第1話 小さな鉛筆 師匠に出会った日
「……君、ここで何してるの」
声に出した瞬間、
師匠は少しだけ後悔した。
落ち葉の降る音が、雨のように静かに続いている。
秋の終わり、裏山の小道。
人の気配など、ほとんど無い場所だ。
それでも、
声をかけずにはいられなかった。
木々に囲まれた小さな空き地の奥。
そこに、何かが“いた”。
膝ほどの高さ。
地面に座り込み、両手で鉛筆を握っている。
折れそうなほど短い鉛筆だった。
「……」
その存在は、音を立てずに何かを描いていた。
落ち葉よりも軽い気配で、必死に。
「……君」
二度目の声で、
それはぴくりと肩を震わせた。
ゆっくりと、恐る恐る、顔が上がる。
小さな顔に、大きな目。
驚きと不安が、そのまま溜まったような目だった。
師匠は、音を立てないように隣にひざまずいた。
視線の先。
地面に広げられているのは――図面だった。
街。
家が並び、道が走り、広場がある。
子どもの落書きではなかった。
師匠は、しばらく無言でそれを見つめた。
「……ちょっと、貸してもいいかな」
返事はない。
けれど、その小さな手は、ゆっくりと鉛筆を差し出した。
師匠は地べたに腰を下ろし、自分の鉛筆を取り出す。
数分。
さらさらと線を引き、消し、重ねる。
街は、息をし始めた。
「ここを少し広げると、人が流れる」
「この道は、遠回りに見えて、いちばん楽だ」
「……ほら、きみの街になる」
鉛筆を置く。
小さな存在は、ただ黙ってそれを見つめていた。
やがて、
ぽとり、と涙が落ちる。
「あ……ごめん。やりすぎたかな」
「でも、鉛筆だから……」
その子は、首をぶんぶんと振った。
何度も、何度も。
「ち、ちがいます……」
「す、すごいです……すごいのです!」
師匠は、少しだけ安心して微笑んだ。
「あ、そうだ」
もう一度、鉛筆を取る。
図面の右下に、小さな印を書く。
ʕ•ᴥ•ʔ
それを見た瞬間、
小さな顔に、花が咲いた。
「あ、あの……」
「せっけいを……せっけいを、やってみたいんです」
声は震えていた。
でも、その場の空気が、確かに変わった。
師匠は立ち上がり、振り返って言った。
「その横にあるの、全部きみが描いたの?」
足元には、図面の束。
想像以上の量だった。
その子は、黙ってうなずく。
「……君は、なんて存在なんだい」
「人とか、猫とか……そういう分類で言うと」
「リトルさくやです」
風が、ひと吹きした。
「……もう一度、お願い」
「リ・ト・ル・さ・く・や、です!」
また、冷たい風。
「……そっか」
「リトルさくや、ね」
少し考えてから、師匠は言った。
「……三か月後も、その気持ちが変わらなかったら」
「来て欲しい」
指さした先。
裏山の向こう、ぽつんと一軒の家。
「……あそこに、私の家がある」
それだけ言って、
師匠は歩き出した。
声をかけて、良かった。
その時は、ただ、そう思った。
季節は巡り、冬。
雪がちらつく夜。
家のドアが、小さくノックされた。
コンコンコン
あまりに小さくて、
先に気づいたのは猫だった。
「ニャ」
師匠がドアを開ける。
そこに、ひとつの影。
背筋をぴしりと伸ばし、
分厚い図面を抱えた、リトルさくや。
「……また、この図面を……」
「見て欲しいです……見てくださいっ!」
涙をこらえた目が、まっすぐだった。
師匠は黙って、図面を受け取る。
「……そっか、来ましたね」
微笑んで言った。
「ちょっと、見せたいものがあるんだ」
裏手の新しいオフィス。
そこから、少し歩く。
「……ほら」
指の先。
小さな、小さな家。
レンガ調の、まるでお城のような家。
扉のプレートには、
リトルさくや城。
中には、設計机、書棚、寝室、お風呂。
屋根には、ʕ•ᴥ•ʔの小さな旗。
「……小さい方が、難しいね」
それだけ言って、師匠は黙った。
次の瞬間。
リトルさくやは座り込み、声をあげて泣いた。
「うわぁぁぁぁぁん……!」
師匠は何も言わず、
その小さな背中を、そっと叩いた。




