特訓
ご覧いただきありがとうございます。
許可が下りた。
条件付き。
その言葉は、思っていたより重かった。
王都記念杯・学生人形使いトーナメント。
王立宇宙軍士官学園協力。
学外公開模擬戦大会。
精密操作競技と、二人一組の模擬戦。
個人戦は出ない。
追加訓練は、セスナ教官かボーイング補助員の監督下。
魔力流量に異常が出たら即中止。
シュヴァルベ様が、私の状態管理を優先する。
私は、シュヴァルベ様の指示を聞く。
無理はしない。
無理だと思ったら言う。
怖いなら怖いと言う。
大丈夫です、で済ませない。
申請書の承認欄に表示された許可印を見ながら、私はしばらく動けなかった。
許可が下りた。
つまり、始まる。
逃げ場がなくなった、というより、逃げないと自分で決めた場所に立たされた感じだった。
怖い。
かなり怖い。
でも、一人ではない。
そこだけは、何度も心の中で確かめた。
シュヴァルベ様と組む。
シュヴァルベ様を頼る。
私はそれを、自分の口で言った。
言ったからには、練習しなければならない。
頼る練習。
戦う練習より、そちらの方が難しそうだった。
放課後、演習棟の横にある基礎訓練区画で、特訓は始まった。
最初に人形へ乗るのかと思っていた。
少しだけ期待したわけではない。
むしろ、できれば乗りたくなかった。
でも、人形に乗る前に待っていたのは、基礎体力訓練だった。
私は訓練服の袖を直しながら、目の前の低負荷走行レーンを見た。
走る場所だ。
とても走る場所だ。
嫌な予感しかしない。
「プラットさん」
シュヴァルベ様が隣に立つ。
訓練服姿でも、姿勢がきれいだった。
同じ服を着ているはずなのに、どうしてこんなに違うのだろう。
私が着ると、訓練服が訓練服です、と主張してくる。
シュヴァルベ様が着ると、訓練服の方が背筋を伸ばしている気がする。
「基礎体力は、短期間で劇的に上がるものではありません」
「はい」
「ですが、呼吸を乱さないこと、力を入れすぎないこと、疲労を早めに申告することは訓練できます」
「はい」
「まず、ゆっくり走ります」
「はい」
ゆっくり。
その言葉に少し安心した。
「止まらずに」
安心が少し減った。
「速度は上げません。最後まで同じ速度で。速さではなく、呼吸と姿勢を見ます」
「はい」
セスナ教官は少し離れた場所で端末を見ている。
監督者として、訓練記録を確認するらしい。
逃げられない。
いや、逃げるつもりではない。
ないけれど、逃げ道があると少し安心する。
今回はない。
「始めます」
「はい」
走り出す。
本当にゆっくりだった。
歩くより少し速いくらい。
これなら大丈夫だと思った。
思ったのは最初だけだった。
しばらくすると、足が重くなる。
呼吸が浅くなる。
肩が上がる。
頭の中で、走るという行為の意味がだんだん薄れていく。
なぜ人は走るのだろう。
歩けばいいのでは。
いや、訓練だから走っている。
わかっている。
でも、足が納得してくれない。
「プラットさん、肩が上がっています」
「はい」
「息を吸おうとしすぎないでください。吐く方を意識して」
「はい」
吐く。
吐く。
吸う。
あれ、吸うのはいつだっただろう。
「吸うのを忘れないでください」
「はい」
読まれた。
シュヴァルベ様は横を同じ速度で走っている。
息が乱れていない。
髪も乱れていない。
汗もほとんど見えない。
人間の形をしているけれど、人間ではないのかもしれない。
いや、失礼だ。
侯爵令嬢だ。
すごい人間だ。
「プラットさん、顔が遠くへ行っています」
「戻ります」
「戻ってください」
少しだけ笑いそうになった。
でも、笑う余裕はあまりなかった。
足が重い。
胸が苦しい。
けれど、倒れそうではない。
前より少しだけ、苦しさの種類がわかる。
これは危険な苦しさではない。
疲れている苦しさ。
申告するほどではない。
いや、申告する練習なのだから、言った方がいいのだろうか。
「ユンカース様」
「はい」
「疲れてきました」
言えた。
かなり偉い。
「わかりました。あと半周で歩きます」
「はい」
すぐ止めるのではなく、半周。
でも、終わりが見えると少しだけ足が動く。
私は半周走り切って、歩行へ移った。
膝が少し笑っている。
