■第158話 荒野の開拓編 水を呼ぶ
大きな工事は、静かに始まる。
でも一日一日、確実に形になっていく。
荒野に、街が生まれようとしていた。
■三つの戦場
夜明け前から作業が始まった。
鉱山の採掘は止められない。王族への石炭の供給を止めれば、すぐに怪しまれる。採掘を続けながら、集落の整備とダム建設を並行して進める。3万人が三つの現場に分かれて動いていた。
「鉱山班は通常通り採掘を続ける。集落整備班は基礎工事と上下水道の配管を進める。ダム・支川班は川上で工事を続ける」リオンが朝一番に全員に言った。「全部同時にやる。きつい。でもやれる」
「リオン、人が足りへんやろ」さくやが言った。
「足りなくても、やる」
「無理したら事故が起きる。交代の時間を決めて、ちゃんと休ませながら進めよう」
リオンが少し黙った。「……わかった」
■一週目
最初の一週間は、地面を掘る音ばかりだった。
集落では住居エリアの基礎工事が始まった。掘削機材が岩盤を削り、鉄骨の基礎が次々と打ち込まれていく。上下水道の配管ルートも同時に掘り進めた。地面に細い溝が伸び、鉄管が埋まっていく。
「配管の勾配、確認します」エレナが水準器を当てながら言った。「問題ありません。次の区画へ」
川では支川の掘削が続いていた。ユーリがポニーで取水口から集落まで何度も往復し、水路の角度と深さを確認した。土木職人たちが岩盤を削り、水路の形が少しずつ見えてきた。
川上ではダムの基礎工事が始まった。両岸の岩盤に鉄骨が打ち込まれ、溶接工が火花を散らしながら接合していく。
レイナが毎日、高台からスケッチブックに描き込んでいた。一日目、三日目、五日目。同じ場所から同じ構図で描いた絵が、少しずつ変わっていく。
■二週目
二週目に入ると、形が見え始めた。
集落では新しい住居の基礎が整列して並んでいた。上下水道の配管が地面の下に伸び、処理場の基礎も出来上がっていた。
川沿いでは護岸工事が始まった。石工が石を積み、溶接工が鉄板で補強していく。護岸が少しずつ川沿いに伸びていく。整然と積み上げられた石が、荒野の川に秩序をもたらしていった。
「護岸の高さ、これで洪水時の水位に耐えられますか」さくやがエレナに確認した。
「計算上は十分です。ただしダムが完成すれば、洪水リスク自体が大幅に下がります」
川上では、ダムの堤体が立ち上がり始めていた。
鉄骨の骨格にコンクリートが流し込まれ、石が積み上げられていく。一日ごとに少しずつ高くなる堤体を、作業員たちが毎朝仕事前に眺めた。
「……昨日より高くなってる」
「明日はもっと高くなる」
それだけで、また動けた。
リオンが三つの現場を走り回っていた。鉱山・集落・川上。一日に何度も往復し、声をかけ、問題が出れば即座に動いた。
「リオン、今日何回川上まで行ったんや」さくやが言った。
「……数えてない」
「休んでるか」
「……帰ってから休む」
「帰ってから寝てるだけやろ」
リオンはすでに次の現場へ走っていた。
■三週目
三週目に入ると、集落の景色が変わり始めた。
新しい住居の壁が立ち上がってきた。基礎の上に石壁が積まれ、鉄骨で補強され、窓枠が入っていく。レイナが窓の位置を一つひとつ確認しながら、採光の角度を職人に伝えた。
「この窓、もう少し東向きにしてください。朝の光が部屋の奥まで入ります」
「わかりました」大工が角度を調整した。
上下水道の配管が地面の下でつながり始めた。取水口から集落へ、集落から処理場へ。見えないところで、水の道が完成しつつあった。
川上では、ダムの堤体が大きく立ち上がっていた。
両岸の岩盤から伸びた堤体が、川の中央へ向かって迫っていく。まだつながっていないが、形が見えてきた。夕暮れの光を受けて、鉄と石の堤体が荒野に浮かび上がる。
