■第97話 小さきもの大航海編 北の果てへ
海は、南から北へと表情を変える。
温かい風が冷たい風に変わる頃、世界の色も変わっていく。
そして知らなかった美しさが、そこにあった。
■ 鳥の島を出る
鳥の島を発った。
出航の朝、無数の鳥が船を追いかけてきた。
さくやが甲板から手を振った。
「……また来るで!!」
鳥たちが一斉に鳴いた。
リアンが笑いながら舵を握った。
「……あの鳥、さくやのこと気に入ってたな」
「攫っといて気に入るってどういうことやねん」
「巣に持って帰ったんやから、相当気に入ってたんちゃう」
「それ褒め言葉ちゃうやろ!!」
ジュウベェが包帯を巻き直しながら言った。
「……良い島でござったな」
「ジュウベェはまだ包帯してるの?」
「念のためでござる」
「モーガンに会ったのもう何日前やねん」
船が進んだ。
鳥たちの声が、遠ざかっていった。
■ 風が変わる
二日目までは、温かい南風が吹いていた。
三日目の朝、風の質が変わった。
乾いた、冷たい風。
「……なんか寒くなってきたな」
さくやが両腕をさすった。
「北に向かってるから」リアンが言った。「これからもっと寒くなる」
「どのくらい?」
「……オレ、行ったことないからわからん」
「わからんのかい」
リアンが笑った。
「でも、寒い土地があるって話は聞いたことある。氷の海とか、雪が降る島とか」
「氷の海?」
「うん。信じられへんけど、海が凍るらしい」
「海が凍るの?」
「らしい」
さくやが海を見た。
今はまだ、普通の海だった。
■ リアン、ダウンする
四日目の朝。
リアンが出てこなかった。
船室の扉が閉まったままだった。
「……リアン?」
さくやが扉をノックした。
中から声が聞こえた。
「……さ、さむ」
「さむ?」
「さむい」
「出ておいで」
「……でられ」
「出られへんの?」
「さむて、でられへん」
さくやが扉を開けた。
リアンが毛布にくるまっていた。
顔だけ出ていた。
顔が青かった。
「……リアン、大丈夫?」
「さむい」
「わかった。でも舵は?」
「ジュウベェに、たのんで」
「ジュウベェ、包帯やで」
「……たのんで」
さくやが苦笑いした。
「……わかった。スープ作るから待っといて」
「……さくや」
「うん?」
「あたたかくして」
「するする」
さくやが船室を出た。
甲板に出ると、ジュウベェが静かに立っていた。
「……リアン殿は?」
「ダウンした。舵お願いしていい?」
「任せるでござる」
「包帯大丈夫?」
「問題ないでござる」
ジュウベェが舵を握った。
包帯が風にはためいた。
■ だんだん寒くなる
五日目。
吐息が白くなった。
「……白い」
さくやが自分の息を見た。
「……きれいやな」
ジュウベェが静かに言った。
「……ござるな」
リアンが毛布から顔だけ出して言った。
「……しろい」
「白いな」
「……しろい」
「同じこと言うてる」
「……さむい」
「それしか言わんな」
六日目。
甲板に霜が降りた。
さくやが足元を見た。
「……霜や」
ジュウベェが霜を踏んだ。
「……ぱりぱりしてるでござるな」
リアンが毛布から鼻だけ出して言った。
「……つめた」
「鼻だけ出すな」
「……つめた」
「わかった、わかった」
さくやがリアンの毛布をもう一枚重ねた。
毛布の中からくぐもった声が聞こえた。
「……あたたかい」
「よかった」
「……さくや、てんし」
「天使て」
「……てんし」
ジュウベェが前を向いたまま言った。
「……さくや殿は確かに甲斐甲斐しいでござるな」
「ジュウベェまで言わんでいい!!」
■ 氷山
七日目の朝、海の色が変わった。
深い藍色から、青白い色へ。
「……海の色が変わった」
さくやが言った。
「北の海や」ジュウベェが静かに言った。「……寒いでござるな」
「ジュウベェは寒くないの?」
「……寒いでござる。ただ、慣れてるでござる」
水面に、白いものが浮かんでいた。
最初は小さかった。
だんだん大きくなっていく。
「……あれ、氷?」
「氷でござるな」
「海に氷が浮かんでる」
さくやが手を伸ばして、水面の氷の欠片に触れた。
「……つめたい!!でもきれい!!」
やがて、巨大な氷山が現れた。
青白く輝く巨塊が、静かに浮かんでいる。
その大きさは圧倒的だった。
「……でかい」
「……でかいでござるな」
毛布の中からリアンの声が聞こえた。
「……でか」
「出てきて見てみ」
「……さむい」
