに少しだけ色が変わっているのがわかった。
触ると痛い。
少し触れただけでも痛い。
赤いだけではない。
少し青くなりかけている。
私はすぐに目を逸らした。
見なければ、少しは軽くなる気がした。
ならなかった。
入浴は、かなり遅い時間にした。
誰もいなくなるまで待った。
共同浴場は清潔で、明るくて、温かい。
普通ならありがたい場所だ。
でも、誰かに見られたら終わる。
腕も、脚も、背中も、見られたら説明しなければならない。
転びました。
テニスで。
そう言えばいい。
そう言うしかない。
でも、セシリアさんなら気づくかもしれない。
ミリアなら怒るかもしれない。
シュヴァルベ様なら、信じてくれないかもしれない。
だから、誰もいない時間まで待った。
浴場に入ると、湯気が立っていた。
体を洗う時、布が肌に触れて、思わず歯を食いしばった。
湯に入ると、痣のところがじんと熱くなった。
痛い。
でも、声は出さない。
誰もいないのに、声を出さない。
癖というものは、無駄にまじめだ。
部屋に戻って、寝間着を着るのにも時間がかかった。
ベッドに横になる。
柔らかいはずの寝台が、体に触れる場所を教えてくる。
背中が痛い。
脇腹が痛い。
太ももが痛い。
二の腕が痛い。
どこも、命に関わるほどではない。
歩ける。
動ける。
授業にも出られる。
だから、大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
そう言い聞かせた。
けれど、視界が滲んだ。
身体の痛みなのか、それとも別の何かなのか、わからなかった。
涙が勝手に出る。
泣くほどのことではない。
そう思う。
前は、冷たくされても笑っていられた。
プラット家で、何を言われても、私は笑っていた。
父の書斎でも。
母の前でも。
姉たちに見られても。
私は困ったように笑って、謝って、役に立てるようにしていた。
なのに、どうして今はこんなに苦しいのだろう。
学園に来てから、自分は弱くなったのだろうか。
セシリアさんが優しいから。
ミリアが怒ってくれるから。
トムが笑わせてくれるから。
大将と女将さんが大事にしてくれるから。
シュヴァルベ様が、ローレさんと呼んでくれるから。
温かいものを知ってしまったから、冷たいものが前より冷たく感じるのだろうか。
それは弱くなったということなのか。
それとも、前が麻痺していただけなのか。
わからない。
「大丈夫」
小さく呟く。
「大丈夫」
誰にも届かない声。
届かなくていい声。
届いたら困る声。
私は痛む身体を少し丸めた。
脇腹が痛くて、すぐに姿勢を戻す。
その小さな動きが、また情けなくて、涙が増えた。
大丈夫。
大丈夫。
そう言い聞かせているうちに、意識はゆっくり沈んでいった。
朝になると、私はいつも通りの顔を作った。
鏡の前で髪を整える。
茶色に染めた髪。
根元を確認する。
制服を着る。
袖を通す時、二の腕が痛む。
でも、顔には出さない。
出さないつもりだった。
朝食も食べた。
少し遅かったかもしれない。
スプーンを持つ手が、いつもより小さく動いたかもしれない。
ミリアが少し眉を寄せた。
「ローレ、眠そう」
「少し寝つきが悪くて」
嘘ではない。
全部ではないけれど。
トムがパンをかじりながら言う。
「大会疲れ、まだ残ってんじゃないか?」
「そうかもしれません」
セシリアさんが静かに私を見る。
その目は優しい。
でも、優しい目は怖い。
見抜かれそうになる。
「ローレさん、無理はなさらないでくださいね」
「はい、セシリアさん」
笑う。
いつもの顔。
大丈夫そうに見える顔。
でも、笑顔が少し遅れたのが、自分でもわかった。
講義中も、いつも通りに過ごした。
過ごしているつもりだった。
立つ時、脇腹に響いて一瞬だけ表情が固まる。
資料を取るために腕を上げる動作が小さくなる。
廊下を歩く速さが少し遅い。
椅子に座る時、背中が触れないように浅く座ってしまう。
気づかれないようにしているのに、気づかれそうなことばかりしている。
