■第174話 王都奪還編 火事と追跡
備えた者だけが、耐えられる。
失ったと思ったものが、戻ってくる。
そして、敵の顔が見えた。
■全焼
報告会の前夜だった。
四人は街を歩いていた。最終確認のため、上水道の現地を見て回っていた。
路地を曲がった時、遠くで叫び声がした。
「火事だ!」
さくやが顔を上げた。空の一角が、オレンジ色に滲んでいた。
「宿の方向や」
四人は走った。
路地を抜け、階段を駆け上がり、角を曲がるたびに煙の匂いが濃くなる。人々が逆方向へ逃げてくる。それをかき分けながら進むと、見覚えのある通りに出た。
隠れ家が、燃えていた。
周囲では消火活動が始まっていた。水を運ぶ者、桶をつなぐ者、叫び声が飛び交う。だが水の勢いが弱かった。近くの防火水槽はすでに空に近く、上水道から引いた水も圧力が低すぎて細い流れしか出ない。炎に届く前に蒸発し、焼け石に水だった。火は隣の建物に燃え移り、さらにその隣へと広がっていく。
「水が足りへん」さくやが歯を食いしばる。「防火水槽が空やし、上水道の圧力も低すぎる」
エレナが静かに言う。
「配管の老朽化で水圧が落ちている。防火水槽の整備も追いついていない。こういう時に一番影響が出ます」
レイナはすでに消火を手伝う人々の輪に加わっていた。ユーリは周囲を見回しながら、建物の延焼を食い止められる場所を探していた。
やがて火が収まった頃、隠れ家は全焼していた。一ヶ月分の設計図、資料、模型。全部、消えていた。
誰も何も言わなかった。
さくやは灰になった隠れ家を見つめ、拳を握りしめた。
しばらくして、エレナが静かに口を開いた。
「大丈夫です」
さくやが振り返る。
エレナは懐から小さな金属の筒を取り出した。
「データの複製です。設計図も計算書も、模型の写真も、全部入っています」
「……いつから」
「隠れ家を移動するたびに複製を作り、模型は写真に収めていました。紙の資料も同様です。念のため」
さくやは少し黙った。それから、深く息を吐いた。
「……エレナ、ほんまに好きやわ」
「理論値通りの対応です」エレナは真顔だった。
■追跡
「放火した奴がいる」ユーリが低く言った。「この人混みの中に」
「どうする」さくやが聞く。
「手分けして怪しい奴を追う」
四人は野次馬の中に散らばった。さくやは大通り側、エレナは路地の入口、レイナは人混みの外れ、ユーリは燃え跡に近い側を担当した。
それぞれが怪しいと思った者の後をそっとつけ始めた。
しばらくして、ユーリは足を止めた。
追っている人影から、煙とは別の匂いがした。灯油だった。火事の現場にいれば煙の匂いはつく。だが灯油の匂いは違う。服に染み込んだ、濃い匂い。
ユーリは確信して尾行を続けた。
人影は路地を抜け、市場を横切り、城下町の外れへ向かった。ユーリは距離を保ちながら、静かについていく。やがて人影が足を止めた場所で、別の人影が合流した。二人、三人と増えていく。
ユーリは物陰から観察した。装備に見覚えがあった。
しばらくして、ユーリは三人のもとへ戻った。
「マルコナの軍や」ユーリが静かに言う。「城の裏手で仲間と合流するところを見た。灯油の匂いも確かやった」
■ファリダへの連絡
「ファリダさんに連絡する」さくやが言った。
深夜、ファリダの一人が現れた。さくやが事情を説明すると、ファリダの一人は黙って聞いた。それから言った。
「ファリダから伝言があります。『マルコナの部屋は城の東棟、三階の突き当たりです。明朝早く、王との会合のため全員が部屋を出ます。その間に城内へ入れるよう手配します』と」
さくやはエレナを見た。
「盗聴器、作れるか」
エレナはすでに手帳を開いていた。
「今夜中に作ります。いくつか用意します」
■潜入
夜明け前、ファリダの手配で四人は城の裏口から入った。使用人に紛れ、石造りの廊下を進む。東棟へ向かう階段を上り、三階の突き当たりへ。
「屋根裏から入ります」エレナが天井を見上げた。
天井の一角に、点検口があった。ユーリが音もなく飛び上がり、点検口を押し開けた。
屋根裏は薄暗く、埃が積もっていた。ユーリは這いながら進み、マルコナの部屋の真上で止まった。床板の隙間から、部屋の中が見える。机、書類の山、壁に貼られた地図。砂漠の各地に印がついている。
部屋は静かだった。まだ誰もいない。
ユーリは隙間から盗聴器を一つ、机の裏側へ滑り込ませた。さらに壁際に一つ、扉の近くに一つ。エレナが作った小さな金属の部品が、それぞれの場所に静かに収まった。
作業を終え、ユーリが屋根裏を戻ろうとした時、廊下から足音が聞こえた。
複数の足音が近づいてくる。
ユーリは動きを止めた。足音は部屋の前で止まり、扉の鍵が回る音がした。
ユーリは這いながら点検口へ向かった。扉が開く音、人が入ってくる気配。ユーリは点検口を静かに閉め、息を止めた。
しばらくして、足音が部屋の中に消えた。
ユーリはゆっくりと息を吐いた。
■盗聴
四人は城の外で受信器に耳を傾けた。
部屋の中からマルコナの声が聞こえた。
「……報告書は燃やした。ファリダが何を言っても証拠はない。王様は私の言葉しか聞かない。明日の報告会は予定通り進める」
別の声が答える。
「ファリダ秘書官が諦めていませんが」
「諦めなくていい」マルコナの声は静かだった。「証拠のない言葉は、どれだけ正直でも届かない。それがこの街の仕組みや」
さくやは受信器を握りしめ、息を殺した。隣でレイナが目を閉じ、エレナが手帳に書き留めていた。
しばらくして、声が遠ざかった。
「油断してへん」さくやが小声で言う。「確信しとる」
「それが一番厄介です」エレナが静かに続ける。
ユーリが短く言った。
「だから複製がある」
■報告会前夜
夜が更けた頃、ファリダの一人が再び現れた。
「資料は残っています」さくやが言う。「複製があります。報告会、やりましょう」
ファリダの一人は少し黙った。それから言った。
「ファリダから伝言があります」
「なんて」
「『証拠のない言葉は届かないと言うなら、証拠を見せればいい。正直に全部言います』と」
さくやは笑った。
「ファリダさんらしいな」
城下町の夜が、静かに明けようとしていた。明日、報告会が始まる。証拠はないと確信しているマルコナと、全てが残っているファリダ。知的バトルの幕が、今まさに上がろうとしていた。
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