■第141話 白銀の冒険編 雪崩、来た
逃げることは、恥じゃない。
生きることが、最初の仕事だ。
山は、それを知っている者だけを先へ通す。
■翌朝
洞窟の中で夜を明かした三人は、夜明けとともに外へ出た。
世界はさらに深く白に覆われていた。昨日とは別の山のように見える。
「うわぁ……昨日より積もっとるやん」
さくやは赤い鼻を押さえて空を見上げた。風は止んでいたが、空気は刃のように冷たい。
「……美しいですね」
レイナが静かに呟いた。両手を胸に当て、雪景色を見つめる。
「雪の密度や層の感触が昨日と違います。足元に注意が必要です」
エレナは慎重に足を踏み出しながら、周囲の地形を観察した。
後発隊へ現在地と状況を連絡してから、三人は先へ進んだ。
■進む三人
足元の雪は深く柔らかく、踏むたびにギシギシと音を立てる。
数時間進むごとに、体は重さを増し、靴は雪に沈み、足取りは鈍る。吹き付ける風が体温を奪い、息をするたびに肺の奥が冷えていく。
「はぁぁ……もうムリやぁ……」
さくやは雪をかき分けながら声を上げた。
「……少し、休みましょう」レイナの声も弱々しかった。
「距離はまだある。だが限界を見誤れば、戻れない」
エレナの冷静な言葉にも、疲労の色が滲んでいた。
■レイナの長すぎる祈り
岩陰で息を整えていると、レイナが手を組んだ。
「雪の精霊よ……どうか、私たちをお導きくださいませ……この厳しき白銀の世界にて、無事に歩みを進められますよう……風雪の障害を和らげ、互いに助け合いながら進めますよう……冷たき痛みから指先や足を守り、心折れぬ勇気を……さらに智慧を……食料の確保もできますよう……」
「レイナ!長すぎや!というか最後に食料の話が入ったやん!」
「……大切なことですので」
「祈りの中に買い物リスト入れんといて!」
エレナが静かに立ち上がった。「行きましょう」
■雪崩の気配
最初に気づいたのはエレナだった。
足元の雪が、かすかに震えている。
「……止まってください」
低い声に、さくやとレイナが動きを止めた。
ゴゴゴゴゴ……。
地の底から這い上がってくるような轟音。遠いようで、確実に近づいている。
「雪崩です」
エレナの顔から血の気が引いた。
斜面を見上げた瞬間、白い壁が動いた。ゆっくりと、しかし止まることなく、巨大な雪の塊が崩れ落ちてくる。
「うわぁぁぁ!」
さくやの叫びが山に響いた。
「逃げる……どこに!?」レイナが声を震わせる。
エレナが一瞬だけ地形を見回した。
「あの岩の影!今すぐ!」
■走る三人
ドドドドド――!
雪の壁が轟音とともに迫る。大地そのものが揺れ、足元の雪がずれる。
「足が……動かへんっ!」
さくやの足が深雪に沈んだ。引き抜こうとするほど体力を奪われる。
「手を!」
レイナが振り返り、泣きながら手を伸ばした。エレナは後ろからさくやの体を全力で押す。
雪の壁が視界を埋め尽くした。
岩の影へ飛び込んだ瞬間――白い奈落が脇を流れ去った。
ドドドドド……ドド……。
轟音が遠ざかり、静寂が戻ってくる。
■ほっと一息
「……はぁっ、はぁっ……」
さくやは岩に張りついたまま、動けなかった。体中が震えている。声が出ない。
「……生きてます」
エレナがかすれた声で言った。膝をついていた。
「奇跡です……」
レイナは岩にもたれ、涙をこぼしながら小さく祈った。今度は短く、静かに。
しばらく三人は何も言えなかった。
雪崩の跡には、さっきまで三人が歩いていたルートが、跡形もなく消えていた。
「……後発隊に連絡せな」
さくやが震える手で記録を取り出した。
エレナが覗き込み、雪崩の発生地点・ルートの危険箇所・迂回路の候補を書き加えていく。指先が凍えて、うまく動かない。それでも書いた。
「このルート、通行不可。迂回路はここ。岩陰は緊急避難ポイントに使える」
レイナも気づいたことを書き添えた。
連絡を送り終えると、三人はまた顔を見合わせた。
誰も笑わなかった。でも、誰も泣いてもいなかった。
「……続き、行くで」
さくやが立ち上がった。足はまだ震えていた。それでも、前を向いた。
雪はまだ深く、山はまだ白かった。
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