自分の身体が、私を裏切ってくる。
痛いから仕方ない。
でも、困る。
昼の移動中、ミリアが隣に並んだ。
「ローレ」
「はい、ミリア」
「歩くの遅い」
「少し、足が重くて」
「筋肉痛?」
「たぶん」
嘘ではない。
筋肉も痛い。
ボールが当たったところも痛い。
トムが前から振り返る。
「ハネダ亭で働きすぎてるんじゃないか?」
「いえ、それは」
「大将に言うぞ。まかない増やされるぞ」
「それは少し困ります」
「少しか?」
「少し、です」
本当は、大将のまかないはありがたい。
でも、増える。
とても増える。
胃が頑張ることになる。
そんな会話をしている間も、セシリアさんは私を見ていた。
何も言わない。
でも、その静けさが怖かった。
何かに気づいているかもしれない。
それでも、私は言えなかった。
最初に直接声をかけたのは、シュヴァルベ様だった。
放課後の訓練後。
基礎訓練は軽めだった。
それなのに、私は途中で何度も動きが遅れた。
走る速度が上がらない。
姿勢維持で、腕を上げた時に小さく息が詰まる。
反応訓練で、横へ動くのが遅れる。
自分でもわかった。
庇っている。
痛いところを守るように動いている。
訓練が終わり、休憩用のベンチへ向かおうとした時、シュヴァルベ様が静かに言った。
「ローレさん。少しよろしいですか」
「はい、シュヴァルベ様」
声は普通に出た。
たぶん。
シュヴァルベ様は人の少ない訓練棟の端へ私を連れて行った。
そこは、器材置き場の近くで、外からは少し見えにくい。
でも、閉じ込められた感じはない。
逃げ道もある。
それなのに、胸が少しざわついた。
囲まれたテニスコートを思い出したからかもしれない。
「ローレさん」
シュヴァルベ様の声は静かだった。
「身体を庇っています」
心臓が跳ねた。
「いえ」
「歩き方が遅い。立つ時に脇腹を庇う。腕を上げる動作が小さい。笑うまでに間がある」
一つずつ言われる。
全部、気づかれていた。
私は笑った。
乾いた笑いだった。
「少し、転んだだけです」
「どこで」
「えっと、運動区画で」
「何をしていて」
「テニスを」
声が小さくなる。
「慣れていなくて、少し」
シュヴァルベ様の表情は変わらなかった。
でも、目が静かに深くなる。
「腕を見せてください」
息が止まりかけた。
「大丈夫です」
すぐに出た。
いつもの言葉。
守るための言葉。
隠すための言葉。
「少し赤くなっているだけなので」
「見せなさい」
静かな声だった。
強い声だった。
大きくはない。
怒鳴ってもいない。
でも、有無を言わせない響きがあった。
私は肩をすくめた。
怖い。
シュヴァルベ様が怖いわけではない。
見せることが怖い。
見られることが怖い。
何かが壊れることが怖い。
「ローレさん」
シュヴァルベ様の声が少し柔らかくなった。
「あなたを責めているのではありません」
その言葉で、息が少し戻った。
「痛いところを隠したまま訓練すれば、悪化します。私は、それを見過ごせません」
「でも」
「見せてください。必要なら、医務室へ行きます」
医務室。
大ごとになる。
それは困る。
「そこまででは」
「判断するために、見せてください」
逃げ道が少しずつなくなる。
でも、テニスコートの時とは違う。
追い詰める声ではない。
逃げなくていいように、道を作る声だった。
私はゆっくり袖に手をかけた。
二の腕の部分を、少しだけめくる。
布が肌をこすって痛い。
見せたくない。
でも、もう隠せない。
袖の下から、丸い痣が出た。
赤紫色。
テニスボールの大きさに近い。
シュヴァルベ様の目が、それを見た。
時間が止まったようだった。
「……転んだ?」
声は静かだった。
怖いほど静かだった。
怒っている。
でも、その怒りは私へ向けられていない。
それがわかるのに、私は震えそうになった。
「転んで、この形の痣がつくのですか」
「それは」
言葉が出ない。
シュヴァルベ様は私の袖を無理に引っ張らなかった。
ただ、見ていた。
二の腕の痣を。
私の顔を。
「他にもありますね」
私は答えられなかった。
