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王国軍史

ご覧いただきありがとうございます。

王国軍史。


端末に表示された次の講義名を見て、私は少しだけ身構えた。


軍史。


つまり、戦争の歴史だ。


戦争。


その言葉は、私の中でいつも重い。


本で読んだ戦争は、年号と地名と勝敗でできている。


誰がどこへ攻めて、どちらが勝って、どれだけ領土が動いたか。


でも、私の中にある戦争は違う。


赤い警告。


割れる通信。


冷たいコクピット。


白い光。


途切れる声。


そういうものでできている。


私は戦争が嫌いだ。


争いも嫌いだ。


誰かが怒鳴る声も、誰かが傷つく音も、苦手だ。


だから軍史と聞くと、胸の奥がきゅっとなる。


でも、講義は受けなければならない。


目立たず、普通に。


私は教科書代わりの端末を抱え直し、セシリア様たちと一緒に講義室へ向かった。


王国軍史の講義室は、オリエンテーションで使った部屋より少し小さかった。


それでも、プラットの屋敷の食堂よりずっと広い。


壁には大きなスクリーンがあり、天井には記録投影装置が並んでいる。


机はきちんと整列していて、椅子もがたつかない。


王都の椅子は、本当に優秀だ。


座った時に不安がない。


椅子に不安がないというのは、かなりすごいことだと思う。


私はセシリア様の隣に座った。


前方ではなく、中ほどの席。


目立ちすぎず、遠すぎず。


今日はとても良い席だと思う。


トムとミリアも近くに座った。


トムは端末を開きながら、小声で言った。


「軍史って眠くなるやつかな」


「始まる前から寝る気でいるの?」


ミリアがすぐに言う。


「いや、寝ない。寝ないけど、年号が続くと人間って自然に意識が遠くなるだろ」


「トムだけ」


「ミリアはそういうところ強いよな」


「あなたが弱いだけ」


二人のやり取りを聞いて、少しだけ緊張がゆるんだ。


でも、完全にはゆるまない。


王国軍史。


その名前は、やっぱり重かった。


講師は、灰色の髪をした女性だった。


教官服ではなく、講師用の落ち着いた制服を着ている。


端末に名前が表示される。


エレナ=ツポレフ講師。


鋭すぎない目だけれど、ぼんやりした人ではない。


話す前から、たくさんのものを知っている人だとわかった。


「王国軍史を担当する、エレナ=ツポレフです」


声は静かだった。


「この講義では、王国がどのような戦争を経験し、どのような選択をしてきたのかを学びます。戦果を誇るためではありません。過去の判断、失敗、犠牲を知るためです」


犠牲。


その言葉で、胸の奥が少し冷えた。


「本日は導入として、テルース王国とガイア帝国の長期戦争、その中でも人形戦力の発展について扱います」


ガイア帝国。


私の指先が、机の下で小さく動いた。


帝国。


宮廷。


ロイス公爵家。


白い髪。


いけない。


まだ始まったばかりだ。


私は自分の手を膝の上で握った。


ツポレフ講師の説明は淡々としていた。


王国と帝国の対立。


恒星間航路の争奪。


資源星系の支配権。


両国宇宙軍の戦力拡大。


人形戦力の投入。


講義として聞けば、きちんと整理されている。


わかりやすい。


でも、わかりやすいほど怖い。


戦争が、まるで表にまとめられるものみたいに見えるから。


何年にどの戦線で何が起きた。


どちらが優勢だった。


どの機体が投入された。


どれだけの損害が出た。


損害。


その言葉の中に、人の声は入っていない。


「この時期、王国軍にとって最大の脅威の一つとされたのが、帝国側の人形使い、マーリン=ロイスです」


心臓が、ひとつ強く鳴った。


マーリン=ロイス。


その名前が講義室に響いた瞬間、音が少し遠くなった気がした。


私はローレッタ。


ローレッタ=プラット。


プラット男爵家の三女。


マーリンじゃない。


そう思う。


思ったのに、胸が痛む。


ツポレフ講師が端末を操作すると、スクリーンに古い映像が映し出された。


映像は荒かった。


記録の一部が欠けていて、ところどころノイズが走る。


黒い宇宙。


赤い表示。


青い点。


そして、白い人形。


それを見た瞬間、喉が詰まった。


白い人形が、宇宙を駆ける。


直線的に加速し、敵機の射線を外し、白いスラスター光を引く。


王国軍機が迎撃に入る。


でも遅い。


白い人形は、死角に潜り込む。


ソードが光る。


一機。


また一機。


王国軍機が落ちていく。


講義室の誰かが、小さく息を呑んだ。


私は目をそらせなかった。


違う。


これは映像だ。


記録だ。


私の記憶じゃない。


そう思うのに、映像の中の宇宙が、私の中の宇宙と重なる。


暗い空が、全周囲モニターいっぱいに広がる。


赤い警告。


青い点。


敵影。


味方機。


通信。


『右から来る!』


違う。


私はそこにいない。


『後退しろ、持たない!』


違う。


これは講義室。


『ロイス嬢、味方が前に出すぎています』


味方を返す。


違う。


「……っ」


私の指が動いた。


机の下で、勝手に。


見えない糸を引くみたいに。


右手の人差し指がわずかに曲がる。


戻して。


下げて。


そこは死角。


今ならまだ間に合う。


違う。


違う。


私は人形に乗っていない。


誰も動かしていない。


