マニューバ
ご覧いただきありがとうございます。
人形実技の講義室に入ると、正面のスクリーンに機体の軌跡が映っていた。
白い線。
青い線。
赤い点。
それらが黒い宇宙の上で、まっすぐ進んだり、折れるように曲がったり、弧を描いたりしている。
私は席に座りながら、少しだけ肩を縮めた。
黒い背景は苦手だ。
宇宙を思い出す。
いや、宇宙を思い出すというより、マーリンの記憶が勝手に目を開ける。
赤い警告。
全周囲モニター。
通信の乱れ。
白い光。
だめ。
これは講義資料。
戦場ではない。
私は端末を机に置いて、深呼吸した。
隣にはセシリアさんがいる。
少し離れて、トムとミリアも座っていた。
前方にはシュヴァルベ様とルイーゼ様の姿もある。
同じ教室。
同じ訓練。
でも、あの二人は座っているだけで空気が整う。
私は座っているだけで背中が丸くなる。
人間には向き不向きがある。
「本時間は、人形のマニューバについて説明する」
セスナ教官が教卓の前に立った。
「マニューバとは、単なる移動ではない。接近、離脱、旋回、回避、姿勢制御、攻撃位置への入り方。その全体を含む。人形使いの癖が最も出る部分だ」
癖。
その言葉で、指先が少し冷えた。
「同じ機体、同じ出力、同じ訓練課題でも、操縦者によって軌跡は変わる。直線を好む者、弧を描く者、急減速で相手の前を外す者、踏み込みを早める者。優れた人形使いは、軌跡だけで誰が乗っているか判別されることもある」
軌跡だけで。
誰が乗っているか。
私は膝の上で手を握った。
それは、困る。
かなり困る。
私の中には、マーリンの記憶がある。
マーリンの動き方がある。
無意識にそれが出るとしたら。
軌跡だけで誰かに気づかれるとしたら。
いや、気づかれるはずがない。
マーリンは過去の人だ。
私はローレッタ=プラット。
茶色い髪の、プラット男爵家の三女。
マーリンじゃない。
そう思うのに、胸の奥が重い。
セスナ教官がスクリーンを切り替えた。
人形二機が並んでいる模式図が表示される。
「次に、バディシステムだ。人形戦は二機一組が基本となる。前衛と支援。前衛は接近、攻撃、敵機の注意を引く。支援は索敵、死角管理、位置補正、場合によっては射撃や回避指示を行う」
二機一組。
前衛と支援。
操縦者と補助。
ステラ。
名前が胸の奥に浮かびかけて、私は慌てて消した。
今は違う。
この授業は学園の実技。
ここにいるのは一年C組の生徒たち。
私の隣にいるのはセシリアさん。
「単独で強い人形使いもいる。だが、それを理由に連携を軽視する者は早く落ちる。前衛が見えていない死角を支援が見る。支援が危険を察知したら、前衛は従う。互いに生存を預けるのがバディだ」
生存を預ける。
重い言葉だった。
私の命を誰かに預ける。
誰かの命を私が預かる。
どちらも怖い。
自分が死ぬのも怖いけれど、誰かが私のせいで死ぬ方がもっと怖い。
「初回のバディ訓練は模擬敵機への接近と攻撃だ。模擬敵機は、バルーンに小型の空戦機動装置を取り付けたものを使用する。自律回避は行うが、危険な加速はしない。武装は訓練用ソード。接触判定のみで破壊はしない」
少し安心した。
壊さない。
落とさない。
ただ当てるだけ。
「ただし、安全な訓練だからといって雑に動くな。急旋回、急加速には負荷がかかる。耐Gスーツを着用し、安全リミッターを設定する。指示を守れない者は即時終了だ」
即時終了。
それは安心。
でも、終わらされるのも目立つ。
どちらにしても困る。
実技棟へ移動する間、トムが少し楽しそうに言った。
「バディか。なんかそれっぽくなってきたな」
ミリアがすぐ横から言う。
「トム、前に出すぎないでね」
「まだ組むって決まってないだろ」
「組まなくても言う。トムは前に出るから」
「信頼が厚いな」
「警戒が厚いの」
二人の会話はいつも通りだった。
セシリアさんは私の横を歩きながら、小さく聞いてくる。
「ローレさん、緊張していますか?」
「はい。少し」
少し。
かなり。
とても。
でも、少しと言った。
セシリアさんは、たぶん見抜いている。
それでも、責めずに頷いた。
「私もです。支援役は、見落としが怖いですね」
「セシリアさんは、きっと丁寧に見てくださると思います」
「そうでしょうか」
「はい」
これは本当にそう思った。
セシリアさんは、周りをよく見る。
私が大丈夫ではない時に気づく。
