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第16話 東の村探索編 師匠が行けない森へ 闇は何かを隠している

師匠が行けない森がある。

人間には深すぎる、小さきものの世界。

さくやたちは、その闇へ踏み込む――帰れるかは、分からない。

 

■師匠争奪戦勃発

オフィスの大会議室。

南西拠点の"師匠の私室"を誰が掃除するかを巡って、リトルさくやたちが激しい言い合いの真っ只中だった。

「わたしがやるって言ったやんか!」

「順番表に名前なかったもん!」

「勝手に書き足したんはどこのどいつや!」

声が重なり、誰が何を言っているのか分からない。会議室の温度が、確実に上がっている。

「うるさいわよっ!それより、誰が師匠の寝巻きを洗濯するのか決めなさいよ!!」

「……それ、ちょっとハードル高すぎやろ」

床が揺れる。窓が振動する。

そこへ師匠がひょっこり現れ、警察署長もどきの上着を脱ぎながらぽつり。

「……手が空いてる人、全員、大会議室へ」

その一言はまるで魔法だった。

言い争いが、一瞬で止まった。

南西拠点から山越え、湖畔ルート、ネコ台車便まで──800人超のさくやたちが会議室に殺到した。

「ドタドタドタドタ!」

「わー!ネームタグが取れたー!」

「師匠待ってぇぇえ!」

結果、床がたわむほどの人密度。

机の上にまで乗るさくやたち。

だが、師匠が前に立つと、全員が静止した。

800人が息を呑む。その静けさが、逆に重かった。

 

■師匠からの依頼

師匠はホワイトボードの前で一息つき、スクリーンを起動した。

映し出されたのは青い湖の地図。

そして右端に、まだ誰も足を踏み入れたことのない濃い緑のエリア。

その緑は、他の場所より深く、暗く見えた。まるで、地図の中で呼吸しているように。

「東の森」

師匠の静かな声に、会議室がさらに静まった。

「……あそこを、探索してほしい」

してほしい。

命令ではなく、依頼だった。

800人が、同時に息を呑んだ。

師匠は、少し間を置いた。

「私が行けたのは、ここまでなんだ」

地図の一点を指差す。

「それ以上進むと……具合が悪くなるんだ」

師匠は、言葉を選んだ。

「頭が痛くなる。息が苦しくなる」

「数時間で、立っていられなくなった」

会議室が、さらに静まった。

誰も、声を出さない。

「この湖の周辺は、たまたま私も過ごすことができる」

師匠は、さくやたちを見た。

「だから、こうして君たちと過ごせる」

「でも、この森は違う」

師匠は地図の奥を指差した。

「そこは、小さきものの世界なんじゃないかな」

「たぶん人は、入れない」

その言葉が、静かな部屋に落ちた。

誰も、動かなかった。

「でも、君たちは違う」

師匠の声が、少しだけ揺れた。

「君たちは、この世界の住人だ」

「もっと深くまで、行ける」

師匠は、深く頭を下げた。

「だから……お願いしたい」

その瞬間、空気が変わった。

「私が見られない世界を、見てきてほしい」

800人が、同時に背筋を伸ばした。

師匠が、頭を下げている。

師匠が、自分たちを必要としている。

師匠が、頼っている。

「危険だ。無理に行く必要はない」

師匠は、顔を上げた。

「でも、もし行ってくれるなら……」

師匠の目に、初めて弱さが見えた。

「お願いします」


■出発式

選ばれた精鋭部隊は新調された探検服を受け取った。

背中には誇り高き"ʕ•ᴥ•ʔ"の印。

布地は厚く、丈夫で、動きやすい。手に取ると、重みがある。

この重さが、責任の重さのように感じられた。

湖の南西拠点前で出発式が始まった。

朝日が、湖を照らしている。だが、東の森だけは暗いままだった。

「これは、わたしたちにとって未踏の地になります」

一人のさくやが、声を張り上げた。

「師匠が行けない場所です」

「師匠が見られない景色です」

「だから、わたしたちが見てきます」

「そして、持って帰ります」

さくやは、深く息を吸った。

「気をつけて、皆で帰ってきましょう!」

「皆で帰ってくる」

その言葉の裏に、「帰ってこれないかもしれない」という不安が隠れていた。

「行ってきますっ!!!」

全員の声が山道にこだました。

見送るさくやたちが手を振る。小さな手が、何百も揺れている。

だが、その中に、涙を拭う者もいた。

師匠は、静かに立っていた。

「……気をつけて」

「皆で、帰ってきてください」

その言葉が、100人の胸に刻まれた。

100人は、湖畔を離れた。

森の入り口が、少しずつ近づいてくる。

振り返ると、見送る者たちがまだ手を振っていた。

だが、その姿は小さくなり、やがて見えなくなった。

 