「一瞬でいいから」
毛布がもぞもぞと動いた。
リアンが顔だけ出した。
氷山を見た。
「……でか」
「でかいやろ」
「……でか」
「感想それだけ?」
「……さむい、もどる」
毛布に戻った。
さくやが笑った。
■ オーロラ
その夜だった。
さくやが甲板に出ると、空が光っていた。
緑と青と紫の光が、夜空を揺れながら漂っている。
「……なに、あれ」
ジュウベェが空を見上げていた。
「……わからんでござる。でも美しいでござるな」
光は波打つように動いた。
時に激しく、時に穏やかに、夜空を彩っていく。
「……オーロラや」
毛布にくるまったリアンが、いつの間にか甲板に出ていた。
毛布ごと出てきていた。
「……知ってるの?」
「……きいたことある。北の空に出る、光の幕や」
「きれいやな」
「……きれい」
三人が甲板に並んで、空を見上げた。
しばらく、誰も何も言わなかった。
オーロラが踊り続けていた。
「……うちら、ほんまに遠くまで来たな」
さくやが呟いた。
「……遠くまで来たでござるな」
「……とおくきた」
リアンが毛布にくるまったまま、静かに言った。
「……でも、きてよかった」
波の音が続いた。
オーロラが、夜空に揺れていた。
■ 北の港
翌朝、島が見えてきた。
雪をまとった島だった。
白く輝く山が連なり、港には大きな船がいくつも停泊している。
「……港や」
「でかいな」さくやが目を丸くした。「うちの拠点の何倍あるんやろ」
石造りの桟橋が何本も伸び、クレーンが並んでいた。蒸気を上げる船もあった。港全体から活気が溢れていた。
「……すごい」
「北の国や」ジュウベェが静かに言った。「こんな場所があったでござるな」
リアンが毛布から顔だけ出した。
「……ゆきだ」
「雪やな」
「……はじめてみた」
「リアン、雪見たことなかったの?」
「……ない」
リアンがじっと雪を見ていた。
「……しろい」
「そうやな」
「……さむい」
「それはそう」
船が桟橋に近づいた。
港の小さきものたちが行き交っていた。
厚い毛皮のコートを着て、白い息を吐きながら歩いている。
「……さくや」
「うん?」
リアンが毛布にくるまったまま言った。
「……オレ、ここ、しばらくでられへんかもしれん」
「わかった。スープ作っとく」
「……てんし」
「天使て言うな!!」
■エレナ
桟橋に降り立った瞬間だった。
一人の小さきものが近づいてきた。
さらさらの長い金髪。大きな緑の瞳。ふかふかの白い服。背筋をぴんと伸ばした立ち姿。
港の雪の中に立っていても、その存在感は際立っていた。
彼女はさくやたちを見て、柔らかく微笑んだ。
そして口を開いた。
言葉が出てきた。
聞いたことのない言語だった。
「……えっと」
さくやが首をかしげた。
女性がさくやの反応を見て、別の言語で話してみた。
それも通じなかった。
また別の言語を試した。
それも通じなかった。
女性が少し困ったような顔をした。
さくやも困った顔をした。
ジュウベェも困った顔をした。
しばらく、お互いに困った顔で見合った。
女性が自分の胸に手を当てた。
「エレナ」
名前だった。
さくやが頷いた。
「さくや」
ジュウベェが一礼した。
「……ジュウベェでござる」
エレナがジュウベェを見た。
包帯だらけだった。
エレナが少し首をかしげた。
ジュウベェが静かに言った。
「……事情があるでござる」
通じなかった。
でも、エレナは微笑んだ。
そして手招きをした。
「……ついてきて、ってことかな」
「たぶんでござるな」
さくやが船室を振り返った。
毛布がもぞもぞと動いた。
「……リアン、着いたで」
「……さむい」
「わかってる。でもおいで」
毛布が動いた。
リアンが毛布にくるまったまま桟橋に出てきた。
エレナがリアンを見た。
毛布が歩いていた。
エレナが少し目を丸くした。
「……リアンや。寒いのが苦手で」
通じなかった。
でも、エレナは微笑んで頷いた。
そして毛布のリアンに向かって、何か優しい言葉をかけた。
毛布の中からリアンの声がした。
「……なんていうてるんやろ」
「わからん」
「……でも、やさしそうな声やな」
「そうやな」
エレナが歩き始めた。
さくやたちがついていった。
毛布のリアンも、ぺたぺたとついていった。
雪が、静かに降っていた。
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