私はローレッタだ。


ローレッタ=プラットだ。


マーリンじゃない。


スクリーンの中で、白い人形が急加速した。


映像が乱れる。


次の瞬間、王国軍機の腕が飛んだ。


ノイズ。


赤い表示。


通信途絶。


私の胸の奥で、誰かが息を呑む。


殺したくなかった。


その感情が、私のものなのか、記憶のものなのか、わからない。


わからないまま、胸の奥に刺さる。


息が浅くなる。


指先が冷たい。


掌に汗がにじむ。


映像の白い人形が、次の敵へ向かう。


嫌だ。


もう見たくない。


でも、目を閉じたら、もっとはっきり見えてしまう気がした。


その時、映像が途切れた。


スクリーンは静止画になり、ツポレフ講師の声が戻ってくる。


「この記録は、王国軍が保有する交戦映像の中でも比較的状態のよいものです。マーリン=ロイスは王国側において、撃墜女王と呼称されました」


撃墜女王。


その名が講義室に落ちる。


私はようやく息を吸った。


浅い。


うまく吸えない。


手の中が汗で湿っていた。


隣を見ると、セシリア様が心配そうに私を見ていた。


「プラット様……?」


声はとても小さい。


私はすぐに笑った。


笑えたかはわからない。


「大丈夫です」


また、その言葉。


でも、今はそれしか出なかった。


セシリア様の目が少し揺れた。


大丈夫ではないと、わかっているのかもしれない。


私は小さく続けた。


「少し、講義が重かっただけです」


嘘ではない。


重かった。


重すぎて、胸の上に戦艦でも乗っているみたいだった。


戦艦は乗ったことがないけれど。


たぶん重い。


視線を感じて、ふと前方を見た。


少し離れた席で、シュヴァルベ様がこちらを見ていた。


心配そうに。


でも、それだけではない顔で。


真剣で、静かで、何かを確かめるような目。


私は慌てて視線を戻した。


また見られていた。


どうして。


さっき、変な動きをしただろうか。


手が動いたのを見られた?


息が乱れたのを見られた?


わからない。


わからないけれど、胸が落ち着かない。


ツポレフ講師の講義は続いていた。


「撃墜女王という呼称は、王国軍側の恐怖と警戒を示すものです。同時に、彼女の存在が王国軍の戦術思想に大きな影響を与えたことも事実です」


恐怖。


警戒。


戦術思想。


講義の言葉は、やはり整っている。


でも、私の中のマーリンは整っていない。


もっとひび割れている。


もっと苦しそうで、もっと疲れていて、もっと悲しい。


それを誰も知らない。


知っているはずがない。


知っているのは、私の中に流れ込んできたものだけ。


だから言えない。


言っても、誰にも伝わらない。


近くで、何人かが小声で話し始めた。


「すごかったな、撃墜女王」


「映像、初めて見た」


「ユンカース様なら、ああいう機動もできるのかしら」


「マーリン=ロイスって、やっぱり怪物だよな」


怪物。


その言葉が、また刺さった。


私は膝の上で手を握る。


違う。


そう言いたかった。


違う。


マーリンは怪物なんかじゃない。


戦いたくて戦ったわけじゃない。


殺したくて殺したわけじゃない。


でも、言えるはずがなかった。


誰に。


何を。


私の中にだけ残っているものを、ここで言葉にしてはいけない。


マーリンは戦いが好きだったわけではない。


戦争が好きだったわけでもない。


争いなんて、嫌いだった。


それでも王国の歴史では、彼女は撃墜女王だった。


恐怖の象徴。


白い悪夢。


怪物。


それもまた、消せない事実だった。


王国軍機を落とした。


人を殺した。


味方にとっての希望で、敵にとっての悪夢だった。


どちらも本当。


どちらかだけを選べたら、きっと楽なのに。


私はローレッタだ。


マーリンじゃない。


心の中で、何度も繰り返した。


ローレッタ=プラット。


プラット星系から来た、ただの男爵家の三女。


走れば倒れる。


りんごで喜ぶ。


セシリア様のタオルを借りて、うまうまと言ってしまう。


撃墜女王ではない。


怪物でもない。


私は私。


そう思うほど、胸の奥で白い人形の残像が揺れた。


白い光。


黒い宇宙。


赤い警告。


私は目を伏せた。


講義はさらに進んだ。


マーリン=ロイスの戦果だけではなく、王国軍がどのように対抗策を練ったか。


単機で接近しないこと。


複数機で死角を潰すこと。


魔力切れを誘うこと。


撤退経路を確保すること。


人形戦におけるバディシステムの重要性。


戦術は、誰かの恐怖から生まれるのだと思った。


誰かが落とされたから。


誰かが帰ってこなかったから。


次は死なないように、形にされる。


それは正しい。


でも、正しいことは、いつも少し痛い。


ツポレフ講師は、マーリンを称えなかった。


憎しみに任せて罵ることもしなかった。


ただ、王国軍史の中の存在として扱った。


脅威。


転換点。


撃墜女王。


それが講義の中のマーリンだった。


私の中のマーリンは、その言葉をどう聞いているのだろう。


わからない。


ただ、胸の奥がずっと重かった。


講義の終盤、ツポレフ講師はこう言った。


「歴史に記録される人物は、多くの場合、一つの名で呼ばれます。英雄、反逆者、怪物、女王。ですが、その名は全体ではありません。軍史を学ぶ者は、名の裏にある状況と選択を見なければならない」


