隊として動く
ご覧いただきありがとうございます。
訓練空域は、思っていたより高かった。
地上の演習区画が、全周囲モニターの下の方に小さく映っている。
建物も、格納庫も、整備車両も、全部が模型みたいに見える。
模型みたいに見えるのに、落ちたら模型では済まない。
それは、わかる。
とてもよくわかる。
安全は確保されている。
セスナ教官はそう言った。
訓練機には安全リミッターがかけられている。
高度制限もある。
緊急時には補助制御が入る。
訓練空域の外側には、監視機もいる。
だから大丈夫。
たぶん。
でも、高いものは高い。
怖いものは怖い。
私は六番機のコクピットの中で、手にはめたインタフェースを見た。
指先には、魔力の糸の感触がある。
細く、薄く、六番機の中へ通している。
腕。
脚。
背中。
スラスター。
センサー。
全部を強く掴みすぎないようにする。
握りしめると、機体も緊張する気がするから。
いや、機体が緊張するわけではない。
緊張しているのは私だ。
機体のせいにしてはいけない。
『六番機、リンク安定。プラットさん、呼吸が少し浅いです』
ボーイング補助員の声が入った。
「はい、ボーイング補助員。すみません」
『謝る必要はありません。深く吸って、ゆっくり吐いてください』
「はい」
私は言われた通りに息を吸った。
吸って。
吐く。
少しだけ、胸の奥が動く。
でも、怖さは消えない。
怖さが消えないことにも、最近少し慣れてきた。
怖くても動く。
怖いから、きちんと見る。
そう思うしかない。
『全機、通信確認』
シュヴァルベ様の声が回線に入った。
隊長機。
一番機。
高度を保ったまま、私たちの少し前方にいる。
モニター越しでも、姿勢のよさがわかる気がした。
人形なのに。
機体なのに。
なぜか、飛行姿に人柄が出る。
シュヴァルベ様の機体は、静かで、まっすぐだった。
『一番機、ユンカース。通信良好』
『二番機、ハインケル。良好ですわ、シュヴァルベ様』
ルイーゼ様の声は、通信越しでも整っている。
二番機はシュヴァルベ様の近く。
バディとしては、シュヴァルベ様とルイーゼ様。
隊長機と、その前衛を兼ねる機体。
『三番機、グラマン。良好です、ユンカース様』
トムの声は、少しだけ弾んでいた。
高い場所なのに元気だ。
すごい。
私は高い場所で元気になれない。
『四番機、サーブ。良好です、ユンカース様。トム、前に出すぎないで』
『まだ出てないぞ、ミリア』
『出る前に言ってる』
『了解』
やり取りが通信に乗って、少しだけ空気が軽くなった。
トムとミリアはバディ。
前に出るトムと、それを見て止めるミリア。
それはもう、かなり自然な組み合わせに思える。
『五番機、ヒースロー。通信良好です、ユンカース様』
セシリアさんの声は落ち着いていた。
五番機は私のすぐ近く。
今回、私のバディはセシリアさんだ。
私は支援補助。
セシリアさんが支援を担当し、私はその視界を補う。
前に出ない。
撃たない。
斬らない。
見る。
伝える。
それだけ。
それだけなのに、十分怖い。
『六番機、プラット。通信、良好です』
声が少し硬くなった。
でも、詰まらずに言えた。
えらい。
自分で自分を褒めるのは少し変な感じがするけれど、誰も褒めてくれないところは自分で拾っておかないと、すぐ落としてしまう。
セスナ教官の声が、全体回線に入る。
『本訓練は、バディ単位ではなく隊としての運用を確認する。敵機は攻撃しない。ただし、編隊を崩すための進路妨害、分断、誘導を行う。落とすことが目的ではない。隊形を維持し、支援線を切らせず、隊長機の指示で動け』
隊として。
私はモニターに表示された味方機の位置を見た。
一番機、シュヴァルベ様。
二番機、ルイーゼ様。
三番機、トム。
四番機、ミリア。
五番機、セシリアさん。
六番機、私。
六つの青い点。
バディはある。
でも、それだけではなく、隊として動く。
ひとつの大きな形になる。
それは、少し不思議だった。
家の中で、私はいつも余った部品みたいだった。
誰かの役に立つための予備。
