私の知らない三百年
「え……」
アルデバランが魔法使いを何より大切に思っていることはもう知っている。かつての彼も、理不尽に扱われる魔法使いのために大きな戦争を起こした。
そんな彼が、なぜ魔法使いを殺すことになったのか。
「こ、殺したって、なんで」
「ブレイズが殺したのは人間だけじゃない。言われるまま魔法を使った結果、人間も魔法使いも関係なく殺めることになった。何百円、何千じゃきかないだろうな」
過去を語るアルデバランの口調がどこか他人事なのは、もう主観的な記憶を本人が覚えていないからだろう。今あるのは己の罪を忘れないよう何度も読み返した記録による、客観的な情報だ。
「けど、そこにブレイズ自身の殺意は無い。カイヤナイトだけはたしかに、殺そうと思って殺したんだ。ブレイズがカイヤナイトを殺した理由までは、思い出せないが……」
こめかみに指を当ててアルデバランが考えている。
「多分、分かり合えなかったんだろう。人間の排除を望むブレイズと、人間との共生を望むカイヤナイトは最後まで分かり合えなかった」
「でも、今からそのカイヤナイトって管理者がいる国に行くんでしょ? 人間と共生を望んでたなら、説得は難しくないんじゃない?」
「三百年も前の話だ。今のカイヤナイトがどんな考えを持ってるかは分からない」
マヴァロでの会合を思い出すアルデバラン。他の管理者の言葉からするに、当代のカイヤナイトは少々癖のある性格をしていそうだった。おそらく説得も一筋縄ではいかないだろう。
それこそ先祖をカーネリアに殺された話を持ち出されては、アルデバランは何も言えない。
アルデバランがそんな表情をするたびに、ロゼアリアはもどかしい気持ちになる。どうにかしてあげたい。分かってあげたい。けれど何もできることがない。三百年前に、自分はいなかったのだから。
アルデバランの抱える苦しみも罪悪感も、何一つ知ることができない。想像は所詮想像でしかなかった。
冷めた紅茶がほろ苦い。どうせ苦いなら、彼と同じ珈琲を頼めばよかった。
「……他の、黒い魔法使い側についた管理者は? 会合でアルデバランに対してどうだったの? 友好的だった、とか」
「いや」
思い出す限りは全方向から嫌悪や憎悪を感じた。唯一友好的だったのはエウルカ。一度会っている分、ソミンは接しやすかった。あの会合で打ち解けられたのはトリフィアくらいだ。
そうなるように仕向けたのはかつての自分だ。管理者の中で孤立したとしても、当然だと思っている。
「あの戦争の最後にブレイズは全ての責任を自分一人だけにあると話した。他の管理者はブレイズに洗脳されていたにすぎない」
「洗脳してたの?」
「していないが、そういうことにしたんだ。人間と魔法使いの共通の敵としてブレイズが消えれば、魔法使いが理不尽な扱いを受けずに人間と共生できるように。そう話をつけて、俺は自ら断頭台に上がった」
「……」
黒い魔法使いの処刑についてはロゼアリアも知っている。魔法使いとの戦争で見事勝利を収めた人間が、災厄をもたらしたその元凶を処刑して全てが終結した。その話なら、グレナディーヌの民誰もが知っている。
きっとアルデバランは覚えているのだろう、と思った。最初に自分が死んだ時の瞬間を、今でも忘れられずにいるのだろうと。
ロゼアリアの目が彼の首元を見る。当時の彼はどんな思いで鈍色の刃が待つ台へ昇っていったのだろう。多くの人の目に晒されながら死んだはずだ。憎悪、野次、好奇心。自身の死を望む数多の人間の前で命を絶たれた。
(三百年も人間と交流を持たなかったのも、当然かもしれない。きっと静かに暮らしたかったよね……)
改めて自分がアルデバランに残酷なことを強いていると感じた。
「カイヤナイトっていう管理者に対して何ができるか分からないけど、シュヴダニア皇王の説得が必要になるなら私やロディお従兄様が請け負うから」