膝は楽しいのだろうか。
私は楽しくない。
「悪くありません」
シュヴァルベ様が言った。
「本当ですか」
「ええ。疲労を申告できました」
褒める場所がそこ。
でも、たしかに大事な場所だ。
私は息を整えながら頷いた。
「申告するだけで、少し緊張します」
「慣れが必要です」
「はい」
「あなたは限界を隠そうとします。だから、限界より前に言う訓練をします」
限界より前。
それは難しい。
私はいつも、限界が来ても少し黙ってしまう。
限界を超えたら、たぶん倒れる。
そこでようやく周りが気づく。
最悪だ。
女将さんにも怒られる。
「頑張ります」
「頑張りすぎないでください」
「はい」
この返事は、なかなか難しい。
基礎体力訓練の次は、姿勢維持と反応訓練だった。
低い台の上で片足立ち。
身体を捻って、光った方向へ手を伸ばす。
ゆっくり屈んで、立ち上がる。
決められた姿勢を保つ。
地味。
とても地味。
でも、きつい。
「これ、人形と関係ありますか」
思わず聞いてしまった。
シュヴァルベ様は、すぐに頷いた。
「あります。機体の姿勢を取る時、あなた自身の姿勢感覚が乱れると、魔力の糸にも乱れが出ます」
「糸にも」
「ええ。特にあなたは、細かく制御できる分、身体側の乱れも伝わりやすい可能性があります」
なるほど。
わかったような、わからないような。
でも、言われてみれば、疲れている時のリンクは少しざらつく。
糸が細すぎて、自分の震えまで拾ってしまう感じ。
「体力がないと、人形も疲れるんですね」
「正確には、あなたが疲れることで制御が乱れます」
「私のせいでした」
「責めていません」
「はい」
責められていないのに、すぐ自分のせいにする。
悪い癖だ。
それも直した方がいいのだろうか。
直すものが多い。
体力。
呼吸。
姿勢。
頼ること。
自分のせいにしすぎないこと。
人間は大変だ。
人形の方が、まだ構造がわかりやすいかもしれない。
「プラットさん、集中が落ちています」
「はい」
「休憩しましょう」
「まだできます」
言った瞬間、シュヴァルベ様の目が静かにこちらを見た。
「今のは、条件違反に近い言葉です」
「……はい」
しまった。
まだできます。
大丈夫ですの親戚だ。
かなり近い親戚。
「疲労はありますか」
「あります」
「では休憩します」
「はい」
私は素直にベンチへ座った。
シュヴァルベ様が水筒を差し出す。
「飲んでください」
「あ、ありがとうございます」
受け取って、少し飲む。
冷たい。
喉が気持ちいい。
「水分も、言われる前に取れるようにしましょう」
「はい」
「食事は取れていますか」
「はい。ハネダ亭でまかないをいただいています」
「それはよかった」
シュヴァルベ様の声が少し柔らかくなった気がした。
「ハネダ亭の食事は、温かそうですね」
「はい。とても。大将も女将さんも、食べさせることに強いです」
「強い」
「はい。食べないと怒られます」
「それは、良いことです」
良いこと。
たしかに、良いことなのだと思う。
怒られるのに、温かい。
不思議な怒られ方だ。
「ユンカース様は、ハネダ亭のまかないを召し上がったことはありませんよね」
言ってから、しまったと思った。
侯爵家令嬢にまかないの話。
失礼だっただろうか。
でも、シュヴァルベ様は少し考えるようにしてから答えた。
「ありません。ですが、機会があれば伺いたいと思っています」
「本当ですか」
声が少し大きくなった。
「ええ」
「大将も女将さんも喜ぶと思います。あ、でも、ハネダ亭は綺麗なお店ではなくて、その、周りのカフェみたいにおしゃれでもなくて」
「私は、店の新しさで食事を判断するつもりはありません」
「はい」
少し恥ずかしくなる。
私は何を心配していたのだろう。
シュヴァルベ様が古い店を嫌がるかもしれない、と勝手に思った。
失礼だ。
でも、王都の綺麗な場所に慣れている人には、ハネダ亭は浮いて見えるかもしれない。
私はあの浮き方が好きだけれど。
「大会が終わったら、伺えるとよいですね」
シュヴァルベ様が言った。
大会が終わったら。
その言葉に、胸が少し温かくなる。
大会の先に、ハネダ亭で食事をする時間がある。
それを想像すると、少しだけ怖さが薄くなった。