壊れないように置いておかれるもの。
でも、隊の中にいると、余りでは済まない。
小さな点でも、位置がある。
私がずれれば、形が崩れる。
怖い。
でも、少しだけ、怖い以外の何かもある。
『ユンカース、指揮を取れ』
『はい、セスナ教官』
シュヴァルベ様の声は、落ち着いていた。
『全機、隊形を確認します。ハインケル……ルイーゼは前衛右。グラマンさんは前衛左。ただし突出は禁止。サーブさんはグラマンさんの後方支援。ヒースローさんとプラットさんは後方支援線を維持してください』
『承知しましたわ、シュヴァルベ様』
『了解です、ユンカース様』
『はい、ユンカース様』
『承知しました、ユンカース様』
「はい、ユンカース様」
名前の呼び方が自然に分かれている。
シュヴァルベ様はルイーゼ様をルイーゼと呼ぶ。
トムはグラマンさん。
ミリアはサーブさん。
私とセシリアさんも苗字にさん。
その距離が、そのまま隊の形になっている気がした。
近い人。
少し遠い人。
守る人。
支える人。
指揮する人。
私は、どこにいるのだろう。
そんなことを考えかけて、すぐにやめた。
今は訓練。
余計なことを考えると、また指が勝手に動く。
『訓練開始』
セスナ教官の声と同時に、モニター上に赤い点が現れた。
模擬敵機、三機。
攻撃はしない。
でも、こちらの編隊を崩すように動く。
赤い点は、最初はゆっくりこちらへ近づいてきた。
やがて、一機が上へ。
一機が左へ。
残り一機が低い位置へ落ちる。
三方向。
隊形を広げさせる動き。
私はそれを見た瞬間、胸の奥が冷えた。
赤い点。
黒い表示。
敵機。
違う。
これは模擬敵機。
攻撃してこない。
落とされない。
落とさなくていい。
なのに、マーリンの記憶が、ひゅっと前へ出かける。
上の一機は囮。
左へ抜ける機体が本命。
低い機体は後方支援線を切るために潜る。
そう見えた。
見えてしまった。
指先が動きかける。
六番機を少し前へ。
いや、違う。
私は前衛ではない。
支援補助。
勝手に動かない。
私は、指先を抑えた。
魔力の糸が細く震える。
『サーブさん、敵左翼の進路予測を共有。ヒースローさん、後方支援線を維持。プラットさん、下方の敵機を監視してください』
シュヴァルベ様の声が入る。
早い。
私が何か言う前に、必要なところを見ている。
「はい、ユンカース様」
私は下方の赤い点を見た。
模擬敵機が、ゆっくり沈むように進む。
そのままなら、セシリアさんと私の間に入ってくる。
バディを割る動き。
わかる。
嫌な動き。
『セシリアさん、下方機、こちらの間に入ります』
『確認しています。ローレさん、右に半機分、ずれてください。距離は維持します』
「はい、セシリアさん」
私は六番機を右へ少し動かした。
半機分。
それだけ。
動きすぎない。
マーリンの記憶なら、もっと早く、もっと鋭く、模擬敵機の進路を塞ぎに行くだろう。
でも、それをしてはいけない。
訓練。
隊形維持。
バディを切らせないこと。
私はゆっくり動く。
本当にゆっくり。
少し遅いくらい。
それでも、六番機は私が思ったより滑らかに動いた。
困る。
もう少し不器用でいてほしい。
機体にお願いするのも変だけれど。
『プラット、動きが硬い。抑えることと固まることは違う』
セスナ教官の声が飛ぶ。
「はい、セスナ教官」
うう。
見られている。
当然だけれど、見られている。
私は息を整え、六番機の姿勢を少し緩めた。
抑える。
でも固まらない。
難しい。
料理でいうと、弱火にしようとして火を消してしまう感じだ。
いや、今は料理の話ではない。
お腹がすくので考えない。
前方では、トムの三番機が左翼の敵機へ反応していた。
少し前に出る。
すぐにミリアの声。
『トム、前に出すぎ。隊形を崩さないで』
『了解。戻す』
トムは素直に速度を落とした。
偉い。
かなり偉い。
前なら、もう少し行っていたかもしれない。
ミリアが後方から支援線を出し、トムの進路を整える。
二機の動きは、少しぎこちない。
でも、ちゃんと繋がっている。
シュヴァルベ様の一番機は、中央から全体を見ていた。