食堂で私が少なめに取ることにも、たぶん気づいている。
そういう人が支援にいるのは、とても安心だ。
問題は、前衛が私だということだった。
安心できない。
自分に。
とても。
更衣室で耐Gスーツに着替えた。
王国の耐Gスーツは身体にぴったりとする。
初めて着た時も思ったけれど、これは少し恥ずかしい。
上から訓練用のフライトジャケットを羽織れるのが救いだった。
救いは大事。
ないと心が寒い。
割り当ては、また六番機だった。
白灰色の訓練機。
トレパペ。
私は足元で見上げて、小さく息を吐いた。
「よろしくね」
声にならないくらい小さく言う。
六番機は、何も返さない。
でも、返されても困る。
人形が返事をしたら、たぶん私は走って逃げる。
そして体力がなくてすぐ捕まる。
コクピットに入る。
固定具が肩、腰、脚を固定する。
インタフェースに指を通す。
ボーイング補助員の声が通信に入った。
『六番機、起動確認。プラットさん、リンクは細く安定させてください。急な出力上昇は禁止です』
「はい、ボーイング補助員」
『本時間はバディ訓練です。前衛はプラットさん、支援はヒースローさん。まずは低速で模擬敵機へ接近、ソード接触判定まで行います』
セシリアさんとバディ。
それは嬉しい。
同時に、とても怖い。
私が前衛。
セシリアさんが支援。
私が間違えたら、セシリアさんに負担がかかる。
『ローレさん、聞こえますか?』
セシリアさんの声が通信に入った。
通信の声は少しだけ硬い。
緊張しているのだと思う。
「はい。聞こえます、セシリアさん」
『支援表示を確認します。無理はしないでくださいね』
「はい。お願いします」
魔力の糸を伸ばす。
細く、長く、ゆっくり。
六番機の中に、糸が這っていく。
腕。
脚。
背中。
スラスター。
首。
視界。
冷たい鉄が、少しずつこちらへ近づいてくる。
怖い。
でも、不快ではない。
それがやっぱり怖い。
リンクがつながると、全周囲モニターに格納庫内訓練空間が映る。
広い実技区画。
天井近くに安全用のフィールド表示。
床には誘導線。
中央には模擬敵機が浮かんでいた。
丸いバルーンに、小さな機動装置が取り付けられている。
可愛らしく見える。
でも、あれが動くと厄介なのだろう。
『六番機、七番機、前進開始。速度制限内で接近』
セスナ教官の声が全体通信に入る。
『プラット、前に出すぎるな。ヒースロー、距離を保て』
「はい、セスナ教官」
セシリアさんの機体が少し後ろへつく。
私は六番機をゆっくり進ませた。
右脚。
左脚。
重心。
スラスターは最小。
動きはわかる。
どうすれば機体が揺れないか。
どこで足を置けば次の一歩へ移れるか。
どの角度で上体を向ければ、ソードを抜く動作が遅れないか。
全部、わかる。
わかってしまう。
だから、遅くする。
少し不器用にする。
初学者らしく。
目立たないように。
『模擬敵機、起動』
バルーンがふわりと動いた。
最初はゆっくり。
右へ流れ、下へ落ち、斜めに戻る。
空戦機動というより、逃げる風船みたいだった。
でも、近づくとわかる。
ただ浮いているわけではない。
こちらの進路を見て、微妙に外してくる。
ソードを抜く。
訓練用の短いソード。
刃ではなく、接触判定用の安全装備がついている。
『ローレさん、模擬敵機、右上へ抜けます』
セシリアさんの声。
「はい」
私は右上へ視線を向けた。
模擬敵機は予想通り逃げる。
でも、その逃げ方の少し奥に、別の動きが見えた。
次に左下へ落ちる。
たぶん。
いや、たぶんではない。
そう来る。
わかってしまう。
私は六番機の足を止めかけた。
普通に追うなら右上。
でも、次を読んで左下へ入れば、すぐ当てられる。
それは、目立つ。
だめ。
普通に。
普通に追う。
私は右上へ機体を向けた。
その瞬間、模擬敵機が急に左下へ落ちた。
わかっていたのに、私は遅れて追う形にする。
けれど、遅れを作りすぎた。
模擬敵機が六番機の側面へ回り込む。
安全な訓練用とはいえ、赤い警告がモニターに出た。
危険接近。
胸が冷えた。
次の瞬間、指が勝手に動いた。
腰を落とす。
右脚を引く。
上半身を半分だけ回す。
スラスターを細く噴かす。
急旋回ではない。
けれど、最小の動きで射線を外す。
六番機が、するりと危険範囲から抜けた。
ソードの先が、模擬敵機の側面へ軽く触れる。
