■第241回 ジャングルの光偏 次なる旅立ち
水煙の向こうに、別れと始まりが交差する。
籠の鳥は自ら扉を開け、空へ還った。
そして世界は、また少し広がった。
■滝壺の決断
滝壺から立ち上る水煙が、朝の光を細かく砕いていた。
白い霧の中から、一艘の船がゆっくりと姿を現す。甲板には重機用の器材を背負った屈強な男たちが整然と立ち、その周囲にはサムライたちが無言で散開していく。波音と滝の轟音が混ざり合う中、その動きはどこまでも静かで、どこまでも落ち着いていた。
シェルは岸辺に立ち、その光景をじっと見つめていた。
船首に立つマケダが、こちらに向かって爽やかに手を振った。彼女の笑顔は、この湿度の高いジャングルの空気の中でも不思議なほど清潔で、まっすぐだった。サムライたちは周囲の気配を読みながら、しかし決して威圧することなく動いていた。あの島で見てきた荒々しさとは、何もかもが違った。暴力の匂いがしない。支配の気配がない。ただ、静かな"温かさ"だけがそこにあった。
(この人たちが光鉱石を使うなら……悪いようにはしないだろう)
その確信が胸の中でゆっくりと形を結んだ瞬間、シェルの中で何かが音を立てて解けた。長い間、自分でも気づかないまま握りしめていた何かが、ようやく手の中からこぼれ落ちていくような感覚だった。
「さくや! 光鉱石は——好きに持っていけ! 私は……村に帰る!」
声は滝の轟音をやすやすと割って、水煙の中へ真っ直ぐに飛んでいった。
強く、そしてどこまでも晴れやかな声だった。
さくやは少しの間、シェルの顔をじっと見つめた。それから、ゆっくりと微笑んだ。押しつけがましくない、静かで控えめな笑みだった。
「……うん。ありがとう、シェル」
たったそれだけの言葉が、シェルの胸にすとんと落ちた。
「送ってやろうか? またサルにやられるぞ」
ラーシュが人の悪い笑顔で口を挟んだ。シェルは苦笑して肩をすくめる。
「はは……また来いよ。待ってる。それまでに、このジャングルは……俺が統治する」
「それがええな。上陸するたびに襲われんのは、正直しんどかったわ」
二人はがっしりと握手した。ラーシュの大きな手がシェルの手を包む。言葉はもうなかったが、その握手の力が全てを語っていた。シェルは仲間たちにも大きく手を振り、それから踵を返した。
ジャングルの奥へ続く獣道を、シェルはまっすぐに歩いていく。一度も振り返らなかった。その背中は、来たときよりも確かに大きく見えた。
■川を下る船と、二つの視線
マケダの船が川を下り始めると、両岸の木々の陰からざわめきが起きた。
顔に彩色を施した戦士たち。見慣れない装束の部族の者たち。子どもたちが木の枝に登り、首を伸ばしてさくや一行を眺めている。しかしそこに敵意はなく、むしろ好奇心と、どこか畏敬に近い感情が混じり合っていた。
バルコを撃退した知らせは、川の流れよりも速く、このジャングル全体に広まっていたのだろう。
さくやは船縁に手をかけ、その視線の群れを静かに受け止めた。
(マケダの発掘を、邪魔する奴らが出んとええけど……)
ジュウベェをはじめとするサムライたちは、その視線の意味を誰よりも鋭く感じ取っていた。スキンヘッドの"怪物"との対決は、いずれ来る。それは全員が肌で知っていた。だから彼らは今日も、仲間の目に触れないよう、船の隅でひそかに体を動かし、感覚を研ぎ澄ませていた。
川面は穏やかだった。上流の激流が嘘のように、水は緩やかにジャングルを映していた。
やがて河口が見えてくると、岸辺に巨大な影が立っていた。
チアゴだ。
丸々とした体格の黒い巨漢は、何も言わなかった。ただにこりと笑って、両腕に抱えきれないほどの現地料理を次々と並べ始めた。大きな葉に盛られた肉料理、香辛料の香りが立ち上る煮込み、甘い果実の山。テーブルなどというものはなく、地面に直接広げられたその食卓は、しかしどんな豪奢な宴席よりも豊かに見えた。
