行き過ぎた歓迎
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「マーリン嬢がお見えになったぞ!」
その声に出入り口を塞ぐ集団の視線がマーリンへと集中する。
マーリンの後ろからその光景を見ていたクリスチーナは呆れと驚きを吐き出した。
「なんて人たちなのでしょうか!まさかここに入り込んでまでお嬢様を誘いに来るとは思いもしませんでした!それに一体どうやって?!」
クリスチーナがそう言うのも無理はない。
今日ここを通ることができるのはすでに通り終わった数名とその従者、最後のマーリンだけである。
当然ながら集まった彼らは許されていない。無断侵入は厳しく罰せられる。
それ以前に出入口は強固に施錠され警備の人間まで配置されているはずなのだ。あれだけの人数が易々と入り込めるはずがない。
にもかかわらず彼らは無断で入り込み、ここを通るマーリンを今か今かと待ち受けていたのである。
クリスチーナはマーリンが学園の敷地から出るまでに少なからず彼らによる妨害を受けると予想していたが、それはマーリンがここから出て車に乗ってからだと考えていた。
こんなに早くそれが訪れるとは考えていなかったのだ。
「...チッ、甘かったか。」
クリスチーナは口惜しさに思わず舌を鳴らした。
それに対してさきほどから群衆の視線を一身に浴び続けているマーリンはというと、後ろから聞こえてきた声に「あら、舌打ちなんてはしたないわよ。ふふふっ」とクリスチーナの悪態を注意しながら置かれている状況を楽しんでいた。
後ろに振り返ったマーリンは顔を合わせるなり壁際に目配せをする。クリスチーナに「しばらく控えていて」と指示したのだ。
「お待ちください。お嬢様。まさか、あそこに行かれるのですか!?」
信じられないものを見るような顔で食い下がるクリスチーナにマーリンはよそ行きの穏やかな表情で答えた。
「クリス先輩が心配してくれるのはとても嬉しいけれど、大丈夫よ。それにせっかくここまでして先輩方が歓迎してくださっているのに、目の前で回れ右ではとても失礼でしょう?」
「しかし…!」
「これからお世話になるのだからご挨拶をしてくるだけよ。…そうそう、車には少し遅れると連絡しておいてあげてね。」
マーリンは何とか止めさせようと二の句を継ぐクリスチーナをよそに車への配慮を付け加えると、足取り軽やかに群衆でごった返す出口に足を向ける。
見送るしかなくなったクリスチーナの不安そうな視線を背中に感じながら。
マーリンがにこやかに微笑みながら自分たちに向かって歩いてきているのを確認した群衆は我先にとマーリンの前に詰めかけた。
それによってマーリンの行く手は完全に塞がれる。詰めかけた群衆は一定の距離を保ちつつも次々にマーリンに話しかけはじめる。
「マーリン様!ご入学おめでとうございます!先ほどの宣誓のお言葉、とても感動しました!」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。」
「マーリン様!おめでとうございます!私も感動しました!それで、私は!先日の晩餐会でお会いした3年の!」
「先日はお招きいただきありがとうございました。大変な御もてなしに・・・。」
「マーリン様!覚えていらっしゃいますでしょうか?私、以前ご挨拶させていただきました、2年の・・・」
次々に話しかけてくる群衆の中には面識のある者の姿もあったが、ほとんどは初対面だった。
マーリンは集まった群衆の気迫に内心では気押しされつつもそれを微塵も感じさせることなく、顔ににこやかな笑みをたたえて一人一人に丁寧に対応していく。
マーリンは受け答えをしながら彼らが身につけている制服に施された意匠をさり気なく確認していった。
この場所にマーリンの同級生は居らず、全員がマーリンの先輩であった。
この学園は貴族社会の縮図と言っても過言ではない。生徒同士の序列、力、上下関係、いわゆるスクールカーストは年齢や学年よりも家格が重要視されていた。
公爵家であるマーリンは入学したその日から学園カーストにおける最上位者の一人であった。
(クリス先輩の取り越し苦労ね。)
終始にこやかに時間が過ぎ、クリスチーナが心配していたようなことは起こらないとマーリンが考えた時だった。
「おい!僕は君より上級学年だぞ、場所を譲れ!」
「何言ってるんですか?僕の家格は君より上だ!下がれよ!」
「君たち止めないか!場を弁えろ」
「はぁ!?僕がお前にそんなことを指図される、筋合いはない!」
