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まっすぐな視線

ご覧いただきありがとうございます。

「プラットさん。少しいいかしら?」


シュヴァルベ様の声は、思っていたより柔らかかった。


壇上で聞いた時は、もっと遠くから響く声だった。


でも今は、すぐ目の前にいる。


同じ講義室。


同じ制服。


同じ一年C組。


それなのに、同じ場所に立っている感じがしない。


シュヴァルベ様は近いのに、遠かった。


高いところにいる人が、わざわざこちらへ降りてきてくれたような感じ。


私は椅子から飛び上がるように立ったまま、手をぎゅっと握った。


「は、はい。ユンカース様」


声が大きかった。


少し裏返った。


かなり恥ずかしい。


講義室の何人かがこちらを見ている。


トムも目を丸くしている。


ミリアはすぐに周りの様子を見た。


セシリア様は少し心配そうに、私とシュヴァルベ様を交互に見ている。


そして、シュヴァルベ様の後ろには、ルイーゼ様がいた。


穏やかな表情。


きれいな微笑み。


でも、目だけが違った。


その目は、声に出さずに言っていた。


立場を弁えなさい。


たぶん、そういう意味だった。


私はその目を見た瞬間、背中が冷たくなった。


お父さまの声が頭の中でよみがえる。


目立つな。


身の程を弁えろ。


上位貴族に逆らうな。


お母さまの声も続く。


髪をちゃんと染めること。


余計な噂を立てないこと。


それから、今朝のセスナ教官の声。


この学園では身分を考慮しない。


同じ基準で評価する。


同じ基準。


対等。


でも、それは訓練や評価の話だ。


今この場で、侯爵家令嬢が男爵家の私に声をかけている。


周りの目がある。


ルイーゼ様の目がある。


対等に振る舞えるわけがない。


私は笑うしかなかった。


ちゃんと笑えているかはわからない。


たぶん、少し引きつっている。


でも笑わないよりは、きっといい。


「お忙しいところ、お声がけいただき、ありがとうございます」


言ってから、何か違う気がした。


お忙しいところ?


同じクラスの講義室で?


でも、もう口から出てしまった。


戻ってこない。


言葉というものは不便だ。


出す前に一度見せてくれたら、修正できるのに。


シュヴァルベ様は、その変な言葉にも笑わなかった。


穏やかに目を細めるだけだった。


「そんなに畏まらないで。私たちは同じクラスなのだから」


同じクラス。


その言葉が、少し不思議だった。


シュヴァルベ様と私が、同じクラス。


端末にもそう表示されていたし、席も同じ講義室にある。


でも、私の中ではまだうまく結びつかない。


「はい……」


私はうなずいた。


同じクラスだから、畏まらない。


それができたら、とても立派だと思う。


私は立派ではないので、ちょっと難しい。


シュヴァルベ様は、私の顔をまっすぐ見ていた。


責める目ではない。


探る目でもない。


でも、何かを確かめるような目だった。


見られているだけで、胸の奥が落ち着かなくなる。


「昨日の適性検査で、少し様子が気になったの」


「昨日の……」


私は息を止めそうになった。


やっぱり。


知られていた。


どこまで?


魔力測定の跳ね上がり?


目標追従?


戦術判断?


リンク特性?


まさか、全部?