答えないことが、答えになった。
シュヴァルベ様は、ほんの少しだけ目を伏せた。
その一瞬に、痛みのようなものが見えた。
「気づけませんでした」
小さな声だった。
「私は、あなたの動きを見ていたはずなのに」
「シュヴァルベ様のせいではありません」
慌てて言った。
「私が言わなかったから」
「言えない状況だったのですね」
また、何も言えなくなる。
優しい言葉の方が、刺さる時がある。
責められたら笑える。
怒られたら謝れる。
でも、わかってもらえると、どうしていいかわからない。
「医務室へ行きます」
「でも」
「行きます」
今度ははっきり言われた。
私は頷くしかなかった。
歩き出す前に、シュヴァルベ様が少しだけ手を差し出した。
触れるか触れないかの距離。
「歩けますか」
「歩けます」
「痛みが強くなったら言ってください」
「はい」
私は歩いた。
隣にシュヴァルベ様がいる。
それだけで、少し安心する。
でも、同時に怖い。
医務室。
知られる。
大ごとになる。
ルイーゼ様に言われた言葉が頭をよぎる。
シュヴァルベ様に余計な心配をかけないように。
負担になりたくないでしょう。
私は、もう負担になっている。
そう思うと、胸が苦しくなった。
医務室で、手当を受けた。
担当の医務員に袖を上げるように言われる。
背中と脇腹、太ももも確認された。
私はできるだけ何も考えないようにした。
痛みの場所を答える。
いつからかを聞かれる。
どうしたのかを聞かれる。
転びました、と言いかけて、喉で止まる。
シュヴァルベ様が隣にいる。
嘘をついたら、たぶんわかる。
でも、本当のことも言えない。
沈黙。
医務員の表情が硬くなる。
「打撲が複数あります。形状がかなり揃っていますね」
形状が揃っている。
その言葉だけで、もう隠せない気がした。
冷やす処置。
塗り薬。
負荷のかかる訓練は中止。
医務記録への記載。
言葉が次々に並ぶ。
私はベッドの端に座ったまま、膝の上で手を握っていた。
痛い。
でも、それより胸が苦しい。
シュヴァルベ様は、医務員が離れたあと、静かに私の前へ来た。
「ローレさん」
「はい」
「誰に」
息が止まりそうになる。
誰に。
その一言は重かった。
私は顔を上げられなかった。
「言えません」
声は小さかった。
「言ったら、大ごとになります」
「すでに大ごとです」
「でも、私が我慢すれば」
「それ以上は言わないで」
シュヴァルベ様の声が、少しだけ震えた。
私は驚いて顔を上げた。
シュヴァルベ様は怒っていた。
でも、泣きそうにも見えた。
いや、そんなはずはない。
シュヴァルベ様はいつも整っている。
それでも、その目の奥に後悔が見えた。
「あなたが我慢すれば済むことではありません」
「でも」
「守れませんでした」
その言葉に、胸が強く痛んだ。
「シュヴァルベ様」
「私が、もっと早く気づくべきでした」
「違います。私が隠したんです」
「隠さなければならない状況に追い込まれていたのでしょう」
言えない。
何も言えない。
目が熱くなる。
泣きたくない。
医務室で泣きたくない。
でも、視界が滲む。
シュヴァルベ様が、少しだけ近づいた。
「触れてもいいですか」
私は小さく頷いた。
シュヴァルベ様の腕が、そっと私を包んだ。
強くない。
痣に触れないように、痛い場所を避けて。
それでも、抱きしめられているとわかった。
温かい。
人の体温。
それだけで、涙がこぼれた。
「ごめんなさい」
シュヴァルベ様が言った。
「守ってあげられませんでした」
違う。
そう言いたかった。
シュヴァルベ様のせいではない。
でも、声が出なかった。
涙が先に出る。
私は抱きしめられたまま、小さく首を振った。
痛い場所に触れないように、少しだけ。
「ごめんなさい」
今度は私が言った。
「言えなくて、ごめんなさい」
「謝るのは、あなたではありません」
シュヴァルベ様の声は、低く、優しかった。
「あなたは悪くありません」
その言葉が、胸の奥まで届くのに時間がかかった。
悪くない。
本当に?