「それは助かるな」
「でしょ? 使節として向かってるのは貴方だけじゃない。だから、一人で気負わないで」
アルデバランが心の内を明かせるのは、彼の罪を知る自分しかいない。だから、少しでも彼の心を軽くできるのも自分だけだ。
恋人になることが叶わなくともこうして弱音を吐ける相手でいられるなら、それも悪くないと思った。
「でもどうしてシュヴダニアは会合に参加しなかったんだろう」
「ザジャの呼びかけだったからじゃないか?」
「なるほど……」
東の大国であるザジャと西の大国であるシュヴダニアは、表立って争いはしないものの水面下で睨み合っている。それは、世界各国が周知している事実だ。そんなシュヴダニアがザジャに「集まってほしい」と言われて来るわけがない。
先にザジャを頼ったことが説得を難しくさせる点だろう。しかし、シュヴダニアの方を先に訪ねたところで結局ザジャに頭を悩ませる羽目になる。国際情勢とは難しい。自分がそんなことに関わるなど、ロゼアリアも想像していなかった。
「ザジャとは別の点でシュヴダニアの協力が必要ってことを伝えられたら良いんだけど……」
「そういうのはそっちで考えてくれ」
「アルデバランの方が頭が良いんだから手伝ってよ」
「三百年のほとんどを魔塔で過ごしてた俺に、各国の情勢が分かるはずないだろ」
なんならグレナディーヌの歴史すらアルデバランはろくに知らない。歴代の国王の名前など一文字も出てこない。カイヤナイトがシュヴダニアの管理者であることも、会合で聞かなければ分からなかった。
「とんだ箱入り息子ってこと?」
「箱に入ってた覚えはないがな」
「世間知らずって意味」
「それくらい分かる。そして否定しない」
良かった。軽口を言えるくらいにはアルデバランの元気が戻ったようだ。もしかしたらこれも、ロゼアリアに合わせてくれているだけかもしれないが。アルデバランは感情をあまり表に出さないから、話してくれないと何を感じているか分からない。
だからこそ一緒にいると落ち着くし、もっと彼を知りたいと思ってしまう。
(アルデバランてどういうタイプの女性が好きなんだろう。ううん、それだとアーレリウス様の時と同じ)
彼の好みが分かれば、それに近づく努力ができるのに。そんな考えが浮かんできて、慌てて頭から消し去った。
それで白薔薇姫は失敗したのだ。それに、今さらアルデバランの前で取り繕うのも遅い。
(“フィメロ”って人についても、聞けてないままだし……)
かつてのアルデバランにとってその女性が大事な人だったことはたしかだ。家族なのか恋人なのか。知りたいが、知りたくなかった。もしその女性が恋人だったなら、アルデバランが結婚を拒む理由の一つに女性嫌いが含まれていないという希望になる。それと同時に、彼女以外は愛さないと決めている絶望にもなるかもしれない。
(本当に呪いを自分の子孫に押し付けたくないってだけなら、良いけど……)
さく、とフォークがりんごのパイを突き刺す。
(そもそも、未婚てだけで交際くらいはしたことあるんじゃない?)
平民は自由恋愛が主流だ。おまけに貴族と違って婚約うんぬんというのもないらしい。交際も破局もそれぞれの自由。爵位を持たないアルデバランも、同じように過去に自由恋愛をしていてもおかしくない。
「アルデバランて……」
「なんだ?」
恋人はいたことないのか、と聞こうとして途中で止まる。「どうしてそんなことを聞くんだ」と怪しまれたら言い訳できない。
「……アルデバランは何も食べないの?」
「特に食欲は無いが……おかわりがしたいなら好きなだけすればいいだろ」
りんごのパイを好きなだけ食べて良いならもちろん食べるが、今はそういうつもりで言ったわけじゃなかった。あまりにも鈍いアルデバランに無性に腹が立つ。
「……する」
少しむくれながら、ロゼアリアは再びりんごのパイと紅茶を注文した。




