第8話 小さな冒険 定食屋と純喫茶
街のパトロールにもすっかり慣れ、
裏道や近道、抜け道まで自然と身体が覚えたころ。
リトルさくやたちのあいだで、
ある素朴すぎる疑問が、ぽつりと落ちた。
「……そういえばさ」
「師匠って、外にいるとき、どこでごはん食べてるんだろ」
誰かが言った、その一言。
「言われてみれば……」
「見たこと、ないね」
「城では普通に食べてるけど」
少しの沈黙。
「……気になるよね」
誰も「追おう」とは言っていない。
誰も「見張ろう」とも言っていない。
ただ、気になる、という感情だけが、1000人分そろった。
そして自然発生的に、
その日のパトロールルートは、
なぜか師匠の帰り道と、同じ方向に延びていた。
定食屋
昼どき。
師匠は、いつもより少しだけ歩調を落として、
商店街の裏手へ曲がった。
赤い暖簾。
木の引き戸。
カラン、と鳴る音。
その瞬間、
路地のあちこちで、小さな影が一斉に止まった。
「……入った」
「定食屋だね」
「渋い」
覗く、というより、
気づいたら視界に入っていた、に近い。
師匠はカウンターの端に座り、
言葉少なに、指でメニューを示す。
それだけ。
なのに。
「……今の見た?」
「うん」
「かっこよくない?」
「無駄がない」
運ばれてきたのは、焼きサバ定食。
湯気。
味噌汁の香り。
師匠は、黙って箸を持ち、
静かに食べ始めた。
その様子を、
座敷の影、棚の上、柱の裏から、
1000の視線が、同じ速さで追う。
「魚だ」
「今日は魚」
「ちゃんと野菜も食べてる」
「ごはん、残さない」
誰も声を張らない。
誰も近づかない。
ただ、確認しているだけ。
そのとき。
「そこの、ちいさい子ら」
厨房から、やさしい声。
「ごはん、食べてきぃ」
一瞬、空気が止まる。
けれど次の瞬間には、
座敷に並んだのは、
リトルさくやたち専用の、小さな定食。
ミニ茶碗。
ミニ椀。
きゅうりの漬物。
「……同じ味だ」
「師匠と」
「同じだね」
それだけで、満足だった。
純喫茶
また別の日、夕方。
風が少し冷たくなり始めたころ。
師匠は、古いレンガ造りの店に入った。
純喫茶。
ドアのベルが、低く鳴る。
中は、静かだった。
コーヒーの香り。
ジャズの音。
ゆっくりした時間。
師匠は奥の席で、本を開いた。
ページをめくる音。
その、すぐ下。
カップの影。
椅子の脚。
テーブルクロスのひだ。
気配が、増える。
「……落ち着いてる」
「ここ、好きなんだ」
「呼吸、深い」
マダムは何も言わない。
ただ、いつの間にか、
テーブルの下に小さな布を敷いていた。
誰かが横になり、
誰かがその隣に丸くなる。
コーヒーの湯気の中で、
リトルさくやたちは、
静かに眠った。
その瞬間
師匠が、ふと顔を上げた。
本から視線を外し、
窓の外を見て。
ほんの一瞬。
口元が、ゆるんだ。
その瞬間。
床の下、棚の影、椅子の裏。
すべての動きが、同時に止まる。
1000人分の視線。
そして。
にま。
にまにまにまにまにま。
同じ角度。
同じ速さ。
同じ表情。
声はない。
ただ、
満足だけが、揃っていた。
「……よかった」
「今日は、よかった」
「笑ってた」
マダムが、ふとカウンター越しに言う。
「……今、空気があったかくなったわね」
師匠は気づかない。
また本に目を落とし、
ページをめくる。
小鉢ひとつ
数日後。
定食屋のおばちゃんが言った。
「師匠さん、最近ちょっと疲れてはるなぁ」
その言葉が落ちた瞬間、
どこからともなく動き出す影。
その日のうちに、
農園の野菜が収穫され、
小さな袋に詰められた。
翌日。
定食の小鉢に、見慣れない野菜がそっと乗る。
師匠は、箸を止め、一口。
「……うん」
それだけ。
でも。
その店の影で、
1000人が、同時にうなずいた。
今日も、よかった。
師匠は知らない。
自分の行く先に、やさしさと、ほんの少しの不気味さが、静かに、先回りしていることを。
リトルさくやたちは、今日もパトロールを続けている。
ただ、
師匠が穏やかでいられる場所を、
そっと増やしながら。




