■第150話 白銀の冒険編 空をつなぐ日
願いは、形になった。
谷を渡るワイヤーの上を、小さなゴンドラが滑る。
風が、その窓から見える景色を祝福するように吹いた。
■開通式
完成したのは、よく晴れた朝だった。
レイナの村からユーリの村まで。三本の支柱を渡り、谷を越えて、雪山の奥まで一本のワイヤーがつながっている。
さくやが出発地点のゴンドラを見上げた。白い支柱は雪景色に溶け込み、ゴンドラの窓枠には温かみのある木目が光っている。レイナの塗装だった。
乗り場の脇に、エレナが設計した風力発電機が静かに回っていた。雪山の風を受けて羽根がゆっくりと回転し、ロープウェイの動力を賄っている。余った電力はユーリの村へも送られる仕組みだった。
「……本当に、できたんやな」
さくやが思わず声を出した。
レイナの村の広場に、1000人全員が出てきていた。空を見上げ、ゴンドラを見つめている。さくやの仲間たち、エレナの仲間たち何百人かも広場の端に集まっていた。
「行ってきます!」
さくやがゴンドラに乗り込んだ。エレナ、レイナが続く。
■初便
扉が閉まり、ゴンドラがゆっくりと動き始めた。
操作はほぼ自動だった。ボタンひとつで動き出し、速度も自動で調整される。エレナが設計段階で組み込んだ仕組みだった。
レイナの村が遠ざかる。広場に並んだ1000人が、手を振っている。谷が近づき、眼下に深い切れ込みが見えた。冷気が窓の外を流れていく。
「……下、見えへん」さくやが窓に張り付いた。
「谷の深さは測量済みです。問題ありません」エレナが答えた。
「わかってる。わかってるけど……」
レイナはすでにスケッチブックを開いていた。揺れるゴンドラの中で、窓の外の景色を描いている。谷の深さ、支柱の白、雪原に続くワイヤーの線。
「レイナ、揺れてるのに描けるん」
「……手が覚えています」
三十分後、ゴンドラがユーリの村の乗り場に滑り込んだ。
扉が開くと、30人のユーリが並んでいた。全員が、ゴンドラをじっと見つめていた。
「……来た」ユーリが言った。声が、いつもより少し高かった。
「往復で何日もかかってたのに」さくやが言った。
「片道、三十分でした」エレナが記録した。
ユーリがゴンドラに近づいた。外側をゆっくりと触った。窓を覗き込み、乗り場のボタンを眺め、ワイヤーを見上げた。
「……全員で乗っていいか」
「100人乗りや。余裕やで」
30人のユーリが、一斉にゴンドラに乗り込んだ。扉が閉まり、ゴンドラが動き出す。窓という窓に顔が並んだ。全員が外を眺めていた。
谷が眼下に広がった。冷気が窓を白く曇らせる。誰も何も言わなかった。
三十分後、レイナの村の乗り場に到着した。広場の1000人が拍手で迎えた。
30人のユーリは、しばらくゴンドラから降りなかった。
■日が暮れても
夕方になっても、30人のユーリはロープウェイの乗り場から離れなかった。
交代で乗っては降り、乗っては降り。ゴンドラが谷を渡るたびに、誰かが窓に張り付いて外を眺めた。
「何往復してるん」さくやが呆れて言った。
「……数えてない」
「日が暮れるで」
「……もう少し」
エレナが小さく笑った。レイナはその様子をスケッチブックに描いていた。乗り場に並ぶ30人のユーリ、夕暮れに染まるゴンドラ、谷の向こうに沈む太陽。
夜になり、さくやたちがユーリの村に戻ると、乗り場にはまだ数人のユーリが残っていた。暗くなったロープウェイを、ただ眺めていた。
「……帰りや」
「……うん」
それでも、足がなかなか動かなかった。
深夜、さくやが目を覚ますと、となりのユーリの寝床が空だった。
外を覗くと、乗り場の前にユーリが一人立っていた。月明かりの中で、静かにゴンドラを見上げている。
さくやはしばらく眺めてから、そっと扉を閉めた。
■焚き火
翌朝、焚き火を囲んでクマシチューを食べた。
ユーリはいつもより少し眠そうだったが、椀を受け取る手つきは穏やかだった。
「ユーリ」さくやが言った。
「……なんだ」
「昨日、乗り場に見に行っとったやろ」
ユーリが少し黙った。
「……見てたのか」
「うん」
また黙った。それから、静かに言った。
「……あたしたちが来る前、この山には何もなかった。トナカイと、雪と、あたしたちだけだった」
さくやは何も言わなかった。
「あんたたちが来て、世界が広がった。そういうことだ」
30人のユーリが、静かに頷いた。
レイナが目を伏せた。エレナは記録帳を閉じた。
■誘い
しばらくして、さくやが口を開いた。
「なあ、ユーリ」
「……なんだ」
「最近、時々くらい顔してるやろ」
ユーリが黙った。
「吸血鬼のこと、考えてるんやな」
否定しなかった。
「絶対一緒に探す。それは約束する」さくやが言った。「でも今は、少しだけそこから離れてみいひんか」
「……離れる?」
「旅に出よう。海、見たことないやろ。雪山の外、どんな世界があるか、一緒に見に行こうや」
ユーリが黙った。焚き火がぱちりと音を立てた。
「……思い詰めたまま戦っても、うまくいかへん。少しだけ、息抜きしてきたらええ」
「……あたしがいなくなったら」
「29人おるやん。大丈夫や」
ユーリはまた黙った。しばらくして、静かに言った。
「……海って、どんなものだ」
さくやが顔をほころばせた。
「見てみたいか?」
「……少し」
「よっしゃ!」
さくやの声が雪山に響いた。29人のユーリが、静かに顔を見合わせた。
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