■第243回 湖畔の胎動編 「知性という名の来訪」
傷だらけの船が帰り、静かな青年が扉を叩いた。
精密な頭脳は、感覚の世界に骨格を与える。
文明は今、新たな柱を得た。
■ 帰還
轟音だった。
湖の上空に影が現れた瞬間、師匠は思わず目を細めた。
バスほどの大きさの機体が、白煙を引きながらゆっくりと高度を落としてくる。外壁は焦げ、羽根は半分以上が歪み、継ぎ接ぎだらけの補修痕があちこちに光っている。それでも機体は諦めなかった。最後の力を振り絞るように、南西の飛行場へじりじりと近づいてくる。
着陸の瞬間、地面が揺れた。
草が一斉になびき、光鉱石のコンテナがかたかたと鳴った。師匠の足元まで、その振動が伝わってきた。
(……よく帰ってきた)
タラップが開く。蒸気が勢いよく噴き出した。
一人、また一人と降りてくる。全員ヘトヘトだ。目の下に隈、服はボロボロ。師匠の膝下あたりにずらりと並んでいく彼らの顔には、しかし出発前にはなかった何かが宿っていた。戦いの色、とでも言うべきものが。
最後に出てきたさくやだけが、なぜか胸を張っていた。
「ただいま戻りました……! 報告、山ほどあります……!」
「……うん。よく帰ってきたね」
師匠がそう言った瞬間、数人がその場にへたり込んだ。
■三日間の会議
報告会は、始まった瞬間からカオスだった。
師匠の足元に50人が集まり、全員が一斉に喋り出す。
「ジャングルで!」「光鉱石が!」「サルが!」「滝が!」「バルコが!」
小さな声が重なり合って、師匠には何を言っているのかほとんど聞き取れない。
「——一人ずつ」
師匠の一言で、全員が止まった。
そこから三日間、昼夜問わず会議が続いた。WEB画面には各拠点が次々と繋がっていく。海の拠点、飛行場、ジャングル、竹林、荒野――画面の数がどんどん増えて、コテージの壁が足りなくなった。
光鉱石をめぐるプロジェクトは、すでに国家を超える規模になっていた。
その間にも拠点は動いている。巨大保管庫の建設。飛行場の防衛線強化。エレナは医療と研究を同時にこなし、レイナは芸術と畜産を掛け持ちしている。二人が積み上げた資料が、机の上から床へとあふれ出していた。
ラーシュとユーリは到着した瞬間にどこかへ消えた。
誰も気にしなかった。いつものことだ。
「……二人とも忙しすぎるね。少し休ませないと」
師匠が小さく呟いた、その時だった。
コンコン。
扉が叩かれた。
■リトルヒジカタ
扉を開けると、師匠の膝下あたりに、整った黒髪を真ん中で分けた青年がすっと立っていた。学ランのような黒い服を着て、脇には分厚い本を抱えている。背後には十名ほどの同じ服装の者たちが、微動だにせず控えていた。
師匠は思わず少しかがんだ。
「……失礼します。私はリトルヒジカタ。東の森と北の雪山の境に住む者です。ジュウベェ殿に湖の拠点へ向かえと言われ、参上しました」
声は落ち着いて低く、よく通った。
「どうして僕のところへ?」
「鉄道を見ました。感動のあまり、三日三晩眠れませんでした」
「……そ、そう」
「居ても立っても居られず、気づけばここにおりました」
さくやが小声で師匠に耳打ちした。
「……この子、大丈夫?」
「たぶん、大丈夫だと思う」
「とりあえず……中へどうぞ」
ヒジカタは深く、深く一礼した。背後の十人も、ぴったり同じタイミングで頭を下げた。
「「「「よろしくお願いいたします」」」」
さくやは少しだけ引いた。
■ 知性という柱
仕事に参加させると、ヒジカタはすぐにその能力を示した。
机の上に広げられた図面を、30cmの体でさっと駆け回るように確認し、狂いのある寸法を次々と指摘する。必要な解析を黙々とこなし、出てくる答えはことごとく正確だった。
精密。正確。整然。
"知性"そのものが歩いているようだった。
眼鏡をかけるとさらに雰囲気が増す。視力は良いのに、だ。
「……眼鏡、必要なの?」
「乱世の、戦支度にございます」
「……そう」
師匠は特に深追いしなかった。
気づけばヒジカタの仲間は二百人に増えていた。机の上、床の上、棚の前――あらゆる場所に黒い学ラン姿が整然と並んでいる。誰も喋らない。だが質問すると止まらない。
「ヒジカタ、そのへんで」
「……御意」
さくやには、師匠が今どのヒジカタに話しかけたのかわからなかった。師匠にも、おそらくわからなかった。ヒジカタたちには、わかるらしかった。
それ以上のことは、誰も説明しなかったし、誰も聞かなかった。
それでも彼らは確かに、師匠オフィスの新たな戦力になっていった。光鉱石を巡る世界が拡大する中、その知性は新たな柱として、静かに、しかし確実に根を張りつつあった。
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