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篝(かがり)  作者: 涼玉兎
三 灯火(ともしび)
23/29

偲ぶ

「・・・篝」

 篝は、離れの縁側に座り、ぼんやりとした顔で、屋敷の庭を眺めていた。声をかけると、ゆっくりと首をめぐらせて、八雲を見上げる。八雲は何も言わずに、隣に腰を下ろした。

 その横顔を見て、篝はぱちぱちと瞬いた。家の中であるからか、袴は着けておらず、着流しに羽織を引っ掛けている。普段、つむじの辺りで高く結っている髪は、村で養生していた時のように、下ろして無造作に(くく)られていた。

 篝は再び、庭に視線を戻す。広い庭は、宵の薄闇に沈んで、隅まで見えない。植え込みの黒い影が、静かに息をひそめている。あるかなきかの風が、時折頬を撫でた。

 しばらくして、彼女は不意に、口を開いた。

「篝という名前はね、村の皆が考えて、付けてくれたの。・・・私が捨てられていたのは、暗い、新月の夜だったから」

 (さく)の闇夜に訪れし人の子に、光あれ、と。

「捨てられたんじゃない」

 思わず強い口調で言った八雲を、篝は驚いた顔で見つめた。

「何か、神社に置いておけない理由があったんだ。国の中に居てはいけない理由が」

「・・・ありがとう。そうなのかな」

 篝は目を細めた。

「ねえ八雲、私に、外に出てみたくないかって、訊いてくれたでしょう」

「・・・ああ」

 そういえば、村から帰る前、そんなことを訊いたと思い出す。あの時、篝は、ただただ驚いて、何も答えなかった。

「私、村の外に出て、いろんな人に会ったわ。お屋敷の人はもちろんだけど、結ねえさんや、おじさんやおばさんや・・・」

 庭を眺める篝の瞳が、静かに輝く。

「伊折さんも、長屋の人たちも、皆、優しかった。結ねえさんに連れられて、市にも行ったの。人がたくさんいて、びっくりした。初めて見る物がいっぱい・・・きれいな物も、おいしそうな物も、いっぱいあって、時間を忘れるの」

 篝の嬉しげな声に、八雲は黙って耳を傾けた。

「八雲、私は・・・私は、苑枝の国を、ずっと知らないままで、生きてきたのね」

 横顔を眩しげに見守っていた八雲を、篝が振り向く。そして、瞳を潤ませ、微笑んだ。

「私は、母さまが守ろうとしたこの国を、ずっと知らないままで、生きてきたのね」



    *****



「八雲、どうかしましたか?」

「え?」

「浮かない顔をしているので」

 そう言って首を傾げたのは、瞼を閉じた少女である。八雲は瞬いた。

「・・・鈴は、目が見えているのか?」

「いいえ。そういう気配でしたから」

 鈴が、愛らしい顔を綻ばせた。八雲は、ふと気になって、尋ねてみる。

「どうして、わざわざ盲目に変化しているんだ」

 好きなように変化出来るのなら、視えない姿になる必要は、ないのではないかと思う。鈴は、笑みを深くした。

「付喪神を生みだすのは、長い時と、人の想いなのです。ですから、思い入れの深かった持ち主の姿が、変化に影響することがあります」

 少しうつむいて、蘇芳の髪に結ばれた小さな鈴を、愛おしげに撫でる。

「私は、(かんざし)なのです。盲目の姫のために贈られた、鈴の付いた簪です」

 彼女の手付きをじっと見ている八雲に、鈴は再び顔を向けた。

「それで、浮かない顔をしている気配がしますが、どうされました?」

 八雲は苦笑した。

「いや・・・どさくさで、返事を先延ばしにしていることがあってな。どうしようかと考えていた」

 昨日は、北斗の命日だった。・・・二年が経ってしまったのだ。

 そろそろ、父と、きちんと話をせねばなるまい。そう思うと、知らないうちに溜め息が漏れた。




「浮かぬ顔をしているな」

 景雪にもそう言われ、八雲は自分の未熟さに恥じ入った。主に気を使わせてどうする。

「申し訳ございませぬ」

「別に、責めているのではない」

 景雪は、目を細めた。

「・・・昨日は、北斗の命日だったな」

「・・・はい」

 しばし、沈黙が流れた。

 遠くを見るような表情の景雪を見ながら、八雲はつい、ぽろりと言ってしまった。

「景雪様。・・・私に、兄の代わりが務まりましょうか」

 景雪は、少し驚いた顔で、八雲を見返した。ひたと見つめてから、静かに口を開く。

「八雲。お前が兄を思う心は、立派だと、私は思っている。―――だが、死者にばかり捉われるな」

 景雪の声が、頭に染み込んでくる。

「私は、北斗の弟だからというだけの理由で、お前を近侍にしているのではない」

 八雲は息を詰めて、主の顔を仰いだ。

(兄上の代わりに、慧四郎の主となり、兄上の代わりに、景雪様に仕え―――兄上の代わりに、朝桐を継ぐのか?)


 兄のようになりたかった。

 しかし、兄に―――北斗に、なりたかったのではない。


 答えなら、始めから出ていた。

「・・・もったいないお言葉です」

 頭を下げた八雲に、景雪はふわりと微笑んだ。


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