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第98話 小さきもの大航海編 エレナの朝

知らない言葉でも、伝わるものがある。

知っている言葉なら、もっと伝わる。

一晩で、世界が変わった。


■ 宿泊所

エレナに案内された宿泊所は、温かかった。

暖炉が赤々と燃え、分厚い毛皮の敷物が床に広がっていた。木の壁に雪の結晶を模した彫刻が施され、天井の梁が太く、どっしりと空間を支えていた。

「……あたたかい」

リアンが毛布にくるまったまま、暖炉に近づいた。

「……あたたかい」

「同じこと言うてる」

「……あたたかい」

「わかった、わかった」

リアンが暖炉の前にどっかりと座り込んだ。

毛布から手だけ出して、暖炉に向けた。

「……あたたかい」

ジュウベェが静かに言った。

「……リアン殿は今、語彙がないでござるな」

「そうやな」

エレナが部屋を出る前に振り返り、何か言った。

通じなかった。

でも、微笑んでいた。

さくやが頭を下げた。

「ありがとう」

エレナが頷いて、扉を閉めた。


■ 翌朝

雪が降っていた。

窓の外が白く輝いていた。

さくやが目を覚ますと、暖炉の火がまだ燃えていた。

リアンが暖炉の前で毛布にくるまったまま眠っていた。

ジュウベェが窓の外を眺めていた。

「……おはようでござる」

「おはよう。雪、まだ降ってるな」

「ええ。きれいでござるな」

さくやが伸びをした。

扉がノックされた。

「……はーい」

扉が開いた。

トレーを持った人が入ってきた。

ふかふかの白いパンが籠に盛られていた。湯気の立つホットミルクが二つ。薄く切ったハムが並び、黄色いチーズが分厚く切られている。蜂蜜の小瓶まで添えられていた。

「……わあ」

さくやが思わず声を上げた。

「おはようございます」

さくやがトレーを受け取りかけて——

止まった。

「……え」

振り返った。

エレナだった。

微笑んでいた。

「……おはようございます」

「え、え、え?」

「おはようございます」

「日本語!?」

「おはようございます」

「それしか言えへんの?」

エレナが少し考えた。

「……おはようございます。よく、眠れましたか」

「眠れました!!というかいつの間に!!」

エレナが静かに微笑んだ。

「……昨日の夜、勉強しました」

「一晩で!?」

「はい」

「どんな頭してるの!?」

暖炉の前でリアンがむくりと起き上がった。

「……さむい」

「起きたんや。エレナが日本語話してるで」

「……え」

リアンがエレナを見た。

「おはようございます」

「……」

リアンが毛布にくるまったまま固まった。

「……昨日、言葉通じてへんかったよな」

「通じてへんかった」

「……一晩で?」

「一晩で」

リアンがエレナをじっと見た。

「……すごい人や」

「でしょ」


■ ハイジみたいな朝ごはん

テーブルに朝食が並んだ。

ふかふかの白いパン。ホットミルク。分厚いチーズ。薄切りのハム。蜂蜜の小瓶。

「……なんかすごくいい匂いがする」

さくやが白いパンをちぎった。

ふわふわだった。

チーズを乗せてかじった。

「……うまい!!」

「よかった」エレナが微笑んだ。「北国の朝は、これが普通です」

「毎朝これ食べてるの!?」

「はい」

「最高やな!!」

ホットミルクを一口飲んだ。

温かくて、濃くて、甘かった。

「……体の中から温まる」

リアンが毛布にくるまったままパンに手を伸ばした。

かじった。

「……あたたかい」

「パンの感想もあたたかいなの?」

「……あたたかくてうまい」

「語彙が少し増えた」

ジュウベェが蜂蜜を白いパンに塗りながら言った。

「……北国の食事は豊かでござるな」

「ありがとうございます」エレナが頷いた。「寒い国だから、食べ物は大切にします」


■ 街へ

朝食を食べ終え、エレナが街を案内してくれることになった。

リアンは毛布を脱いだ。

「……寒いけど、出る」

「えらい」

「……エレナさんが日本語しゃべってくれるから、がんばる」

「リアン、やる気の理由がそれ?」

「……あたたかくなったら関係ない」

「正直やな」

街に出た。

雪が積もっていた。

リアンが雪を踏んだ。

「……ざくざくする」

「雪ってそんな感じなんやな」

