血の盃
教室へと引きずり出されれば、困惑と夢うつつを顔に貼り付けた子供達がもう何人も集められていた。いつもの間引きと違う、とぼんやりする頭でもブレイズは直感する。
(それに、管理者が死んだって……)
あの老人と出会ってまだ半日と経っていない。それなのに、「死んだ」なんて。
まだ、何一つ聞けていないのに。
「血の盃が用意できるのは六人分ですね。さっさと選別をしましょう」
いつも通り、無言詠唱で他の子供を補助すればいい。そう目論んだブレイズだったが、教室に集められた子供達は大きく四つのグループに分けられた。
ブレイズの腹の底が一気に冷える。
──まずい。
複数の場所で試験が同時進行となれば、いくらブレイズでもフォローできない子供が出てくる。
(何とかしないと!)
分かっていても、睡眠不足の脳は上手く回らない。つい数分前まで寝ていたのだから。必死に頭を働かそうとする間に、試験が始まってしまう。
いつも通り一人ずつ魔法を使わされる。しかしいつもと全く同じではなかった。
「あっ」
試験をクリアしたブレイズの首から首輪が外される。これでは魔法が使えない。どのグループも最初に試験を受けさせられているのは、魔法使いとして優秀な子供ばかり。
魔法を、封じられている。
気づいても、魔法石を奪われてしまった以上何もできない。そして、いつもと違うのは首輪を奪われるだけではなかった。
「離せ!! 離せよ!!」
「リドラ!!」
不合格と判断された子供はその場で殺されるのだが、今日は兵士たちに連れ去られていく。リドラが抱えられていくのを見て、ブレイズは血相を変えて飛び出した。
リドラを連れて行かれるのは駄目だ。まだ脱走の「だ」の字も計画していないのに。
「やめろ!! やめてくれ!! リドラを連れて行くな!!」
兵士の服を掴むが、魔法を使えないブレイズはただの貧弱な子供。いとも簡単に床に放られ、リドラを担いだ兵士は呆気なく扉の向こうへと消えた。
「そんな……」
だが放心している暇はない。ちょうど今、ブレイズの後ろでフィメロが試験を受けているところだったから。
「あっ……」
フィメロの魔法が失敗し、本が爆ぜる。その光景を見た瞬間、目の前が真っ白になった。
フィメロまで、連れて行かれてしまう。最愛の妹だけは絶対に失うわけにはいかない。涙を滲ませてガクガク震える妹の元へ飛び、その小さな身体を抱き締めた。
キッとリービルを睨みつける。魔法さえ使えれば、抵抗の一つでもできるのに。
「ふむ……不出来ですが、カーネリアの血筋なので一応残しておきましょう」
リービルが次の子供へ向かう。よく分からないが助かったらしい。全身から力が抜け、ブレイズは床に手をついた。
だが安心したのもその一瞬だけ。リドラはいなくなってしまった。
(どうしよう……俺一人じゃ……)
もう何も考えられなかった。あれほど毎夜訓練をしたのに、誰一人守れていない。
──ベッドの上で身体を丸め、頭まですっぽりと布団を被るブレイズ。昨日今日と、ほとんどをそうして過ごしている。
選別で最終的に残ったのは、ブレイズ、フィメロを含めて六人。カイヤとメオ、それから双子のユフィとネフィだ。連れ去られた子供達はきっともう生きていないだろう。
おそらく、リドラも。
(なんで、リドラまで……)
握りしめたシーツに皺が寄る。もう何をする気も起きなかった。静かな雨音が嫌に耳へ響く。昨日からずっと降り続けている。殺されてしまった子供達の涙だろうか。「どうして助けてくれなかったんだ」と責められているような気分になる。
「おにぃちゃん、ごはん食べに行こ……?」
フィメロの小さな手が、毛布越しにブレイズの背に触れた。たった七つの妹の手が、今のブレイズにはひどく頼もしく思えた。
「……うん」
六人だけが残って三日が過ぎた。六人が会話もなく朝食を食べていると、リービル達はそこへずかずかと踏み込んできた。失意の底から立ち直れずにいる子供達は、悲鳴もあげず入ってきた人間を見つめるだけだった。
「血の盃ができました。ついてきなさい」
食事をしているところはリービルには見えていないらしい。ブレイズ達はため息すらつかず、残った食事をそのままにして席を立つ。
どうせ味も分からなければ、空腹も特に感じないのだ。文句など出てこない。
居住区の外に出るのは、ブレイズ以外はここへ連行されてた時以来だった。兵士に囲まれながらリービルの後を渋々追う。これから何をさせられるのか分からないが、ろくでもないことには違いなかった。
重苦しいほどに静まり返った廊下。迷路のような石畳の道を幾度も曲がるうちに、ブレイズはなんとなく見覚えのある場所に来たと気づいた。
(あれって……)
あの時は夜であまり見えなかったが、間違いない。向かう先にある扉は管理者がいた部屋に続くものだ。
リービルが扉を開ける。ギ……と軋みながら開いた先から、あの夜と同じように冷たい空気が降りてくる。他の子供達から緊張が伝わってきた。フィメロが、ブレイズの手をぎゅっと握る。
薄暗い螺旋階段を一段一段昇っていく。あの部屋に老人はいるのだろうか。本当に死んでしまったのだろうか。コツコツと石段を踏むいくつもの足音を聞きながら、ブレイズは心臓がドキドキと速くなっていくのを感じた。
