■第238話 ジャングルの光編 青白き滝とマンドリルの夜
仮面の下は、整った顔だった。
そして夜明け前、狂気のマンドリルが来た。
シェルの二刀が、夜の森に弧を描いた。
■ シェルの村
リトルシェル族の村には、バルコの影はまったくなかった。
川沿いで遭遇したあの百人——彼らがそのまま村人全員らしい。全員が例のブタの仮面をつけているが、食事の時だけ外してよいらしく、仮面の下は想像以上に整った顔立ちだった。「なんか拍子抜けするな」さくやが小声で言った。「何を期待してたんだ」ユーリが苦笑した。
「戦ってんのは下流の連中でな。上流の俺たちは、同じ小さきもの同士で争ってる暇なんてねぇんだ」シェルが焚き火を見つめながら言った。「日々、動物との闘いがあるからな」
その言葉は、ただの強がりではなかった。静かに積み上がった重さを持っていた。
■ 青白き滝
「なぁ、光る石知らん?青白く輝くやつ」さくやが切り出した。「ああ、知ってる」シェルはすぐ答えた。「ここから上流にデッカい滝がある。その脇の岩山が青白く光る鉱石だ」「それ探してんねん!案内してや!」
「良いが——あれを持ち帰ることは許さん」
「世界を救う石やで?」さくやが真面目な顔で言った。シェルは首を振る。「一年に一度、高熱を発する時期がある。その間、川の水は止まり、両岸を歩いて行き来できる。……神が作る道だ。お前らがどうこうしていい代物じゃない」
「それはすごいな……まぁ、とりあえず見に行こや」「見るだけなら良い。ついでに——神の生贄になれ」「なんでやねん!」
シェルは意外と冗談を言うタイプらしい。仮面なので表情は読めないが、声に微かな笑いが混じっていた。
「二日くらいかかる。それに途中、凶暴なマンドリルの群れがいる」「怖い?」「ああ……なぜか武器を使える。剣みたいなもんを振り回したり、岩を投げてきたりする」「なぬ!」さくやが変な声を上げた。「俺たちも毎年、何人か犠牲になる」淡々と言うその声は、妙に重かった。
全員が黙った。毎年、何人か。百人しかいない村で、毎年だ。
「なら、俺たちが助けてやる」ラーシュが立ち上がった。「レイナとエレナは一日遅れで追ってきて。目印は付けるから」ユーリが言うと、「戦術分析くらいできますよ」エレナが返した。「エレナ、ゆっくり行きましょう」レイナが笑いながら促した。
■ 森が静まり返った
翌日、一行は滝へ向かって出発した。
ジャングルは深くなるほど、空気が変わっていく。光が届かない場所が増え、足元の草が濃くなり、虫の声すら種類が変わる。全員が無言で進んでいた。
半日歩いた頃——ラーシュが立ち止まった。「……囲まれてんな」
風が止まった。森が静まり返った。虫の声が消えた。
木々の上を見上げると——無数の影が枝に座っていた。じっとこちらを見ている。大きい。普通のマンドリルより一回り大きく、顔の模様が鮮やかだ。そして——目が光っている。青白く、淡く、不規則に瞬いている。
「……目が光ってる」さくやが呟いた。「光鉱石と同じ色だ」ユーリが静かに言った。誰も答えなかった。
武器を持っている。岩を片手に持つもの、削られた木の棒を握るもの。だが一番異様なのは——鳴き声がないことだった。これだけの数が集まっているのに、森が完全に静まり返っている。普通の獣ではない。何かが、根本的に違う。
「……本当に武器持ってるな」さくやが呟いた。「言っただろう」シェルが静かに答えた。「なぜ今日は来ない?」ユーリが尋ねた。「夜明け前に来る。それがあいつらのやり方だ」「準備する時間をくれてんのか」「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ——朝日が昇る前に必ず来る」「なぜ朝日とともに消えるんだ?」「分からない。ずっとそうだ。俺たちの誰も、理由を知らない」
キャンプの火を起こした。焚き火を囲むように、木々の影に無数の青白い目が光っていた。瞬かない。ただじっと、こちらを見ている。眠れる夜ではなかった。
■ 夜明け前——狂気のマンドリル
夜明け前、空がわずかに白み始めた瞬間——地響きが走った。
最初に来たのは、岩だった。
