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王国地上軍士官学校

ご覧いただきありがとうございます。

一年C組に、合同演習の通知が届いた。


相手は、王国地上軍士官学校。


通知を見た瞬間、講義室の空気が少し変わった。


楽しみにする声もあった。


面倒そうな声もあった。


そして、少しだけ嫌な笑いもあった。


私は端末の画面を見つめたまま、胸の奥が重くなるのを感じた。


合同演習。


宇宙軍士官学校と地上軍士官学校。


同じ王国の軍を目指す学校なのに、この二つはあまり仲が良くないらしい。


最初にそれを知ったのは、食堂で誰かが話しているのを聞いた時だった。


宇宙軍は花形。


星々を渡り、人形を駆り、艦隊と共に戦う。


貴族子女や選抜生が多く、上位貴族も少なくない。


一方、地上軍は地味だと言われることが多い。


地表の制圧。


補給線の確保。


市街地の警備。


避難誘導。


瓦礫の中を進み、泥の上に立つ。


下級貴族や一般の志願平民が多い。


そのせいか、宇宙軍側には地上軍を見下す空気がある。


一部では、フィルシーワームと呼ぶ者もいるらしい。


汚いミミズ。


初めてその言葉を聞いた時、私は少し気分が悪くなった。


人をそんなふうに呼ぶのは嫌だ。


誰かが泥にまみれるのは、そこに行かなければならない理由があるからだ。


安全な場所から、汚いと笑うためではない。


でも、そう思っても口には出せなかった。


出したら目立つ。


目立つのは、やっぱり怖い。


確執には、もっと決定的な理由もあった。


過去の合同演習で事故が起きた。


宇宙軍側が地上軍部隊を航空支援する際、誤って模擬弾を地上軍部隊の真上に落とした。


模擬弾だったため死者は出なかった。


でも、多数の負傷者が出た。


中には軍役が不可能になった生徒もいたらしい。


それを宇宙軍側は、不慮の事故として処理した。


その話を聞いた時、私は指先が冷たくなった。


不慮の事故。


便利な言葉だと思った。


でも、怪我をした人にとっては、それで終わらない。


軍役ができなくなった人にとっては、人生が変わってしまった出来事だ。


それを事故で片づけられたら。


私なら、きっと忘れられない。


地上軍が宇宙軍を快く思わないのは、当然かもしれない。


私は端末を閉じた。


合同演習の任務概要が、頭の中に残っている。


敵地補給地点の奪還。


取り残された住民の退避。


一年C組は、シュヴァルベ様を隊長とする航空支援部隊。


地上軍士官学校の一等兵科生徒で構成される地上部隊を支援する。


支援。


その言葉が、とても重かった。



顔合わせは、合同演習場の中央会議棟で行われた。


演習場は学園の敷地外にあり、都市区画を再現した訓練施設を備えている。


遠くから見える建物群は、整っているのに壊れていた。


人工の瓦礫。


崩れかけた壁。


狭い路地。


途切れた橋。


黒く焦げたように塗られた補給倉庫。


演習用だとわかっていても、胸が少し冷える。


ここで避難民誘導をする。


補給地点を奪還する。


そして、人形で地上部隊を支援する。


人形。


大きな機体が地上を歩けば、道を塞ぐ。


狭い路地では、地上部隊の進行を邪魔する。


飛べば、スラスターの推力風で瓦礫が崩れるかもしれない。


建物が倒れるかもしれない。


避難民役の人が転ぶかもしれない。


地上軍部隊の速度が落ちるかもしれない。


宇宙では空間が広い。


もちろん宇宙にも死角はある。


でも地上は、別の意味で狭い。


人形が強いからといって、どこでも前へ出ればいいわけではない。


私は会議棟の窓から演習区画を見て、手を握った。


戦場ではない。


でも、戦場の形をしている。


「ローレさん」


セシリアさんがそっと声をかけてくれた。


「顔色は大丈夫ですか?」


「はい。少し緊張しているだけです」


ミリアが横からじっと見た。


「少し?」


「……かなり、です」


「よし」


よし、なのだろうか。


でも、ちゃんと言い直せたので、少しだけえらい気がする。


トムは窓の外を見ながら、少し真面目な顔をしていた。


「地上戦って、想像よりごちゃごちゃしてるな。人形で飛んだら楽勝って思ってたけど、あの路地だと逆に邪魔になりそうだ」


「そういうところを確認する演習なんだと思う」