「……はじめて踏んだ」

「どう?」

リアンがしばらく踏み続けた。

「……ざくざくする」

「感想それだけ?」

街は不思議だった。

木造の建物が並ぶ一方で、蒸気を上げる機械が動いている。歯車が噛み合い、重い荷物が滑車で運ばれていく。街灯が夕暮れとともに自動的に灯る仕組みになっていた。

「……すごいな」

さくやが立ち止まった。

「昔と未来が混ざってるみたい」

エレナが丁寧に説明してくれた。

「この街は……古いものと、新しいものを、一緒に、大切にします」

「日本語、もう普通にしゃべれてるやん」

「……まだ、難しい言葉は、わかりません」

「十分すごいわ!!」

ジュウベェが蒸気機械を眺めながら言った。

「……精巧でござるな。どうやって動いているんでござるか」

エレナが機械の仕組みを説明し始めた。

ジュウベェが真剣に聞いた。

さくやとリアンが置いていかれた。

「……技術の話、難しいな」

「……むずかしい」


■ 白クマ

街の広場に差しかかった時だった。

大きな白い影が現れた。

白クマだった。

ふさふさの毛並みを揺らし、ゆったりと通りを歩いてくる。体高は小さきものの何倍もある。その存在感は圧倒的だった。

「……え」

さくやが固まった。

白クマがさくやを見た。

さくやが後ずさった。

白クマが近づいてきた。

「……ちょ、ちょっと待って——」

さくやが走り出した。

白クマも走り出した。

「待って待って待って!!」

白クマがさくやに追いついた。

大きな鼻でさくやをくんくんと嗅いだ。

「……ひええ」

白クマがさくやをひょいと持ち上げた。

「——え?」

背中に乗せた。

「……え、え?」

白クマがのそのそと歩き始めた。

さくやが白クマの背中の上にいた。

「……エレナ!!これ!!」

エレナが微笑んだ。

「……遊んでいます」

「遊んでるの!?」

「はい。この白クマは、珍しい人が好きです」

「珍しいて!!」

白クマがさくやを背中に乗せたまま、広場をのそのそと歩き回った。

さくやが白クマの背中の上で必死にしがみついていた。

「……たかい!!」

「……さくやが乗っとる」リアンが呟いた。「くじらに続いて白クマにも乗るんや」

「全然望んでないやつやからね!!」

次に白クマがリアンの方へ向かった。

リアンが毛布にくるまっていた。

白クマがリアンの毛布に鼻を近づけた。

くんくんと嗅いだ。

「……え」

白クマが毛布を咥えた。

「……あ」

ずるずると引っ張った。

「……あ、あ、あ!!」

毛布がはぎ取られた。

リアンが雪の上に立っていた。

毛布なしで。

「……さむい!!!」

白クマが毛布をくわえたまま走り出した。

「毛布!!毛布かえして!!!」

リアンが雪の上を走った。

白クマが楽しそうに逃げた。

エレナが口元に手を当てていた。

笑いを堪えていた。

「……エレナさん、笑ってるやろ」

「……笑って、いません」

「笑ってるやろ!!!」

ジュウベェが静かに言った。

「……白クマ、元気でござるな」

「そんな感想でええんか!!」


■ 医療施設へ

昼過ぎ、エレナが別の場所へ案内してくれた。

大きな白い建物だった。

「……ここは?」

「私の、職場です」

「職場?」

「私は医者です」

さくやが驚いた。

「エレナさん、医者なの!?」

「はい」エレナが静かに言った。「研究も、します」

中に入ると、清潔で静かな空間が広がっていた。

見たことのない医療機器が整然と並んでいる。

ガラス張りのカプセルの中では、足を怪我した小さきものが穏やかに眠っている。周囲の装置が静かに光を放ち、体温や脈拍がモニターに流れていた。

「……すごい」

さくやが呟いた。

「この装置は……自然治癒力を高めます。薬も、全部、自然のものから作ります」

「薬も作ってるんや」

「はい。北国の植物から作る薬は——効果が高い。でも、この国にしかない植物が必要です」

さくやが棚を見た。

小さな瓶が整然と並んでいた。色とりどりの薬が入っている。

「……これ、全部薬?」

「はい。痛み止め、解熱剤、傷薬——色々あります」

さくやがしばらく棚を眺めた。

「……エレナさん」

「はい」

「この薬、うちの拠点でも絶対必要やわ。師匠が見たら絶対感動する」

エレナが微笑んだ。

「……輸出、できます。でも——」