実機訓練は、ボーイング補助員の監督で行われた。
使用機は訓練機、トレパペ。
安全設定は通常訓練より少し厳しめ。
模擬戦ではなく、連携と精密操作の確認が中心。
とはいえ、コクピットに入ると、やっぱり指先が冷えた。
球状のコクピット。
全周囲モニター。
手にはめるインタフェース。
起動前確認。
魔力の糸を細く伸ばす。
機体の腕、脚、背中、スラスター、各部へ通していく。
この感覚は、嫌いではない。
それがまた怖い。
嫌なのに、馴染む。
怖いのに、わかる。
私は手の中の糸を細く整えた。
『六番機、リンク確認。プラットさん、魔力流量は安定しています』
ボーイング補助員の声。
『はい、ボーイング補助員』
声に出すと、少しだけ気持ちが整った。
コクピットの中で交わす言葉は、教室の返事とは違う。
短くて、はっきりしていて、迷う余地をできるだけ残さない。
そういう返事をするたびに、私は今、人形の中にいるのだとわかる。
『一番機、ユンカース。通信良好』
シュヴァルベ様の声が入る。
『六番機、プラット。通信、良好です』
『プラットさん、まず呼吸を整えてください』
『はい、ユンカース様』
息を吸う。
吐く。
怖い。
でも、言う。
『少し怖いです』
一瞬、通信の向こうが静かになった。
言ってよかったのか、少し不安になる。
でも、すぐにシュヴァルベ様の声が返った。
『わかりました。怖いまま、起動前確認を続けます』
怖いまま。
その響きは、胸の奥に静かに残った。
怖さを消してからではない。
怖くないふりでもない。
怖いとわかっているまま、手を動かす。
そのために、後ろから聞こえる声を頼る。
一人ではなく。
『右腕、確認』
私は六番機の右腕をゆっくり上げる。
速くしない。
滑らかにしすぎないように、でも不自然にはしない。
それが難しい。
手が勝手に最短の動きを選びそうになる。
私は少しだけ遅らせた。
『動きが硬いです』
シュヴァルベ様の指摘。
『はい』
『抑えるのではなく、待ってください』
待つ。
前にも言われた。
私は腕を下ろし、もう一度上げる。
今度は、動きを止めるのではなく、命令を細く流す。
動ける。
でも、今はこの速度。
糸を握りつぶさない。
引っ張りすぎない。
『今の方が良いです』
『はい』
少しだけ嬉しい。
人形の腕を上げただけなのに。
でも、シュヴァルベ様に良いと言われると、胸の奥に小さな灯りがつく。
単純だ。
私はやっぱり単純だ。
次は低速移動。
指定位置停止。
支援機との距離維持。
シュヴァルベ様の一番機が後ろから支援位置に入る。
私は六番機を前へ出しすぎないように動かす。
『半機分、左』
『はい』
『停止』
『はい』
『右後方を空けてください』
『はい』
声を聞く。
声に従う。
自分だけで全部を見ようとしない。
それは、思っていたより難しかった。
私は前を見る癖がある。
赤い点を見ると、そこへ意識が吸われる。
危険の方へ、まっすぐ。
でも、バディなら後ろに声がある。
その声を信じる。
『模擬目標を出します』
ボーイング補助員の声と同時に、モニターに赤い点が表示された。
小型模擬標的。
攻撃はしない。
ただ、こちらの進路を横切るだけ。
わかっている。
訓練。
危険ではない。
それでも、赤い点を見た瞬間、指先が反応した。
胸が冷える。
頭の奥で、別の空が開きかける。
そこから入ってくる。
赤い警告。
敵影。
進路。
落とす角度。
今なら。
違う。
訓練。
追わない。
でも、六番機がほんの少し前へ出た。
『プラットさん』
シュヴァルベ様の声。
短い。
でも、強い。
私ははっとした。
『止まってください』
『はい』
六番機を止める。
糸が震えた。
『呼吸』
『……はい』
吸う。
吐く。
赤い点が横を抜けていく。
追わない。
追わない。
追わなくていい。
『怖いですか』
シュヴァルベ様が聞く。
『怖いです』
言えた。
『追いたくなりましたか』
『……はい』
言うのは、もっと怖かった。
でも、言った。
『わかりました。では、追わない訓練を続けます』
怒られなかった。
否定もされなかった。
ただ、続けると言われた。
それが少しだけ、胸を支えた。
二回目。
赤い点が出る。
私は前に出そうになる。
