公爵令嬢の素顔
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「素晴らしい宣誓でした。まさに、我らが崇敬するフルール・デスポワールにふさわしいお姿。あの場にいらっしゃった全員が、お嬢様のすばらしさを再認識したに違いありません。」
石造りのエンタシスがずらりと並ぶ長い廊下を一人で出口に向かっていたマーリンはスーツ姿の女性に出迎えられた。
足を止めたマーリンはふわりと微笑む。
「崇敬だなんておおげさよ、クリス。でも、ありがとう、とてもうれしいわ。ふふふっ。」
マーリンのことを称賛するこの女性の名はクリスチーナ=アリソン。ロイス公爵家に仕えるアリソン伯爵家の令嬢でマーリン専属の侍女である。
マーリンよりも5つ年上の彼女はロイス公爵令嬢専属の傍仕えとなるべく幼い頃から様々な技術を教え込まれてきた。何事にも秀でた彼女は侍女でありながらマーリンの護衛も務めていた。
再び歩き出したマーリンは後ろを歩くクリスチーナにため息混じりで問いかける。
「いつも思うのだけど、フルール・デスポワールだなんて、いったい誰が言い出したのかしら?私が何か言われるようなことをした覚えはないし。それに少し恥ずかしく感じるわ。」
すると、間を置くことなく諫める声が返ってきた。
「お嬢様。またそのようなことを仰って。どこでどなたが聞いているかもわからないのです。お気を付けくださいませ。」
「大丈夫。ちゃんと気を付けているわ。だって、思ったことをすぐに口に出してもいいのはクリスと二人きりの時にだけって決めているもの。ふふふっ。」
「まぁ。」
いつもよりも楽しそうに前を歩いていたマーリンは何を思ったのか急に立ち止まった。
そしてくるりと身体の向きを変えると何事かと首をかしげている顔を覗き込む。
「クリスチーナさん。そういえばこの学園の卒業生でしたわね。もしよろしければ、この後、不慣れな後輩に学園内を案内していただけませんか?」
「ね、いいでしょ?クリスチーナ先輩!うふふっ!」
マーリンはパッと花が咲いたような屈託のない顔で笑った。
クリスチーナが初めてマーリンと会ったのは10歳の時である。
その当時、マーリンは全くと言っていいほど公の場に姿を現すことはなかった。
まだ幼い子供とはいえ、マーリンは皇族に連なる公爵家の令嬢である。少なくとも公式なパーティくらいは姿を見せるはずだった。
しかし、クリスチーナが参加したパーティでそれらしい令嬢を見かけたことはなかった。アリソン家が挨拶をしたとき、ロイス公爵はいつも一人か居たとしても令嬢ではなかったのだ。
そのことをクリスチーナは疑問に思っていた。
それは噂の絶えない社交界も同様で姿を見せない謎の公爵令嬢に病気説、早世説、そもそも令嬢は存在しない説など、様々な噂が流れたのである。
だから、初目通りの時はこれから仕える人が、というよりは謎の公爵令嬢が一体どんな人物なのかとても興味があった。
そして、実際に目にした公爵令嬢の天使のような容姿と穏やかな佇まいにクリスチーナはとても驚いた。
その時のマーリンに対する第一印象は「天から遣わされた令嬢」だったのである。
しかし、仕え始めた初日、すぐに思い知ることになった。理由がわかった。マーリンがどうして公の場に姿を見せないのか。
子供ながらに身体能力が高く何事にも好奇心旺盛なマーリンは非常に活発な子供・・・、正直言ってお転婆娘だったのだ。傍仕えのクリスチーナは勿論のこと周囲の大人はいつも頭を抱えていたほどだった。
そんなマーリンだったが年齢を重ねるにつれて落ち着き、学園に入学する年齢になった今では「淑女の鏡」と言っても過言ではないほどに成長した。
マーリンの変化に周囲の大人は胸を撫でおろしただけではなく今では称賛している。
しかし、実のところあの頃とあまり変わっていない。マーリンの素顔は「穏やかに微笑む令嬢」ではなく「にっこりと笑う女の子」だったのだ。
その顔を知る数少ない者として、最近では目にすることがめっきり少なくなってしまったことにクリスチーナは寂しさと物足りなさ感じていた。
自分の手を取り楽しそうに笑っている久しぶりの主人の姿にクリスチーナは内心で目を細めて微笑んだ。
「お嬢様。そろそろ参りましょう。このような場所にいつまでもこうしているわけにも参りません。」
「うふふっ。ごめんなさい。つい舞い上がってしまったわ。でもね、どうしてもクリスを『先輩』って呼んでみたかったの。お父様には内緒ね。」
顔の前で両手を合わせた格好のマーリンに、クリスチーナはわざと呆れたような仕草をして向かうべき進行方向を丁寧に指し示した。
「は~い。すぐに行きます。クリス先輩!うふふっ!」
終始上機嫌なマーリンは長い廊下を再び出口に向かって歩き出した。
「この後はお屋敷にお戻りになられますか?それとも?」
「ん~、そうね。」
入学式典が終われば学生生活初日の予定は終了である。
マーリンは宣誓が終わった直後からこの後の予定を決めかねていた。それは一大イベントを終え今日は何も考えず自室でゆっくりと過ごすか、この後開かれる有志主催の新入生の歓迎パーティへ参加するかだ。
クリスチーナは考え込むマーリンの後ろ姿を見ながら頭を働かせていた。
もし、この歓迎パーティにマーリンが行くと言った時、どうやって止めさせるかを考えていたのだ。
この歓迎パーティは有志主催とあるように、公式な行事ではないため参加も不参加も気軽にできるように配慮がされていた。
しかしながら、貴族の為の学園であるこの場所において、このパーティはより力のある家の人間と『気軽にお近づき』になるチャンスであったのだ。
もし、マーリンがそのような場に姿を現せばどうなるかは火を見るよりも明らかだった。
マーリンが他の生徒同様に講堂から1歩出ただけで、間違いなくパーティへお誘いの生徒に取り囲まれていただろう。
しかし、実際はそのようなことは起こっていない。
今この場所に居るのはマーリンとクリスチーナだけだ。それには当然理由がある。それはこの廊下が許された者のみが歩くことができる場所だからだ。
だからマーリンは何の障害もなく講堂や学園から出ることが出来るのだ。
伯爵家のクリスチーナは当然この廊下を使うことを許されていなかった。しかし、その時にはロイス公爵令嬢に「一番近しい人物」となっていたから、何もなかったはずはない。
クリスチーナの脳裏にはこのパーティへのお誘いという名の苦い思い出がひしひしと蘇ってきていたが、自分の主人が同じ目に合わなくて済んだことに安堵した。
マーリンはしばらく悩んでから口を開いた。
「ん~。せっかくだから歓迎パーティには出てみたい、けれど・・・。まだ片づけなければならない仕事が残っているし、今日はこのまま屋敷に帰ることにするわ。」
「かしこまりました。それでは至急、車を回させます。」
別の場所に行くでも、ゆっくりと過ごしたいでもなく、帰る理由が仕事。マーリンの出した結論にチクリと胸を痛めたが、クリスチーナはスーツの内ポケットから携帯端末を取り出して電話をかけ始めた。
と、その時である。
「お見えになったぞ!フルール・デスポワール!マーリン嬢だ!」
しばらく進んだ廊下の先、出口付近にはひとだかりができていた。
許可なく中に入り込んだ集団の一人がマーリンの姿を見つけて声を上げたのである。
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