『ルイーゼ、右上の敵機に牽制姿勢。追いすぎないで。グラマンさん、左翼機を押し返すだけで構いません。サーブさん、グラマンさんの戻り線を確保。ヒースローさん、後方支援線を開いたまま維持』
『はい、シュヴァルベ様』
『了解です、ユンカース様』
『はい、ユンカース様』
『承知しました、ユンカース様』
指示が流れる。
必要な人へ、必要な分だけ。
それがすごかった。
シュヴァルベ様は全員を同時に見ている。
前衛が出すぎないように。
支援が切れないように。
後方が割られないように。
隊形が崩れないように。
その声は強い。
でも、押しつけではない。
聞くと、どこへ行けばいいかわかる声。
私は少し見惚れそうになった。
だめ。
訓練中。
見惚れている場合ではない。
でも、思ってしまう。
シュヴァルベ様は、隊長なのだ。
侯爵家令嬢だからではなく。
新入生代表だからでもなく。
こうして、見て、判断して、声を出せるから。
人を動かせるから。
私にはできないことだ。
私は一人分の怖さで手一杯だ。
誰かの位置まで背負ったら、たぶん潰れる。
模擬敵機がさらに動きを変えた。
下方機がこちらの後方支援線へ深く入り込もうとする。
赤い点が、五番機と六番機の間を狙う。
嫌な感じ。
胸の奥がざわつく。
マーリンの感覚が、また前へ出る。
ここで少し沈む。
相手の頭を押さえる。
右へ誘導。
左前衛のトムが戻る線と重ねる。
まとめて包める。
違う。
違う違う違う。
これは訓練。
模擬敵機を包囲して落とす必要はない。
私は支援補助。
勝手に隊を動かすな。
私は唇を噛みかけ、やめた。
コクピット内で唇を噛むと、集中がそちらに行く。
「セシリアさん」
『はい』
「下方機、私たちの間を抜けるふりをして、五番機の後ろを取ろうとしています。私は位置を維持します。セシリアさんが少しだけ上がると、支援線が切れずに済むと思います」
細かく言いすぎたかもしれない。
でも、これなら支援補助の範囲。
たぶん。
『わかりました。上昇、半機分』
セシリアさんの五番機が、静かに上がる。
私の六番機は動かない。
下方機は間に入れず、五番機の後ろにも回れない。
赤い点が少し迷ったように進路を変えた。
『ヒースローさん、良い判断です。プラットさん、補佐継続』
シュヴァルベ様の声。
「はい、ユンカース様」
よかった。
勝手に動きすぎてはいない。
たぶん。
セシリアさんが通信で静かに言う。
『助かりました、ローレさん』
胸が少し温かくなる。
「いえ。セシリアさんが合わせてくださったので」
『一人では気づくのが遅れました』
「私も、一人では止まれなかったと思います」
言ってから、自分で少し驚いた。
止まれなかった。
そうだ。
私はたぶん、一人なら前に出てしまった。
マーリンの記憶が見せる最短の動きへ。
でも、セシリアさんがいたから、支援補助として言葉にできた。
動くのではなく、伝えることができた。
バディ。
その意味が、少しだけ指先ではなく胸に触れた気がした。
訓練は続いた。
模擬敵機は五機に増えた。
攻撃はしない。
けれど、隊形の継ぎ目を狙う。
前衛二機の間。
隊長機と前衛機の距離。
支援機の死角。
一番嫌なところばかりをついてくる。
私はモニターに赤い点が増えるたび、胸の中に冷たいものが落ちるのを感じた。
赤い点。
敵。
危険。
落とす。
違う。
落とさない。
訓練。
牽制。
維持。
言葉で自分を押さえる。
でも、マーリンの感覚は、赤い点を見るたびに勝手に動く。
上から降る。
左へ抜ける。
後ろへ回る。
今なら斬れる。
今なら落とせる。
やめて。
私は落としたくない。
落とす必要もない。
私はローレッタだ。
マーリンじゃない。
手元の表示に、私の魔力流量が出ている。
少し揺れていた。
まずい。
私は息を吐き、糸を細く整えた。
『プラット、魔力流量が揺れている。焦るな』
セスナ教官の声。
「はい、セスナ教官」
焦るなと言われて焦らなくなる人は、きっとすごい人だ。
私は焦るなと言われると、焦っていることに気づいてさらに焦る。
