行方知れずの男
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2年前 帝都、ロイス公爵邸 マーリンの自室。
「ええと…うん、これにしよ。ふふふっ。」
茶葉の入ったガラス製のキャニスターを一つずつ吟味していたマーリンは、少し悩みながら一本を選び取った。
「マーリン、折角だがこれ以上は待てない、そこに座れ、話がある。」
楽しそうにもてなしの準備をしていたマーリンをソファーに座る男の声が止めさせた。
「?…はい…。」
マーリンが振り返ると男は向かいの席に座るように指し示した。マーリンは手に取ったばかりのキャニスターを元の位置に戻すと指示された場所に座った。
「用件だけを話す。よく聞け。私はしばらく屋敷を空ける。それと、お前に渡しておくものがある。」
そう言って席を立った男はマーリンに近づくと、跪いて黒いスエードの手袋をした手を差し出した。
「…手を出せ。」
頷いたマーリンが手のひらを上にして男の手に重ねると、男は反対の手に忍ばせていたものを誰からも見えないようにコトリとマーリンの手の上に落とした。
そして、両手でマーリンの手を包み込むと指を優しく折って握らせた。
「しばらく、預かっておいてくれ。」
男が離れ、ソファーに戻るとマーリンはゆっくりと握らされていた手を開いた。手のひらに置かれていたのは小さな赤い石が一つだけはめ込まれただけの指輪だった。
握らされた物の正体を知ったマーリンは驚いたように目を見開くと男を見た。
「これは?!印章の指輪ではありませんか!このようなものは預かれません!私にこの指輪を持つ資格はありません!お返しいたします!」
マーリンが突き返すように腕を伸ばし、態度で意志を示しても男は表情を変えることなく淡々と言葉を続けた。
「聞け。私の持つ公的な権限をすべてお前に渡す。とはいっても、お前も知っている通り、私に与えられた権限は微々たるものだ。身構える必要もなければ、お前がそれを持つことに何も問題はない。」
男の言葉を強く否定するようにマーリンは声を張った。
「なんとおっしゃられても、私などには過ぎたるものです!それに!」
続く言葉がマーリンの口をついて出る。
「許可は!お父様の許可はお取りになっていないでしょう!?」
男は僅かに眉を上げると短く息を吐く。その変化を読み取ったマーリンは失言とばかりに口元を押さえた。
「フ…父上の許可か。…この後に及んで、あの男の許可など必要ない。第一に、生きているのかも疑わしい状態ではないか。すでにこの世に居ないも同じだ。マーリン、お前もそう思っているのだろう?」
男の言い草にマーリンはドレスをきゅっと掴んで男を睨む。
「…お父様に対してそんな言い方はあんまりです!私は、諦めておりません!それに、理解しておられないのですか!?ロイスがどういう状況なのか。今、ここを留守にされれば、家が…。ロイスがどうなるとお思いですか!?」
「…少なくともお前よりは理解している。だからこそ言っているのだ。マーリン。事は一刻を争う。いつものようにお前が納得するまでだらだらと話をしている暇はない。これ以上は問答無用だ。我らが何を一番に優先すべきか考えろ。それが分からなければ今は何も聞かずに私に従え。」
男は冷たい表情でマーリンを見据えた。
いつもとは明らかに異なる男の表情と言い様にマーリンは怖気づくが、それでも引く気はない。
「そ、そのようにおっしゃられても、従うことなどできません!一刻を争う?!それは、一体なんだと言うのですか!?家や家族を捨て置いても、なお優先しなくてはならない事なのですか!?」
マーリンの言葉に視線を鋭くした男は低い声で静かに言った。
「…それを聞いてお前はどうするのだ?」
「そんなことはー」
マーリンにとって、いま何を優先すべきかは決まっていた。それについて改めて考えるまでもなかった。
だから、マーリンは即答した。
「私の考えは決まっています!私は!家族をー!」
「ー黙れ!」
「!!…っ、」
マーリンは男の怒鳴り声に一蹴された。
大きな声に肩をビクつかせ言葉を途切れさせたマーリンを男は怒気をはらんだ顔で上から怒鳴りつけた。
「何を優先すべきか分からないのならば、黙って従え!それから、私は!これ以上くだらない家族ごっこに付き合うのは、うんざりだ!」
マーリンは息を呑んだ。
男はとても冷たい目で有無を言わせず、打ちのめすように言葉を浴びせる。
「いいか、この事に関して、お前に拒否権はない。私はお前にお願いをしているのではない。これ以上、お前と問答をするつもりもない。これは、私から最後の命令だ。いいな!」
男は肩で息をしながらマーリンを見た。
恐々としたマーリンの様子を見た男はほんの一瞬だけ眉尻を下げて目をそらした。
「…話は済んだ、私はもう行く。」
そして、ぽつりとつぶやくと逃げるように部屋を出ていく。
マーリンは俯いたまま座っている事しかできなかった。
「くだらない…かぞく、ごっこ…。」
ただ、ただ、男の言葉が頭の中を支配していたのである。
この日を境にマーリンの行く手には暗雲が立ち込め、翻弄されることになった。
◇◇◇
「ありがとう、クリス。とても助かったわ。おかげで今日はゆっくり眠れそうよ。」
「授業中に居眠りなんてしたら大変だものね、ふふふっ……。うん、それじゃあ、おやすみなさい。」
戸口でクリスチーナを見送ったマーリンは、静かに扉を閉めて鍵をかけた。扉に背中を預けると自分の部屋を見渡してから大きく息を吐き出した。