ミリアが言う。


「トム、前に出すぎると本当に怒られるよ」


「わかってるって。たぶん」


「たぶんを消して」


「わかってる」


トムは素直に言い直した。


少しだけ、いつもの空気が戻る。


でも、会議室の中全体は固かった。


宇宙軍士官学校の生徒たちが片側に集まり、地上軍士官学校の生徒たちは反対側に並んでいる。


きれいに分かれている。


まるで、目に見えない線が床に引かれているみたいだった。


その線を踏むと、警告音が鳴りそうな感じ。


鳴らないけれど。


地上軍側の制服は、宇宙軍の濃紺とは違い、深い緑灰色だった。


装飾は少ない。


靴は頑丈そうで、袖口や膝には実用的な補強がある。


華やかではない。


けれど、立ち姿はしっかりしている。


泥の上に立つことを前提にした服。


そんな印象だった。


地上軍側の教官が前に出た。


背の高い女性で、短くまとめた黒髪と鋭い目をしていた。


「王国地上軍士官学校、一等兵科担当のライザ=カワサキだ」


カワサキ教官。


声は低く、よく通った。


「合同演習では地上部隊の統括を行う。宇宙軍側の担当はセスナ教官だな」


セスナ教官が頷く。


「一年C組担当、アルトゥール=セスナだ。合同演習の航空支援部隊を監督する」


二人は短く挨拶を交わした。


友好的、というより実務的だった。


でも、敵意はない。


少なくとも教官同士は、きちんと仕事をしようとしているように見えた。


カワサキ教官の後ろに、地上軍士官学校の主要メンバーが並ぶ。


「地上部隊の隊長を務める、レオン=フォッカーです」


最初に名乗ったのは、背の高い男子生徒だった。


濃い茶色の髪。


真面目そうな目。


声も固い。


けれど、緊張だけではない芯があった。


「副隊長、ナディア=ホーカーです」


次の女子生徒は、短い赤褐色の髪で、鋭い目をしていた。


小柄だけれど、立ち方に隙がない。


視線がこちらを素早く見て、すぐに戻る。


「偵察担当、カイ=ブリストル」


淡々と名乗った男子生徒は、やせ型で、目がよく動いていた。


人より先に出口や窓を見るタイプだと思った。


たぶん。


「衛生・避難誘導担当、リタ=ドルニエです」


最後の女子生徒は、穏やかな声だった。


でも、腰の道具類の整え方がとてもきれいだった。


必要なものを必要な場所に置ける人。


そんな感じがした。


地上軍側の生徒たちは、全体的に飾りが少ない。


言葉も短い。


こちらを見る目には、警戒がある。


当然だと思う。


過去の事故を知っているなら、宇宙軍を信用しろと言われても難しい。


特に、合同演習で支援を受ける立場なら。


私は、胸の奥が少し重くなった。


こちら側からは、シュヴァルベ様が一歩前へ出た。


背筋が伸びている。


淡い金色の髪が、会議室の明かりを受けて静かに光った。


「王立宇宙軍士官学校一年C組、航空支援部隊隊長を務めます。シュヴァルベ=ユンカースです」


会議室の空気が少し動いた。


ユンカース。


その名は、地上軍側にも届く。


フォッカーさんがわずかに目を細めた。


ホーカーさんは表情を変えない。


ブリストルさんは一瞬だけシュヴァルベ様の靴を見た。


ドルニエさんは静かに聞いている。


シュヴァルベ様は続けた。


「今回の演習では、地上部隊の行動を妨げない支援を第一とします。宇宙軍側の判断だけで機動することは避け、地上部隊との情報共有を徹底します」


その言葉に、フォッカーさんの表情が少しだけ変わった。


驚き。


警戒。


それから、慎重な評価。


「それはありがたい方針です、ユンカース様」


フォッカーさんは丁寧に答えた。


ただ、少し硬い。


「こちらとしても、航空支援が適切に入るなら作戦成功率は上がります。ただし、地上の進路や避難民の動きを無視した支援は、かえって危険です」


「理解しています」


シュヴァルベ様はすぐに頷いた。


「ですから、地上側の判断を教えていただきたいのです。私たちは、地上戦の細部を十分には知りません」


その言い方に、私は少し驚いた。


シュヴァルベ様は、知らないと言った。


侯爵家令嬢で、新入生代表で、いつも正しく立つ人が。


知らないと、きちんと言った。


地上軍側の空気も、少しだけ揺れた。


ホーカーさんが、ほんのわずかに眉を動かす。


ブリストルさんの目がシュヴァルベ様へ戻る。


フォッカーさんは姿勢を正した。