でも、訓練中なので言えない。
言ったら本当に降ろされそうだ。
『ユンカース、敵五機、隊形崩しに入る。どう見る』
セスナ教官が問う。
シュヴァルベ様は一瞬だけ間を置いた。
本当に短い間。
でも、その間に全体を見たのだと思う。
『中央の二機は囮です。右上の一機がルイーゼを外へ引き、左下の一機がグラマンさんを前へ誘います。残る一機が支援線を切りに来ます』
『対処』
『ルイーゼは追わずに角度だけ取ってください。グラマンさんは前進禁止。サーブさん、左下機の進路を共有。ヒースローさんとプラットさんは後方支援線を閉じすぎないでください。全機、隊形を絞らず、幅を維持します』
すごい。
私は思わずそう思った。
赤い点が五つに増えても、シュヴァルベ様の声は乱れない。
指示が速いだけではない。
全員の癖を踏まえている。
ルイーゼ様が追いすぎないように。
トムが前へ出ないように。
ミリアが補正しやすいように。
セシリアさんと私が支援線を切らないように。
一人ひとりを見ている。
隊長機は、ただ前に立つ機体ではない。
皆の位置と癖と怖さを背負う機体なのだ。
私は、その重さを少しだけ想像して、すぐ無理だと思った。
私なら潰れる。
ぺしゃんこだ。
宇宙でぺしゃんこは困る。
いや、地上でも困る。
『グラマンさん、維持です』
シュヴァルベ様の声。
『了解です、ユンカース様』
トムが止まる。
『トム、左下機は誘い。乗らないで』
ミリアの声。
『乗らない。乗りません』
『二回言った』
『自分に言った』
少しだけ笑いそうになった。
その間にも、トムの三番機はちゃんと位置を保っている。
前に出たいのを我慢している動き。
ミリアの四番機がその後ろで支援線を張る。
右側では、ルイーゼ様の二番機が美しく角度を取った。
追わない。
でも、相手に行かせない。
優雅で、冷静。
ルイーゼ様は冷たい目をすることがある。
私を見る時は特に。
でも、人形の動きは確かだった。
シュヴァルベ様の指示を疑わず、きちんと形にする。
それも、隊には必要なのだと思う。
私は少し複雑な気持ちになる。
苦手な人のすごいところを見ると、心の置き場所に困る。
でも、すごいものはすごい。
それを認めない方が、たぶん歪む。
後方へ抜けようとした模擬敵機が、私たちの支援線に近づく。
私はセシリアさんと位置を合わせる。
動きすぎない。
でも、遅れない。
赤い点が、私の視界の端で揺れた。
またマーリンの感覚が出そうになる。
落とせる。
違う。
止めるだけ。
見て、伝える。
「セシリアさん、下方機、こちらではなく隊長機の後ろへ抜ける進路です。私は監視を継続します」
『承知しました。ユンカース様、後方一機、隊長機後背へ抜ける可能性があります』
シュヴァルベ様がすぐに答える。
『確認しました。プラットさん、追わないでください。ヒースローさん、共有を維持。ルイーゼ、角度を戻して後背機へ牽制。攻撃判定は不要です』
『はい、シュヴァルベ様』
ルイーゼ様の二番機が流れるように位置を戻す。
赤い点が進路を折る。
隊形は崩れない。
模擬敵機は、編隊の隙間へ入れず外へ逃げた。
『敵機、離脱判定』
機械音声が告げる。
そのあと、残りの赤い点も次々に離脱判定を受けた。
落としてはいない。
斬ってもいない。
でも、隊形は守った。
支援線も切れなかった。
通信も、大きく乱れなかった。
『訓練終了。全機、指定高度を維持したまま帰投準備』
セスナ教官の声が入る。
終わった。
私は息を吐いた。
全身の力が抜けそうになる。
でも、帰投までが訓練。
気を抜いて落ちたら本当に洒落にならない。
洒落にならないどころか、たぶん怒られる。
いや、怒られる前に大変なことになる。
私は六番機の姿勢を維持した。
指先は少し冷たい。
でも、魔力切れではない。
怖さと緊張の冷たさだ。
最近、この違いも少しだけわかってきた気がする。
少しだけ。
格納庫に戻ると、足元が少し浮いているような感じがした。
コクピットから降り、整備床に立つ。
硬い床。
ちゃんと床。
落ちない。