誰ともなく笑いが起きた。
宴が始まった。
■宴と、次なる旅立ち
炎が揺れる中、さくやたちはジャングル上流での出来事を語り合った。
暗闇の中の奇襲。サルの群れとの攻防。滝の向こうに広がっていた光鉱石の鉱脈。バルコとの決戦。そしてシェルとの出会いと別れ。語るほどに、それがどれほど濃密な時間だったかを、一行は改めて思い知った。
チアゴは目を丸くしながら、ひと言も聞き逃すまいとばかりに身を乗り出し続けた。その大きな目が驚くたびに、場の笑い声が大きくなった。
そしてマケダは、頃合いを見計らって真剣な顔になった。彼女の瞳には、宴の炎が小さく揺れていた。
「チアゴ、頼みがある。発掘を手伝ってくれ。あなたの船なら、もっと上流の奥地まで行けるはずよ」
チアゴはしばらく黙ってマケダの目を見ていた。それから、あの人懐っこい笑みを浮かべて大きくうなずいた。言葉はいらなかった。
世界は、また少し広がった。
■帰還する飛行船と、師匠の声
翌朝、さくや一行は飛行船に乗り込んだ。
マケダはすでに重機を満載した船団を率いて上流へ向かっていた。見送りの際、彼女は振り返りざまに白い歯を見せて笑い、力強く拳を突き上げた。その姿が、朝もやの中に溶けていくまで、さくやはずっと見送っていた。
飛行船がゆっくりと高度を上げる。眼下にジャングルの緑の海が広がり、川の銀色の流れが光を反射していた。シェルが戻っていった獣道は、もうどこにあるかもわからなかった。
船内では、さくや・エレナ・レイナが報告書の作成に追われていた。書いても書いても終わらない。ジャングルで起きたことは、文章に収まりきらないほど濃かった。
ラーシュとユーリは向かい合って座り、黙々と武器の手入れをしていた。二人の間に言葉はない。しかしその沈黙は、長い旅を共にしてきた者だけが持てる、穏やかで深いものだった。
通信機が鳴った。
「師匠! 三か所目の光鉱石を発見しました! マケダが続きの発掘を担当してくれます! 帰還したら詳細を報告します!」
通信の向こう、師匠の声は静かだった。騒がしい船内とは対照的に、その声はいつも通り、穏やかで落ち着いていた。
「お疲れさま。……墜落しないように帰ってきてくださいね」
「はいっ!!」
一同の声が重なった。その返事だけは、どんな時でも元気だった。
しかし通信を切ったあと、さくやは改めて船内を見回した。
外壁には拳大の穴が開いている。主翼の羽根は根元から歪み、補修のテープが何重にも巻かれていた。計器盤のひとつは完全に死んでいて、ラーシュが「見なくていい」と布で覆ってしまっていた。エンジンは三つのうちひとつが半分しか出力を出せていない。
(……ほんまに墜落せんようにせな)
さくやは小さく息をついて、報告書の続きに目を落とした。
行きに立ち寄った無人島を経由し、師匠の待つ湖の拠点へ向けて、飛行船はゆっくりと、しかし確実に高度を保ちながら飛び続けた。
■ 終章——加速する世界
ジャングルの冒険は終わった。
光鉱石は三か所で発見され、マケダの手に委ねられた。シェルはジャングルの統治者として村へ帰り、チアゴは新たな航路を開く。それぞれの場所で、それぞれの物語が動き始めていた。
世界の動きは、ここからさらに加速していく。光鉱石が何をもたらすのか。スキンヘッドの怪物との決着はどうなるのか。師匠が見据えているものは何か。
飛行船は雲の上を飛んでいた。
眼下にジャングルはもうなく、ただ広大な空と、遠くに光る湖だけがあった。
さくやは窓の外を、しばらくの間だけ、静かに見つめていた。
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