「でしたら、こちらも必要な情報は出します。互いに事故を避けたいという点では一致しているはずです」


「ええ」


シュヴァルベ様は静かに頷いた。


「そのための合同演習です」


二人の間に、固いけれど、まっすぐな線が引かれた気がした。


敵対ではなく、まだ細い協力の線。


私は少しだけ息を吐いた。


よかった。


全部が最初から険悪というわけではない。


そう思った時、宇宙軍側の後方から、小さな声が聞こえた。


「地上軍の動きに合わせるって、こちらが下に見るみたいじゃないか」


「フィルシー……」


言いかけた声が、途中で止まった。


たぶん、誰かに肘で止められたのだと思う。


でも、聞こえた。


地上軍側にも、たぶん聞こえた。


空気が一瞬で冷える。


ホーカーさんの目が鋭くなる。


ブリストルさんの口元が硬くなる。


私は背中が冷たくなった。


やめて。


そう思った。


言わないで。


その言葉は、傷つけるためだけの言葉だ。


ルイーゼ様が、宇宙軍側の前方で少しだけ微笑んだ。


あからさまに笑ったわけではない。


罵ったわけでもない。


侯爵令嬢らしく、姿勢は整っている。


「不用意な言葉は慎むべきですわ。合同演習の前に、余計な誤解を招きますもの」


言葉は正しい。


でも、どこか距離がある。


地上軍を庇ったというより、宇宙軍側の体面を守ったように聞こえた。


ルイーゼ様らしい。


私はそう思ってしまい、すぐに視線を落とした。


人のことを勝手に決めつけるのはよくない。


でも、ルイーゼ様の視線は、やっぱり地上軍側に温かくはなかった。


シュヴァルベ様は小さく息を吸ったように見えた。


「今後、その蔑称を使う者がいれば、航空支援部隊の配置から外します」


静かな声だった。


怒鳴っていない。


けれど、会議室の全員に聞こえた。


「支援対象を侮る者に、支援を任せることはできません」


その言葉に、宇宙軍側が静まり返った。


私も胸がきゅっとなった。


厳しい。


でも、正しい。


フォッカーさんがシュヴァルベ様を見た。


少しの間のあと、短く頭を下げる。


「感謝します」


「当然のことです」


シュヴァルベ様はそう答えた。


当然。


その言葉が、本当に当然として出てくる。


やっぱり、シュヴァルベ様はまっすぐだ。


眩しいくらいに。


そのまっすぐさが、時々私には苦しい。


でも、この場ではとても頼もしかった。



顔合わせの後、簡単な作戦概要の確認が行われた。


会議室の中央に大きな立体地図が投影される。


演習区画の市街地。


瓦礫の山。


狭い路地。


補給地点。


仮想敵の配置候補。


避難民の取り残された建物。


脱出経路。


光の線と記号が、空中に浮かんでいる。


私はそれを見た瞬間、少しだけ息を止めた。


見える。


地図なのに、動きが見える。


地上軍部隊がここを通る。


瓦礫で速度が落ちる。


この路地は人形が低空で通れば風が抜けて、壁が崩れる。


ここで地上部隊が足止めされる。


敵が配置されるなら、この建物の影。


避難民がいるなら、ここからは見えない。


でも、音は届く。


支援するなら上からではなく、側面。


いや、側面でも近すぎる。


スラスターを絞って、高度を取って、進路を外して。


頭の中に、線が走った。


マーリンの記憶が、戦況を読む。


でも、これは戦場ではない。


演習地図。


ただの説明。


私は手を握った。


言うべきか。


言わないべきか。


目立つ。


でも、見落としたら事故になるかもしれない。


建物が崩れるかもしれない。


地上部隊が足止めされるかもしれない。


避難民役が巻き込まれるかもしれない。


それは嫌だ。


私は迷っていると、ミリアが小さく私を見た。


「ローレ、何か気づいた?」


なぜわかるのだろう。


ミリアは本当に目がいい。


「えっと……」


声を出すと、近くの人たちがこちらを見る。


困る。


でも、もう遅い。


私は立体地図の一角を指した。


「この路地なのですが、人形が低空で入ると、推力風がここに当たると思います」


地図上の崩れかけた建物を指す。


「ここが倒れると、地上部隊の退避経路が塞がります。補給地点へ向かう道も狭くなるので、支援機はこの上を通らない方がいいと思います」


会議室が静かになった。


私は心臓が跳ねた。


言いすぎた?


間違えた?