ドンッ!焚き火の横に、人の頭ほどの岩が落ちた。「うわっ!」次の岩が飛んでくる。ドンッ!ドンッ!正確だ。狙っている。「散れ!」ラーシュが叫んだ。
次の瞬間、木々から無数の影が降ってきた。
何百という群れが、無音のまま一斉に襲い掛かってきた。鳴き声がない。唸り声もない。ただ、青白く光る目が無数に迫ってくる。その無音が、何よりも恐ろしかった。
「来たぞォ!」シェルが吠えた。
青龍刀のような刀を二本、左右に構え——獣のように飛び込んだ。かつて見た三番勝負の時とは、まるで別人だった。力任せではなく、鋭さと重さを備えた斬撃が、次々とマンドリルを弾き飛ばす。左の刀が弧を描き、右の刀が追撃する。二刀の軌跡が夜の森に残像を残した。
「なんだよ……俺との勝負の時、本気じゃなかったんだな」ラーシュが呟いた。「そうだな」シェルが答えた。呼吸すら乱れていない。
だが——マンドリルが怯まない。弾き飛ばされても、すぐに立ち上がって来る。傷を負っても、痛みを感じていないような動きだ。倒れた仲間を踏み越えて、次の個体が来る。また来る。また来る。「こいつら、痛みを感じてないのか?」さくやが叫んだ。「そうだ」シェルが答えた。「あいつらは——もう獣じゃない」
さくやとユーリは吹き飛んできたマンドリルを縛り上げようとするが、縛った縄を引きちぎって来る。「縄が効かない!」「力が異常だ!」ラーシュが前線を押し上げ、盾で岩を弾き、斧で間合いを作る。後方から大きな岩が飛んでくる。「後ろ!」ドンッ!岩がラーシュの盾に当たり、腕が痺れた。
「あいつ——」ユーリが後方を見た。木々の上、一際高い枝の上に、一頭だけ動かないマンドリルがいた。武器は持っていない。ただ腕を振り、指を差し、群れに何かを伝えている。「リーダーがいる。後方から指示を出してる」「獣が指揮をとってる……?」さくやが息を呑んだ。「エレナがいれば分析できたのに」ユーリが苦笑した。「今はそれどころやない!」
「お前、こんな戦いしょっちゅうやってんのかよ!」「毎週だな。……ずいぶん仲間がいなくなったよ」シェルの声は仮面にこもり、それでも二刀はぶれることなく、重く深く群れを切り裂き続けた。「こいつら、無限に湧くからな。だが、朝日が昇る前に消える」
「消える——なぜだ?」「分からない。だが必ず消える。だから朝日まで耐えるしかない」
「聞いた!?みんな、朝日まで耐えるで!」さくやが叫んだ。
戦いが激しくなる。マンドリルが波のように押し寄せる。ラーシュの斧が唸り、ユーリの矢が飛び、シェルの二刀が夜の森に弧を描き続けた。青白い目が、無数に迫っては弾かれ、また迫ってくる。
空が、少しずつ明るくなっていく。
東の空が白む。オレンジ色が滲み始める。
その瞬間——マンドリルたちが、ざわめき始めた。初めて声が漏れた。苦しむような、怯えるような声だ。後退する個体が出始めた。「来るで!もうちょっとや!」さくやが叫んだ。
最後の波が来た——全員で押し返した。
朝日が差し込んだ瞬間——マンドリルたちが、一斉に森の奥へと消えていった。
静寂が戻ってきた。
全員が、その場に座り込んだ。息が荒い。体のあちこちが痛い。
「……終わったな」ラーシュが額の汗を拭った。「毎週これをやってるのか」ユーリが呟いた。「ああ」シェルが二刀を収めた。「俺たちには、逃げる場所がないからな」
しばらく誰も喋らなかった。
やがて——ユーリが静かに言った。「あいつらの目——朝日が差した瞬間、青白い光が消えた」「……光鉱石と同じ色だったな」さくやが呟いた。「関係があるのかもしれません」エレナの声が聞こえた。振り返ると、レイナとエレナが到着していた。「遅れてすみません。……随分激しかったようですね」エレナが周囲を見回しながら言った。「随分どころやないわ」さくやが苦笑した。
「マンドリルの目と光鉱石——繋がりがあるとしたら」エレナが測定装置を取り出した。「滝に行けば、分かるかもしれない」
朝日の中、遠くから滝の音が聞こえてきた。青白く輝く水しぶきが、朝日を浴びてきらめいている。
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