晴れぬ靄
「すまなかった」
「景雪様」
八雲は、主に頭を下げられて、狼狽した。
「私が、至らなかったのです。油断しました。もう、このような失態は致しませぬ」
頭を上げたものの、景雪の表情は晴れなかった。
「至らなかったのは、私の方だ。気軽に頼みごとをして、徒労どころか、お前を危険に晒してしまった」
「・・・やはり、あの噂と関わりがあると思われますか」
「ほかに、お前が命を狙われる理由があるのか」
「思い当たりませぬ」
「そうであろう」
景雪は、暗い溜め息をついた。顎を撫でながら、思案気に続ける。
「噂を追っていたお前を、人を雇って、消そうとした者がいる。しかも、跡を辿られぬよう、野盗たちを使い、失敗すれば殺した・・・」
これ以上、首を突っ込むなという、警告にも受け取れる。
「危ぶまれるのは、獣の妖を、操っている者がいるのかもしれぬ、ということだ。何か、もっと大きな思惑があるのか・・・」
そう、八雲が気にかかっているのも、それだった。暗躍する妖の裏に、人の思惑が絡んでいるとしたら。
「景雪様、もう少し、調べてみてもよろしいでしょうか」
景雪は、渋い顔をした。
「しかしな」
「不覚は取りませぬ」
「・・・一人で城下を歩くな」
思わず苦笑が漏れた。景雪に言われていたのに、「気ままに城下をふらついた」結果がこれだ。
「皆に、言われております」
「笑いごとではないぞ」
景雪が、呆れたようにそう言った。
*****
「・・・現れる時刻は、黄昏から深夜にかけて。大きさは、推察するに、八尺から一丈ほど・・・大きいな。形は、犬や狼に見えたという者も、虎に見えたという者もいる、か。・・・実際、虎を見たことのある者は、そうはおらぬだろうから、虎のようだというのは誇張か?」
景雪が眉をひそめた。
慧四郎や、螢火、鬼灯の助力も受けて、情報を聞き集めている。目撃者も怪我人も、増える一方であったが、獣の実態はなかなか掴めずにいた。待ち伏せようにも、出没する時刻は幅があり、場所に至っては、予想も付かない。
「さて・・・ほかにも、牛やら猪やら、様々に言われています。四足の獣だということは、一致しているようですが。黒い靄のようなもので体が覆われているので、実際の姿はよく見えぬと聞きます」
「黒いというのは、その靄が黒いということか」
「はい。それから、その獣に襲われた者は、数日熱を出して寝込むのだというのですが・・・関連はあるのでしょうか」
景雪が頷いた。
「飢饉以前まで、記録を遡ってみた。黒い妖魔は、邪気を纏っているのだという。妖魔が現れると、邪気にあてられて、不調を訴える者は多い。・・・だから、国はますます傾く」
普通の獣ではなく、異形のものだということは、間違いない。
「城内でも、囁かれ始めている。・・・火種の小さいうちにと、思ったのだがな」
始めは、厨の他愛ない噂話であったのに、深刻な問題になりつつあった。いずれ、父の耳にも入るだろうか、と景雪が微かに呟く。
「気になるのは、襲われても、未だ命を落とした者はおらぬというところだ。死人が出ていないのは幸いなことだが、なぜ、襲われたのに、助かるのだ?」
景雪は、頬杖をついて、じっと宙を見つめた。
「・・・今のところ、考え得るのは、ふたつだ」
ひとつ、獣に人を襲わせることは、真の目的ではなく、ほかに狙いがあるのではないか。
ひとつ、獣は、襲うべき人間を、選んでいるのではないか。
「捜している、と言っても良いかもしれぬ。国のあちこちに現れて、殺すべき人間を捜している・・・」
景雪は、ふうと息をついた。
「分からぬな。目的も分からぬし、お前を襲った黒幕も、見当が付かぬ」
「・・・はい」
「さて、どうするか・・・」
しばし、二人の間に無言の時が流れた。
八雲は、ぽつりと言った。
「景雪様、妖魔というのは、どうして生まれるのでしょう」
「ん?」
「妖とは、皆が皆、悪しきものではありませぬ。邪気を纏って妖魔になるものは、元から、悪しきものなのでしょうか。邪気とはなんでしょうか」
八雲の脳裏で、深草の髪が揺れる。翡翠の瞳が笑う。
彼らが、黒い邪気を纏っている姿を、八雲は想像できない。
「・・・お前がそういうことを言うのは、珍しいな」
景雪が、頬杖から頭を浮かせた。少し目を瞠っている。
「珍しいですか」
「いや、そういったことには、あまり興味がないかと思っていた。私と違って」
景雪も、八雲の話に乗ることにしたらしい。
「妖にも、害のないものはいるだろう。袖を引いてみたり、道に迷わせてみたりな。子どもの悪戯のような、他愛ないものだ。・・・私は、書や記録で知るばかりで、まだ逢うたことはないが」
八雲の目が、僅かに泳ぐ。
あの森で出会った者たちのことは、誰にも、景雪にすら話していない。結界に守られた、隠れ村での出来事を、口に出して良いものか、八雲には判断が付かなかった。
景雪に話せば、きっと信じるだろうし、目を輝かせて、話をせがむだろうと思ってはいるが。
「邪気というのは、妖の本質ではなく、つまるところ、恨みや嫉みや・・・そのようなものなのかもしれぬな」