レイナがその光景をスケッチした。
「……美しいですね」
「工事現場が?」さくやが聞いた。
「……人が作ったものが、景色に溶け込んでいます」
さくやがダムを眺めた。確かにそうだった。
■三週間後
三週間が経った。
夕方、作業を終えた労働者たちが戻ってきた。足が重かった。肩が下がっていた。食事の場でも言葉が少なかった。
その時、リオンが立ち上がった。
広場の中央に出た。
「みんな、聞いてくれ」
労働者たちが顔を上げた。
「きついのはわかってる。俺もきつい。でも今やっていることは、俺たちの暮らしを変えるためだ。ダムができれば水が来る。集落が新しくなれば、ちゃんと休める場所ができる。今だけの辛抱だ」
誰も何も言わなかった。
「俺は逃げない。みんなと一緒にやり遂げる。それだけだ」
しばらく沈黙が続いた。
一人が立ち上がった。「……やるか」
また一人が立ち上がった。「やるしかないな」
次々と声が上がった。広場に笑い声が戻ってきた。
四人はその様子を黙って見ていた。
■異変
工事が始まってから四週目に入った頃だった。
ユーリがポニーで丘の上から周囲を確認していた。遠くに砂煙が上がっていた。
「……来た」
ユーリが素早く戻ってきた。「……王族軍だ。予定より早い」
リオンの表情が変わった。「……今日じゃないはずだ」
「向かってきている」
リオンが四人を見た。「頼む。隠れてくれ。見つかるとまずい」
「わかった」さくやが即答した。
四人が岩陰に身を潜めた。レイナがスケッチブックをしまった。エレナが記録帳を抱えた。ユーリがポニーを岩陰に引いた。
リオンが振り返った。職人たちに目配せした。職人たちが無言で頷いた。工事の音が少しずつ小さくなっていった。
■王族軍
荷車を連ねた王族軍が現れた。
今日は隊長だけでなく、側近らしき人物も来ていた。馬に乗り、周囲を見回しながら進んでくる。
「リオン」隊長が声をかけた。「今日は早く来た。何か問題があるか確認しに来た」
「ありがとうございます。問題はありません」リオンが頭を下げた。
「川の方で音がしていたが」
「……鉱山の設備の点検です。機材を動かしていました」
隊長が川の方向を見た。職人たちが素知らぬ顔で作業道具を片付けていた。
「採掘量が先週より少ない」
「申し訳ありません。坑道の一部を補修中です。来週には戻ります」
「戻らなければ、利子を上げる」
「……承知しました」
側近が馬を進めた。川の方をじっと見ている。
岩陰で四人が息を殺していた。
さくやがユーリの腕を掴んだ。ユーリが弓に手をかけかけていた。さくやが首を振った。ユーリが静かに手を下ろした。
側近が川の方を指さした。「あれは何だ」
リオンが振り返った。支川の掘削跡が少し見えていた。
一瞬の沈黙があった。
「……排水路です。坑道の地下水を外に流すために掘っています」リオンが答えた。「採掘効率を上げるためです。石炭の量が増えれば、返済も早くなります」
側近がリオンを見た。しばらく黙っていた。
「……なるほど」
隊長が馬を返した。「次の運搬は予定通りだ。遅れるな」
「……承知しました」
王族軍が去っていった。砂煙が遠ざかる。
リオンが動かなかった。砂煙が完全に消えるまで、その場に立っていた。
四人が岩陰から出てきた。
「……うまくかわしたな」さくやが言った。
「……慣れている」リオンが静かに言った。
「毎週あれをやってるんか」
「……毎週だ」
さくやが黙った。
ユーリが弓を背負い直した。「……次はもっと早く気づく」
「頼む」リオンが言った。
工事の音が、また静かに戻ってきた。荒野に、3万人の手が動く音が響いていた。
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