■第28話 霧の谷編 白い孔雀と設計の夜
霧の中に、橋が伸びていく。
白い孔雀が、空を舞う。
そして、さくやは震える手で、夢を描いた。
■片持ち式仮設橋
数日後、師匠の仮設橋の図面を見て、さくやたちは息を呑んだ。
片持ち式。手前側だけに大きな主塔を立て、ケーブルで橋桁を吊りながら対岸へ押し出していく。
対岸に足場のない状態で、霧の中へ橋を伸ばしていく設計だった。
「片側だけで、大丈夫なん?」と誰かが呟いた。
タブレットの向こうで師匠が静かに答えた。
「仮設用の超軽量橋です、頑張りましょう」
爆音社長が画面の中で腕を組んだ。
「やったろうやないか!」
その言葉に、さくやたちは顔を見合わせた。
やったろう、という気持ちは全員同じだった。
数日かけて主塔が完成した。
霧の中にそびえ立つ主塔を見上げて、さくやたちはしばらく黙っていた。
自分たちが作ったものが、こんなに大きくなった。
翌朝、爆音社長から機材一式が届いた。小型ウインチ、ジャッキ、ケーブル固定具、命綱、等々。
すべてがさくやたちの体格に合わせてあった。
爆音社長は何も言わなかった。
タブレット越しに「使えるやろ」とだけ言った。
誰もどこで調達したのかを聞かなかった。
聞かない方が良さそうだった。
きっと必死に用意してくれたのだ、きっと自作だと全員が思っていた。
■押し出し作戦
作戦はシンプルだった。
5mずつ橋桁を押し出し、その都度橋の左右をケーブルで吊って固定する。
それを繰り返して対岸まで届かせる。
200mの谷を、40回に分けた仮橋を設置する。
「せーの!」
連絡係の掛け声で、各班が一斉に動いた。
ウインチが唸り、橋桁がゆっくりと霧の中へ滑り出していく。
5m進んだところで止め、ケーブルを固定する――はずだった。
橋桁が、斜めになった。
「あかん、傾いてる!」「どっちに?」「こっち!」「逆やって!」
さくやたちが一斉に叫んだ。
測量班が「右に2度傾いてます!」と報告し、設計班が「図面上は水平のはずや!」と言い張り、記録班が「傾き具合、記録しておきます」と淡々とペンを走らせた。
爆音社長が「落ち着け!!」とタブレット越しに叫んだ。
全員が静止した。
「……やり直し」とさくやが言った。
「固定を外して、もう一回」「え、また最初から?」「最初からやない、ここからや」さくやは橋桁を指さした。「失敗したから分かった。ウインチの左右、同時に動かさなあかん。次はできる」「……なるほど」「早よ言ってや」「今気づいたんや」
■二回目
左右のウインチを同時に操作する。
橋桁が、今度は水平に滑り出した。5m進んで固定する。
測量班が「水平です!」と報告した。
全員が「よし!」と声を揃えた。
失敗は、次の正解への最短ルートだと、さくやは思っている。
二区画目、三区画目と進むにつれて、各班のわちゃわちゃが本格化し始めた。
連絡係が5mごとに師匠へ報告するのだが、几帳面すぎて「第三区画、固定完了です。風速3.2、気温はマイナス2度、橋桁の傾き誤差0.3度、連絡係の体感温度は」「そこまでええ」と爆音社長に遮られた。
「了解です!」
次の区画からは要点だけ報告するようになった。
記録班は5mごとに几帳面にデータを取り続けていたが、風が強い区画では記録用紙が飛びそうになった。
「記録は止められへん!」と言い張りながら、体ごと用紙を押さえて書き続けた。
「重し使って」と師匠に一言言われて、次の区画から石を重しにした。字が、急に読めるようになった。
「最初からそうしろ」「言われるまで気づかんかった」「それ記録しといて」「はい」
設計班は橋桁が進むたびに図面を修正し続けていた。
「想定より風の影響が大きい」「ケーブルの角度、変えた方がええかも」その都度さくやに相談してくる。
さくやは答えながら、自分の手帳にも書き込み続けた。「さくや、手が足りてる?」「足りてへん」「やと思った」「でも止まれへん」「それもやと思った」。
十区画目あたりで、疲労が出始めた。
ウインチを操作する手が重い。
風も強くなってきた。
橋桁が大きく揺れた。「止めるな!止めたらもっと揺れる!」爆音社長の声がタブレットから飛んだ。
さくやたちは必死にウインチを操作した。
ケーブルがきしむ。「押さえろ!」全員で橋桁にしがみついた。
風が止んだ。ケーブルは耐えていた。
師匠が静かに言った。「大丈夫。計算通り、想定内だよ」
その言葉に、全員が小さく息を吐いた。
「想定内って言える師匠、すごいな」
「計算してるからな」
「わたしらも計算してたけど怖かった」
「それが正直なところや」。
二十区画目。三十区画目。橋桁は少しずつ、確実に霧の中へ伸びていった。
■そして――四十区画目
