揺れるガラス玉
星祭りが終われば季節は一気に秋へと変わる。夏が比較的穏やかなグレナディーヌは、秋冬への入りが早い。のんびりとやってくる春に対し随分駆け足だ。
しかしそれを嘆いたりはしない。実りの季節はロゼアリアの大好物を連れてくるからだ。もう間もなく、あちこちの店でりんごのパイが並ぶ。その楽しみがあるから秋は好きだ。
「あと一週間先だったら、ル・ソルチェラがりんごを使った季節のパイを売ってたのに……」
残念そうに離れゆく国土を見下ろすロゼアリア。シュヴダニア皇国まで飛行船で五日。移動だけでも往復で十日はかかる。ル・ソルチェラの季節のパイは少なくとも二週間はおあずけだろう。
早くも色づき始めたせっかちな紅葉樹の森を眺めるロゼアリアに、長身の男が近づいてくる。
「ロゼ」
「あ、アルデバラン」
アルデバランが展望ホールを歩き回るなんて珍しい。客室に引き篭もるか、ラウンジで過ごしていると思っていた。
「どうしたの? 何かあった?」
「いや。これを渡そうと思ってな」
アルデバランがローブの内側から出したのは、白い小さな化粧箱。
「何これ。開けてもいい?」
「ああ」
まさかプレゼントだとは夢にも思わず、開けてものすごく驚いた。
箱の中に収められていたのは、ローズゴールドのピアス。ランタンのようにちょこんと釣られているのは、空色をした半透明のガラス玉。
思わず、ピアスとアルデバランを交互に見る。
「え、これって」
「何かを貰ったら返すのは当たり前だろ」
そうは言っても、アルデバランから貰えるとは思っていなかった。星祭りの文化など知らないはずだからと、期待を持たないようにしていたのに。
そっとピアスを手に取る。展望台の窓にかざすと、ガラス玉が柔らかく光を透かして揺れる。それが、水底から見上げる陽光を想起させた。
「綺麗……」
いくつもの宝石や真珠で飾られているわけでもなければ、豪華な金細工を施しているわけでもない。それでもこのピアスは今まで見たどのアクセサリーよりもロゼアリアの心を奪った。
「今付けてもいい?」
「むしろ付けてくれ。そのピアスには身護りのまじないを施してある。ロゼはすぐ危険に首を突っ込むからな」
「わ、私が後先考えずに動いてるみたいな言い方」
「実際そうだろ」
そんなことは断じてないが、今は全く気にならない。アルデバランからピアスを貰った。それがすごく嬉しい。
早速耳朶に付けようと試みるものの、上手くピアスホールが探せず苦戦する。こういうことは大抵フィオラや侍女がやってくれるから、自分でしたことがなかった。
見兼ねたアルデバランが手を差し出す。
「自分で付けられないなら言えばいいだろ」
付けてやるから貸せ、という手らしい。途端にフィグミュラー邸で頬の傷に触れられたことを思い出し、ロゼアリアが顔を赤くする。
アルデバランにピアスを付けてもらうなど、恥ずかしくて耐えられない。決して嫌というわけではないが、それどころか付けてほしいとすら思うが、彼への恋情がバレてしまったら終わりだ。
「だ、大丈夫! フィオラに付けてもらうから!!」
「おい、走って落とすなよ」
「もちろん!」
ピアスを箱にしまい、アルデバランから逃げるようにその場を離れる。
顔が熱い。心臓がドキドキしている。これから五日間、飛行船でアルデバランを見るたびに今のことを思い出しそうだ。
「フィオラ!!」
勢いよく客室へ帰ってきたロゼアリアにフィオラが何事かと振り返る。
「お嬢様、どうなさいましたか?」
「これ、これ付けて!」
ロゼアリアに渡された見慣れないピアスに、フィオラがまあ、と口元を押さえた。ロゼアリアをそのままピアスにしたような色合いだ。
「贈り物ですか? 一体どなたから」
「ア、アルデバランから、貰った……星祭りの、お返しって……」
照れ隠しに目を逸らしながら言う主に、フィオラは再びまあ、と口元を押さえる。
「すぐにお付けいたします。こちらにお座りください、お嬢様」
ロゼアリアの髪を耳にかけ、フィオラがピアスを付ける。耳朶に感じる小さな重力が愛しい。顔を少し動かすたびにガラス玉がころころ揺れる。その様もまた愛らしい。