それだけで、少しありがたい。
ボーイング補助員が端末を確認しながら近づいてきた。
「プラットさん、魔力流量の揺れが中盤にありました。体調に異常は?」
「大丈夫です。少し緊張しました」
「緊張は記録しておきます。無理をした感覚はありますか」
「ありません。……たぶん」
「たぶん、ではなく、あるかないかです」
「ありません」
私は言い直した。
ボーイング補助員は頷く。
「よろしいです。異常があればすぐ申告してください」
「はい、ボーイング補助員」
緊張まで記録される。
学園は本当に何でも記録する。
私の目立たない計画に、記録という敵が多すぎる。
少し離れたところで、トムが機体から降りながら大きく息を吐いていた。
「前に出ないって、前に出るより疲れるな」
ミリアがすぐに言う。
「それを覚えて」
「覚えた」
「次も思い出して」
「努力する」
「努力じゃなくて実行」
「実行します」
トムは素直に言い直した。
ミリアは満足そうだった。
セシリアさんがこちらへ来る。
「ローレさん、お疲れさまでした」
「お疲れさまでした、セシリアさん。支援、ありがとうございました」
「こちらこそ。ローレさんの補佐があって助かりました」
助かりました。
その言葉が、胸に少し入る。
嬉しい。
でも、すぐに怖くなる。
役に立つと嬉しい。
役に立たないと価値がない気がする。
その癖は、まだ私の中に残っている。
簡単には消えない。
私は笑ってごまかしそうになり、少しだけ我慢した。
「セシリアさんがいてくださったので、前に出ずに済みました」
そう言うと、セシリアさんは少し目を丸くした。
それから、静かに微笑んだ。
「それなら、よかったです」
よかった。
本当に、よかった。
一人だったら、私は赤い点に引っ張られていたかもしれない。
マーリンの感覚が、最短で敵を落とす動きへ向かったかもしれない。
訓練なのに。
攻撃してこない相手なのに。
そのことが怖かった。
セスナ教官の講評は、格納庫横のブリーフィングスペースで行われた。
全員、耐Gスーツのまま並ぶ。
セスナ教官は端末を片手に、淡々と話した。
「全体としては及第点だ。隊形維持、通信、支援線の管理。大きな破綻はない」
大きな破綻はない。
よかった。
「ユンカース」
「はい、セスナ教官」
「指揮は悪くない。各機の癖を見ていた。特にグラマンの突出、ハインケルの追撃角、後方支援線の維持を同時に管理できていた」
「ありがとうございます」
シュヴァルベ様は静かに頭を下げた。
褒められても、浮かれない。
すごい。
私なら褒められた瞬間、たぶん慌てて何か変なことを言う。
「ただし、指示が丁寧すぎる場面がある。実戦では短縮しろ。説明は訓練後でいい」
「はい、セスナ教官」
「グラマン」
「はい、セスナ教官」
「前に出たいなら、出る理由を作れ。理由がない突出は隊を壊す」
「はい」
「サーブ」
「はい、セスナ教官」
「グラマンの制御はできていた。だが、相手を見るあまり自機の位置が半歩遅れる場面がある」
「はい、セスナ教官」
「ヒースロー」
「はい、セスナ教官」
「支援線は安定していた。プラットとの距離管理も悪くない」
「ありがとうございます」
「プラット」
名前を呼ばれて、背筋が伸びる。
「はい、セスナ教官」
「抑えようとして固まる場面がある。だが、後半は言葉で補佐に回れていた。今はそれでいい」
今は。
その言葉が少し刺さった。
今はそれでいい。
いつかは、それだけでは足りないのだろうか。
「はい」
私は返事をした。
「全員に言う。バディは基本だ。だが、部隊はバディの集合ではない。隊長機を中心に、前衛、支援、補助が役割を分担する。自分のバディだけ見ていればいいわけではない。隊全体を見ろ」
隊全体。
その言葉が、胸に残る。
私はまだ、自分と隣を見るだけで精一杯だ。
でも、シュヴァルベ様は全体を見ていた。
トムも、ミリアも、セシリアさんも、ルイーゼ様も。
私も。
全員をひとつの形として。
それが隊長なのだと思った。
講評が終わり、解散の指示が出る。
生徒たちが少しずつ動き出す。