■1日目:光と影の境界線

陽が差す時間帯、探索班は湖畔から延びる獣道を進んでいた。

足元は柔らかく、時折ぬかるんでいる。

「こっち、こっち!石にʕ•ᴥ•ʔの印が描いてあるよ!」

「ほんまや……師匠が前に来て、残してくれたんかなぁ……」

師匠の印を見つけるたび、安心が広がった。

まだ、師匠の痕跡がある。まだ、道は続いている。

森は思ったより静か。

鳥の声が、遠くで聞こえる。だが、近くでは何も鳴いていない。

枝が低く、身をかがめないと通れない。

誰かの頭に葉が引っかかる。

「痛っ」

「大丈夫?」

「うん、平気」

笑い声が起きる。緊張が、少し和らいだ。

途中の切り株で休憩中──

水筒を開ける音。呼吸を整える音。

「これ、食べていいやつ?」

一人のさくやが、地面の果実を指差した。

「いや、毒かも……って食べた!?!?」

「うん、まずい」

顔をしかめる。舌を出す。

「もう食べたんかいっ!!」

「でも、毒やなかったで」

「それ、結果論やろ!」

笑いが広がる。

だが、その笑い声が森に吸い込まれていくのを、誰もが感じていた。

地図に印をつけながら着実に記録を重ねるさくやたち。

どの子も真剣な目をしていたが、その背中は誇らしげだった。

「ʕ•ᴥ•ʔマークの方向は……あっちやね」

「目印、増やしながら進もう!」

森の奥へ、少しずつ。

光が、徐々に弱くなっていく。

そして、誰かが気づいた。

「……あれ、鳥の声、止まった?」

全員が、耳を澄ました。

何も聞こえなかった。

風の音も、葉擦れの音も、何もかもが、止まっていた。

「……気のせい、かな」

でも、違った。

森が、変わり始めていた。

 