セスナ教官が立体地図を見る。


カワサキ教官も目を細めた。


ブリストルさんがすぐに端末を操作する。


「……風向き設定を重ねます」


地図に薄い線が追加される。


スラスター推力の予測。


瓦礫の崩落可能性。


私が指した建物に、黄色い警告表示が出た。


「合っています」


ブリストルさんが言った。


声に、少し驚きが混じっていた。


「この角度で航空支援が入ると、崩落判定が出ます。地上側の進路を塞ぐ可能性が高い」


ホーカーさんがこちらを見た。


「宇宙軍側で、そこまで見ていたの?」


「い、いえ」


私は慌てた。


見ていたわけではない。


見えてしまっただけ。


「その、地図を見たら、少し気になって」


少し。


便利な言葉。


でも、かなり気になった。


カワサキ教官が私を見た。


「名前は」


「ローレッタ=プラットです」


「プラットか。よく見た。地上部隊にとっては、そういう見落としが致命的になる」


褒められた。


地上軍の教官に。


私は少し固まった。


「あ、ありがとうございます」


フォッカーさんも地図を見ながら頷いた。


「航空支援側にその視点があるなら、かなり助かります」


助かる。


その言葉が胸に入ってきて、少し痛かった。


役に立つ。


私はすぐにそこへ価値を探してしまう。


それは悪い癖だと、少しずつわかってきた。


でも、誰かが助かるなら。


それは嬉しい。


「ローレ、すごいじゃん」


トムが小さく言った。


ミリアがすぐに肘で止める。


「今は静かに」


「はい」


セシリアさんは、私を見て静かに微笑んだ。


その笑顔に、少しだけ安心する。


シュヴァルベ様は、何も言わなかった。


けれど、こちらを見ていた。


強い視線。


驚きと、何か別の感情が混ざった目。


最近、その視線が前より強くなっている気がする。


私は少しだけ目をそらした。


見られるのは、まだ怖い。


でも、この場で言わなかったら、もっと怖かったかもしれない。



その後、顔合わせは少しずつ進んだ。


地上軍側の役割。


宇宙軍側の支援範囲。


通信手順。


危険時の中止信号。


模擬弾の使用制限。


避難民役への接近禁止距離。


セスナ教官とカワサキ教官が確認し、シュヴァルベ様とフォッカーさんが互いに頷く。


最初の固い線が、少しだけ太くなっていく。


完全に打ち解けたわけではない。


地上軍側の警戒はまだある。


宇宙軍側にも、どこか上から見ている空気が残っている。


ルイーゼ様や取り巻きの令嬢たちは、礼儀正しく聞いているけれど、距離は遠い。


それでも、トムは休憩中にフォッカーさんへ話しかけていた。


「地上部隊の進行速度って、瓦礫だとどれくらい落ちるんですか?」


フォッカーさんは最初少し警戒していたけれど、トムが本当に知りたがっているとわかると、端末で説明してくれた。


ミリアはブリストルさんと地図の表示について話していた。


「偵察情報の更新間隔、これだと航空側が先に動きすぎるかも」


「地上では視界が切れる。宇宙軍側の表示ほど連続して見えない」


「じゃあ、支援側が補正をかける必要があるね」


二人の会話は早かった。


セシリアさんはドルニエさんと避難誘導の手順を確認していた。


声は穏やかで、でも真剣だった。


「避難民役の方が混乱した場合、地上軍側の指示を優先すればよろしいですか」


「はい。航空支援側からの大きな音や影で動揺する可能性がありますので、距離を取っていただけると助かります」


