■第163話 砂漠の陽炎編 それぞれの調査
信じたいから、確かめる。
疑いたくないから、見る。
それが、仲間というものだ。
■午前
ハリムはその日も休まなかった。
ユーリはその背中を一日追い続けた。
市場では、仕入れ値より安く品物を売っていた。差額は自分が被る。文句一つ言わない。壊れた井戸の修繕が必要だと聞けば、自分の荷車から材料を出して手伝った。砂嵐で食料を失った家には、夜になってから荷物をそっと置いていく。受け取った者が礼を言おうとすると、もう次の場所へ向かっていた。
昼過ぎ、ハリムが荷車の陰で一人になった瞬間、ユーリは遠くからその横顔を見た。
疲れた顔だった。誰にも見せない顔だった。
レイナが村人に話を聞くと、みな同じようなことを言った。
「税のことで恨んだこともある。でもあの子が来なかったら、この村はとっくに干上がっとった」
「去年の砂嵐の後、うちの家族が食べられたのはハリムのおかげや」
ただ一人だけ、遠くを見ながら言った者がいた。 「……でも時々、とても苦しそうな顔をされますの」
さくやはハリムの隣で荷を整えながら、黙って様子を見ていた。ハリムが独り言のように言う。 「この布、品質ええのに値段が安すぎる。買い叩かれとる」
「誰に」
「王族の業者や。逆らえん」
さくやは何も言わなかった。しばらくして、ハリムが続けた。 「……商人ってのはな、全部抱えて笑わんといかんのや」
さくやは砂を一掴み、さらさらと落とした。
■潜入
昼過ぎ、ハリムが千人全員を連れて村の外へ出た。荷の運搬があるという。
「今や」さくやが小声で言う。
ハリムの邸宅は村外れにあった。分厚い壁、重い扉。さくやがそっと押すと、鍵はかかっていなかった。
中は薄暗く、香辛料と革の匂いがした。奥へ進むと、壁際に重厚な金庫があった。
その前に、影がいた。
ドーベルマンだった。
小さきものからすれば、怪獣そのものだった。肩までの高さが四人の背丈を軽く超え、牙は刃のように光っている。地響きのような唸り声が部屋全体に響き、四人は一歩も動けなかった。
さくやが小声で言う。 「……でかい」
エレナが小声で返す。 「……でかいですね」
レイナは目を閉じて手を合わせた。
ユーリだけが、ゆっくりと前に出た。
「……大丈夫や」
ユーリは手を伸ばし、ドーベルマンの鼻先へゆっくりと近づけた。ドーベルマンは唸り続ける。ユーリは動かない。呼吸も変えない。ただ、静かにそこにいた。
砂が一粒、床に落ちる音がした。
唸り声が、止んだ。
ドーベルマンはユーリの手をそっと嗅ぎ、大きな体をゆっくりと床に伏せた。
「……すご」さくやが息を呑む。
ユーリは振り返らず、短く言った。 「早くしろ」
■金庫
エレナは金庫の前に立ち、じっと見つめた。分厚い扉、複雑な鍵穴、数字の刻まれたダイヤル。
「少し時間をください」
エレナは耳を澄ませながら、ダイヤルをゆっくりと回し始めた。わずかな音の違いを拾い、数字を探っていく。さくやとレイナは入口で見張りに立ち、ユーリはドーベルマンの隣で静かに座っていた。
しばらくして、重い音がした。
金庫の扉が、開いた。
「理論値を超えました」エレナが静かに言う。
「今それ言う?」さくやが小声で突っ込む。
中には帳簿が一冊だけあった。エレナが開くと、細かい数字が並んでいる。
最初のページは仕入れ記録だった。香辛料、絨毯、金属器具。市場価格より高く買い取った金額が並んでいる。売値と照らし合わせると、取引のほとんどで損をしていた。
次のページは税の補填記録だった。王族への上納額が要求より一割少ない月が続いており、その差額をハリムが自腹で埋めた跡が丁寧に記されていた。
その次は修繕と食料の支出記録だった。砂嵐の後、壊れた井戸の修繕費。食料を失った家への配給。金額の横に、小さな印がついている。誰にも言わずに届けた、という意味らしかった。
「これだけ出し続けて、よく商売が続けられましたわ」レイナが小声で言う。
「続けられているのは、これがあるからです」エレナがページをめくった。
王族からの入金記録があった。名目はインフラ整備補助金。井戸の修繕、水路の整備、道の補修。定期的にまとまった額が入っている。
「これがあるから事業が回っている、ということですか」さくやが言う。
「そう見えます。でも」エレナは別のページを開いた。「実際の整備記録と照らし合わせると、ほとんど手がついていない。水路は古いまま、井戸の修繕はハリムが自腹で賄った分だけです」
「……補助金はどこへ行っとるんや」
エレナはページをめくった。後半に、別の流れがあった。王族からの入金とほぼ同額が、別の欄から定期的に消えていた。月を追うごとに金額が増えていた。最初は利益の三割ほどだったものが、いつの間にか七割近くを占めるようになっていた。
「補助金が入って、そのまま誰かに流れている」エレナが静かに言う。「インフラ整備は名目だけです。強制的に、年々増えている」
さくやが覗き込む。 「……誰に払っとるんや」
名前の欄は、記号で書かれていた。読めない。
最後のページに、一行だけ走り書きがあった。読みにくい文字で、しかし確かにこう書かれていた。
——いつまで続く。
帳簿を元に戻し、金庫を閉め、四人は邸宅を出た。ドーベルマンが玄関まで静かについてきた。
■夜の考察
その夜、四人は焚き火を囲んだ。
「住民のために、ずっと損をし続けとる」ユーリが短く言う。「でも……誰かを恐れとる顔やった」
「補助金は入っている。でも整備には使われていない」エレナが続ける。「誰かに強制的に流されている。それが年々増えている」
「村人はみんな、気づいていますわ」レイナが静かに言う。「彼が何かを抱えていることに」
さくやは炎を見つめたまま言う。 「脅されとる。その上で、できる限り住民を守ろうとしとる。あの走り書きが、全部物語っとる」
誰も否定しなかった。
「明日、話してもらおう」さくやが静かに言った。「こっちから、ちゃんと向き合う」
焚き火が揺れる。白きラクダが静かに息をしていた。いつの間にか、ドーベルマンも四人のそばで丸くなっていた。
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