私が弱いからではないのか。
私が身の程を知らなかったからではないのか。
私がシュヴァルベ様に近づきすぎたからではないのか。
答えはすぐには出ない。
でも、シュヴァルベ様は何度も言った。
「あなたは悪くありません」
私はその言葉を、震えながら受け取った。
セスナ教官が呼ばれた。
医務室に来たセスナ教官の顔は、いつもと大きくは変わらなかった。
けれど、目が鋭かった。
「プラット」
名前を呼ばれて、私は背筋を伸ばしかける。
脇腹が痛み、少し顔が固まった。
セスナ教官はそれを見た。
「無理に姿勢を正すな」
「はい、セスナ教官」
短い返事。
声が小さい。
セスナ教官は医務記録を確認し、医務員から説明を受けた。
打撲。
複数。
形状が揃っている。
運動による転倒とは考えにくい。
その言葉が、室内に落ちる。
私は膝の上の手を見つめる。
大ごとになっている。
もう止められない。
「プラット」
「はい」
「何があった」
喉が締まる。
言わなければならない。
でも、言えない。
「……テニスで、転びました」
自分でも、弱い嘘だとわかった。
セスナ教官は黙っていた。
沈黙が重い。
「それを、誰に言えと言われた」
息が止まった。
そこを聞かれると思わなかった。
「……」
「答えろとは言わない」
セスナ教官は低く言った。
「だが、これはすでに学園内の問題だ。お前一人の判断で伏せられる段階ではない」
「おおごとには」
声が震えた。
「したくありません」
「お前が望むかどうかとは別に、学園は生徒を守る義務がある」
守る義務。
その言葉が、重く響く。
私は守られる側になっている。
それが怖い。
申し訳ない。
でも、少しだけ、ほっとする。
そんな自分も嫌だった。
「ユンカース」
「はい、セスナ教官」
「お前はどこまで把握している」
「訓練中、ローレさんが身体を庇っていることに気づきました。確認したところ、腕に痣がありました。医務室へ連れてきました」
ローレさん。
セスナ教官の前でも、シュヴァルベ様はそう呼んだ。
そのことが、こんな状況なのに胸に残った。
「他に気づいたことは」
「最近、ローレさんの動作がわずかに遅れていました。歩行、着席、腕の上げ方、笑うまでの間。見落としていました」
「見落としを責める段階ではない。事実を記録する」
「はい」
セスナ教官は端末を操作した。
「関係者の聞き取りを行う。ヒースロー、グラマン、サーブにも確認する。必要に応じて、他の生徒にも聞く」
心臓が跳ねる。
セシリアさん。
トム。
ミリア。
知られてしまう。
心配される。
怒られるかもしれない。
泣かれるかもしれない。
私は唇を噛みそうになって、やめた。
「セスナ教官」
「何だ、プラット」
「できれば、あまり」
言葉が続かない。
小さくしたい。
何もなかったことにはできないとしても、できるだけ小さく。
ルイーゼ様のことを考える。
侯爵家。
シュヴァルベ様のそばにいる人。
取り巻きの令嬢たち。
これが大きくなれば、何が起こるのか。
私にはわからない。
怖い。
「プラット」
セスナ教官の声が少しだけ低くなる。
「お前は被害を小さく見せようとしている」
胸が刺されたようになった。
「それはお前の癖かもしれない。だが、こちらはそれに合わせない」
厳しい言葉だった。
でも、突き放す言葉ではなかった。
「痛む場所を医務員に正確に伝えろ。聞き取りでも、言える範囲でいい。嘘を重ねる必要はない」
嘘を重ねる必要はない。
その言葉に、涙がまた出そうになる。
「はい、セスナ教官」
やっと答えた。
セスナ教官は頷き、医務員に追加の処置を確認した。
事態は動き始めていた。
私の意志とは関係なく。
いや、私の意志に反して。
聞き取り。
記録。
確認。
関係者。
その言葉たちが、医務室の白い壁に次々と貼られていくようだった。
私はベッドの端に座ったまま、手を握った。
脇腹が痛い。
腕も痛い。
背中も、太ももも。
でも、いちばん痛い場所は、まだよくわからなかった。
シュヴァルベ様が隣に立っている。
近い。
でも、少し遠い。
守れなかったと謝った声が、耳に残っている。
私は悪くないと言われた。
でも、まだそう思えない。
それでも、もう一人で隠すことはできなかった。
医務室の扉の向こうで、足音が聞こえる。
誰かが呼ばれたのかもしれない。
私は息を吐いた。
大丈夫。
そう言いかけて、止める。
大丈夫ではない。
でも、もうそれを一人で飲み込むことも、できなくなっていた。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
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