橋桁の先端が、霧の向こうへと消えた。しばらくの沈黙の後、対岸に固定具が引っかかる感触がケーブルを伝わってきた。「……着いた!」誰かが叫んだ。歓声が上がった。タブレットの向こうで爆音社長が「ヨッシャアア!!」と叫び、師匠が静かに笑った。
さくやが手を挙げた。「わたし、行きます」
橋に足を乗せた。揺れる。霧で前が見えない。一歩踏み出したところで、あまりの揺れに思わず引き返した。「……やっぱり怖い」「正直やな」「でも行く」「知ってた」。さくやは深く息を吸って、もう一度足を踏み出した。一歩、また一歩。霧の中を慎重に歩く。対岸に着いた時、大きく息を吐いた。振り返ると、霧の向こうに仲間たちの姿がぼんやりと見えた。「……着いた」仲間たちも続いて渡り、橋桁を固定した。
仮設橋が、完成した。
■白い孔雀の救出
本格的な作業が始まった。
形式は、吊り橋だ。
機材を運び、両岸の主塔建設が進んでいく。
作業中のことだった。
「ぎゃああああ〜〜っ!」
数名が仮設橋の端から滑り落ちそうになっていた。
命綱につかまり、宙ぶらりん。
「大丈夫か?!」救急班が駆け寄ったが、橋の端では身動きが取れない。ロープを投げた。届かない。もう一回投げた。また届かない。
「あと少しやのに!」「もう一回!」三回目を投げようとしたところで、霧の中から白い影が現れた。
巨大な白い翼。
羽根が虹色に輝いている。
霧の中に見たあの白い鳥だった。
白い孔雀は音もなく舞い降り、さくやたちを翼でそっと支えた。
優雅に、美しく、まるで当然のことのように。
「うわ〜、助かった〜!」全員がその姿に見とれた。
羽根が日光を受けて虹色に輝く。霧の中で白さが神々しく輝く。
「きれいやなあ……」「神様や……」
白い孔雀は、ひとしきり舞ってから、霧の中へと消えていった。
救急班が静かに手を挙げた。
「ロープ、もう少し長いやつ用意しておきます」
「それより孔雀に感謝せえ」
■主塔が立ち上がる
作業が再開された。
両岸の主塔が着実に高くなっていく。
夕暮れ時、タブレットに師匠の顔が映った。
「無理しないように」
200人が、疲れた顔に笑顔を混ぜて頷いた。
「明日も頑張ろう」
■設計を任される夜
現場そばの仮設宿泊所。霧が窓を濡らし、外では風が唸っている。
でも、中は温かかった。
ストーブの前で、さくやたちは疲れを癒しながら今日を振り返っていた。
「孔雀、ほんまに神様みたいやったな……」夕食のスープが、体の芯まで染みた。
食後、さくやのタブレットに師匠からメッセージが来た。
ビデオ通話が繋がった。
「分からないところは、いつでも聞いて」
「こっちのメンバーは模型を作って風速実験までやってるよ」
仲間たちが振り返った。
「え、実験?」「私らが?」「そうだよ」「……すごいやん」「怖い」「でもやるんやろ」「やる」「知ってた」
さくやは設計図を印刷して、ストーブの前に広げた。
■徹夜の設計
小さな手で鉛筆を持つ。
主塔の高さ。ケーブルを受ける角度。風荷重への対応。分からないことだらけだった。
最初に描いた線を、10分後に全部消した。「……やり直し」「早」「でも正しい方向に気づいたんや」「それ、さっきも言ってたな」「癖や」。
また描き始める。今度は消さなかった。
少しずつ、形になっていく。
師匠のアドバイスを受けながら自分なりに考える。
現場を見た。谷を知った。風の動きを体で感じた。それが、線になっていく。
仲間たちが何人か、ストーブの前に残って付き合ってくれた。
何も言わず、ただそこにいてくれた。時々覗き込んで「ええんちゃう」と言ってくれた。
それだけで、十分だった。
時計を見ると、夜中の12時を回っていた。
でも、止まれなかった。鉛筆を握る手が、震えなくなってきた。
■橋の色
夜中の3時。さくやは設計図を仕上げた。まだ粗い。でも、形になった。自分の手で。
ストーブの前で、仲間たちがうとうとしながら話していた。
「橋の色、どうしようか」
「真っ白がええんちゃう?霧に溶け込むように」
「白い孔雀みたいに」
「あと、ʕ•ᴥ•ʔマークも入れたい」
「主塔に」
「絶対入れよ」
「入れる」。
さくやは設計図の余白に書き込んだ。「白」。そして、小さくʕ•ᴥ•ʔ。
白い孔雀みたいな橋になる。
霧の中で、神々しく輝く。
さくやは設計図を胸に抱いた。
明日、師匠に見せる。
これが設計の喜びだ。
霧の外では、白い孔雀がどこかで静かに舞っているだろう。
この谷を守りながら。
橋の夢を見守りながら。
ストーブの火が、静かに揺れている。
小さきものたちの手の中で、白い夢が、霧の中で、静かに、大きく、輝き始めていた。
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