しかし、しっかりと教育を受けた育ちの良い人たちとはいえ、ここには公の場のような監視の目はない。加えて今日は特別な日ということもあり、うわついた若い彼らがこれだけ集まればそれなりにいざこざが発生してしまうのは避けられない。
それまでは一定の距離を保ち、節度をもって接していた彼らだったが、ふとしたきっかけでそのタガが緩み始める。
あちらこちらでいざこざや礼儀を欠いた行動が目立ちだす。
「マーリン様!この後のパーティには参加されますよね?ぜひ僕と一曲踊ってください!」
「いえ…、折角ですが、私は…。」
「どうしてですか!?ぜひ、私達とご一緒に!」
マーリンはあちらこちらで繰り広げられるいざこざに気を取られながら、そんなことは全く気にせず次々に誘いをかけてくる彼らに心なしか引きつった笑顔を向ける。
「マーリン様!宣誓の最後に見せてくださった笑顔はファンサですか?もう一度見たいです!ぜひお願いします!」
「え?ファン、サ??笑顔とは…?急にそんなこと言われても...。」
しまいには、携帯電話のカメラを向けて笑えと要求してくる者まで、無茶ぶりもいいところである。
「ええと。微笑えばいいの?こ、こうかしら…?」(にこり)
「「「おぉ!!」」」
しかし、律儀なマーリンはぎこちなくなりながらも要求に答える。
これがよくなかった。彼らの緩み切ったタガはマーリンのぎこちない笑顔によって完全に外れてしまった。
「まぁ、素敵!まるで天使様だわ。」
「なんと愛らしい。」
「こちらにも、こちらにもお願いします!」
興奮した群衆は次々に携帯電話を取り出しマーリンに向け始めた。
(これ、まずくない?ええと、クリスは…どこに…。)
この状況にマーリンもさすがにまずいと感じたのか、クリスチーナが控えている方向に視線を送り助けを求めた。
(人が多すぎて、見えない…。)
クリスチーナはすでに収拾に向けて動き出していたが、噂を聞きつけ膨れ上がる烏合の衆となってしまった彼らを簡単に治めることはできない状況になっていた。
マーリンは詰めかけた人々にジリジリと周りを取り囲まれ、前はおろか後ろにも逃げ場を失っていく。
マーリンの身体能力がいくら優れているといっても空を飛べるわけではない。この状況で逃げ出すのはもう不可能だった。
「んく…。」
(…どうしよう…大変なことになってしまった。)
目の前の制御不能となった光景にマーリンは息を呑んだ。急激に頭は冷えていく。
マーリンはクリスチーナの危惧していたことを今更ながらに思い知ったが、すでに遅い。
いつものマーリンならばクリスチーナの忠告を簡単に受け流すことはない。しかし、今日はマーリンにとっても特別な日。烏合の衆と同様に心が浮ついていたのは紛れもない。
登壇し登った彼女が聴衆の前にもかかわらず、最後に無意識ににっこりと本来の姿を見せてしまうほど、舞い上がっていたのは間違いなかった。
マーリンは自分の軽率さを痛感していた。
(…どうしよう、クリスは近くに居ないし。怖くなってきたわ。なんとかして、落ちついてもらわないと。)
「あ、あの!皆様、少し落ち着いてください!聞いてください!」
マーリンが大きな声で何度も呼びかけても効果はなかった。マーリンの声は群衆の喧騒にかき消される。
「あの…。落ちついて…。私、…帰らないと…。」
かろうじて保たれていた表情はマーリンの顔から完全に消え、恐怖の色が濃くなっていく。
向けられる歓迎の心や声はもはや恐怖でしかない。マーリンはその場から動くことはおろか声を出すこともできなくなっていた。
「マーリン様!笑って下さいよ!」
「ねぇ!マーリン様!こっちを向いて下さい!ちょっとでいいから!」
「帰る?そんなこと言わずに。マーリン様、僕と一緒にパーティにいきましょう。エスコートしますよ!」
「何ぐずぐずしてるんだよ!さっさと連れて行こうぜ!」
そしてついには興奮状態の群衆の一人がマーリンの身体に手を伸ばした。
令嬢の身体に許可もなく触れるなど言語道断である。ましてや、マーリンは婚前の公爵令嬢だ。家族以外の男性に触れられたことなど一度もない。
「えっ!ちょっと…!」
予想外の事態にビックリして声をあげたマーリンだったが、逃げようと周りを見ても四方を囲まれた状態で逃げ道はない。
(いや!怖い。誰か!助けて!)
自分の腕に伸びてくる大きな手を前にしてマーリンは恐怖で目をギュッとつぶった。
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