頭の中で、測定板の白い光が跳ねる。


指先から伸びた糸が、簡易インタフェースの奥へ勝手に滑り込んでいく感覚。


検査員の変わった表情。


セシリア様の驚いた顔。


目立ってしまった。


隠せなかった。


私は、ちゃんと普通にしたかったのに。


「ご、ご迷惑をおかけしていたら、申し訳ありません」


私は反射的に頭を下げた。


何に対して謝っているのか、自分でもよくわからない。


でも、謝るのは慣れている。


謝ると、場が少しだけ収まることがある。


収まらないことも多いけれど、何もしないよりはいい。


「迷惑ではないわ」


シュヴァルベ様の声が少しだけ低くなった。


怒っているわけではない。


むしろ、驚いたようにも聞こえた。


「謝ることではありません」


「はい……」


私は頭を上げた。


シュヴァルベ様の目が、さっきより少し近く見える。


近いというのは距離ではない。


何かがこちらに届きそうな感じ。


それが怖くて、でも少しだけ温かかった。


「体調を崩したように見えたものだから」


「体調、ですか」


「ええ。検査後、顔色がよくなかったわ」


体調。


それを心配された。


結果ではなく。


数値ではなく。


顔色。


そんなところを見られていたのかと思うと、胸の奥が変な感じになった。


私は慌てて首を横に振った。


「大丈夫です。魔力切れもありませんでしたし、違和感もありません。少し、緊張してしまっただけで」


大丈夫。


いつもの言葉。


便利な言葉。


シュヴァルベ様は、私の言葉をすぐには受け取らなかった。


少しだけ眉を寄せた。


「本当に?」


「はい。大丈夫です」


二回目。


私は笑った。


笑えば、たいていの人はそれ以上聞かない。


でも、シュヴァルベ様はそこで止まらなかった。


「無理をしているなら、教官か医務室に言った方がいいわ。最初に隠すと、後で大きな問題になることがあるから」


私は目を瞬いた。


正しい言葉だった。


とても正しい。


しかも、私に向けられている。


どう返せばいいのかわからない。


「ありがとうございます。でも、本当に平気です」


また平気と言った。


平気。


大丈夫。


問題ありません。


私の中には、似た言葉がたくさんある。


全部、蓋をするための言葉だ。


でも今は、本当に体調が悪いわけではない。


悪いのは、たぶん心の方。


そして、心の具合は医務室では測れない。


測定板に乗せるものではない。


できれば、一生測らないでほしい。


「そう」


シュヴァルベ様は短く言った。


それでも、まだ少し納得していないように見えた。


後ろで、ルイーゼ様の視線が強くなる。


表情は変わらない。


微笑みも崩れない。


でも、その目はやっぱり言っている。


なぜシュヴァルベ様にそこまで気にかけられているの。


私は何も答えられない。


私も聞きたい。


本当に、どうしてなのだろう。


シュヴァルベ様が私に声をかける理由なんて、何もないはずだ。


昨日、少し検査で失敗しただけ。


下級貴族の新入生。


プラット星系から来た、荷物の少ない子。


それだけ。


私は目立ちたくない。


なのに、今、すごく目立っている。


講義室の空気が、こちらに寄っている。


誰かの視線が背中に刺さる。


私は笑うしかない。


笑って、縮こまって、できるだけ小さくなる。


小さくなれば、視線も少なくなるかもしれない。


そんな期待は、たぶん間違っている。


「プラットさん」


シュヴァルベ様が、もう一度私の名前を呼んだ。


「はい」


「昨日の検査結果は、後日正式に通知されるはずです。もし、結果について困ることがあれば……私でよければ相談に乗るわ」


相談。


その言葉に、私は少し固まった。


相談。


私が。


シュヴァルベ様に。


ユンカース侯爵家の令嬢に。


「そ、そんな、ユンカース様にお手を煩わせるわけには」


「同じクラスでしょう」


また、その言葉。


同じクラス。


シュヴァルベ様は、それを本当にそういう意味で言っているのだろうか。


貴族の社交辞令なのだろうか。


私は判断できない。


でも、その声は嘘っぽくなかった。


だから余計に困る。


「ありがとうございます」


私は深く頭を下げた。


「何かありましたら、その……ご迷惑にならない範囲で」


「迷惑ではないわ」


シュヴァルベ様は、すぐに言った。


その返事が少し早くて、私はまた驚いた。


ルイーゼ様の目が、さらに冷たくなった気がした。


気がしただけかもしれない。


そう思いたい。


「シュヴァルベ様」


ルイーゼ様が、柔らかく声をかけた。


「午後の体力測定の準備もございますし、そろそろ」


「ええ。そうね」


シュヴァルベ様はうなずいた。


それから、セシリア様、トム、ミリアにも視線を向けた。


「ヒースローさん、グラマンさん、サーブさん。午後もよろしくお願いします」


セシリア様はすぐに姿勢を正した。


「はい。こちらこそよろしくお願いいたします、ユンカース様」


トムも少し慌てたように背筋を伸ばした。


「よろしくお願いします、ユンカース様」


ミリアは落ち着いて頭を下げた。


「よろしくお願いいたします、ユンカース様」


シュヴァルベ様は穏やかに頷いた。


そして、最後にもう一度、私を見た。


「プラットさん。また後で」


「は、はい。ユンカース様」


また後で。


後で?


後で何があるのだろう。


午後の体力測定?