接触判定。
『命中』
機械音声が鳴る。
私は息を止めた。
しまった。
今のは、違う。
普通じゃなかった。
コクピット内に、ボーイング補助員の声が入る。
『プラットさん、身体負荷は?』
「ありません」
『急旋回判定は出ていません。ただし、回避軌道がかなり鋭いです。意図した動作ですか?』
「えっと……警告が出たので、つい」
つい。
便利な言葉。
でも、かなり正直だった。
つい動いた。
怖くて。
当たりたくなくて。
それだけ。
『以後、動作前に支援側の指示を確認してください』
「はい。すみません」
『訓練継続』
私は小さく息を吐いた。
セシリアさんの通信が入る。
『ローレさん、大丈夫ですか?』
「はい。大丈夫です」
言ってから、今の大丈夫はかなり怪しいと思った。
でも、コクピットの中では顔を見られない。
たぶん。
見られないはず。
『今の回避、とても速かったです』
「そ、そうでしたか?」
『はい。私の表示が追いつく前に動いていました』
それは困る。
支援を置いていったということだ。
バディなのに。
私は何をしているのだろう。
「ごめんなさい。次は、ちゃんと合わせます」
『責めているわけではありません。ただ、少し驚いただけです』
セシリアさんの声は優しかった。
優しいほど、胸が痛い。
次は気をつける。
本当に。
交代して、セシリアさんが前衛、私が支援に回った。
支援側の画面には、模擬敵機の推定進路、味方機の角度、危険接近予測が表示される。
情報が多い。
でも、不思議と見づらくはなかった。
セシリアさんの機体は丁寧に動く。
速くはない。
けれど、姿勢が崩れない。
私はその後ろで、進路を見た。
模擬敵機が右へ逃げる。
その先で上へ跳ねる。
セシリアさんが追うと、少し遅れる。
でも、焦らない。
丁寧に向きを合わせる。
『ローレさん、進路補正をお願いします』
「はい。右上に抜けた後、下へ落ちます。少しだけ間を置いてから、斜め下へ」
『わかりました』
セシリアさんは私の指示通りに動いた。
模擬敵機が落ちる。
セシリアさんの機体が、無理なく追う。
ソードが触れる。
『命中』
私はほっとした。
よかった。
支援は、少し安心する。
前に出ないから。
でも、支援も怖い。
自分の言葉で、誰かの機体が動く。
セシリアさんが私を信じて動いてくれる。
それは嬉しい。
同時に、とても重い。
『ローレさん、ありがとうございます』
「いえ。セシリアさんの動きが丁寧だったので」
『次もお願いします』
「はい」
私は画面を見た。
模擬敵機の動き。
味方機の角度。
逃げ道。
死角。
見える。
見えすぎる。
マーリンの記憶が、静かに盤面を読んでいる。
そこ。
その次。
右ではなく、下。
当てるだけなら簡単。
でも、簡単にしすぎてはいけない。
私は少し遅らせて、でも危なくならない範囲で指示を出した。
セシリアさんは、それをきちんと受け取った。
バディ。
二機一組。
前衛と支援。
その形が、少しだけわかった気がした。
一人で動くより、怖い。
でも、一人では見えないものがある。
一人で抱えなくていいものも、あるのかもしれない。
訓練の途中、別の区画でトムの機体が勢いよく前へ出た。
『グラマン、出すぎだ。支援を置くな』
セスナ教官の声が飛ぶ。
『はい、セスナ教官! いや、今いけると思って!』
『思っても待て』
『はい!』
ミリアの通信が続く。
『トム、だから言ったでしょ。前に出すぎ』
『ごめん、ミリア。次は合わせる』
『次は、じゃなくて、今合わせて』
『了解!』
二人らしい。
通信越しでもわかる。
トムは前に出る。
ミリアは見て、止める。
それで何とか形になっている。
少し離れた訓練区画では、シュヴァルベ様とルイーゼ様が組んでいた。
シュヴァルベ様が前衛。
ルイーゼ様が支援。
二人の動きは、やはりきれいだった。
シュヴァルベ様の機体は、教科書のように無駄がない。
接近、回避、攻撃位置への入り方。
ひとつひとつが正しい。
強引ではなく、安定している。
ルイーゼ様の支援は、少し力が強いように見えた。
でも、シュヴァルベ様の動きにきちんと合わせている。
名門の人たち。
そう思った。
私は目を離そうとした。
その時、シュヴァルベ様の機体がこちらを向いた気がした。
もちろん、機体の頭部が少し動いただけかもしれない。
でも、見られている感じがした。