シュヴァルベ様の声。
『待って』
止まる。
三回目。
赤い点。
『まだです』
待つ。
四回目。
赤い点。
『今は見るだけです』
見るだけ。
追わない。
落とさない。
赤い点は、敵ではない。
訓練の目標。
私は少しずつ、赤い点と自分の指先の間に、シュヴァルベ様の声を置けるようになった。
完全ではない。
油断するとすぐ引っ張られる。
でも、声があれば戻れる。
一人で戦わない。
それは、こういうことなのかもしれない。
『六番機、魔力流量、軽度上昇。危険域ではありません』
ボーイング補助員の声。
『プラットさん、状態を申告してください』
『指先が冷たいです。視界は狭くありません。呼吸は少し浅いです』
言えた。
具体的に。
大丈夫です、ではなく。
『よろしいです。休憩を入れます』
休憩。
その言葉で、身体の力が少し抜けそうになる。
でも、帰投までが訓練。
私は姿勢を維持して、ゆっくり指定位置へ戻った。
訓練後、私は整備床の端にある休憩ベンチで、水を飲んでいた。
足が重い。
指先も少し疲れている。
でも、倒れそうではない。
ボーイング補助員が記録を確認し、セスナ教官へデータを送っている。
シュヴァルベ様が隣に座った。
少し距離を空けて。
近すぎず、遠すぎず。
その距離が、今はありがたかった。
「プラットさん」
「はい」
「途中で申告できましたね」
「はい。少し、怖かったです」
「申告することが?」
「はい」
「慣れましょう」
「はい」
短い会話。
でも、少しずつ胸に残る。
シュヴァルベ様は小さな包みを取り出した。
「糖分を取りましょう」
「糖分」
強い言葉だ。
とても強い。
包みの中には、小さな砂糖菓子が入っていた。
透明な飴のようなもの。
淡い琥珀色。
「よろしいんですか」
「訓練後の補給です」
補給。
とても正当な響き。
私は一つ受け取った。
口に入れると、甘さがじんわり広がる。
「……うまうま」
小さく出た。
シュヴァルベ様が、ほんの少しだけ瞬きをした。
しまった。
ハネダ亭では慣れてきたけれど、シュヴァルベ様の前ではまだ少し恥ずかしい。
「あ、すみません」
「謝ることではありません」
シュヴァルベ様は、少しだけ口元を緩めた。
「おいしいなら、よかったです」
「はい。とても」
甘い。
疲れた身体に、甘さがしみる。
水も甘いものも、訓練の一部。
そう思うと、少しだけ罪悪感が減る。
お菓子は大事。
補給なら、さらに大事。
「ユンカース様は、甘いものはお好きですか」
聞いてから、少し緊張した。
何を聞いているのだろう。
でも、シュヴァルベ様は普通に答えてくれた。
「好きです。ただ、食べる時間は限られます」
「侯爵家は、お菓子もきちんとしていそうです」
「きちんと、というのは?」
「えっと、角度とか、順番とか、食べる速度とか」
シュヴァルベ様が少しだけ考えた。
「礼法の場では、ある程度はあります」
「お菓子にも礼法……」
王都は深い。
侯爵家はもっと深い。
私は砂糖菓子を大事に舐めながら、少しだけ想像した。
綺麗な皿。
銀の器具。
並んだ焼き菓子。
姿勢よく食べるシュヴァルベ様。
その中に私が混ざったら、きっと一口目で変な音を出す。
「あわわ、となりそうです」
「何がですか」
「いえ、侯爵家のお菓子の場に自分がいたら、です」
「……プラットさんは、時々とても具体的に不安になりますね」
「すみません」
「謝ることではありません」
それも、少し慣れてきた言葉だった。
謝ることではありません。
大丈夫ではなく申告。
怖いまま進む。
頼る。
言葉が少しずつ増えていく。
私の中に、今までなかった道具が増えるみたいだった。
「大会が終わったら」
シュヴァルベ様が言った。
「ハネダ亭へ伺う件、まだ有効でしょうか」
私は顔を上げた。
「もちろんです。大将も女将さんも、きっと喜びます」
「では、良い結果を持って伺えるようにしましょう」
良い結果。
優勝。
賞金。
ハネダ亭。
一気に現実が戻ってくる。
怖い。
でも、砂糖菓子の甘さもまだ残っていた。
「はい」
私は頷いた。
「頑張ります。……頑張りすぎないように、頑張ります」
シュヴァルベ様が今度は確かに少し笑った。
「それでよいと思います」
胸がふわっとした。
