第2話 小さな鉛筆 1000人降臨
冬の冷たい風が、頬を刺す季節になっていた。
リトルさくやは、毎朝、裏山を越えて師匠の新しいオフィスへ向かった。
小さな足で、同じ道を、同じ時間に。
オフィスのドアを開けると、
暖かな光と、静かな空気が迎えてくれる。
そこは、ひどく広かった。
出勤しているのに、
ほとんどの時間を、ひとりで過ごす。
師匠と顔を合わせられるのは、一日に一時間あるかどうか。
朝はどこかへ出かけ、戻ると黙々とパソコンに向かう。
「これ、読んでおくといいよ……」
渡されるのは、文献や指針。
それと――
以前ここに来た時に渡した図面が、
赤い線でびっしりと書き込まれて返ってくる。
一日、一枚。
「……す、すごい……」
師匠の手が入った図面は、
ただの線ではなくなっていた。
スキャンされ、A4で出力された紙は、
リトルさくやには少し大きい。
けれど作業台に広げると、
自分が大きな図面を書いたような気がした。
何度も、何度も見返す。
眠れない夜もあった。
(で、でし……弟子ってことで……いいのかな……)
(どうか……そうであってほしい……)
そんな思いが、胸の中で少しずつ膨らんでいく。
オフィスの雑務も、自分で探してやった。
結果は、散らかすばかりだった。
転んで書類をばらまき、
ぶつかって設計資料の山を倒す。
自分で散らかして、自分で片付けて、
時間だけが過ぎていく。
オフィスには猫がいた。
大人の猫が三匹、子猫が三匹。
野良猫で、子猫は段ボールに入れられて
家の前に置かれていたのだと師匠は言った。
猫たちはオフィスに居つき、
リトルさくやの、いちばんの遊び相手になった。
子猫と遊んでいると、時間を忘れてしまう。
そんな一週間だった。
――何も、していない。
翌週。
オフィスのドアを開けた師匠が、
ふと立ち止まって言った。
「……あれ? 家、せまくない?」
「お、おはようございますっ!」
三人のリトルさくやが、ぺこりと頭を下げる。
ごつん、と軽い音がした。
師匠はその様子を見ながら、
ジャケットを脱ぎ、さらりと言った。
「そっか。がんばろうね」
それだけ。
今日も、パソコンに向かう。
三人のリトルさくやは、顔を見合わせ、
嬉しそうに掃除を始めた。
一人は掃除機。
一人は机と窓拭き。
一人は、師匠の好きそうな音楽を探して流す。
その翌週。
リトルさくやは、十人になっていた。
散歩の帰り、師匠はリトルさくや城の前で立ち止まる。
城は、師匠の腰ほどの高さになり、
二階建てになっていた。
「……ふーん。バルコニー付けたんだね」
二階から、小さな影が顔を出す。
「師匠〜!今日の図面お願いしますっ!」
「外から入れる階段も設置しますねっ!」
「おはようございます!バルコニーでごはん食べますかっ!」
言われたけれど、
師匠が入れる階段も、バルコニーも、存在しない。
「そっかそっか」
それだけ言って、通り過ぎる。
そのまた翌週。
増え方は、もう説明できなかった。
静かだったオフィスは、いつの間にか騒がしくなり、
気づけば二十人が猫をブラッシングしている。
「今日はネコ台車の製造図面を作成しますっ!」
気づけば四十人が、城から出勤してくる。
気づけば、裏山から木材を運ぶ部隊がいる。
百人は、超えていそうだった。
師匠がデスクでうとうとしていると、
リトルさくやたちが輪になり、静かに踊っている。
師匠がコーヒーを飲んでいると――
「この曲線が美しすぎて、一晩寝られませんでした……」
「この寸法、夢に出ました……」
「私は寝ましたけど、夢に師匠が出ました!」
師匠は、ゆっくりと腰を下ろして言った。
「それはよかったよかった。めでたしめでたし」
その日使ったマグカップは、
リトルさくやたちの神器となり、神棚に置かれた。
やがて、城には塔が立ち、
塔の上には東屋ができ、
屋根では小さな風見鶏が回っている。
あちこちに増改築され、
城なのか迷宮なのか、もはや分からない何かが原っぱにそびえ立っていた。
ある日、
昼食後のコーヒーを片手に、師匠が尋ねた。
「……で、君たち、何人なの?」
近くにいたリトルさくやたちが、
ちょこんと並び、声をそろえる。
「1000人ですっ!」
「……そっか……」
師匠はそれだけ言って、
ドアを開け、外へ出ていった。
その背中を、1000人が大急ぎで集まり、
ぺこりと頭を下げる。
「……ねぇ師匠、聞いてたよね?」
「たぶん、聞いてないよ」
「うん、師匠に数は関係なさそうだよ」
わいわい話しながら、昼食の準備。
大食堂のテーブルには、
小さな定食が、1000人分並んだ。
猫たちはクッションで丸まり、うとうとする。
迷宮のようなリトルさくや城は、
今日もどこかが増改築されている。
弟子としての生活は――
まだ、始まったばかりだった。