同じクラスだから、また会うのは当たり前だ。


でも、言葉にされると身構えてしまう。


シュヴァルベ様はそのまま立ち去った。


ルイーゼ様も続く。


その途中、ルイーゼ様が一瞬だけこちらを見た。


ほんの一瞬。


表情はやっぱり穏やかだった。


けれど目だけは、はっきり冷たかった。


立場を弁えなさい。


今度は、さっきよりもっとはっきり聞こえた気がした。


シュヴァルベ様たちが離れても、私はすぐには動けなかった。


椅子の前に立ったまま、手を握っていた。


指先が冷たい。


さっきまで講義室にいたはずなのに、測定板の前に戻されたみたいだった。


白い光。


検査員の目。


誰かの視線。


ルイーゼ様の目。


シュヴァルベ様の声。


全部が胸の中で混ざっている。


どうしよう。


何か間違えたかもしれない。


上位貴族に失礼だったかもしれない。


いや、失礼にならないようにした。


頭も下げた。


返事もした。


笑った。


でも、それが正しかったのかわからない。


プラット家の名前を汚していないだろうか。


目立たないようにしたはずなのに、どう考えても目立った。


お父さま、ごめんなさい。


お母さま、髪はちゃんと染めています。


でも、それ以外で目立ってしまいました。


心の中で謝っていると、横からセシリア様の声がした。


「プラット様、大丈夫ですか?」


すぐ答えなければ。


心配をかけてはいけない。


私は反射的に顔を上げた。


「大丈夫です」


早かった。


自分でも驚くくらい早かった。


セシリア様は、少しだけ目を伏せた。


たぶん、私が大丈夫ではないことに気づいている。


冷静で、周りをよく見ている人だから。


でも、セシリア様は無理に聞かなかった。


「そうですか」


その声が優しかった。


優しい声は、少し危ない。


胸の蓋が緩む。


私は慌てて椅子に座った。


座ると、膝から力が抜けた。


立っている時は気づかなかったけれど、少し震えていたらしい。


情けない。


声をかけられただけなのに。


侯爵令嬢と少し話しただけなのに。


でも、少しではなかった。


私にとっては、かなり大きな出来事だった。


トムが少し明るい声を出した。


「ま、まあ、なんだ。すごかったな。いきなりユンカース様から声かけられるなんて」


「トム」


ミリアが注意する。


「今それ言う?」


「あ、いや、悪い。そういう意味じゃなくて」


トムは慌てて手を振った。


「でもさ、ユンカース様、別に怖い感じじゃなかっただろ? むしろ心配してくれてたっぽいし」


「それはそうだけど」


ミリアは私を見た。


「プラット様、無理しないでくださいね。顔、ちょっと白いです」


「えっ」


私は頬に手を当てた。


白い。


髪だけでなく顔まで。


困る。


いや、顔色は染められない。


「大丈夫です。少し驚いただけなので」


「さっきも大丈夫って言ってましたよ」


ミリアの言葉は明るいのに、少し鋭い。


分析できる人だ。


私は笑った。


「大丈夫です。二回言ったので、たぶん大丈夫です」


「二回言えば強くなる言葉なんですか、それ」


トムが笑った。


私は少し考えた。


「……少しだけ?」


「少しなんだ」


ミリアが呆れたように言い、セシリア様が小さく笑った。


空気が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


トムがわざと肩をすくめた。


「よし。じゃあ午後の授業もあるし、昼飯食いに行こうぜ。腹減ってたら、余計なこと考えるからな」


「トムはいつもお腹が空いているだけでしょ」


ミリアが言った。


「違う。これは合理的な提案だ。体力測定前に栄養補給は大事だろ」


「食べすぎて動けなくなる方に賭ける」


「ミリア、幼馴染を信じろよ」


「信じてるから言ってるの」


二人のやり取りは、やっぱり軽くて速い。


さっきまで胸の中で固まっていたものが、少しだけほどけた。


昼食。


そうだ。


午後は体力測定。


食べなければ動けない。


食堂へ行く。


普通のことをする。


普通のことをしていれば、たぶん心も少し普通に戻る。


「プラット様、行けますか?」


セシリア様が聞いてくれた。


「はい。行けます」


今度の大丈夫は使わなかった。


少しだけえらい。


私は立ち上がった。


足元はまだ少しふわふわしていたけれど、歩けないほどではない。


セシリア様が隣にいて、トムとミリアが前で話している。


その向こうに、シュヴァルベ様とルイーゼ様の姿が見えた。


シュヴァルベ様は、別の令嬢に声をかけられて穏やかに応じている。


ルイーゼ様はその隣に立ち、完璧な微笑みを浮かべていた。


私はすぐに視線を落とした。


見ない。


考えない。


身の程を弁える。


けれど、ルイーゼ様の目だけは、まだ背中に残っている気がした。


冷たくて、きれいで、静かな目。


立場を弁えなさい。


その声にならない言葉が、私の胸の奥に小さく刺さったままだった。



昼食へ向かう廊下は明るかった。


床は軋まない。


窓枠も歪んでいない。


ここはプラットの屋敷ではない。


王立宇宙軍士官学校。


身分を考慮しない場所。


全員が同じ基準で扱われる場所。


そう言われたばかりだ。


でも、人の視線には身分が残る。


言葉にしなくても。


微笑みの奥に隠しても。


私はそれを知っている。


たぶん、ここでも同じだ。


私は小さく息を吸った。


髪はちゃんと茶色。


制服も乱れていない。


返事もした。


謝りすぎたかもしれないけれど、たぶん大きな失敗ではない。


大丈夫。


いや、これは言いすぎない方がいい。


私は胸の中で、少しだけ言葉を変えた。


まだ、大丈夫。


それくらいなら、許される気がした。

ここまでお読みいただき有り難うございました。


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