鏡の前で何度も顔を傾けてピアスを揺らすロゼアリアを見て、忙しなく動くガラス玉が彼女にそっくりだとフィオラは思った。
「とてもよくお似合いでいらっしゃいます。お嬢様を模して作られた代物に見えますね」
「そ、そうかな」
ロゼアリアがアルデバランに贈ったピアスも、彼の瞳に似た色の石を用いたもの。だからアルデバランも、同じようなモチーフのピアスにしたのだろう。アルデバランのことだ。特に深い意味はないはずだ。
しかし実はこのガラス玉が世界でも限られた海岸でしか見つからない、案外貴重なものだということはロゼアリアもフィオラも知らない。
このピアスは絶対に壊さないぞ、と以前真珠のピアスを床に叩きつけて破壊した経験を持つロゼアリアは固く誓った。
せっかく新しいピアスを付けたのだ。誰かに見せびらかさなくては。
(ああでも、アルデバランに会ったらどうしよう……さっき逃げちゃったし)
恥ずかしさのあまり逃げてしまったせいで、どんな顔をして会えばいいか分からない。なら会いたくないのか、と聞かれれば、そういうわけでもない。
二人きりで会うのが少し気まずいのだ。誰かと一緒なら大丈夫だろう。
そうだ、オロルックでも探そうと船内をうろうろ歩くロゼアリア。図書室には絶対にいないし、オロルックが一人でレストランに行ったりしないだろう。
「うーん……自分の部屋で筋トレでもしてるかも」
一度訪ねてみよう、と階段を降りたところで、昇ってきたアルデバランに遭遇する。こういう時に限って遭遇してしまうのだ。踊り場で足を止めるとアルデバランも立ち止まってくれた。
「あ、ええと、さっきぶりね」
「ああ」
「どこか行くところ?」
「ラウンジだ」
アルデバランの視線がつっとロゼアリアの耳朶に移る。
「ちゃんと付けたな」
「う、うん。似合ってる?」
「似合わないと思うものをわざわざ贈ったりしない」
そこはお世辞でも「似合ってる」と一言言えば良いものを、なんとも遠回しな。しかしそういうところがアルデバランらしくてついニヤけそうになる。
アルデバランは会話が終わったと判断したらしい。再び階段を昇り始めた彼の後ろを慌ててロゼアリアが追いかける。
「冒険の続きをしなくて良いのか?」
「一回見て回ってるから」
ロゼアリアがついて行くことは拒絶されなかった。オロルックを探すのはやめて、このままアルデバランとラウンジへ行ってしまおう。
相変わらず人気がなく静かなラウンジ。端の席に座るなり、アルデバランがメニューを渡してきた。
「ラウンジにお茶をしに来たの?」
「ロゼこそ、何か食べるために着いてきたんじゃないのか」
全然違う。が、「本当はアルデバランといたくて着いてきた」とは言えない。「ま、まあ……」と言葉を濁しながらメニューを受け取る。
悩むまでもなくりんごのパイ一択だ。
程なくしてロゼアリアの前にりんごのパイと紅茶、アルデバランの前に珈琲が用意される。
「……」
「……」
お互い特に話すこともなく、それぞれ珈琲や紅茶を啜る。これはこれで悪くないが、一緒にいるなら何か話したい。
「管理者の会合はどうだった?」
ロゼアリアが聞けば、アルデバランはカップを口元から少し話した。
「疲れた」
「魔法使いの集まりなのに?」
「魔法使い同士でも、国が絡むとさすがに腹の探り合いになる。欠席者がいたから、ラウニャドールの状況が分からない国もあるしな」
「それで今、シュヴダニアを説得するために向かってるんだよね」
「そういうことだ」
眉根に若干の皺を寄せるアルデバラン。ザジャの時もあまり乗り気には見えなかったが、今回はそれ以上に見える。
「やっぱり、他国の管理者に会うのは怖い?」
「そうだな……カイヤナイトは、特に」
アルデバランが珈琲に視線を落とす。長い睫毛が伏せられ、思わずりんごのパイを頬張るのも忘れて見蕩れてしまう。一度深く呼吸をした彼の睫毛が震えた。
「──カイヤナイトは、唯一ブレイズが明確な殺意を持って殺した魔法使いなんだ」