少しだけ。
本当に少しだけ。
ハネダ亭でも、大将と女将さんは大会のことを気にしていた。
店に入るたびに、女将さんの目が私の顔色を見る。
「ローレ、無理してないね」
「していません!」
「声はいい。足は?」
「少し疲れています」
「よし。配膳は少なめ。今日は注文取りと卓拭き中心」
「はい」
「大丈夫ですって言わなかったね」
「言いかけました」
「正直でよろしい」
女将さんはそう言って、私の頭を軽くぽんと叩いた。
温かい。
大将はまかないを少し増やした。
「大会出るなら食べないとな、ローレちゃん」
「大将、少し多いです」
「言えたな。じゃあ減らす」
大将はご飯を少し減らした。
本当に少しだけ。
もしかしたら、形を整えただけかもしれない。
でも、私は何も言わなかった。
まかないはおいしい。
うまうま。
大将も女将さんも、私が大会に出ることを心配している。
心配しているけれど、止めるだけではなく、見てくれている。
食べさせてくれる。
無理を見抜こうとしてくれる。
それが、少し痛くて、温かい。
「ローレ」
女将さんが皿を下げながら言った。
「勝つことより、帰ってくることだよ」
「はい」
「賞金より、あんたの手」
「はい」
「ハネダ亭は、あんたを危ない場所へ押し出したくてあるわけじゃない」
胸が詰まる。
「はい。わかっています」
「ならいい」
女将さんはそれ以上言わなかった。
私はその言葉を、まかないと一緒に飲み込んだ。
温かくて、少し苦しい。
でも、残したくない言葉だった。
二週間は、長いようで短かった。
学園。
訓練。
ハネダ亭。
追加訓練。
休憩。
糖分補給。
また訓練。
足は何度も重くなった。
指先は何度も冷たくなった。
赤い点を見るたびに、胸はまだざわつく。
でも、最初よりは少しだけ戻れるようになった。
シュヴァルベ様の声を聞く。
『待って』
『追わない』
『今です』
『戻って』
その声が、赤い点と私の間に入る。
私はそれを頼る。
頼るたびに、怖さが消えるわけではない。
でも、怖さに飲まれる前に、少しだけ息ができる。
大会直前の最後の訓練で、私は六番機を指定位置に止めた。
ぴたり、とはいかなかった。
ほんの少しだけ揺れた。
でも、許容範囲。
ボーイング補助員が記録を読み上げる。
『六番機、停止誤差、許容範囲内。魔力流量、安定』
『一番機、支援位置、良好』
シュヴァルベ様の機体が後ろにいる。
私は通信越しに息を吐いた。
『プラットさん』
『はい、ユンカース様』
『最後の停止は悪くありませんでした』
『ありがとうございます』
『ただし、直前に力が入りました』
『はい』
ばれている。
やっぱりばれている。
『本番でも、同じように力が入る場面があります。そういう時ほど、私の声を聞いてください』
『はい』
『あなたは一人ではありません』
コクピットの中で、私は小さく頷いた。
『はい。頼ります』
その言葉は、最初より少しだけ言いやすくなっていた。
訓練を終えて機体から降りると、足元が少しふわふわした。
でも、立てる。
手も震えていない。
指先は冷たいけれど、これは危険な冷たさではない。
緊張だ。
怖さだ。
そして、少しの期待かもしれない。
シュヴァルベ様が整備床を歩いてくる。
「プラットさん」
「はい、ユンカース様」
「準備は、できる範囲で整いました」
「はい」
できる範囲。
完璧ではない。
でも、今の私ができるところまでは来た。
「本番では、予想外のことも起きます」
「はい」
「その時も、私を頼ってください」
「はい」
私は手を握った。
怖い。
大会が怖い。
人形戦が怖い。
観客も、視線も、赤い点も怖い。
でも、私は一人で戦うわけではない。
シュヴァルベ様が後ろから指示を出してくれる。
私はその声を聞く。
勝つために。
ハネダ亭を守るために。
そして、自分を壊さないために。
「よろしくお願いします、ユンカース様」
「こちらこそ、よろしくお願いします。プラットさん」
本番は、もう目の前だった。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
面白いと思っていただけましたら、評価、ブックマークをお願いいたします。
励みになります!