私は端末を確認しながら、今日の記録を見た。
魔力流量、一時的な揺れ。
回避反応、抑制傾向。
支援補佐、良好。
良好。
その文字を見て、少しだけ安心する。
でも、マーリンの感覚が前へ出かけたことは記録にない。
私の中で起きたことだから。
記録されない怖さもあるのだと思った。
「プラットさん」
声をかけられて、私は顔を上げた。
シュヴァルベ様だった。
少し後ろにルイーゼ様がいる。
背筋が自然に伸びる。
「ユンカース様」
「少し、いいかしら」
「はい」
私は慌てて頷いた。
こういう時、はい以外の選択肢が見つからない。
シュヴァルベ様は少し静かな場所へ歩いた。
格納庫の端。
訓練機の影が少し落ちる場所。
ルイーゼ様は数歩後ろで止まった。
近すぎず、離れすぎず。
その位置が、少し怖い。
シュヴァルベ様は私を見た。
「先ほどの訓練、よく抑えていましたね」
「えっ」
思わず変な声が出た。
抑えていた。
見られていた。
「あ、いえ、その……私は、あまり動きすぎないようにと思って」
「ええ。そう見えました」
シュヴァルベ様の声は穏やかだった。
「赤い点に反応して、前に出かけていたのでしょう」
心臓が跳ねた。
そんなところまで見えていたのか。
いや、隊長機だから見ていたのかもしれない。
でも、私の中のマーリンの感覚まで見られたような気がして、少し怖くなる。
「すみません」
反射的に謝っていた。
シュヴァルベ様は、少しだけ眉を寄せた。
「謝ることではありません。抑えて、役割に戻ったのだから」
「あ……はい」
私は小さく頷いた。
褒められているのだろうか。
注意されているのだろうか。
たぶん、両方ではない。
シュヴァルベ様の言葉は、いつもまっすぐで、時々受け取り方に困る。
「それと」
シュヴァルベ様は少し間を置いた。
その横顔が、いつもより少しだけ迷っているように見えた。
「以前、貴族の義務について、あなたに強く言いすぎました」
私は息を止めた。
その話。
あの時の講義室。
卒業できればいい。
軍人にはなりたくない。
そう言ってしまった私に、シュヴァルベ様は厳しく言った。
怖いから見ない、嫌だから考えないでは済まない立場にいる、と。
正しい言葉だった。
でも、胸には痛かった。
「ユ、ユンカース様は、間違ったことをおっしゃったわけではありません」
私は慌てて言った。
声が少し上ずる。
「私が軽率でした。国費で学んでいるのに、あんなことを言ってしまって」
「軽率だったかどうかではなく」
シュヴァルベ様が静かに言った。
「私は、あなたが怖がっていることを十分に見ていなかったのだと思います」
言葉が、すぐには入ってこなかった。
怖がっていることを。
見ていなかった。
シュヴァルベ様が、私に謝っている。
その事実に、頭が少し追いつかない。
上位貴族。
侯爵家令嬢。
隊長。
新入生代表。
その人が、男爵家の私に。
「申し訳ありません、プラットさん」
私は固まった。
本当に固まった。
コクピットより固まったかもしれない。
「あ、あわわ、いえ、そんな、謝らないでください」
言葉が転ぶ。
私も転びそうだ。
立っているだけなのに。
「私こそ、ちゃんと考えていなくて。戦うのが怖いとか、軍人になりたくないとか、そればかりで。でも、ユンカース様のお言葉も、ちゃんと、わかっているつもりで」
全然まとまらない。
言葉が机の上に散らばった豆みたいになっている。
拾えない。
「その、すぐには答えが出ません。でも」
私は息を吸った。
怖い。
でも、ここは笑ってごまかすところではない気がした。
「ちゃんと、考えます」
前にも言った言葉。
でも、今は少しだけ違う重さで言えた気がした。
「軍人になりたいとは、まだ思えません。戦うことも怖いです。でも、訓練で学んだことや、隊の中で自分ができることからは、逃げないようにします」
シュヴァルベ様は、静かに私を見ていた。
その目は厳しくない。
でも、軽くもない。
「それで十分です。今は」
また、今は。
この言葉は少し怖い。
でも、前よりは嫌ではなかった。
今は、でいい。
