第6話 小さな冒険 ケーキ屋とちいさなジャム
街の巡回ルートを歩いていたある日、
リトルさくやは、不意に足を止めた。
甘い。
理由もなく、確信だけがあった。
この通りは、危険ではない。
でも――抗えない。
匂いの先にあったのは、小さな洋菓子店だった。
大きな窓。白い壁。
その向こうに、きちんと整列したケーキたち。
リトルさくやは、慎重に、窓の縁から顔だけを出した。
……すごい。
山のようなスポンジ。
なだらかなクリームの波。
光を閉じ込めたみたいなフルーツ。
鼻先が、気づけばガラスに触れていた。
「……むむっ」
そのとき、奥から人の気配がした。
背筋の伸びた女性が、ショーケースの前に立つ。
無駄のない動き。
柔らかい目元。
微笑むと、空気まで少し甘くなる。
リトルさくやは、なぜか思った。
(……この人、師匠の知り合いかも)
根拠はない。
でも、胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。
それからだ。
街の清掃ルートが、
「たまたま」この通りを通るようになったのは。
ネコ台車を引きながら、
リトルさくやたちは毎回、同じ場所で立ち止まる。
ガラス越しに、無言で凝視。
「あれはいちごのショート……」
「チーズケーキ……」
「……プリン、黄金比……」
誰も指示していないのに、
十人ずつ交代でしゃがみ込み、
ケーキを数え、配置を覚え、角度を測る。
ショーケースの幅。
棚の高さ。
ケーキとケーキの、わずかな隙間。
――完全に測量だった。
店主は、気づいていた。
窓の向こうで、ふわりと笑う。
春が近づいたある日。
農園で採れたばかりのいちごを、
ネコ台車に積んで運んでいたときだった。
角を曲がった、その先。
「あら……いちご?」
声がした。
リトルさくやは固まった。
(え、どうする これ師匠の でもこの人 いや、違う? でも……)
考えているうちに、
手が勝手に動いていた。
一粒だけ。
そっと、差し出す。
店主は少し驚いた顔で受け取り、
そのまま、ひとくち。
「……おいしい」
その瞬間、
目が、ほんの少しだけハートに見えた。
「もしよかったら、うちで使わせてもらえないかしら」
「……し、師匠に聞かないと……」
その夜。
パソコンに向かう師匠に、
恐る恐るたずねる。
「……いちご、ケーキ屋さんに……」
師匠は画面から目を離さず、
「ん……自由にしていいよ」
それで、決まりだった。
いちごの納品が始まった。
ネコ台車で運ぶ。
渡す。
お礼に、焼き菓子の端。
クリームのはしっこ。
誰が行くかで揉め、
順番表が作られ、
最終的に猫が決めた。
ある日、店主が小さな瓶を差し出した。
「ジャムなの。よかったら、あなたたちも作ってみない?」
その夜、農園の横に小屋が建った。
正確には、「開拓中の物置」が、勝手に“ジャム小屋”になっていた。
低い台。
小さな鍋。
かき混ぜる道具は……歯ブラシ。
それでも、
いちごは煮詰まり、
甘い匂いが立ち上る。
ゆっくり。
くるくる。
瓶に詰め、
一つずつ、手描きのラベル。
ʕ•ᴥ•ʔ。
そして、その瓶は――
納品のついでに、
いつの間にか、店の棚に積まれていった。
一本。
五本。
気づけば、塔。
「ちょっとぉぉぉお!?
なにこのジャム瓶の山!!」
裏口で悲鳴。
「おはようございます〜」
「納品です〜」
「ちょっとだけです〜」
「どこがちょっとやねん!!タワーやがな!!」
雷。
数日後。
棚の隅に、小さな札。
ʕ•ᴥ•ʔのジャム
師匠がそれを見て、ぽつり。
「……売ってるんだ」
「たぶん売れてますっ」
「そっか」
その日、
ジャムの納品は十本増えた。
夕方。
ショーケースの前で、
リトルさくやは思う。
(いつか……)
いちごを乗せた、
世界でいちばん小さなショートケーキ。
その夢は、
もう、匂いになっていた。




