■第229話 渓谷の光編 地下水路の逃亡者たち
砂漠の都市が、カイザーに飲み込まれた。
三十センチの十人が、地下を駆け、夜を生き延びた。
師匠の一言が、空からの奇跡を呼んだ。
■ 支配された都市
リトルファリダの砂漠の都市は、カイザーに支配されていた。
荒野の鉱山に眠る鉱石は、光鉱石ほどではないが、大量のエネルギーを発散する貴重な資源だ。カイザー軍はそれを狙い、瞬く間に鉱山を制圧した。リトルレオンが捕らえられたとの連絡が届いた時には、すでに遅かった。ファリダも素早く捕らえられ、城の地下牢に監禁されてしまった。
インフラ整備の支援に来ていたさくや一行十人は、都市内を逃げ回っている。
ファリダは暗い牢の中で、彼女たちが捕らえられず、師匠の下へ戻り、この国を救ってくれることをただ祈った。
■ 地下水路を駆ける
「こっちや!急いで!」
さくやが先導し、他の九人が続く。小さな足音が地下水路に反響する。追手の声が、上から聞こえてくる。まだ近い。
誰かが持っていたランタンの灯りが足元を照らした。湿った石造りの壁。時折滴る水。30cmの体には、この水路はまるで巨大なトンネルだ。
「どっちや」「左や」「さっきも左って言うたやろ」「うちは別のさくやや!」
十人全員が「さくや」だ。同じ顔、同じ声、同じ関西弁。混乱しそうなものだが、当の本人たちはなぜか機能している。
向かったのは、巨大な地下貯水槽だった。この国の砂漠化対策として計画された貯水施設で、さくやたち自身が設計に関わっていた。まだ水は溜められておらず、がらんとした空間が広がっている。人間にとっては高い天井、太い石柱、複雑に入り組んだ通路——だが30cmのさくやたちの視点では、まるで大聖堂のような壮大な空間だ。
「うちらが設計した場所に、うちらが隠れることになるとは」さくやが息を切らしながら言った。「でも——うちら以上にここを知っとる者はおらへん」
それが、唯一の武器だった。
■ 三十センチの作戦会議
三本の柱の根元に陣取った。ここは地上からの音が聞こえにくく、複数の通路に繋がっているため逃げ道も確保できる。
さくやが地図を広げる。「ここのマンホールは市場の裏に繋がってる。ここは港。ここは城の東側や」「食料調達はどうする?持ち込んだ分、三日ももたへん」「市場の裏が一番ええ。人混みに紛れられる」「紛れるって……うちら30cmやで」「暗い場所ならバレへん。人間の足元なんか、誰も見てへんわ」
しばらく沈黙が続いた。全員が同じ顔で、同じ方向を見ている。「……やるしかないな」「やるしかない」
■ 夜の市場
夜が来た。さくやと他の二人が市場へ向かった。
マンホールの蓋は、三人がかりでないと持ち上げられない。人間なら片手で開けられる蓋が、三人の全力を要する。「せーの……!」ゆっくりと持ち上がった。周囲を確認する。スキンヘッドの姿は見えない。素早く地上に出て、蓋を戻した。
市場は、30cmのさくやたちにとって別世界だ。樽一つがさくやの背丈の何倍もある。人間の足が、すぐそばを通り過ぎていく。その足音だけで地面が揺れる。木箱の影に飛び込み、樽の陰を利用しながら移動した。
パン屋の裏口から忍び込む。棚の下のパンくずを集める。八百屋の裏では、落ちた野菜の切れ端を拾い集めた。水場で小さな水筒に水を満たす。「よし、これで三日分は……あ」さくやが袋を持ち上げようとした瞬間、バランスを崩して転がり落ちた。木の実が石畳にカラカラと音を立てる。「あちゃー……」「さくや、静かにして!」「分かっとるわ!」
その時——足音が聞こえてきた。
スキンヘッドの一団が現れた。
さくやたちは素早く樽の影に飛び込んだ。息を殺す。心臓が激しく鼓動する。スキンヘッドの足が、すぐそこを通り過ぎていく。地面の振動が、30cmの体に直接伝わってくる。
一人のスキンヘッドが立ち止まった。辺りを見回している。
その時店主がさりげなく樽を少し動かして、さくやたちの姿を完全に隠した。リトルファリダの民は、カイザーを歓迎していない。
スキンヘッドたちが通り過ぎた。店主が小さく頷く。「気をつけて」
頭上から降ってくるような大きな声だったが——優しさに満ちていた。さくやたちは顔を見合わせた。この国の人たちを、必ず助ける。
■ 地下五日目
地下での生活は、想像以上に過酷だった。
湿度が高く、服は常に湿っている。時折ネズミが走り抜けていく。同じくらいのサイズのネズミだが、野生の獣は怖かった。「コヨーテは仲間にできたのに、ネズミは無理やな」さくやが呟く。「状況が違います」別のさくやが冷静に言った。「チュールがあれば……」「ないわ!」
夜は冷え込む。十人の小さな体が一つの塊のように固まって暖を取る。「さくや、もうちょっと詰めて」「これ以上詰めたら、どのさくやか分からんようになるで」「もうなってるわ」
食事はパンくずと水だけ。火が使えないため、すべて冷たいまま食べる。それでも、誰も弱音を吐かなかった。「ファリダを助けなあかん」その一言が、全員を支えていた。
五日目——終わりが見えてきた。
■ 王族軍との接触
