炎上
ごうごうと唸る音が、頭を埋め尽くす。
火の粉が絡みつく。
視界は赤に染まり、すくんだ体は動かない。
赤い闇に、呑み込まれる―――
悲鳴を上げる寸前に目を覚まし、うまく肺に届かない空気を求めて、大きくあえいだ。背中が、じっとりと汗ばんでいる。徐々に呼吸が落ち着き、鼓動が鎮まってくるのを待つ。
篝は、半身を起こし、ほうっと息をついた。
このところ、よく同じ夢を見る。寝言で叫びでもしたら、皆が、驚いて飛んで来るだろう。八雲が帰ってしまってから、ただでさえ、元気が無いと言われているのに、夢見が悪いなどと言って、余計に心配させたくはなかった。それに、彼らは、夢を見ないのだ。
(夜明けはまだかな・・・)
いつもより、少し早く、目が覚めてしまったらしい。今更寝直すには、頭が冴えていた。篝はゆっくりと起き出し、単衣のまま草履を探り当てて、外へ出た。
ぼんやりと薄暗い空。
「おや、今日は早いね」
「木蘭・・・おはよう」
戸を開ける音が聞こえたのだろう。
「単衣でどうしたんだい? 着替えておいで。髪もひどい有様だよ。櫛のばばさまに梳かしてもらいな」
絡まった髪を、木蘭が細い手で優しく撫でる。
「うん。今日は、ちょっと寝相が悪かったのね」
篝は照れ笑いをする。木蘭のしっとりとした声を聞いて、強張った心が、少し軽くなった気がした。
*****
―――篝は、外に出てみたくはないのか。
言われてみるまで、そんなことを考えたことは、なかったと気付く。篝の生活は、今のままで十分、満たされていたから。
「外」とは、どんな所だろう。八雲の暮らす、外。あの時、出てみたいと答えていたなら、彼は―――
「・・・り。かーがーり」
「え?」
「なにぼーっとしてるんだ?」
大きな緑色の瞳に覗き込まれ、篝は瞬いた。
まだ少し昼の熱気が残るが、さわさわと葉を揺らす風は、夕暮れが近いことを告げている。
瞳と同じ、深草色の髪をいじりながら、早蕨は口をとがらせた。
「近頃、よくそんな顔をしているよな。どっか、ここじゃない遠くの方を、見てるっていうか」
「お姫様に構ってもらえなくて、拗ねてるのかい? 女には、悩み事がつきものなんだよ。ねえ篝」
含みのある視線を投げて、木蘭が、ふわりと隣に腰を下ろした。
「どういう意味さ」
「さて。子どもの格好したあんたには、解らないかも」
木蘭は早蕨にそう答え、しかし、隣で同じく、間の抜けた顔をしている篝を見ると、呆れて息をついた。からかい甲斐がないねえ、と呟き、篝の頭をぽんと叩く。
「で? 本当は、何をお悩みかい?」
篝は、何から話そうか考えた。気の利いたことや、時には手厳しいことも、悠々と口にする木蘭は、幼いころから篝の相談役だった。面倒見の良い、姉御肌の彼女に、篝はよく懐いていた。
「おや、言い淀むなんて珍しい」
篝は、うーん、と眉根を寄せた。
「どこから言えばいいのか、分からないの。変な話だけど・・・自分でも、何を悩んでいるのか、よく分からない」
「なんだそれ」
呆れたような早蕨に対して、木蘭は微笑した。
「篝、人間にとって、十六年は長いかい?」
「・・・長いわ。でも・・・とても短かった」
「そうかい。あたしらは、逆だよ」
首を傾げている篝に、美しい顔を向けて、木蘭が笑う。
「あたしらには、十六年なんて、あっという間さ。でもね、あんたが来てからの十六年は、とっても長かったよ」
篝が目を瞬かせ、口を開きかけた、その時―――夕暮れを運んでいた風が、ふいに、ざわりと、不穏にうねった。
「・・・なんだ?」
早蕨が、空を見上げて、顔をしかめる。近くにいた鈴が、篝たちに向かって、不安げに言った。
「今、何か、妙な音が聞こえませんでしたか? 玻璃にひびが入るような、高い音・・・」
ほかの付喪神たちも、何か様子の違う森の空気に、戸惑った顔を見せている。
「どうしたの?」
皆が剣呑な顔で辺りを窺っているので、篝も立ち上がり、きょろきょろと付喪神たちを見まわした。―――すると、何か青白いものが、こちらへ向かってくるのが見えた。
ふよふよと形が定まらないが、小さな狐のように見える。蒼い焔の狐が、地を駆けてくる。
『篝』
「稲荷様?」
狐の口から、祠の神の声が飛び出して、篝は目を丸くした。
稲荷が、声だけを届けてきているのだ。いつも飄々としている彼には似合わない、切迫した声音を聞いて、付喪神たちが、篝の周りに集まってくる。
『結界が破られる』
「なんだって?」
木蘭が、柳眉を吊り上げる。
『逃げろ。―――早く!』
それだけ言い残し、蒼い狐はふっと消えた。
ぴしり、と不吉な音が響いた。篝の耳にも、ひびの入るような音が、確かに聞こえた。
次の瞬間、村に突風が吹き荒れた。
篝は思わず目を閉じて、両腕で顔を庇う。―――熱い。熱を帯びた風が、髪をなぶる。恐る恐る目を開けた篝は、愕然として、立ちすくんだ。
燃えている。
村が、森が、煙を上げて、燃えている。
「篝!」
誰かに、名を呼ばれた。聞き慣れた声のはずなのに、混乱した頭では判別できない。
炎の間から、大きな影が現れた。巨大な、四足の獣だ。黒い、禍々しい気に覆われて、形がよく見えない。赤く光る獣の目が、篝をとらえる。
肌が粟立った時、視界が墨染の衣で遮られた。
「逃げなさい、篝」
「宵闇っ・・・! あれは何!?」
炎に煽られる僧衣の向こうに、獣と対峙する、銀の姿が見える。
「銀・・・!」
「篝! こっちだ!」
よく響く声と共に、ぱっと腕を掴まれる。早蕨に引かれるままに、うまく動かない足を、なんとか踏み出した。
迫りくる炎を巧みに避けて、少年が篝を導く。風を読んでいるのだ。
背後で、獣が吠えた。体がびくりと震え、足が絡まる。横合いで、炎が膨らむ。夢で見た光景が重なり、篝は慄いた。
後ろを走っていた木蘭が、長い袖を振る。白檀の香りを含んだ、清冽な風が巻き起こり、炎が押し戻される。
「しっかりしな。走るよ」
背を叩かれて、篝は何も分からぬまま、ただひたすらに、燃えさかる森を駆け抜けた。