私は顔を上げた。


ツポレフ講師は、スクリーンの白い人形を消していた。


「ただし、忘れてはなりません。どれほど複雑な事情があったとしても、戦場で起きた結果は消えません。撃墜された機体が戻ることもありません」


胸が痛んだ。


その通りだった。


マーリンは戦いたくなかった。


でも、落とした機体は戻らない。


死んだ人は戻らない。


嫌だった、だけでは何も消えない。


だから、私は戦いたくない。


絶対に。


それはマーリンの後悔なのか。


私自身の願いなのか。


最近は、その境目が少しわからない。


でも、わからなくても嫌なものは嫌だった。



講義終了の鐘が鳴った。


私は少し遅れて、息を吐いた。


長く息を止めていた気がする。


実際には呼吸していたはずなのに、胸の中だけ酸素が足りなかった。


講義室がざわめき始めた。


次の講義のために、生徒たちが立ち上がる。


椅子の音。


端末を閉じる音。


小さな会話。


私は端末を鞄にしまいながら、指先がまだ少し冷たいことに気づいた。


「プラット様、本当に大丈夫ですか?」


セシリア様が小さく聞いた。


私は少し迷ってから、うなずいた。


「はい。今は大丈夫です」


今は。


その言葉をつけたら、少しだけ嘘が減った気がした。


セシリア様は静かにうなずいた。


「無理はなさらないでください」


「はい。ありがとうございます、ヒースロー様」


「次、移動だよね?」


ミリアが端末を確認しながら言った。


「基礎戦術の講義室、隣の棟みたい」


トムが顔をしかめた。


「軍史の次に戦術か。今日は頭を軍にされる日か?」


「軍学校に来て何言ってるの」


「いや、来たけどさ。もうちょっと段階ってものが」


「昨日は体力測定で身体を軍にされたしね」


「それは言えてる」


二人のやり取りで、少しだけ空気が軽くなる。


ありがたい。


本当にありがたい。


私は鞄を持って立ち上がった。


足はちゃんと動く。


昨日の体力測定の疲れは残っているけれど、歩けないほどではない。


講義室を出る前、私は一度だけ後ろを見た。


シュヴァルベ様が席に座ったまま、資料を見つめていた。


周囲にはルイーゼ様や、他の生徒たちがいる。


誰かが話しかけているようだった。


けれど、シュヴァルベ様だけは少し違う顔をしていた。


真剣で、静かで、どこか遠い。


さっきの映像を思い出しているのだろうか。


マーリン=ロイスの名を、彼女はどう聞いたのだろう。


撃墜女王。


怪物。


白い悪夢。


それとも。


私は、そこで考えるのをやめた。


シュヴァルベ様がどう思っているかなんて、私にはわからない。


わからないのに、なぜか気になった。


あの人がマーリンを見上げるように見ているのか。


恐れているのか。


それとも、別の何かなのか。


私の中の記憶が、小さく揺れた。


私は視線を外し、講義室を出た。


廊下の窓から、遠くの格納庫が見えた。


学園の敷地の奥。


大きな扉を備えた、灰色の建物。


人形の格納庫。


まだ実物を近くで見たことはない。


でも、あそこにいるのだと思う。


訓練機。


鉄の巨人。


魔力の糸を待つ機体。


私は足を止めそうになった。


白い人形の映像が、まだ目の奥に残っている。


荒い記録映像。


落ちていく王国軍機。


そして、それに重なった記憶。


歴史の授業ひとつで、私の中の戦場は簡単に目を覚ます。


そのことに、心が冷えた。


私は戦わないと決めた。


目立たず、普通に、平凡に卒業する。


そう決めたはずだった。


でも、私の中には、呼ばれただけで目を覚ます戦場がある。


名前を聞くだけで動く指がある。


映像を見るだけで、味方を返そうとする記憶がある。


「プラット様?」


セシリア様が振り返った。


私は急いで歩き出した。


「すみません。すぐ行きます」


大丈夫。


そう言いかけて、やめた。


今は、その言葉を使うと少し嘘になりすぎる。


私は格納庫から目をそらし、みんなの後を追った。


廊下は明るい。


床は抜けない。


窓枠も歪んでいない。


ここは戦場ではない。


講義室から講義室へ移動しているだけ。


ただ、それだけ。


それなのに、胸の奥ではまだ、黒い宇宙が静かに広がっていた。

ここまでお読みいただき有り難うございました。

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