■第226話 渓谷の光編 光が差す日
長い闇の中で、笑うことを忘れていた。
300人が、久しぶりに顔を上げた。
焚き火の光が、希望の色をしていた。
■ ユーリたちの朝
朝日が昇り、村が明るくなる。
集会場の中に、ユーリたち10人が横たわっていた。疲労困憊。一晩中ピューマと駆け回ったのだ。打撲、擦り傷、筋肉痛——全身が悲鳴を上げている。
ナバホたちが懸命に手当てをしていた。薬草を煎じた湯。傷口に塗る軟膏。丁寧に巻かれた包帯。「これを飲んで」ナバホがユーリに湯を差し出す。苦い——だが、体が芯から温まる。「ありがとう……」
「骨折はありません。打撲と擦り傷だけです」エレナが確認する。「よかった……」レイナが安堵の息を吐く。
さくやが心配そうにユーリたちを見ている。「大丈夫か?」「ああ……ちょっと疲れただけ」ユーリが弱々しく笑った。
それから数時間後——ナバホたちが目を丸くした。
ユーリたちが、立ち上がっていた。まだ完全ではないが、明らかに回復が早い。「私たちの薬草治療より、ずっと早い……」ナバホが呟く。「師匠の訓練のおかげかな」ユーリが笑った。「体が、回復する方法を覚えてる」「師匠……?」「いつか紹介するわ」さくやが笑った。「めちゃくちゃ厳しい人やけどな」
■ ナバホの語り——渓谷の底で生きるということ
その夜。集会場に全員が集まった。ナバホたち300人。さくや一行50人。そして——村の中央に、巨大なピューマが静かに座っている。焚き火が揺れていた。
ナバホが語り始めた。
「私たちナバホは——この渓谷の底で、ずっと生きてきた」
静かな声。全員が耳を傾ける。
「この場所は、美しい。水は綺麗で、光が差し込み、作物が育つ。だが——この渓谷は、同時に過酷な場所でもある」
洪水。崖崩れ。干ばつ。毒を持つ植物。猛毒の蛇。巨大な猛禽類。渓谷の底には、外の世界では考えられないような脅威が次々と訪れた。
「私たちが覚えている限り、ずっとここで生き延びてきた。それがナバホだ」ナバホが胸を張る。「1000人いた私たちは——自然の脅威だけで、600人になっていた」
「600人……自然だけで400人が……」さくやが息を呑んだ。「ああ。それでも——私たちは生きてきた。渓谷を知り尽くし、動物の動きを読み、自然と共に生きることを学んできた」
その誇りが、300人という数の重さを際立たせた。
「数年前——私たちは、まだ自由だった」
渓谷を駆け回る日々。笑い声。歌声。狩りをして、農作物を育てて、満月の夜には祝祭を開いた。「毎日、笑っていた。満月の夜は、みんなで歌い、踊り、祈った」ナバホが小さく笑う。「あの頃は……楽しかった」
「だが——ある日、彼らが現れた」
ナバホの声が、重くなった。
■ ブレイドの襲撃——悪夢の始まり
「最初、遠くで音がした」
銃声だ。渓谷の壁に反響して、何倍にも増幅される。「何の音だ?」「分からない」誰も知らなかった。この渓谷の底では、銃声を聞いたことがなかったから。
「それが——近づいてきた」
リトルブレイド。武装した小さきものたちの軍団。銃を持ち、剣を持ち、容赦なく村を囲んだ。「光鉱石を探せ!従わない者は、殺す!」
「私たちは抵抗した」ナバホが拳を握る。「弓を射り、槍を投げた。自然の脅威と戦い続けてきた私たちが、負けるはずがないと思っていた」
だが——
銃声。爆発。悲鳴。
「違った……」ナバホの声が震える。「自然は、理由もなく私たちを傷つけることはない。洪水も、崖崩れも——そこに悪意はない。だが……ブレイドは違った。明確な悪意を持って、私たちを狙った」「何百人が……目の前で倒れていった」
600人いたナバホが、一夜にして300人になった。
集会場が、静寂に包まれた。焚き火の音だけが響く。さくやが唇を噛んでいた。ラーシュが目を閉じていた。ユーリが静かに俯いていた。
「逃げた」ナバホが続ける。「渓谷の奥地へ。入り組んだ地形を抜けて——ここへ。ここなら見つからない。ここなら安全だ。そう信じて、逃げてきた」
「だが——ここにも、恐怖があった」
満月の夜。村が明るくなる。そして——現れる。巨大なピューマ。「戦った。何度も。だが勝てなかった」「自然の脅威なら、私たちは知っている。対処できる。だが——あの大きさは、異常だった」
ピューマが静かに座っている。その巨体が、焚き火の光に照らされている。もう恐怖の存在ではないのに——語られるだけで、場の空気が重くなった。