階段を昇り切った先にある扉をリービルが開ける。促されるままにその部屋へ入った子供達がすぐさま悲鳴を上げた。今度ばかりはブレイズも息を呑む。
彼は相変わらずベッドに横たわっていた。ガラス玉のような目も、虚に天井を見上げている。しかし前と違い、その胸には銀の剣が深々と突き立てられ。シーツに染み込み、乾いた血がベッドに張り付いていた。
「不思議なものですね。死んで数日が過ぎているのに、ここまで死臭がしないとは。管理者が人ならざる者というのは確かなのかもしれません」
リービルが老人に近づき、興味深そうに彼の顔や枯れ枝に似た身体をまじまじと観察する。
「しかし、どれだけ人智を超えた存在であっても死ねばゴミと変わりませんね。早く次の管理者を決めてしまいましょう」
リービルが老人の胸から剣を引き抜く。胸元から僅かに血が零れ、シーツの染みに加わった。血が滴る剣をリービルがベッドの向こうの壁に嵌め込むと、壁が左右に開き始めた。まさか隠し扉があったとは。
隙間から光が漏れてくる。空間を裂くように押し広がるその光は、一つの大きな石から放たれていた。
きっと炎を押し固めて作った石だとブレイズは思った。初めて見る石なのに、とても懐かしい。この石を自分は生まれた時から知っている。そんな気がしてならなかった。ゆらゆらと煌めく光から目が離せない。あの石に触れたい。
それはフィメロも同じなのだろう。ブレイズの隣でぽーっとした表情で石を眺めている。
「これは母なる石です。管理者だけが扱うことを許された石で、この石を用いれば強大な魔法を際限なく使うことができる。君達のうち誰かが、次の管理者となりこの石を管理する資格を得るでしょう」
リービルの視線がつ、とブレイズに向けられた。
「喜びなさい。君達は選定の儀を受けるに値すると判断されたのです。管理者の最終候補に残った優秀な魔法使いだけが、血の盃を飲むことができるのですから」
石のすぐ下に置かれたピッチャー。それをリービルが手に取り、中身をゴブレッドに注ぐ。赤黒くとろみを帯びた液体は、まるで。
(血……? ワインには見えない)
では、誰の。ベッドに横たわる老人。彼の青白い肌。乾いた血液。ぱっくりと割れた胸。
あの、ピッチャーの中身は。
今すぐリービルを殴り倒してやりたかった。よくもそんな非道なことを。
老人が衰弱で死んだのか、はたまた殺されたのかは分からない。けれどあの人間が彼の身体から血を抜いたことは確かだ。
許せるはずがない。
けれど、ブレイズも分かっている。躊躇いなく子供達を何人も殺した男に、老人から血を抜くことへの罪悪感などあるはずがない。この怒りはどこまでいっても伝わらない。リービルという男の前では無意味なのだ。
拳を握りしめる。悔しい。もっと自分に力があれば、この男から皆を守れたのに。
リービルが中身を注いだゴブレットは六つ。ここにいる子供の人数と同じだった。
「貴重なものです。決して零さないように」
血液の注がれたゴブレットが一人一人に手渡される。だが、どういうわけか血の臭いはしなかった。この部屋へ入った時もそうだ。ベッドの上で胸を貫かれている老人がいるというのに、血生臭さをまったく感じなかった。
それに、老人の遺体は全く腐敗していない。胸に傷を負っていること以外は、初めてブレイズが彼を見た時とほとんど変わっていなかった。だからこそ、彼が死んでいると受け入れられなくて。
ゴブレットの中で赤黒い液体が揺れる。無意識のうちに手が震えていた。
「では、選定の儀を始めましょう。それを全て飲み干しなさい」
そう言われてゴブレットに口をつける子供はいなかった。だがリービルは冷たく六人を睨んでいる。子供達の背後にはそれぞれ兵士が立ち、逃げ出すのを防がれている。
中身は血液なのだ。飲みたいわけがない。
「飲めませんか? それなら、仕方ないですね」
リービルが手を挙げると、後ろに立っていた兵士が子供達を取り押さえた。リービルがブレイズの前に立ち、震える手からゴブレットを奪い取る。
「飲めないのなら、私が直々に飲ませてあげましょう。愚かに抵抗をするだけ無駄です」
絶対に飲まない、と口を閉じて抵抗するブレイズの鼻をリービルが摘む。呼吸を奪われ耐えきれずに開いた口に、乱暴にゴブレットの中身が流し込まれた。鼻は塞がれたまま、酸素を求める身体は勝手に血の盃を嚥下してしまう。
味など分からなかった。液体が喉を通る頃には、ブレイズは何も分からなくなっていた。
喉が熱い。目の前が真っ赤に燃えて何も見えない。内側から耳が焼けて何も聞こえない。鼻の奥まで燃え、呼吸ができているのか分からない。声が出ているのか分からない。食道を焦がしながら胃へと滴り落ちた血液が内臓を焼き、脳を焼き、心臓までもを焼いていく。
突如身体を襲う苦痛にきっと自分は叫んでいるはずなのだが、なにせ何も聞こえないのだ。ただ熱さだけが鮮明で、それしか分からなくて。
自分が今どうなっているかも分からないまま、とうとう意識すら焼き切れてしまった。




