■第137話 師匠の拠点巡り編 港町の友情
海は、いつも正直だ。
嵐も凪も、隠さずに見せてくれる。
だから海で働く人たちも、どこか正直だった。
■岩山トンネルを抜けて
南西の拠点での充実した日々を終えた師匠。次なる目的地は、岩山のトンネルの向こうにある海の拠点だ。
ただし、師匠が入れるのはここまでだ。
「……行きたいですけど、行けないんですよね」
同行のさくや主任が、少し悔しそうに言った。
「報告は全部持って帰ります。任せてください」
「頼みます」
さくや主任たちは電車に乗り込んだ。師匠はホームに立ったまま、岩山に消えていく車両を見送った。
トンネルに吸い込まれた電車が見えなくなってから、師匠はもう一度だけ、岩山を見た。
■帰ってきた報告
2日後。師匠がホームで待っていると、岩山トンネルから電車が滑り込んできた。
停車する前から、窓が開いた。
「師匠、聞いてください、リアンたちの字が——」
「まだ止まってません」
「レッドとエレナが——」
「止まって、か、ら」
ドアが開いた。さくや主任たちが降りてくる。
「まずリアンたちなんですけど」
「歩きながら」
「歩きながらでいいんですか」
「どうせ止まらないでしょう」
さくや主任たちが顔を見合わせた。否定できなかった。
コテージに着くころには、報告の半分が終わっていた。
■リアンたちの成長
「研修所で秘書さんに習いながら、読み書きまで上達して。今は貿易の書類を全部自分たちで作ってるんです」
「読み書きまで」
「しかも字がきれいで。正直、うちらより上手くて」
さくや主任が少し間を置いてから、「悔しいですけど」と付け加えた。
師匠はお茶を一口飲んだ。
商売の言葉を覚えながら、気づいたら書類まで書けるようになっていた。あの陽気さには、そういう力がある。
■レッドとエレナ
「レッドたちも研修所でめきめき上達してましたよ。で、エレナが港に来てたんです」
「エレナが」
「海で働く人たちの健康管理と、海洋生物を使った薬の研究をするって。もう完全に溶け込んでました」
さくや主任がお茶を持ったまま、少し遠くを見た。
「レッドの親方が『昔は傷なんて海水で洗って布で巻いとけば治ると思ってた』って言ったら、エレナが『壊疽になります』って」
「レッドは」
「『こわしょ?』って聞き返して、10分説明されてました。最後は素直に頷いてましたけど」
師匠は少し考えてから言った。「エレナの日本語は」
「完璧でした。一晩で習得したって、本当だったんですね」
しばらく沈黙が続いた。ふたりとも、それ以上何も言わなかった。
■新しい船
「造船所で新しい船を作ってて。速度と安定性を両立させた設計で、荒れた海でも安全に航海できるって、レッドが嬉しそうに説明してくれて」
「それはいい船ですね」
「で、最後に『必要があれば戦闘にも使えるように作ってある』ってぼそっと」
「……」
「隣にいたエレナが手帳を取り出して、無言で何か書き始めて」
「何を」
「『戦闘時の負傷パターンと必要な医薬品の試算』だそうです」
師匠はしばらく窓の外を見た。
「……頼もしいですね」
「そう思うことにしました」
■港町の空気
「レッドの親方が『覚えが悪い奴は海に放り込んでやった』って言ったら、リアンが『オレも放り込まれた、でも泳げるから平気やった』って嬉しそうに」
「エレナは」
「『溺水のリスクがあります』って即座に」
「レッドは」
「『……次からは浅瀬にする』って」
師匠は黙って笑った。
レッドが素直に頷いて、リアンが笑っていて、エレナが淡々と記録している。誰も予想しなかった組み合わせが、港でちゃんと機能していた。
■北の国からの贈り物
さくや主任が鞄から、丁寧に包んだものを取り出した。
「エレナからです」
包みを開けると、丸いガラスの中に小さな雪景色が広がっていた。振ると雪が舞い、暗がりでうっすら光る。オーロラの色だった。
添えられた手紙は短かった。几帳面な文字で、こう書いてあった。
「師匠にいつかお会いできる日を楽しみにしています。研究によれば、オーロラの光は精神的な安定に良い影響を与えるとされています。北の国の色をお届けします。エレナ」
師匠はしばらく、スノードームを手のひらの上で眺めていた。
「……エレナらしいですね」さくや主任が小さく笑った。
自分が行けない場所で、誰かがちゃんと生きている。それを、こうして持って帰ってきてくれる人たちがいる。
■夜のコテージ
「次はどこへ行きますか」
さくや主任たちが地図を広げた。
「高地の拠点、そろそろどうですか。道路建設の進捗も気になりますし」
師匠は地図を見つめた。
さくや主任たちがよく知っている顔だった。旅をしている時と、同じ顔だ。
「行きましょう」
夜の南西の拠点は静かだった。岩山の向こうから、波の音が聞こえてくるような気がした。
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