ずっとこのままではいけないかもしれない。
でも、全部を一度に決めなくてもいい。
少しだけ、そう思えた。
「訓練中のあなたは、怖がりながらも役割を果たしていました」
シュヴァルベ様は言った。
「それは、逃げている姿ではありません」
胸の奥が、きゅっとなった。
逃げている姿ではない。
私は、いつも逃げたい。
目立ちたくない。
戦いたくない。
軍人になりたくない。
でも、あの訓練では逃げていなかった。
そう言われると、何かが少しだけほどける。
「ありがとうございます、ユンカース様」
私は頭を下げた。
深くしすぎないように気をつけた。
礼儀として。
逃げるためではなく。
シュヴァルベ様は小さく頷いた。
「プラットさん。怖いものを怖いまま見られるなら、それは強さの一つだと思います」
強さ。
私に似合わない言葉。
でも、シュヴァルベ様は本気で言っているようだった。
私はどう答えればいいかわからず、また小さく頷いた。
「……はい」
それが精一杯だった。
その後ろで、ルイーゼ様がこちらを見ていた。
冷めた目。
表情は整っている。
微笑みも崩れていない。
でも、目だけが冷たい。
シュヴァルベ様が私に謝ったこと。
私に優しい言葉をかけたこと。
それが気に入らないのだと思う。
たぶん。
私は視線を落とした。
その冷たさに気づかないふりをする。
気づいてしまうと、また肩が縮むから。
でも、縮まないようにしても、背中には少し残った。
ルイーゼ様の視線。
訓練空域で見た赤い点とは違う。
でも、避けにくいもの。
シュヴァルベ様は、ルイーゼ様の視線に気づいているのかいないのか、静かに言った。
「次の訓練でも、ヒースローさんと連携を続けてください。あなたは一人で動くより、支援と合わせた方が安定する」
「はい、ユンカース様」
それは、きっと正しい。
一人だと、マーリンの感覚が前へ出る。
でも、セシリアさんと一緒なら、私は一度言葉にできる。
動く前に、伝えられる。
それは小さな違いだけれど、私にはとても大きい。
シュヴァルベ様は少しだけ表情を柔らかくした。
「お疲れさまでした、プラットさん」
「お疲れさまでした、ユンカース様」
私は頭を下げた。
シュヴァルベ様がルイーゼ様の方へ戻る。
ルイーゼ様は綺麗に微笑んだ。
「シュヴァルベ様、お話はお済みですか」
「ええ」
「では、記録確認へ参りましょう」
「そうね」
二人は並んで歩いていく。
その背中を見送りながら、私は自分の手を見た。
指先はまだ少し冷たい。
でも、訓練中の冷たさとは違った。
怖さが残っている。
緊張も残っている。
それでも、少しだけ温かいものもある。
怖いままでも、役割を果たせる。
怖いままでも、考えることはできる。
シュヴァルベ様は、そう言った。
私はそれを信じきれるほど強くはない。
でも、全部否定するほど冷たくもなれなかった。
格納庫の中では、訓練機たちが静かに固定架へ戻されている。
高い空で隊として動いた機体たち。
赤い点を落とさず、隊形を守った機体たち。
その中に、私の六番機もいる。
目立たず、普通に、ほどほどに。
そう願っているのに、隊の中に入ると、私はただ隠れているだけではいられない。
でも、隠れられないことが、全部悪いわけではないのかもしれない。
そう思って、すぐに少し怖くなった。
私はまだ、変わりたいのか、変わりたくないのか、自分でもわからない。
ただ、セシリアさんと並んで支援線を守った時。
シュヴァルベ様の声に従って隊形を保った時。
赤い点を落とさずに済んだ時。
胸の奥で、ほんの少しだけ息ができた。
それは戦いたいという気持ちではない。
たぶん、違う。
誰かを落とさずに済んだことへの安堵。
誰かと一緒に止まれたことへの安心。
その小さなものを、私はまだ名前にできなかった。
でも、捨てたいとも思わなかった。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
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