「でも?」

「北国の植物が、必要です。南国では育ちません」

「じゃあ、定期的に届けてもらうことはできる?」

「……できます」

「やった!!」

ジュウベェが薬棚を眺めながら静かに言った。

「……拙者の村にも、このような薬があれば……」

「ジュウベェ?」

「……いえ。ぜひ、お願いしたいでござる」

エレナがジュウベェを見た。

何かを感じ取ったように、静かに頷いた。

「……必ず、届けます」


■ 地図を広げる

午後、宿泊所に戻った。

リアンが毛布を取り返して暖炉の前に座っていた。

「……白クマ、強かった」

「走り回ってたもんな」

「……毛布が雪まみれになった」

「乾かしたら大丈夫やろ」

テーブルに地図を広げた。

エレナが向かいに座った。

さくやが地図を指差した。

「ここが——うちの海の拠点です」

エレナが地図を見た。

「……遠い」

「遠いやろ。ここからここまで来た」

さくやが航路を指でなぞった。

農園。ジュウベェの村。海の拠点。リアンの島。火山島。鳥の島。氷山の海。北の港。

「……長い旅ですね」

「長かった。でも来てよかった」

エレナが地図をじっと見た。

「……それぞれの場所に、何がありますか」

「うちの拠点は農産物、乳製品、海産物。リアンの島は干物や缶詰、南国の服。火山島は金属製品」

「……北国には」エレナが続けた。「鉱石、毛皮、蒸気の技術——そして、薬があります」

「その薬が、一番うちには必要やと思う」

「……南国の植物も、薬になります。北国にない植物が、南国にはたくさんある」

「そっか。お互いに必要なものがある」

「はい」

エレナが地図の上に手を置いた。

「……一緒に、やりましょう」

さくやが笑った。

「ぜひ!!」

リアンが毛布にくるまったまま言った。

「……オレの島の果物、薬になるかな」

エレナがリアンを見た。

「……どんな果物ですか」

「黒くて、ドス黒い汁が出るやつ」

エレナが少し考えた。

「……見てみたいです」

「次来る時、持ってくる」

「……楽しみです」

ジュウベェが静かに言った。

「……拙者の村の和服も、ここで着てもらえるでござるかな」

エレナが和服という言葉を聞いて首をかしげた。

「……和服?」

「日本の服でござる。次回、必ず持参するでござる」

「……見てみたいです」


■ 夜のオーロラ

夜、宿泊所のバルコニーに出た。

オーロラが出ていた。

昨夜とは違う色だった。緑と紫が混じり合い、ゆっくりと夜空を漂っていた。

エレナが隣に立った。

「……毎日、違います」

「そうなんや」

「同じ夜は、ひとつもありません」

さくやが空を見上げた。

「……うちらの旅みたいやな」

「……同じ日は、ひとつもないでしょう」

「そうやな」

リアンがバルコニーの扉から顔だけ出していた。

毛布にくるまったまま。

「……きれい」

「出ておいでよ」

「……さむい」

「一瞬でいいから」

リアンが毛布ごとバルコニーに出てきた。

オーロラを見上げた。

しばらく黙っていた。

「……オレ、南の島しか知らんかった」

「うん」

「……世界、広いな」

「広いな」

「……来てよかった」

「よかったやろ」

「……さむいけど」

「それはそう」

エレナが微笑んだ。

「……さくや」

「うん?」

「師匠に、会いたいです」

さくやが驚いた。

「師匠を知ってるの?」

「……話を聞きました。小さきものの世界を繋ごうとしている人がいると」

「誰から?」

エレナが少し微笑んだ。

「……海は、繋がっています」

さくやが笑った。

「師匠に伝えます。絶対喜ぶ」

オーロラが夜空に揺れていた。

リアンが毛布にくるまったまま、静かに空を見上げていた。



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#ハイジみたいな朝ごはん

#一晩で日本語を覚えたエレナ

#白クマにさくやが乗せられて遊ばれる

#リアンの毛布をはぎ取って走り回る白クマ

#エレナは医者でもある

#薬が北国の目玉

#お互いに必要なものがある

#同じ夜はひとつもない

#さむいけど来てよかった

#師匠に会いたいです


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