実機訓練の時の視線。
講義室で感じた視線。
それと同じ。
胸がきゅっとなる。
見ないでください。
いや、見ないでと言える立場ではない。
訓練中なのだから、周囲を見るのは当然だ。
でも、あの人に見られると、自分の中に隠しているものまで見つかりそうで怖い。
『プラット、次は前衛。ヒースロー、支援。模擬敵機の機動を一段階上げる』
セスナ教官の声が入った。
一段階上げる。
私は喉を鳴らした。
「はい、セスナ教官」
『ローレさん、無理はしないでください』
セシリアさんの声。
「はい。合わせます」
今度こそ。
私はセシリアさんに合わせる。
一人で動かない。
模擬敵機が起動する。
さっきより速い。
バルーンなのに、動きが鋭い。
右へ抜ける。
左へ戻る。
上へ跳ねる。
私は追いかける。
追える。
追えてしまう。
だから、少し遅らせる。
普通に。
普通に。
『ローレさん、左下から回り込まれます』
「はい」
セシリアさんの指示。
私はその通りに動いた。
模擬敵機が左下へ抜ける。
合わせる。
でも次の瞬間、モニターに赤い表示が走った。
模擬敵機の小型装置が予想より鋭く跳ねた。
訓練用でも、こちらの進路を塞ぐような動き。
危険接近。
胸が冷える。
指が動く。
今度は止められなかった。
六番機の重心を落とし、上体をほんの少しだけ外へ傾ける。
左脚を軸に、スラスターを細く噴かす。
急旋回ではない。
でも、急旋回に見えるほど軌跡が鋭い。
無駄なく危険域を抜け、模擬敵機の背後へ入る。
ソードを振るのではなく、置く。
バルーンの逃げ道に、刃先をそっと置く。
『命中』
機械音声。
続いて、通信に一瞬の沈黙が落ちた。
私は息を吸うのを忘れていた。
まただ。
また、動いてしまった。
セシリアさんの支援より先に。
目立たないようにしていたのに。
危険の瞬間だけ、身体ではなく指が勝手に最短を選ぶ。
マーリンの記憶が、嫌な感じを避ける。
落とされないための動き。
落とすための動き。
私は戦いたくないのに。
『プラット』
セスナ教官の声。
「はい」
『今の軌道を再現できるか』
再現。
できる。
たぶん。
でも、できると言ってはいけない気がする。
「……偶然です。警告に驚いて、避けようとしただけで」
『偶然か』
セスナ教官の声は淡々としていた。
信じているかどうかはわからない。
『ヒースロー、支援表示に異常は』
『ありません、セスナ教官。ただ、私の指示よりプラットさんの回避が先でした』
『記録する。訓練続行。ただしプラット、支援と合わせろ』
「はい。すみません」
支援と合わせる。
わかっている。
わかっているのに、危険が近づくと先に動いてしまう。
マーリンの記憶が、死角を嫌う。
私は死角が怖い。
落ちるのも、落とすのも怖い。
その怖さが、機体を動かす。
それはたぶん、訓練としては良くない。
バディとしても良くない。
私はセシリアさんに頼る練習をしなければいけないのに。
『ローレさん』
通信が入る。
「はい」
『怖かったですか』
一瞬、答えに詰まった。
セシリアさんは、いつもそういうところを見つける。
「……少し」
少し。
でも、今はそれ以上言えなかった。
『では、怖い時ほど通信をください。私も見ます』
胸が、少し熱くなった。
「はい」
今度の返事は、さっきよりまっすぐ出た。
「お願いします、セシリアさん」
『はい』
セシリアさんの声が、少しだけ柔らかくなった。
通信越しでもわかった。
訓練後、機体から降りると、足元が少しふわふわした。
魔力は減っていない。
身体も、急旋回の負荷は安全リミッターのおかげで大きくない。
でも、心が疲れていた。
六番機の装甲にそっと触れる。
「ごめんね」
小さく呟いた。
変な動かし方をしたわけではない。
むしろ、機体としてはきれいに動いたのかもしれない。
でも私は、謝りたかった。
勝手に戦場の動きをさせてしまった気がしたから。
少し離れた場所で、セスナ教官が補助員たちから記録を受け取っている。
ボーイング補助員も端末を確認していた。
たぶん、私の機動も記録されている。
また記録。
また数字。
また軌跡。
消えないものが増えていく。
「ローレ」
トムが近づいてきた。
訓練後でも元気そうに見える。
すごい。
私なら元気をどこかに置いてくる。
「さっきの回避、すごかったな。あれどうやったんだ?」