「承知しました」


少しずつ、つながっていく。


まだ細い。


でも、線はある。


私はその様子を見て、少しだけ胸が温かくなった。


完全な和解なんて、簡単にはできない。


過去の事故がある。


蔑称がある。


積み重なった見下しがある。


それでも、目の前の演習で怪我をしないために、話すことはできる。


それは、大事なことだと思った。


会議の終盤、カワサキ教官が全員を見渡した。


「顔合わせはここまで。次は戦域投影盤を使用し、演習地全体の作戦手順を確認する。航空支援側は、地上部隊の進行を妨げない支援線を引け。地上側は、支援を受ける前提で進路を組み直す」


戦域投影盤。


私は内心で少し縮んだ。


また地図を見るのだろう。


また線が見えてしまうのだろう。


それを言うべきか、飲み込むべきか、迷うことになるのだろう。


セスナ教官が宇宙軍側へ向いた。


「支援とは、上から命令することではない。必要な場所に、必要な分だけ力を置くことだ。忘れるな」


必要な場所に、必要な分だけ。


私はその言葉を胸の中で繰り返した。


力を持っているなら、どう使うべきか。


前に聞いた言葉が思い出される。


シュヴァルベ様の厳しい声。


逃げ腰だった私に向けられた、責務の言葉。


私はまだ、答えを持っていない。


軍人になりたいわけではない。


戦争は嫌いだ。


でも、地図の上で崩れる建物が見えた時、黙っていられなかった。


誰かが怪我をするかもしれないと思ったら、怖かった。


だから言った。


それは、責務なのだろうか。


それとも、ただ怖かっただけなのだろうか。


わからない。


でも、どちらでも、言わないよりはよかったと思いたい。


会議が終わり、私たちは会議棟を出た。


外には演習区画が広がっている。


瓦礫。


狭い路地。


崩れかけた建物。


補給地点。


避難経路。


そのすべてが、ただの作り物なのに、妙に現実味を持って見えた。


「ローレさん」


セシリアさんが横に立つ。


「先ほどの指摘、すごかったです」


「偶然です」


私はすぐに言った。


ミリアが振り返る。


「ローレの偶然、最近よく働くね」


「えっ」


「いいことだけど」


トムも笑う。


「助かったなら偶然でもいいんじゃないか?」


助かったなら。


その言葉に、私は少し黙った。


助かったなら、いい。


本当にそうなら、いい。


少し離れた場所では、シュヴァルベ様とフォッカーさんが話していた。


まだ硬い。


でも、正面から向き合っている。


その姿を見て、少しだけ安心した。


そのさらに後ろで、ルイーゼ様がこちらを見ていた。


いつもの穏やかな微笑み。


けれど、その目にはまた別の冷たさがあった。


私が地上軍側に褒められたこと。


シュヴァルベ様が私を見ていたこと。


そのどちらが気に入らないのか、私にはわからない。


わからないけれど、背中が少し冷えた。


演習区画の向こうで、戦略板を収めた大型会議室の扉が開かれていく。


次は、地図の上の戦い。


実際に機体を動かす前に、線を引く戦い。


私は自分の手を見た。


人形を動かす指。


地図の上に危険を見つけてしまう目。


そして、まだ何も決めきれていない心。


その全部を持ったまま、私は次の部屋へ向かうことになった。

ここまでお読みいただき有り難うございました。


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