全体的に落ち着いた色合いで統一された広い室内には所々に年頃の令嬢らしい調度品が並ぶ。お気に入りのティーセットにふかふかのソファーとクマの形をしたクッション。二年前から変わっていない。
しかし、マーリンの視線はそれらの物には一切止まることなく、一際存在感を放ち、二年前にはここになかった物に向けられていた。
それは、令嬢の部屋にはまるで似つかわしくない大きな執務机とその上に幾重にも積み重なった紙の束だった。
それらは元々ある男の持ち物であり役目だったものだ。
その男の名はクロード=ロイス。
ロイス公爵家の長兄で二年前、しばらく留守にすると屋敷を出て行ったきり、そのまま姿を消してしまったマーリンの兄である。
クロードは誰であろうと分け隔てなく考えを聞き入れ、それが間違っているときはきちんと相手が納得するまで根気強く理由を説明し時には説得する、面倒見のいい性格だった。
その中でもとりわけ妹のマーリンを気にかけていた。これはマーリンが数少ない肉親であり、他よりも特殊な環境に置かれていた妹のことを不憫に思ったからだ。
マーリンとクロードは腹違いの兄妹である。二人の兄妹仲はとても良好でクロードはマーリンをとても可愛がり、マーリンは優しく聡明なクロードを慕い、クロードの言うことだけはよく聞き入れた。そして、令嬢としての役割を自覚してからは多忙となったクロードの助けとなれる様に尽くした。
マーリンにとってクロードは兄であり、親でもあったのだ。
しかし、父であるロイス公爵の代わりとして公務を行う様になってからクロードの様子が変わっていった。
次第にマーリンの部屋を訪れる回数が減り、ロイス公爵に対してことあるごとに悪態を吐く様になったのだ。
どうしてクロードの様子が急変してしまったのかマーリンには分からなかった。何かして公務の苦労を労いたいと思う一方で、それ以上にそんな兄の姿を見ることに苦痛を感じていた。
それでもマーリンは自分にできることをしようと二人の時間に折り合いがついた時にはクロードの好むものを作っては自室に招き振る舞った。
そうして、あの日も紅茶を振る舞うためにクロードを自室に招いたのだった。
父であるロイス公爵に対してどんなに悪態をついていたとしてもクロードが家族の危機を捨て置いて、他を優先するなど考えられない。とそう考えたマーリンは迷うことなく自分の答えを口にした。
きっと、兄も心根では同じ考えであると信じていたのだ。
しかし、クロードはマーリンの話を最後まで聞くことなく、怒りをあらわにし、切り捨てた。
…くだらない、家族ごっことして。
そして、二年前のあの日、マーリンの部屋を出て行ったクロードはそのまま姿を消してしまった。
さらには、程なくしてガイア帝国とテルース王国との間に戦争が始まった。
戦争は宇宙を、国を、ロイス家を、マーリンを巻き込んだ。
クロードが姿を消したことで、ロイス公爵家に課せられた責務はすべてマーリンが行うことになった。
マーリンはこれを当然のこととして受け入れた。それが、帝国貴族にとって1番に優先すべきことだからだ。
課せられた義務を果たす為、マーリンは一生懸命公務に励み、国に尽くした。
マーリンが【フルール・デスポワール】と呼ばれるようになるのにそう時間はかからなかった。
クリスチーナを見送った後、ベッドに入らずに自室に移動させたクロードの執務机で書類にサインをしていたマーリンはペンを動かす手を止めた。
デフォルメされたクマのキャラクターが描かれた可愛らしいマグカップを手に取る。
冷めてしまったカップに口をつけたマーリンは残り少ない中身を一口、ゆっくりと口に含み味わった。
「美味しい…。」
クリスチーナの気遣いを噛み締める様に時間をかけて堪能したマーリンは席を立ち、窓辺に立つと真っ暗で先の見えない宇宙に目を向けた。
マーリンはあの日からこうして星空を見上げることが多くなった。
兄もどこかでこの星空を見ているのだろうか。
もしも、あの時クロードの真意を読み取ることができていたならば、状況は変わっていただろうか。
もしも、選択を間違っていなければ、状況は変わっていただろうか。
マーリンは過ぎ去ってしまった考えを振り払い分厚いカーテンで窓を隠すと執務机に向き合った。
手伝いを申し出たクリスチーナから受け取った書類の束から一枚抜き取ると、手をかざしロイスの正式な書類である証を刻み始めた。
どんなに電子化が進もうと、紙とペンがなくなることはない。
マーリンはゆっくりと手元に魔力を流し込む。手の指には赤い石がはめ込まれた飾り気のない指輪があった。
魔力を受けた指輪はうっすらと光を帯びると紙の上にロイス家の紋章を刻み込む。これは強力な偽造防止であり、帝国の公文書は紙に手書きのされたサインと印章の指輪によって刻まれたの紋章がなければ認められないのだ。
マーリンは紋章の刻まれた書類を傍に避けると次の書類を手に取って同じように紋章を刻んでいく。
最初、緊張しながらやっていたこの作業もいつの間にか何も感じなくなった。
ただ、何かに操られた人形の様に印章を刻み終えたら次の書類を手に取り、書かれた文字を読み、ペンを走らせ、紋章を刻む。
「お兄様…。あなたは今、どこにいらっしゃるのですか…?」
マーリンの表情には、明らかな疲労の色が浮かんでいた。
マーリンは今日も学園である。
しかし、マーリンが寝室に向かう事はない。手つかずの山から書類を手に取ると再びペンを取って、書類に走らせ始めた。
その日、マーリンの部屋の明かりが消えたのは、空がうっすらと白み始めてからだった。
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