「逃げ場を求めて避難した先には——またブレイドがいた」
人間たちが銃を突きつけられ、光鉱石の発掘を強要されていた。ナバホたちも見つかり、毎月強制労働を強いられることになった。「でも——私たちは知っていた。そこに光鉱石はない。本当の場所はピューマの巣の近くだ。でも言えなかった。言えば、ブレイドがそこに行く。ピューマを刺激する。そして——私たちが責められる」
毎月、働かされる。帰りは遠回りして、気づかれないように村に戻る。「いつ見つかるか……いつ殺されるか……恐怖の日々だった」
ナバホが、深く息を吐いた。「それが……今日まで続いてきた」
焚き火がパチパチと音を立てた。誰も喋らなかった。
さくやが、ゆっくりと口を開いた。「……よう話してくれた」「ありがとうな」それだけ言った。でも、その一言に全部が込もっていた。
ナバホが、さくやを見た。目が、少し潤んでいた。
■ 光が差した理由
「そんな日々を過ごしているところへ——あなたたちが現れた」ナバホが、さくやたちを見回した。
「最初は警戒した。また敵かもしれない。また奪われるかもしれない。だが——あなたたちは、違った」
「ユーリは、ピューマを仲間にしてくれた」ナバホがピューマを見る。ピューマが静かに座っている。「どんなからくりなのか、今でも分からない」「チュールです」エレナが即答した。「……チュール?」「気にしないでください」さくやが苦笑した。「食の力は偉大やねん」「チュールとは何だ?」「ちょっと待って、説明するのが難しいわ」さくやが頭を掻いた。
「エレナは、怪我や病気のナバホを治療してくれた」エレナが照れくさそうに笑う。「当然のことをしただけです」「レイナは、服を作ってくれた」レイナが微笑む。「祈りを込めて縫いました」「さくやとラーシュは、道路や水路を整備して——集会場を建ててくれた」中央の焚き火が揺れる。「私たちの、大切な場所を取り戻してくれた」
「一緒にいると……楽しかった」ナバホが続ける。「私たちは忘れていた。笑うことを。楽しむことを。希望を持つことを。あなたたちは——それを思い出させてくれた」
ナバホたち全員が、立ち上がった。一斉に頭を下げた。300人全員が。「ありがとう」「本当に……ありがとう」
さくやが照れくさそうに頭を掻いた。「ええって、ええって。困った時はお互い様やん」それから立ち上がり、村を見回した。「それより——まだやることあるで」「え?」「道路、もっと良くできるわ。水路も改善の余地がある。あの建物、柱が細い」さくやが指を差し始める。「あそこの水はけ、直すで。あっちの流れが悪い。補強が必要や」
ラーシュが苦笑する。「もう始まったな」「止まらないぞ、さくやは」ユーリが笑った。
ナバホたちが笑い出す。「こんなに笑ったの……何年ぶりだろう」「笑い方、忘れてなくてよかったわ」さくやが笑った。
■ 焚き火の夜——それぞれの時間
夜が更けていく。焚き火が静かに燃えている。
ピューマが村の中央で静かに寝そべっている。その巨体に、リスがちょこんと乗っている。「チチチッ」リスが鳴く。ピューマが目を細めた。「あいつら、もう仲良しやん」さくやが笑う。
遠くでコヨーテが低く鳴く。岩の上ではコンドルが羽を休めている。渓谷の底に集まった、不思議な仲間たちだ。
ナバホが空を見上げた。「……光が差した」小さく呟く。
長い、長い闇の中にいた。自然の脅威。ブレイドの襲撃。ピューマの恐怖。強制労働。失われた仲間たち。だが——今、光が差している。
「もう……大丈夫だ」ナバホが拳を握る。「私たちは……一人じゃない」
「明日から、光鉱石を探しに行こう」ナバホが笑った。「ブレイドから自由になろう。そして……本当の平和を取り戻そう」「ああ」「一緒に」「みんなで」
その時——さくやが盛大にくしゃみをした。「はっくしょい!」「さくや、大丈夫か?」「大丈夫や。ちょっと穴掘りすぎて冷えただけや」ユーリが毛布をかけた。「ありがとう……」さくやがもぞもぞと毛布に包まる。リスがピューマの鼻から飛び降りて、毛布の中に潜り込んだ。「チチチッ」「ちょ、リス、くすぐったい!」
ナバホたちが、その光景を見て笑った。腹の底から笑えたのは——本当に久しぶりだった。
焚き火の光が、皆の顔を温かく照らしている。
長い闇の後に——ようやく、光が差した。
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