「トム」
ミリアがすぐ注意する。
「聞き方」
「ごめん。でも本当にすごかったから」
「本人が困ってるでしょ」
トムは私を見て、少し眉を下げた。
「悪い、ローレ」
「いえ。大丈夫です」
言ってから、ミリアの視線を感じた。
大丈夫の使いすぎ。
私は少しだけ言い直す。
「少し、困っています」
トムが目を丸くしたあと、頷いた。
「そっか。じゃあ聞かない」
「ありがとうございます」
ミリアが満足そうにうなずく。
「成長したね、トム」
「俺、訓練以外でも評価されてる?」
「されてる」
二人のやり取りに、少しだけ笑えた。
セシリアさんも近づいてきた。
「ローレさん、支援が遅れてしまってすみません」
「違います。私が先に動きすぎました」
「でも、危険を避ける判断は正しかったと思います」
「それでも、バディなのに」
言葉が詰まる。
バディなのに、私は一人で動いた。
セシリアさんを置いていった。
それが胸に残っている。
セシリアさんは少し考えてから言った。
「では、次は先に通信をください」
「はい」
「私も、もっと早く見ます」
「……はい」
その言葉が、ありがたくて、少し痛かった。
セシリアさんは責めない。
でも、ちゃんと次の話をしてくれる。
私が逃げないように。
でも、追い詰めないように。
そういう距離が、優しかった。
その時、また視線を感じた。
私はゆっくり顔を上げた。
シュヴァルベ様がこちらを見ていた。
訓練機から降りたばかりの姿。
耐Gスーツの上にフライトジャケットを羽織り、淡い金色の髪を整えている途中だった。
でも、その手が途中で止まっている。
目は、私ではなく、六番機を見ているようにも見えた。
それから私へ戻る。
真剣で、静かな目。
少し離れているのに、逃げられない。
ルイーゼ様が何かを話しかけていた。
けれど、シュヴァルベ様の意識は、こちらに残っているように見えた。
私は胸がきゅっとなった。
見られた。
今度も。
危険回避の瞬間。
無駄のない旋回。
ソードを置く動き。
あれを、シュヴァルベ様はどう見たのだろう。
ただ少し鋭い訓練生の動きとして見ただけならいい。
でも、王国軍史の講義で見た映像が頭をよぎる。
白い人形。
黒い宇宙。
撃墜女王。
マーリン=ロイス。
私の動きは、あれに似ていたのだろうか。
そう思った瞬間、胃のあたりが冷えた。
嫌だ。
私はマーリンじゃない。
ローレッタだ。
ローレ。
そう呼んでくれる人たちがいる。
私は、その名前でここに立っている。
なのに、機体に乗ると、記憶が勝手に軌跡を描く。
軌跡だけで誰が乗っているかわかる。
セスナ教官の言葉が戻ってくる。
もし、あの軌跡がマーリンのものだとしたら。
私は誰として見られるのだろう。
ローレッタとして?
それとも、マーリンの影として?
シュヴァルベ様の視線が、まだこちらにあった。
心配そうにも見える。
驚いているようにも見える。
何かを確かめているようにも見える。
私には、わからない。
わからないけれど、その視線は前より強くなっていた。
たぶん、私の気のせいではない。
「ローレさん」
セシリアさんが静かに声をかけた。
「戻りましょう。記録確認があります」
「はい」
私は頷き、六番機から手を離した。
装甲の冷たさが、指先に残る。
冷たい鉄の感触。
魔力の糸の感触。
危険を避けた瞬間の、あまりにも滑らかな動き。
全部がまだ、身体の中に残っている。
私は戦いたくない。
目立ちたくない。
バディを置いていきたくない。
それなのに、危ないと思った瞬間、六番機は私の考えより先に動いた。
私の意思より先に、記憶が最短の道を知っていた。
訓練場は明るい。
模擬敵機のバルーンは、補助員に回収されている。
誰も怪我をしていない。
誰も落ちていない。
ただの訓練。
それだけのはずだった。
それでも、私の中では、黒い宇宙に一本の白い軌跡が残っていた。
消えない。
まっすぐではなく、弧でもなく。
危険だけを避けて、相手の死角へ滑り込む、嫌なほど知っている軌跡。
私はその軌跡から目をそらした。
でも、シュヴァルベ様の視線だけは、背中に残ったままだった。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
面白いと思っていただけましたら、評価、ブックマークをお願いいたします。
励みになります!