三日目の夜、一人のさくやが市場の木箱の下に潜り込んで、商人たちの会話に耳を澄ませた。人間の声は頭上から降ってくるように大きいが、内容ははっきりと聞き取れた。「城の地下牢に囚われているらしい」「リトルレオンも一緒だとか」さくやは小さな拳を握りしめた。
その時、背後から声がした。「あなたは……さくや殿では?」
振り返ると、王族軍の兵士が一人、地面にしゃがみ込んでいた。しゃがんだ状態でも、さくやの何倍もある。「探していました。ファリダ様から、もしあなた方を見つけたら協力するようにと」「ファリダは無事なん?」「はい。地下牢に囚われていますが、命に別状はありません」安堵の息が漏れた。
「港に高速船を用意しています。ただ——スキンヘッドたちが、港を徘徊しています。脱出は容易ではありません」
さくやは少し考えた。「師匠と話ができるように、無線を繋いでくれへんか。師匠なら、何か策があるかもしれへん」「承知しました。あのパン屋に無線を設置します。今晩」「ありがとう」
■ 師匠との交信
日が暮れると、一人のさくやがパン屋に移動した。
台の高さは、さくやの何倍もある。台の脚に手をかけ、壁のでこぼこを足場にしながら登っていく。ようやく台の上に立つと、自分の体ほどの大きさがある無線機が鎮座していた。「でかい……」スイッチに手を伸ばした。
「師匠、聞こえますか?」
雑音の後——聞き慣れた声が返ってきた。
『さくや!無事だったか』「はい。でも、ファリダとリトルレオンが捕らえられてますねん」
『さくや、十人が乗れるプロペラ機を出発させた。リアンとレッドは優秀なパイロットだよ』「プロペラ機?」『城の前の長い直線が滑走路になりそうだね』
さくやは息を呑んだ。確かに、城の正面には式典用の幅広い直線道路がある。「師匠、城の周辺は敵が……」
『相手が想像もしていないから逃げられるのかもよ』
さくやは苦笑した。確かに、カイザー軍は30cmの小さきものたちが設計した下水道に隠れているとも、空からプロペラ機で脱出するとも、考えもしないはずだ。「師匠の勘が間違ったことないし、信じますわ」『二時間くらいで着陸できそうとのことです。いけますか?』「捕らえられなければ」『じゃあ、頼んだよ』
通信が切れた。さくやは台の上に立ったまま、しばらく無線機を見つめた。師匠の声は、いつも不思議と力をくれる。30cmの体に、熱いものが込み上げてきた。
■ 脱出——城の前の滑走路
「二時間後、城の前にプロペラ機が来るで。それに乗って脱出するんや」「城の前?正気なん?」「師匠の作戦や。信じよう」
全員が頷いた。師匠の判断を信じる——それが、この十人の絆だった。
最も城に近いマンホールへ移動した。先頭のさくやが足を滑らせて水たまりにバシャンと落ちた。「あちゃー……」「何回転んどんねん」「うるさい!」苦笑しながらも、前を向いた。
二時間後、十人のさくやたちは直線道路の端、建物の隙間に身を隠していた。建物の隙間は、30cmのさくやたちにとってちょうどいい隠れ場所だ。人間なら通れない細い隙間も、余裕で入れる。それが、小さきものの強みだ。
「ほんまに来るんやろか……」
誰かが呟いた。誰が言ったか分からない。全員が同じことを思っていたから。
その時——
遠くから、プロペラの音が聞こえてきた。
真っ白なプロペラ機が、夜空に現れた。高度を下げ、城の前の直線道路を滑走路のようにして着陸する。30cmのさくやたちから見れば、巨大な鉄の鳥が降ってくるような迫力だった。地面が揺れ、砂塵が舞い上がり、さくやたちの体が吹き飛びそうになる。「ちょ、風が強い!」「しがみつけ!」
スキンヘッドたちが驚いて集まってくる。その瞬間、機体からレッドが姿を見せた。両手に手榴弾を持っている。次々と投げた。爆発。煙と炎が立ち上った。スキンヘッドたちが吹き飛ばされる。
「急げ!さくや!」リアンの声が響いた。
十人のさくやたちが猛烈な勢いで駆け出した。30cmの足で、全力で走る。プロペラ機のハッチが開いている。だが——ハッチの高さが、さくやたちの背丈の何倍もある。「どうやって乗るんや!」「一人が踏み台になって、次が引っ張って!」「やるしかない!」
一人が踏み台になる。次のさくやが飛び乗り、ハッチの縁に手をかける。上から別のさくやが手を引く。下から別のさくやが押し上げる。全員が連携して、次々と機内に飛び込んだ。「全員乗ったで!!」
プロペラが轟音を上げ、機体が加速する。
城の窓から、誰かが見ている気がした。さくやが窓に向かって叫んだ。「ファリダ!きっとこの国を助けるからね!」
プロペラ機が宙を舞った。
地上が遠ざかる。リトルファリダの都市が小さくなっていく。あの灯りのどこかに、ファリダがいる。さくやは窓から目を離さなかった。拳を握りしめた。「絶対に戻ってくる」
機内では、十人のさくやたちが互いに身を寄せ合っていた。しばらく誰も喋らなかった。疲労と緊張が、ようやく解けていく。
やがて——一人が口を開いた。「なあ」「なんや」「うちらって、全員さくややんな」「そやで」「じゃあ、誰が一番頑張ったんやろ」「全員さくややから、全員が一番や」「……それはそうやな」
全員が、小さく笑った。
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