■師匠の印が途切れる

夕方近く。

森は、さらに暗くなっていた。

「……なんか、空気、変わった?」

一人のさくやが立ち止まった。

「変わった」

別のさくやが頷いた。

「ちょっと……頭、重い」

「うん、わたしも」

でも、動けないほどではない。

「これが、師匠が言ってた……」

誰かが呟いた。

そして、次の瞬間。

「……次の印が、ない」

さくやたちは、周囲を探した。

石を調べる。木を調べる。地面を調べる。

だが、どこにもなかった。

「ここが、師匠の限界やったんや」

誰かが呟いた。

「人間やと、もっと辛いんやろ」

「師匠は、ここで引き返した」

その言葉が、静かに広がった。

「ここから先は……」

「わたしたちだけや」

100人が、顔を見合わせた。

不安がある。

恐怖がある。

でも、誇りもある。

「師匠が見られへん世界を、わたしたちが見る」

「そして、持って帰る」

全員が、頷いた。

「進もう」


■2日目:闇の王国へ

朝から森の中は薄暗く、光がほとんど届かない。

木々が密集し、空が見えない。灰色の天井が、頭上を覆っている。

ヘッドライトの明かりだけが頼り。

「え、ここ、ほんとに昼?」

時計を確認する。正午を過ぎている。だが、森は夜のように暗かった。

「ちょっと静かすぎる……」

足音だけが、森に響く。他の音が、ない。

100人が歩いているのに、その足音さえ、すぐに消えていく。

コケに覆われた大きな岩、曲がった木の根。

道はいつしか途切れ、さくやたちは斜面をよじ登った。

手が滑る。足が引っかかる。

「こっち……川、ある!」

「うわ、渡れへん」

水の音が、暗闇の中で響いている。冷たく、速い流れ。

「じゃあ……簡易の橋、つくろっか」

土木班がさっと設計図を出すと、工具班が後ろで準備開始。

「丸太固定したよー!」

「通っていい?」

「まだや!もうちょっとだけ待って!」

ロープが締まる音。木が軋む音。

やがて、橋が完成した。

一人ずつ、慎重に渡る。足元が揺れる。誰も声を出さない。

川の音だけが、下から響いている。

どんなに暗くても、足元が悪くても、さくやたちは止まらない。

小さな灯りが森の奥へ、奥へと続いていく。

だが、誰かが小さくつぶやいた。

「……この森、なんか、"閉じてる"気がする……」

静かすぎる。

風も止まり、音が消えていく。

誰かが振り返った。

だが、後ろには誰もいない。

いや、正確には違う。

仲間はいる。100人、全員いる。

だが、その向こう側に、何かがいる気がした。


■闇夜の通信

森の中での野営。

小さなランタンが輪になって並ぶ。光が、顔を照らしている。

「ここの地形……湖に近いのに、すごく乾いてる」

「焚き火の煙……あれ、ちょっと変やない?」

煙が、地面に這っている。上に昇らない。まるで、空気そのものが重いように。

誰も、それを口にしなかった。

だが、全員が感じていた。

何かが、おかしい。

師匠の予備通信機から音が鳴った。

ピッ。

全員が、その音を聞いた。一斉に、通信機を見た。

「師匠?こちら探索班──現在地、ʕ•ᴥ•ʔ-12ポイント、夜営中です」

雑音が混じる。だが、声は聞こえた。

『無理せず、必ず交代で休んで』

その声に、みんながふぅ……と安心のため息。

「師匠の声、久しぶり……」

「相変わらず短い……!」

笑い声が、小さく響く。

だが、その笑い声の裏に、不安があった。

師匠は、ここに来たことがある。

師匠は、この森を知っている。

だが、師匠は何も言わなかった。

「無理するな」とだけ言った。

それが、何を意味するのか。

夜の闇の中、毛布を敷き寝袋に入るさくやたち。

小さな光が森の奥を照らしていた。

交代で見張りをする。二人一組で、三時間ごとに。

「何か見えたら、すぐ起こして」

「うん」

静かな夜。

だが、眠れない者もいた。


■何かが、見ている

そして──誰かが見た。

見張りの一人が、息を呑んだ。

黒い木の影の向こうに、何かがいた。

動かない。

ただ、そこにいる。

もう一人に、囁いた。

「……何、あれ」

声が震えている。

もう一人が、その方向を見た。

「……分からへん」

二人は、じっと見つめた。

何かが、こちらを見ている。

だが、それが何なのか、分からない。

形が、はっきりしない。

ただ、そこにいる。

風が吹いた。

木が揺れた。

だが、それは動かなかった。

「……起こす?」

「……どうしよ」

二人は、迷った。

何を報告すればいいのか、分からなかったから。

やがて、それは消えた。

溶けるように、闇に消えた。

二人は、顔を見合わせた。

「……見た?」

「……見た」

「……でも、何やったんやろ」

「分からへん」

結局、起こさなかった。

だが、二人とも眠れなかった。

朝まで、ずっと見張り続けた。

そして、その視線の先を、ずっと見ていた。


■眠っていた時間

朝が来た。

だが、森は相変わらず暗かった。

「おはよう」

「……おはよ」

誰もが、疲れた顔をしていた。

見張りの二人は、何も言わなかった。

だが、その目が、何かを見たことを物語っていた。

「……今日も、進む?」

誰かが訊いた。

全員が、頷いた。

「師匠のために」

「進もう」

100人は、再び歩き出した。

森の奥へ、さらに深く。

師匠が見つけたʕ•ᴥ•ʔの目印の先には──"眠っていた時間"が、待っているのかもしれない。

そして、目を覚ましかけているのかもしれない。

誰も、それを口にしなかった。

だが、全員が感じていた。

何かが、見ている。

そして、何かが、近づいている。

森は、まだ答えを出さない。

だが、さくやたちは進む。

師匠のために。

自分たちのために。

小さな灯りが、闇の中で揺れている。

その先に、何があるのか。

誰も、知らない。


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